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●731部隊関連年表
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
●第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●石垣島の自衛隊!!
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●日本の核開発
「徴用工問題」とは何か
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず
記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」
日立と系列10社に改善勧告・指導 技能実習業務で違反
東京医科大、寄付した7人加点か 補欠で合格 第三者委
<ボロボロ出てくる新事実>厚労省勤労統計問題はオモシロイ
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・原爆や、らち問題等、被害の歴史ばかりが強調されて戦前、戦中に日本国家及び軍部が行った中国、朝鮮、さらに沖縄等の非人間的な加害行為をあらためて、今に生きる日本人として恥入る想いです。
二度とこのような時代を創らないためにも、今後共、このような企画を全国津々浦々に広げていただきたいと思います。(男性70代千葉県)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
英霊安置所にて
病院に着いた。えぐりとった背中の傷をぬぐったばかりの佐々は、白いベッドに腹這いになっていた。彼は私達を見上げたとたんに泣き出しそうになった。
「えぐられた時は、実際ひどかったぜ。電気にかかったみたいに気が遠くなって、痛いのかどうか、自分でもわからないくらいだった」
「今、阿部の葬式を済ませてきたばかりだ」
「そうか・・・。俺ももう少しで危ないところだったなぁ」
と、佐々は淋しそうにゆがんだ微笑をした。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
秘密の軍事学校
まず、当時の日本陸軍の各種学校は、すべて学校の名前の中に専門的な性格を表明していた。例えば「砲兵学校」、「歩平学校」、「通信学校」、「自動車学校」あるいは「士官学校」、各種教育機関など。しかし「習志野」は地名であり、専門とは何の関係もない。明らかなのは、専門の性格を秘密にしなければならないということだった。当時この学校に命令を受けて来た軍人たちは、学校の名称からしてすぐここは秘密の軍事機構だろうと疑った。
●登戸研究所資料館
第1展示室
第1展示室では、登戸研究所が設置された歴史的な背景と目的、立地条件、組織の概要、運営体制、他機関との関係、そして戦争の進展とともに研究所の規模と役割が次第に変化していく過程を中心に研究所の全体像(全容)を紹介しています。
登戸研究所の誕生
研究所の内部でも、どこでどのような研究を行っているのか隠すため、人の出入りが厳しく制限されていました。
登戸研究所は、陸軍中野学校・憲兵隊などと連携しつつ、陸軍中央と強い結びつきを有しているのが特徴でした。そして、戦争の拡大とともに、{秘密線)の必要性から、登戸研究所はその存在感をさらに強めていきました。登戸研究所が直接指導を受けていた参謀本部は、天皇に直属する機関であり、戦時中は大本営(戦時・事変において設置される陸海軍の最高司令部)の中核を担っていました。
陸密1570号
陸軍科学研究所登戸出張所(登戸研究所)の設置を決定した文書。(防衛省防衛研究所戦史研究センター所蔵「陸軍省密大日記」昭和14年1冊より資料館筆耕)
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
■731部隊による人体実験・細菌兵器使用
―731部隊の罪悪をもう少し具体的にお話しください。
731部隊は、現中国黒竜江省の省都・哈爾浜市近郊の平房に、 1939年頃までに完成した細菌兵器開発の一大軍事基地にありました。731部隊では、実験材料にされる人々は、特別に定められた「特移扱」と呼ばれる手続きで憲兵隊により供給されて、「マル夕」と称されていました。敗戦までの5年間に少なくとも3000名が送り込まれ、生存者はいませんでした。21世紀になって、中国では、証拠隠減の焼却跡から発掘された憲兵隊の「特移扱」資料の調査が進み、300名以上の氏名が判明しつつあり、被害遺族からの訴えも出始めました。
731部隊による人体実験や中国各地の細菌兵器の実戦使用による被害者や遺族の一部は、日本国を相手取って謝罪と賠償を求めるために日本の裁判所に提訴しました。中国人180人が原告となった731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟(1997年提訴)では、最高裁判所が2007年5月9日に国家無答責(当時は国が戦争被害について賠償する法律は制定されていなかったこと) を理由にして上告を棄却し、原告の敗訴が確定しました(www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/795/005795_hanrei.pdf)。損害賠償の請求は認められなかったのですが、 「細菌戦の事実の有無について」「は原告らが立証活動をしたのみで、被告は全く何の立証(反証)活動もしなかったので」「制約ないし問題があることを認識しつつ」証拠に基づき第一審が判決で示した戦争医学犯罪の事実の存在の認定は確定しました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
3、特殊爆弾から原子爆弾へ
8月9日には長崎も原爆の攻撃を受けた。
陸軍省医務局は特殊爆弾に関する情報を整理して8月11日衛生速報第79号を発行し、各軍及び直轄の衛生機関に広島爆撃の戦訓を伝えた。これには爆撃及び爆発の状況、爆風威力、防空壕の効果及び対策を書いた。
この火傷の項には
(1)皮膚の露出部は第2度の火傷を受け、襦袢等の薄い被服を着ている部分は水ホウを生じ、軍服と襦袢の重なった部分は軍服のみ焼け、皮膚には何等の損傷はない。
(2)火傷は爆心地に向かう側だけにあって、光線に対すると同様に、物のかげに遮蔽すれば防御し得る。爆心から3キロの所でも露出した部分は火傷する。
(3)一部には焼夷剤による火傷も混在しているようである。
と記載した。最後に本爆弾に関する情報として、ウラニウム(原子量235)をもってする「原子爆弾」なるものの如し、俘虜情報によれば、破壊効力は1発に対し6平方マイルにして、B29の2000機に匹敵するという。
爆発は敵機脱出後しばらくして起こるを以て念のため。と付記してある。今から見れば間違いでないかと思うところもあるが、何よりも早く対策を指導することが必要であった。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
満州国を正当化した新たな国家イメージは国家信仰という性格に加えて、ドイツのナチズムややイタリアのファシズムと似ていた (後者には、天皇崇拝という日本人の政治信仰に相当ものをイタリアで求めたという側面があった)。1933年、1万8000人の反体制の人々が逮捕され、多くの左翼指導者が転向を強いられると、日本の共産主義運動はたちまちのうちにすべて弾圧されてしまった。1934年から36年までに、大正デモクラシーの遺産や立憲的自由主義の慣行は脅迫や暗殺により衰退していった。ナチ化したドイツの反セム主義のような人種的不寛容や憎悪が国家政策となることはけっしてなかったが、アジア人への人種差別は、20世紀の日本人の身にしみこんでおり、日本の植民地主義が始まった1894年から95年にかけての日清戦争ごろに起源を持っていた。1936年11月、日独防共協定が調印されると、ナチスのイデオローグの思想も流入して日本で多くの支持者を獲得し、ナチスの反セム主義は、すでにユダヤ人への偏見が広まっていた論壇の主流となった。その後の歴代日本政府は、臆面もなくユヤ人についてのイメージ操作を行ったが、それはユダヤ人を追害するためよりも、むしろ国内のイオロギー的画一性を強化するためだった。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
731を問う!!
2019年3月4日月曜日
細菌戦の系譜!!
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日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず
記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」
【厚生労働省の統計不正問題】村木厚子氏も官邸からの圧力の報告か 朝日新聞が報じる
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
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【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
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【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・戦争が起こってしまえば、虐殺も慰安婦も出てしまうのが残念ながら普通のことなのだから、戦争をやっちゃいけないと思っています。
「なかった」など平然と言えるやつは、何か利害を持っている者なのか、、、。
松代地下大本営は40年ほども前に、中に入ってみたことがあります。朝鮮語と思われる文が洞窟の壁に残っているのも見て来ました。
AがK学園でそんな大きな奥の目的を達成させようとしているなんて、Aにそんな頭脳はないと思っていますが、Aのジイサマがそれを考えていたという記録があるのなら、Aも考えてしまうかもしれませんね。Aとその仲間はなぜこうも庶民をないがしろにできるのか、全く理解できないし、そのまわりの党所属者もそろそろ「おかしいっ!」と言い出すのがいっぱい出てこないのかな、と不思議です。
官僚が自分の将来を考えて動くのはちょっとわかったりしますが、正義感など表せないのはとても残念だし勤勉だし、思い込んでいた日本全体が不正とウソのかたまりだったとわかってきたのはものすごくショックです。老後は外国で暮らしたいと思うくらいですが、暮らしきれないと思うので、日本にいます。(男性60代、海老名市、通りかかって)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
英霊安置所にて
私はなんだか悲しかった。小枝傭員の無言の思いやりが、陰気な毎日にならされた私の胸を、夜露のようにしっとりぬらした。
病院の方に駆け出した私は、後から声をかけられた。林田である。
「俺も行くよ」
と言って、彼はすぐに話題をかえた。林田と佐々とは飼育所に一緒にいただけのわずかなつき合いにすぎなかったのだから、林田の目的はほかにあったのである。
「よか人だのう。俺の班長も、あんなだったら、苦労せんとよかものを・・・畜生」
私はびっくりした。林田は1人で小枝傭員と自分の班長である小宮雇員とを比較して怒っているのだった。小宮は、林田が勤務に出てくるようになってからも彼を束縛し、いつかのことを根に持って、まだ辛く当たっていた。そして小宮班長に対する反感は1人林田のみではなく、班員の大半が共通な恨みを抱いているという。
「俺な、あいつ、小宮の奴を、やったろうかと思っとる。班長だってなんだってかまうことあるか、一度やらんば気が済まんのじゃ」
と林田は、かなり興奮のていである。しかし私は、まさか彼が真剣に思いつめているとは考えられなかった。それは、とてつもない無謀な行為でしかなかったのだ。“下級のものは上官の命を承ること実は直に朕が命を承る義なりと心得よ”という軍人勅諭の一節がここでも生きているからである。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
秘密の軍事学校
新しい軍事学校は元騎兵第1旅団司令部の位置に建てられたが、間もなく同旅団第16連隊のいた場所に移転した。この旅団の一部が中国の「満州」作戦に派遣されたからである。「陸軍習志野学校」と公式に命名されたように、何も異常なところはなく、この学校の任務は「軍事に関する科学教育及び調査研究を遂行すること」とされていた。事実、どんな軍事学校でもその任務はすべてこのような一種漠然とした定義で概括できる。しかし、もう1歩進んで理解を深めたならば、この習志野学校の内幕は普通の軍事学校ではないことを発見するだろう。
●登戸研究所資料館
第1展示室
第1展示室では、登戸研究所が設置された歴史的な背景と目的、立地条件、組織の概要、運営体制、他機関との関係、そして戦争の進展とともに研究所の規模と役割が次第に変化していく過程を中心に研究所の全体像(全容)を紹介しています。
登戸研究所の誕生
登戸研究所は、1937(昭和12)年に、新宿にあった陸軍科学研究所の「登戸実験場」として、生田地区に設置されました。その後、日中戦争の拡大とともに組織の拡充が図られました。アジア太平洋戦争の終盤期には、11万坪もの敷地に約100棟の建物を有し、約1000人の人々が働いていました。研究所における兵器開発は、当初は電波兵器が中心でしたが、次第にスパイ機材・生物化学兵器・偽札・風前爆弾などへと多様化していきました。研究所の敷地・建物の内外では、憲兵が警戒に当たっており、一般人が近づくことはできませんでした。
勅令第110号
1919(大正8)年、大正天皇による勅令。天皇が署名する権威のある方法によって、陸軍科学研究所が設立された。これが後に登戸研究所設立につながっていく。(国立公文書館所蔵)
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
■731部隊による人体実験・細菌兵器使用
―731部隊の罪悪をもう少し具体的にお話しください。
731部隊は、現中国黒竜江省の省都・哈爾浜市近郊の平房に、 1939年頃までに完成した細菌兵器開発の一大軍事基地にありました。731部隊では、実験材料にされる人々は、特別に定められた「特移扱」と呼ばれる手続きで憲兵隊により供給されて、「マル夕」と称されていました。敗戦までの5年間に少なくとも3000名が送り込まれ、生存者はいませんでした。21世紀になって、中国では、証拠隠減の焼却跡から発掘された憲兵隊の「特移扱」資料の調査が進み、300名以上の氏名が判明しつつあり、被害遺族からの訴えも出始めました。
2007年4月までに確認できた罪悪としては、ヒトを「サル」と偽って日本病理学会でも発表された「流行性出血熱感染実験」、米国で見つけられた、731部隊のデータを手に入れた米軍の報告書に記されていた炭疽、ぺスト、チフス、パラチフスAおよびB、赤痢、コレラ、鼻疽の「細菌感染実験」(被験者の50%に感染を引き起こす病原体の最小量も記されている)、「凍傷実験」、「水だけを飲ませる耐久実験」、「ぺストワクチン実験と生体解剖」、「毒ガス兵器の野外人体実験」、「毒物の経口摂取・注射の人体実験」、「細菌兵器の実戦使用」があげられます。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
3、特殊爆弾から原子爆弾へ
8月8日の新聞は大本営発表として、広島へ敵が新型爆弾を投下したことを知らせた。落下傘をつけて空中で破裂させたが、想像もつかない大爆発であったと書いてあった。実際に広島の惨害の第1報が東京へ到着したのは6日の午後であった。特殊の高性能をもった爆弾で、惨害が甚大であるとの報告を受けた陸軍の中央部では、7日の早朝米国のラジオが「原子爆弾」であると放送していることを知ったが、公式の調査によって確認するために、参謀本部第2部長の有末中将を長として、理研の仁科博士や陸軍軍医学校の関係者を広島に派遣した。陸軍軍医学校は委員の差出しによって、爆撃の惨害の程度を確認し、被害者の診療方針を決定し、防護対策を立てることに指示されていたので、以前から爆傷及び爆風傷について研究していた外科の島田、耳鼻科の成田、病理の山科、眼科の松永の諸教官を委員とし、ほかに助手1名を選定した。一行は航空事故のために遅れた8日午後広島に到着し、10日18時、2日間の調査結果を、船舶司令部参謀長依頼特別緊急電報で陸軍省医務局長へ報告した。
内容は次のようであった。
(1)爆弾威力(詳細は文)
a、爆発殺傷力及び建造物の破壊力はおおむね半径3キロに及ぶ
b、殺傷は爆発の時発生する特殊光線による火傷及び強力な爆風によるものと推定される。特殊光線は直接皮膚を燃焼し、レントゲンフィルムを感光させる。
c、一部の水中生息物(魚類)が死亡した。
d、防護は掩蓋壕内に退避するほか、地上では爆風と光線の死角内に伏するのがよい。
(2)陸軍病院の被害状況
a、広1病全焼、職員患者8割死亡
b、広2病本院全焼、職員患者約8割死傷
c、三滝分院倒壊、死亡1、負傷約200
d、江波分院一部倒壊、人の被害なし。
(3)レントゲン教官至急派遣されたい。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
明治天皇のもとで、日本は、技術のみならず、ある意味では先進的な西洋社会のアイデンティティさえも摂取しながら外見上は「脱亜」を行った。その結果、アジアの白人西洋社会に対する、希望と不安の合わさった浅薄な一種の連帯感が生まれた。それは、中国その他のアジア民族への差別や侮蔑と表裏一体になっていた。しかしながら、いまや日本は台頭しつつあり、アジアにおける正当な指導者という役割を独自に担い、構築し、刷新しつつあった。そのため当時の多くのイデオローグは、西洋の政治思想の本質は収奪と、支配と、侵略であり、要するに一時的に島国日本を襲い、アジア同胞の利益も脅かしている伝染病だと考えるようになった。これからの日本は「自衛」のためではなく、むしろ、昭和天皇の大御心を広げるために行動しなければならない、それは、道徳的に優れた社会を満州国に建設することによってもたらされる。満州では「五族」が「『王道』の原則」に従い階層的な「協和」のもとに生活するのである。彼らは、そう主張した。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●731部隊関連年表
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
●第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●石垣島の自衛隊!!
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●日本の核開発
「徴用工問題」とは何か
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
水爆実験で被爆したのは第五福竜丸だけではない!!延べ992隻が被爆!!
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず
記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」
【厚生労働省の統計不正問題】村木厚子氏も官邸からの圧力の報告か 朝日新聞が報じる
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・戦争が起こってしまえば、虐殺も慰安婦も出てしまうのが残念ながら普通のことなのだから、戦争をやっちゃいけないと思っています。
「なかった」など平然と言えるやつは、何か利害を持っている者なのか、、、。
松代地下大本営は40年ほども前に、中に入ってみたことがあります。朝鮮語と思われる文が洞窟の壁に残っているのも見て来ました。
AがK学園でそんな大きな奥の目的を達成させようとしているなんて、Aにそんな頭脳はないと思っていますが、Aのジイサマがそれを考えていたという記録があるのなら、Aも考えてしまうかもしれませんね。Aとその仲間はなぜこうも庶民をないがしろにできるのか、全く理解できないし、そのまわりの党所属者もそろそろ「おかしいっ!」と言い出すのがいっぱい出てこないのかな、と不思議です。
官僚が自分の将来を考えて動くのはちょっとわかったりしますが、正義感など表せないのはとても残念だし勤勉だし、思い込んでいた日本全体が不正とウソのかたまりだったとわかってきたのはものすごくショックです。老後は外国で暮らしたいと思うくらいですが、暮らしきれないと思うので、日本にいます。(男性60代、海老名市、通りかかって)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
英霊安置所にて
私はなんだか悲しかった。小枝傭員の無言の思いやりが、陰気な毎日にならされた私の胸を、夜露のようにしっとりぬらした。
病院の方に駆け出した私は、後から声をかけられた。林田である。
「俺も行くよ」
と言って、彼はすぐに話題をかえた。林田と佐々とは飼育所に一緒にいただけのわずかなつき合いにすぎなかったのだから、林田の目的はほかにあったのである。
「よか人だのう。俺の班長も、あんなだったら、苦労せんとよかものを・・・畜生」
私はびっくりした。林田は1人で小枝傭員と自分の班長である小宮雇員とを比較して怒っているのだった。小宮は、林田が勤務に出てくるようになってからも彼を束縛し、いつかのことを根に持って、まだ辛く当たっていた。そして小宮班長に対する反感は1人林田のみではなく、班員の大半が共通な恨みを抱いているという。
「俺な、あいつ、小宮の奴を、やったろうかと思っとる。班長だってなんだってかまうことあるか、一度やらんば気が済まんのじゃ」
と林田は、かなり興奮のていである。しかし私は、まさか彼が真剣に思いつめているとは考えられなかった。それは、とてつもない無謀な行為でしかなかったのだ。“下級のものは上官の命を承ること実は直に朕が命を承る義なりと心得よ”という軍人勅諭の一節がここでも生きているからである。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
記者会見を兼ねた報告会「 京都大学の『学位論文における研究活動上の不正行為に関する調査結果について(通知)』に対する異議申し立て 」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
秘密の軍事学校
新しい軍事学校は元騎兵第1旅団司令部の位置に建てられたが、間もなく同旅団第16連隊のいた場所に移転した。この旅団の一部が中国の「満州」作戦に派遣されたからである。「陸軍習志野学校」と公式に命名されたように、何も異常なところはなく、この学校の任務は「軍事に関する科学教育及び調査研究を遂行すること」とされていた。事実、どんな軍事学校でもその任務はすべてこのような一種漠然とした定義で概括できる。しかし、もう1歩進んで理解を深めたならば、この習志野学校の内幕は普通の軍事学校ではないことを発見するだろう。
●登戸研究所資料館
第1展示室
第1展示室では、登戸研究所が設置された歴史的な背景と目的、立地条件、組織の概要、運営体制、他機関との関係、そして戦争の進展とともに研究所の規模と役割が次第に変化していく過程を中心に研究所の全体像(全容)を紹介しています。
登戸研究所の誕生
登戸研究所は、1937(昭和12)年に、新宿にあった陸軍科学研究所の「登戸実験場」として、生田地区に設置されました。その後、日中戦争の拡大とともに組織の拡充が図られました。アジア太平洋戦争の終盤期には、11万坪もの敷地に約100棟の建物を有し、約1000人の人々が働いていました。研究所における兵器開発は、当初は電波兵器が中心でしたが、次第にスパイ機材・生物化学兵器・偽札・風前爆弾などへと多様化していきました。研究所の敷地・建物の内外では、憲兵が警戒に当たっており、一般人が近づくことはできませんでした。
勅令第110号
1919(大正8)年、大正天皇による勅令。天皇が署名する権威のある方法によって、陸軍科学研究所が設立された。これが後に登戸研究所設立につながっていく。(国立公文書館所蔵)
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
■731部隊による人体実験・細菌兵器使用
―731部隊の罪悪をもう少し具体的にお話しください。
731部隊は、現中国黒竜江省の省都・哈爾浜市近郊の平房に、 1939年頃までに完成した細菌兵器開発の一大軍事基地にありました。731部隊では、実験材料にされる人々は、特別に定められた「特移扱」と呼ばれる手続きで憲兵隊により供給されて、「マル夕」と称されていました。敗戦までの5年間に少なくとも3000名が送り込まれ、生存者はいませんでした。21世紀になって、中国では、証拠隠減の焼却跡から発掘された憲兵隊の「特移扱」資料の調査が進み、300名以上の氏名が判明しつつあり、被害遺族からの訴えも出始めました。
2007年4月までに確認できた罪悪としては、ヒトを「サル」と偽って日本病理学会でも発表された「流行性出血熱感染実験」、米国で見つけられた、731部隊のデータを手に入れた米軍の報告書に記されていた炭疽、ぺスト、チフス、パラチフスAおよびB、赤痢、コレラ、鼻疽の「細菌感染実験」(被験者の50%に感染を引き起こす病原体の最小量も記されている)、「凍傷実験」、「水だけを飲ませる耐久実験」、「ぺストワクチン実験と生体解剖」、「毒ガス兵器の野外人体実験」、「毒物の経口摂取・注射の人体実験」、「細菌兵器の実戦使用」があげられます。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
3、特殊爆弾から原子爆弾へ
8月8日の新聞は大本営発表として、広島へ敵が新型爆弾を投下したことを知らせた。落下傘をつけて空中で破裂させたが、想像もつかない大爆発であったと書いてあった。実際に広島の惨害の第1報が東京へ到着したのは6日の午後であった。特殊の高性能をもった爆弾で、惨害が甚大であるとの報告を受けた陸軍の中央部では、7日の早朝米国のラジオが「原子爆弾」であると放送していることを知ったが、公式の調査によって確認するために、参謀本部第2部長の有末中将を長として、理研の仁科博士や陸軍軍医学校の関係者を広島に派遣した。陸軍軍医学校は委員の差出しによって、爆撃の惨害の程度を確認し、被害者の診療方針を決定し、防護対策を立てることに指示されていたので、以前から爆傷及び爆風傷について研究していた外科の島田、耳鼻科の成田、病理の山科、眼科の松永の諸教官を委員とし、ほかに助手1名を選定した。一行は航空事故のために遅れた8日午後広島に到着し、10日18時、2日間の調査結果を、船舶司令部参謀長依頼特別緊急電報で陸軍省医務局長へ報告した。
内容は次のようであった。
(1)爆弾威力(詳細は文)
a、爆発殺傷力及び建造物の破壊力はおおむね半径3キロに及ぶ
b、殺傷は爆発の時発生する特殊光線による火傷及び強力な爆風によるものと推定される。特殊光線は直接皮膚を燃焼し、レントゲンフィルムを感光させる。
c、一部の水中生息物(魚類)が死亡した。
d、防護は掩蓋壕内に退避するほか、地上では爆風と光線の死角内に伏するのがよい。
(2)陸軍病院の被害状況
a、広1病全焼、職員患者8割死亡
b、広2病本院全焼、職員患者約8割死傷
c、三滝分院倒壊、死亡1、負傷約200
d、江波分院一部倒壊、人の被害なし。
(3)レントゲン教官至急派遣されたい。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
明治天皇のもとで、日本は、技術のみならず、ある意味では先進的な西洋社会のアイデンティティさえも摂取しながら外見上は「脱亜」を行った。その結果、アジアの白人西洋社会に対する、希望と不安の合わさった浅薄な一種の連帯感が生まれた。それは、中国その他のアジア民族への差別や侮蔑と表裏一体になっていた。しかしながら、いまや日本は台頭しつつあり、アジアにおける正当な指導者という役割を独自に担い、構築し、刷新しつつあった。そのため当時の多くのイデオローグは、西洋の政治思想の本質は収奪と、支配と、侵略であり、要するに一時的に島国日本を襲い、アジア同胞の利益も脅かしている伝染病だと考えるようになった。これからの日本は「自衛」のためではなく、むしろ、昭和天皇の大御心を広げるために行動しなければならない、それは、道徳的に優れた社会を満州国に建設することによってもたらされる。満州では「五族」が「『王道』の原則」に従い階層的な「協和」のもとに生活するのである。彼らは、そう主張した。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年3月3日日曜日
細菌戦の系譜!!
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●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
●第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
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●石垣島の自衛隊!!
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●日本の核開発
「徴用工問題」とは何か
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず
厚労省の調査、ずさんさ裏付け 旧優生保護法下の強制不妊手術
沖縄・玉城デニー知事 安倍首相との会談後に会見(全文1)民主主義が問われている
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
「歴史の真相」内海聡の内海塾
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竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
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森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・悲しい事です。(男性60代市内)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
英霊安置所にて
小枝傭員にそういわれると、近江属もむげに拒むわけにはいかないだろう。しぶしぶうなずくようにしてきびすを返した。
思いがけないできごとにひまをくって教練は中止となり、一同その場で解散するのを、私は不動の姿勢のまま見守っていた。小枝傭員も動かなかった。
「歯をくいしばれ」
と、小枝傭員は低い声で命じた。私はすでに覚悟していた。中学では上級生のリンチを何度も受けたのに、軍隊同様のここにきてからまだ一度も殴られていなかったことは、むしろ不思議なくらいだった。
だが、小枝傭員は殴らなかった。かなり長い沈黙が続き人々は遠ざかって行く。やがて近江属の姿も消えた。
「それでいい」
と小枝傭員がいったのは、私の眼に、殴るなら早く殴ってくれという色があらわれたからであろう。
「佐々を見舞ってきてやれ」
小枝傭員は一言言い残して、さっさと行ってしまった。何気ない様子で、私を石のように黙殺したような後姿である。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
秘密の軍事学校
1933年8月、東京の近隣、千葉県津田沼町に新しい軍事学校、陸軍習志野学校が生まれた。当時、人々は軍事学校の設立を意外とは感じなかった。何故なら、この頃日本の政治は外に向かっては侵略戦争、内に向かってはファシズムのながれが結合して、軍部の勢力は急速に膨張、政治に対する影響力も次第に大きくなり、軍事学校の拡大や増加は当たり前のことだったからである。そして、陸軍大臣の任にあった荒木貞夫もまた熱狂的な「北進論」の鼓吹者で、ソ連が日本の究極の敵だとずっと強調してきた。また1936年には、直ちにソ連との開戦を称え、ソ連からの脅威を大げさに言い立てた。この時期はいつも軍事演習を行ない、灯火管制を実行し、戦争気分が十分にみなぎっていた。この様な状況の下では、軍事学校の設立はニュースにはならなかった。
●登戸研究所資料館
レストスペース
国際社会への復帰
明治大学生田キャンパス正門前
(写真:農学部農産製造科「明治大学農学部農産製造科 卒業記念昭和36年度」より、新聞題字:1951年9月6日付「朝日新聞」より)
1951年9月、日本はサンフランシスコ講和条約に調印しました。これによりGHQによる約6年に及ぶ占領が終結し、日本は国際社会に復帰しました。
戦後の登戸研究所は、その跡地を慶應義塾大学などが使用していました。1951年、明治大学生田キャンパスに農学部が置かれ、その建物の1つが、現在では平和教育登戸研究所資料館として戦争の記憶を私達に伝えています。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
■「医学犯罪」の舞台はどうつくられたか
―医学界・医療界、医学者・医師は、先の戦争にどのように加担したのでしょうか。また、731部隊をはじめ、どのような規模で、どのような形でおこなわれていたのでしょうか。
「戦争医学犯罪」というと「731部隊」と思われがちですが、私たちは、そのような予断を避け、解明しようということで始めました。
2000年に15年戦争と日本の医学医療研究会(略称、戦医研)が発足した当時、先の戦争、すなわち1931年から1945年8月の日本敗戦(ポツダム宣言受諾) に至るまでの15年戦争の間における史実解明の課題として、
①日本の医学医療の軍事化の経過、
②医学医療の軍事化に積極的に協力し、進めた学会・医学者、そして協力を拒否した人々の経緯、
③研究テーマの軍事的な制約、 戦時体制からくる研究費・研究体制の制約による医学医療の歪み・停滞、
④欧米諸国との交流の断絶による日本の医学医療の停滞、
⑤戦時体制による日本の医療の崩壊をあげました。
その後の調査研究で、日本の医学者・医師らが主に海外の地で、何万人ともいわれる人々を、様々な実験の材料や手術の練習台にして殺害した主たる舞台となったのは、 石井四郎(1920年、京都帝国大学医学部卒業)が組織した、731部隊をはじめとする軍事医学研究機関のネットワーク(「石井機関」ともいわれる)だけでないことを明らかにしました。さらに、日本の医学界・医療界、医学者・医師の戦争加担を間題にする際、731部隊を抜きにして語ることはできないことや731部隊はかつての日本の医学界・医療界における最悪の戦争医学犯罪であることを明らかにしました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
2、衛生の教育
陣地内に生息する場合の衛生、えんがい内の射撃及び爆発の身体に及ぼす影響並びにその他対策、低カロリー食を採る時には作業を如何にして能率化するか、陣地内伝染病の防あつ、赤痢対策、陣中細菌検査方法、砲爆撃下の陣地内における外科的処置、輸血、輸液、伝染病の診断治療、栄養失調症の治療、結核の排除などの標語を掲げてその徹底に努力したのであった。これ等の事柄は戦局の推移に応じて早くから研究を進めていたので巡回先の実状に沿った具体的な指導することができた。灼熱の陣地を次々と回った教官も張り切っていたし、部隊の軍医も真剣であった。指導したことがじゅん速に実施されるのでやりがいがあった。しかし栄養失調対策は手こずった。食べる物の生産の無い土地では、理屈も説明しても実行ができなかったから。海岸の部隊では夕食に小魚の一尾が付くことは楽しみであった。東京では生魚など思いもよらなかった。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
満州国を建国し、国際連盟から脱退したことで日本人の大半は何か根本的な変革が起きたと感じていた。若々しいが伝統のある日本は、「自衛」というもうひとつの戦争を戦っていた。そして中国の軍閥に対する軍事的な勝利と「西洋の道義退廃」に対する精神的な勝利に向かって進みつつあった。自国の努力だけによって近代化への新たな道を切り開き、世界でこれまでよりさらに偉大な、そして一段と尊敬される国家になろうという主張を推し進めていた。
荒木大将や他の陸軍の政治的な将校たちにとって、「危機」「昭和維新」「アングロ・サクソンの包囲網」といった表現は、彼らが意のままにきわめて効果的に動員を行うための手段にすぎなかった。彼らは戦勝気分を持続させ、それを利用して皇道思想を堅持し、軍部の政治的影響力を強化し、そして天皇像を再構築したのである。非道で道徳的に劣った外国と対決する、不減にして道義ある日本という都合のよい考えは広範に広まった。実際、「陛下の御仁愛」を広めるための「高度国防国家」「皇国」「神聖なる使命」という概念はあまりにも多く用いられていた。このような考えから人々は正義のために軍の対外膨張へ賭けるようになった。彼らはまた、あらゆる領域を通じて西洋を打破する意識を高め、そうすることで新しい一段と排他的な集団意識を形成した。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
●第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●石垣島の自衛隊!!
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●日本の核開発
「徴用工問題」とは何か
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず
厚労省の調査、ずさんさ裏付け 旧優生保護法下の強制不妊手術
沖縄・玉城デニー知事 安倍首相との会談後に会見(全文1)民主主義が問われている
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・悲しい事です。(男性60代市内)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
英霊安置所にて
小枝傭員にそういわれると、近江属もむげに拒むわけにはいかないだろう。しぶしぶうなずくようにしてきびすを返した。
思いがけないできごとにひまをくって教練は中止となり、一同その場で解散するのを、私は不動の姿勢のまま見守っていた。小枝傭員も動かなかった。
「歯をくいしばれ」
と、小枝傭員は低い声で命じた。私はすでに覚悟していた。中学では上級生のリンチを何度も受けたのに、軍隊同様のここにきてからまだ一度も殴られていなかったことは、むしろ不思議なくらいだった。
だが、小枝傭員は殴らなかった。かなり長い沈黙が続き人々は遠ざかって行く。やがて近江属の姿も消えた。
「それでいい」
と小枝傭員がいったのは、私の眼に、殴るなら早く殴ってくれという色があらわれたからであろう。
「佐々を見舞ってきてやれ」
小枝傭員は一言言い残して、さっさと行ってしまった。何気ない様子で、私を石のように黙殺したような後姿である。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
秘密の軍事学校
1933年8月、東京の近隣、千葉県津田沼町に新しい軍事学校、陸軍習志野学校が生まれた。当時、人々は軍事学校の設立を意外とは感じなかった。何故なら、この頃日本の政治は外に向かっては侵略戦争、内に向かってはファシズムのながれが結合して、軍部の勢力は急速に膨張、政治に対する影響力も次第に大きくなり、軍事学校の拡大や増加は当たり前のことだったからである。そして、陸軍大臣の任にあった荒木貞夫もまた熱狂的な「北進論」の鼓吹者で、ソ連が日本の究極の敵だとずっと強調してきた。また1936年には、直ちにソ連との開戦を称え、ソ連からの脅威を大げさに言い立てた。この時期はいつも軍事演習を行ない、灯火管制を実行し、戦争気分が十分にみなぎっていた。この様な状況の下では、軍事学校の設立はニュースにはならなかった。
●登戸研究所資料館
レストスペース
国際社会への復帰
明治大学生田キャンパス正門前
(写真:農学部農産製造科「明治大学農学部農産製造科 卒業記念昭和36年度」より、新聞題字:1951年9月6日付「朝日新聞」より)
1951年9月、日本はサンフランシスコ講和条約に調印しました。これによりGHQによる約6年に及ぶ占領が終結し、日本は国際社会に復帰しました。
戦後の登戸研究所は、その跡地を慶應義塾大学などが使用していました。1951年、明治大学生田キャンパスに農学部が置かれ、その建物の1つが、現在では平和教育登戸研究所資料館として戦争の記憶を私達に伝えています。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
■「医学犯罪」の舞台はどうつくられたか
―医学界・医療界、医学者・医師は、先の戦争にどのように加担したのでしょうか。また、731部隊をはじめ、どのような規模で、どのような形でおこなわれていたのでしょうか。
「戦争医学犯罪」というと「731部隊」と思われがちですが、私たちは、そのような予断を避け、解明しようということで始めました。
2000年に15年戦争と日本の医学医療研究会(略称、戦医研)が発足した当時、先の戦争、すなわち1931年から1945年8月の日本敗戦(ポツダム宣言受諾) に至るまでの15年戦争の間における史実解明の課題として、
①日本の医学医療の軍事化の経過、
②医学医療の軍事化に積極的に協力し、進めた学会・医学者、そして協力を拒否した人々の経緯、
③研究テーマの軍事的な制約、 戦時体制からくる研究費・研究体制の制約による医学医療の歪み・停滞、
④欧米諸国との交流の断絶による日本の医学医療の停滞、
⑤戦時体制による日本の医療の崩壊をあげました。
その後の調査研究で、日本の医学者・医師らが主に海外の地で、何万人ともいわれる人々を、様々な実験の材料や手術の練習台にして殺害した主たる舞台となったのは、 石井四郎(1920年、京都帝国大学医学部卒業)が組織した、731部隊をはじめとする軍事医学研究機関のネットワーク(「石井機関」ともいわれる)だけでないことを明らかにしました。さらに、日本の医学界・医療界、医学者・医師の戦争加担を間題にする際、731部隊を抜きにして語ることはできないことや731部隊はかつての日本の医学界・医療界における最悪の戦争医学犯罪であることを明らかにしました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
2、衛生の教育
陣地内に生息する場合の衛生、えんがい内の射撃及び爆発の身体に及ぼす影響並びにその他対策、低カロリー食を採る時には作業を如何にして能率化するか、陣地内伝染病の防あつ、赤痢対策、陣中細菌検査方法、砲爆撃下の陣地内における外科的処置、輸血、輸液、伝染病の診断治療、栄養失調症の治療、結核の排除などの標語を掲げてその徹底に努力したのであった。これ等の事柄は戦局の推移に応じて早くから研究を進めていたので巡回先の実状に沿った具体的な指導することができた。灼熱の陣地を次々と回った教官も張り切っていたし、部隊の軍医も真剣であった。指導したことがじゅん速に実施されるのでやりがいがあった。しかし栄養失調対策は手こずった。食べる物の生産の無い土地では、理屈も説明しても実行ができなかったから。海岸の部隊では夕食に小魚の一尾が付くことは楽しみであった。東京では生魚など思いもよらなかった。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第8章 昭和維新と統制
満州国を建国し、国際連盟から脱退したことで日本人の大半は何か根本的な変革が起きたと感じていた。若々しいが伝統のある日本は、「自衛」というもうひとつの戦争を戦っていた。そして中国の軍閥に対する軍事的な勝利と「西洋の道義退廃」に対する精神的な勝利に向かって進みつつあった。自国の努力だけによって近代化への新たな道を切り開き、世界でこれまでよりさらに偉大な、そして一段と尊敬される国家になろうという主張を推し進めていた。
荒木大将や他の陸軍の政治的な将校たちにとって、「危機」「昭和維新」「アングロ・サクソンの包囲網」といった表現は、彼らが意のままにきわめて効果的に動員を行うための手段にすぎなかった。彼らは戦勝気分を持続させ、それを利用して皇道思想を堅持し、軍部の政治的影響力を強化し、そして天皇像を再構築したのである。非道で道徳的に劣った外国と対決する、不減にして道義ある日本という都合のよい考えは広範に広まった。実際、「陛下の御仁愛」を広めるための「高度国防国家」「皇国」「神聖なる使命」という概念はあまりにも多く用いられていた。このような考えから人々は正義のために軍の対外膨張へ賭けるようになった。彼らはまた、あらゆる領域を通じて西洋を打破する意識を高め、そうすることで新しい一段と排他的な集団意識を形成した。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年3月2日土曜日
No Nukes(反核・脱原発)!!ビキニ水爆を問う!!
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証言&写真集『NO NUKES』が多くのみなさんのご支援で完成しました。
ビキニ水爆実験による元マグロ漁船員の証言を英訳併記で、高知から世界へ「核のない世界」の思いを発信するのは恐らく初めてのことだと思います。
第五福竜丸の元乗組員3名を含む50人の元漁船員と遺族の証言を紹介。英文のネイティブチエックはカナダ出身のステーヴ・マックルーアさん(NHK国際放送局)にご協力いただき、完璧な仕上がりになっています。
「核はいらない」思いを共有する多くの方々の手に渡ることを願っています。
写真集『NO NUKES』A4変形モノクロ150頁 定価2000円(税別)
お求め方法:岡村啓佐のメールアドレスkeisukejiijii@gmail.comにメールにてお申込みいただくか、または、平和資料館・草の家 (高知市升形9-11)
FAX088-821-0586まで、氏名、住所、電話番号等ご記入の上お申し込みください。いずれも、定価2000円、送料無料でお送りします。
2月1日、第63回高知県出版文化賞発表の記者会見がありました。
一昨年の『ビキニ核被災ノート』の受賞につづき、写真集『NO NUKES』が高知県出版文化賞の受賞作に選ばれました。
来月3月1日には「ビキニ事件」65年を迎えます。
「ビキニ事件はまだ終わっていない!」「被災船は第五福竜丸だけじゃない!」の思いを英訳併記で、水爆実験の加害国であるアメリカをはじめ、世界の人々に伝えたいという思いに評価をいただいたと嬉しく思っています。
写真集には、水爆実験の犠牲となり「第五福竜丸事件」に矮小化されたことで、苦しんだ元乗組員3名を含む、50名の元漁船員と遺族の方に登場いただきました。
写真集の制作期間中に残念ながら二人の元漁船員の方が亡くなりました。また新たにがんが発見され手術された方もいます。
昨年の「ビキニ核被災国家賠償訴訟」裁判の判決では、元マグロ漁船員たちの被災を認め、立法府、行政府に元漁船員たちの救済策を求めたように、一日も早い救済が急がれます。
核兵器禁止条約第6条でも、核実験による被災者の救済を求めています。
禁止条約を批准した国は2月1日現在21か国になりました。署名した国も70ヶ国あります。2020年には条約が発効する流れです。しかし、核兵器による被害を三度経験した日本政府(安倍首相)は、核兵器禁止条約批准には全く見向きもしない態度です。
今年は12年に一度といわれる選挙が行われる年です。核兵器禁止条約を批准する政府の実現を何としてもとの思いを強くした記者会見でした。
写真集『NO NUKES』(2000円)のお買い求めは、このメール発信者(岡村啓佐)への直接申込、大歓迎です。氏名、住所、電話番号をお知らせください。
またこの機会に『ビキニ核被災ノート』(1000円・太平洋核被災支援センター刊)『ビキニ国賠訴訟が問う国家的犯罪』(500円・ビキニ国賠訴訟担当弁護士:梶原守光著)『殺人ロボットがやってくる』(1380円+税・川崎哲、畠山澄子所著)も購入可能です。送料無料にてお届けします。
よろしくお願いします。
証言&写真集『NO NUKES』が多くのみなさんのご支援で完成しました。
ビキニ水爆実験による元マグロ漁船員の証言を英訳併記で、高知から世界へ「核のない世界」の思いを発信するのは恐らく初めてのことだと思います。
第五福竜丸の元乗組員3名を含む50人の元漁船員と遺族の証言を紹介。英文のネイティブチエックはカナダ出身のステーヴ・マックルーアさん(NHK国際放送局)にご協力いただき、完璧な仕上がりになっています。
「核はいらない」思いを共有する多くの方々の手に渡ることを願っています。
写真集『NO NUKES』A4変形モノクロ150頁 定価2000円(税別)
お求め方法:岡村啓佐のメールアドレスkeisukejiijii@gmail.comにメールにてお申込みいただくか、または、平和資料館・草の家 (高知市升形9-11)
FAX088-821-0586まで、氏名、住所、電話番号等ご記入の上お申し込みください。いずれも、定価2000円、送料無料でお送りします。
2月1日、第63回高知県出版文化賞発表の記者会見がありました。
一昨年の『ビキニ核被災ノート』の受賞につづき、写真集『NO NUKES』が高知県出版文化賞の受賞作に選ばれました。
来月3月1日には「ビキニ事件」65年を迎えます。
「ビキニ事件はまだ終わっていない!」「被災船は第五福竜丸だけじゃない!」の思いを英訳併記で、水爆実験の加害国であるアメリカをはじめ、世界の人々に伝えたいという思いに評価をいただいたと嬉しく思っています。
写真集には、水爆実験の犠牲となり「第五福竜丸事件」に矮小化されたことで、苦しんだ元乗組員3名を含む、50名の元漁船員と遺族の方に登場いただきました。
写真集の制作期間中に残念ながら二人の元漁船員の方が亡くなりました。また新たにがんが発見され手術された方もいます。
昨年の「ビキニ核被災国家賠償訴訟」裁判の判決では、元マグロ漁船員たちの被災を認め、立法府、行政府に元漁船員たちの救済策を求めたように、一日も早い救済が急がれます。
核兵器禁止条約第6条でも、核実験による被災者の救済を求めています。
禁止条約を批准した国は2月1日現在21か国になりました。署名した国も70ヶ国あります。2020年には条約が発効する流れです。しかし、核兵器による被害を三度経験した日本政府(安倍首相)は、核兵器禁止条約批准には全く見向きもしない態度です。
今年は12年に一度といわれる選挙が行われる年です。核兵器禁止条約を批准する政府の実現を何としてもとの思いを強くした記者会見でした。
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またこの機会に『ビキニ核被災ノート』(1000円・太平洋核被災支援センター刊)『ビキニ国賠訴訟が問う国家的犯罪』(500円・ビキニ国賠訴訟担当弁護士:梶原守光著)『殺人ロボットがやってくる』(1380円+税・川崎哲、畠山澄子所著)も購入可能です。送料無料にてお届けします。
よろしくお願いします。
細菌戦の系譜!!
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●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
●第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●石垣島の自衛隊!!
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、1000隻近くの漁船が被爆した!!
ビキニ「死の灰」世界各地へ
●日本の核開発
「徴用工問題」とは何か
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
人体実験疑い 京大調査継続せず
金正恩氏に国内で圧力も、米朝サミット決裂で対話路線に疑問符
トランプ大統領を読み誤った金正恩委員長、第2回米朝首脳会談は事実上の決裂、文在寅大統領にも大誤算
勤労統計調査方法変更「自分が…」元首相秘書官の言い分 首相は“われ関せず”か
統計不正、厚労省がメール公開 官邸関係者に報告と明記
骨格標本、1970年代まで実物で製造 住宅から500人分人骨の理由
なぜ沖縄県は辺野古に反対なの?
大波乱の東京都議会 小池知事の委員会招致を決定
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 濃くなった景気後退の兆し! アメリカの予兆と日本の来年度予算&日銀政策
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・写真で見ることによって、実際にあった悲惨な出来事を身近に感じることができました。731部隊、100部隊とのつながり、ありえると思い、とてもおそろしいです。たくさんの人、特に若い世代の人達にも見てほしいと思いました。(女性50代川崎市)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
英霊安置所にて
「はッ、研究室の佐川技手殿に申し出てあります」
「貴様、病院にかこつけて、教練をさぼるつもりか!そうだろ、ん?そうだと言わんか!」
「いいえ、違います。勤務時間中はいつも佐川技手殿の指図に従うことになっているのであります」
私は、近江属が故意に曲解して、なんぐせをつけていると分ったので、佐川技手の名を持ち出して抗辯した。勤務に出ている者を教育部の者が勝手に動かすことができないのであるから、私の言い分に間違いはなかった。しかしその態度こそ教育部付雇員たちが心よからず思っている原因であった。
「貴様、俺の言うことが聞けないというのか!勤務、勤務と言いやがって、教育班のほうはどうでもいいとおもってんだろ!」
近江属は、今にも殴りそうな気配であったが、その時、たまたま通りかかった小枝傭員が、「どうしたのですか?」
と、近江属に声をかけた。
近江属は、私の態度が気に食わないのだ、といった。
「近江属、私に任せて下さい。私の責任において処分します」
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
秘密の軍事学校
注意すべきは、荒木のいう戦争を遂行する最も経済的な方法とは、日本軍隊が苦心惨憺実現しようとしていた廉価な兵器のことであり、コストの上から戦争の出発点を考えている事を知らず知らずに暴露していた。勿論、化学兵器を「安価な核兵器」というようになったのは後のことだが、この種の兵器の性能価格比の優位は、当時といえども論争しようのない事実だった。竹槍作戦を使うというのは勿論故意に誇張したのだが、細菌兵器と化学兵器の推進することが日本軍隊の真の意図だった。荒木がこの話をして間もなく、日本の化学兵器研究の発展過程は大きく前進した。
●登戸研究所資料館
レストスペース
敗戦
1945年8月、玉音放送に聞き入っているとされる人々
(写真:「グラフィックカラー昭和史第8巻終戦の悲劇」より、新聞題字:1945年8月15日付「朝日新聞」より、文:野田宇太郎「灰の季節」修道社、1958年より)
1945年8月6日広島に、つづく8月9日に長崎に原爆が投下され、未曽有の被害がありました。そして、1945年8月15日、戦争の終結が宣言されました。
敗戦直後の食糧事情は非常に厳しく、国民は苦しい生活を強いられました。しかし、日本国憲法が発布されるなど、日本は敗戦から復興に向けて立ち上がっていきました。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
■「医学犯罪」検証のとりくみ
そこで、莇先生の論考以降の医学界・医療界における取り組みを踏まえて、 15年戦争中の「医学犯罪」について、いろいろ伺いたいと思います。
今言われた一昨年からの情勢の変化を私も大変危険だと思つています。15年戦争中の「医学犯罪」を論じる際にも、その視点が重要だと思います。
その際も、 莇先生の論考を継承すべきと考えます。
その後の活動と検証結果を一言では語れませんので、その都度、書などにまとめられて公表されているものをお読みいただきたいと思います(以下に掲載)。
[参考となる本]
第27回日本医学会総会出展「戦争と医学」展実行委員会編『戦争と医の倫理』(かもがわ出版、2007)、
「戦争と医の倫理」の検証を進める会『パネル集「戦争と医の倫理」』、
15年戦争と日本の医学医療研究会編では『N0 MORE731 日本軍細菌戦部隊』(文理閣、2015)、
同『戦争・731と大学・医科大学』(文理閣、2016)、
拙著『戦争と医学』(文理閣、2014、中国語版有)、
川嶋みどり共著『戦争と看護婦』(国書刊行会、2015)など。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
2、衛生の教育
当時の病院の指導方針の一端を20年6月17日臨時東京第3陸軍病院を視察した阿南陸軍大臣の訓示からうかがう事にしたい。
今や遂に驕敵を皇土に邀え撃たんとするの重大戦局に方りここに陸軍病院を視察をして諸官の壮容に接し日夜診療に敢闘しつつあるを実現し深くその労を多とす。惟うに現戦局下診療の主眼は一に入院患者の迅速なる戦列復帰に在り
諸官は宜しく至厳なる診療軍紀の下骨肉の至情を以てする合理的診療に依り患者の迅速なる戦力化に万遺憾なきを期すべし
斯るか故に軍の治療は傷と病とを癒するの外将兵の心気を回復善導することを忘却すべからず
診療成果の昂否は技能の練達に俟つの外病院管理の適正と収療従事者の必治の熱意とに依る所亦極めて大いなるを以て病院長の陣頭指揮の下情誼を基調とする団結を強化して益々決勝服務に透徹し以て陸軍病院の任務遂行に邁進すべし
右訓示す
戦局のひっぱくしてきた7月下旬には、陸軍軍医学校の教官は数名あてのチームを作って、諸方面に派遣された。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
V
昭和天皇が、日露戦後の戦術や戦略に影響を受け、勝敗を決定するのは生産性の優位よりも武器の優越性であると信じていたことは疑いもない。しかし、天皇は将官たちと異なり、英米と事をかまえることには消極的であり、統治機構の急激で徹底的な再編や経済全体の軍事化を推し進める必要性をほとんど感じていなかった。そのようなことをすれば、皇室の安寧が危機に瀕することになりかねない。この考え方の違いは、変化の方向と速さの双方に関係することとなった。そのため、軍部の急進派は、総力戦経済を打ち立てるため行動の自由を確保しようとして、天皇とその擁護者たちと直接に対決しなければならなかったのである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
●日本の核開発(加藤哲郎さん)
●第4回 「戦争の加害」パネル展 2019 in 横浜
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
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●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
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1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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人体実験疑い 京大調査継続せず
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真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
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中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
●横浜「戦争の加害展」感想
2月10日
・写真で見ることによって、実際にあった悲惨な出来事を身近に感じることができました。731部隊、100部隊とのつながり、ありえると思い、とてもおそろしいです。たくさんの人、特に若い世代の人達にも見てほしいと思いました。(女性50代川崎市)
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
第2部
英霊安置所にて
「はッ、研究室の佐川技手殿に申し出てあります」
「貴様、病院にかこつけて、教練をさぼるつもりか!そうだろ、ん?そうだと言わんか!」
「いいえ、違います。勤務時間中はいつも佐川技手殿の指図に従うことになっているのであります」
私は、近江属が故意に曲解して、なんぐせをつけていると分ったので、佐川技手の名を持ち出して抗辯した。勤務に出ている者を教育部の者が勝手に動かすことができないのであるから、私の言い分に間違いはなかった。しかしその態度こそ教育部付雇員たちが心よからず思っている原因であった。
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審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
人体実験疑い 京大調査継続せず
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第5章 陸軍習志野学校
秘密の軍事学校
注意すべきは、荒木のいう戦争を遂行する最も経済的な方法とは、日本軍隊が苦心惨憺実現しようとしていた廉価な兵器のことであり、コストの上から戦争の出発点を考えている事を知らず知らずに暴露していた。勿論、化学兵器を「安価な核兵器」というようになったのは後のことだが、この種の兵器の性能価格比の優位は、当時といえども論争しようのない事実だった。竹槍作戦を使うというのは勿論故意に誇張したのだが、細菌兵器と化学兵器の推進することが日本軍隊の真の意図だった。荒木がこの話をして間もなく、日本の化学兵器研究の発展過程は大きく前進した。
●登戸研究所資料館
レストスペース
敗戦
1945年8月、玉音放送に聞き入っているとされる人々
(写真:「グラフィックカラー昭和史第8巻終戦の悲劇」より、新聞題字:1945年8月15日付「朝日新聞」より、文:野田宇太郎「灰の季節」修道社、1958年より)
1945年8月6日広島に、つづく8月9日に長崎に原爆が投下され、未曽有の被害がありました。そして、1945年8月15日、戦争の終結が宣言されました。
敗戦直後の食糧事情は非常に厳しく、国民は苦しい生活を強いられました。しかし、日本国憲法が発布されるなど、日本は敗戦から復興に向けて立ち上がっていきました。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
■「医学犯罪」検証のとりくみ
そこで、莇先生の論考以降の医学界・医療界における取り組みを踏まえて、 15年戦争中の「医学犯罪」について、いろいろ伺いたいと思います。
今言われた一昨年からの情勢の変化を私も大変危険だと思つています。15年戦争中の「医学犯罪」を論じる際にも、その視点が重要だと思います。
その際も、 莇先生の論考を継承すべきと考えます。
その後の活動と検証結果を一言では語れませんので、その都度、書などにまとめられて公表されているものをお読みいただきたいと思います(以下に掲載)。
[参考となる本]
第27回日本医学会総会出展「戦争と医学」展実行委員会編『戦争と医の倫理』(かもがわ出版、2007)、
「戦争と医の倫理」の検証を進める会『パネル集「戦争と医の倫理」』、
15年戦争と日本の医学医療研究会編では『N0 MORE731 日本軍細菌戦部隊』(文理閣、2015)、
同『戦争・731と大学・医科大学』(文理閣、2016)、
拙著『戦争と医学』(文理閣、2014、中国語版有)、
川嶋みどり共著『戦争と看護婦』(国書刊行会、2015)など。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
2、衛生の教育
当時の病院の指導方針の一端を20年6月17日臨時東京第3陸軍病院を視察した阿南陸軍大臣の訓示からうかがう事にしたい。
今や遂に驕敵を皇土に邀え撃たんとするの重大戦局に方りここに陸軍病院を視察をして諸官の壮容に接し日夜診療に敢闘しつつあるを実現し深くその労を多とす。惟うに現戦局下診療の主眼は一に入院患者の迅速なる戦列復帰に在り
諸官は宜しく至厳なる診療軍紀の下骨肉の至情を以てする合理的診療に依り患者の迅速なる戦力化に万遺憾なきを期すべし
斯るか故に軍の治療は傷と病とを癒するの外将兵の心気を回復善導することを忘却すべからず
診療成果の昂否は技能の練達に俟つの外病院管理の適正と収療従事者の必治の熱意とに依る所亦極めて大いなるを以て病院長の陣頭指揮の下情誼を基調とする団結を強化して益々決勝服務に透徹し以て陸軍病院の任務遂行に邁進すべし
右訓示す
戦局のひっぱくしてきた7月下旬には、陸軍軍医学校の教官は数名あてのチームを作って、諸方面に派遣された。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
V
昭和天皇が、日露戦後の戦術や戦略に影響を受け、勝敗を決定するのは生産性の優位よりも武器の優越性であると信じていたことは疑いもない。しかし、天皇は将官たちと異なり、英米と事をかまえることには消極的であり、統治機構の急激で徹底的な再編や経済全体の軍事化を推し進める必要性をほとんど感じていなかった。そのようなことをすれば、皇室の安寧が危機に瀕することになりかねない。この考え方の違いは、変化の方向と速さの双方に関係することとなった。そのため、軍部の急進派は、総力戦経済を打ち立てるため行動の自由を確保しようとして、天皇とその擁護者たちと直接に対決しなければならなかったのである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
人体実験疑い 京大調査継続せず(731部隊)
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関西 NEWS WEB(NHKニュース)
人体実験疑い 京大調査継続せず
03月01日 17時54分
戦時中、京都大学から博士号を授与された旧日本軍の軍医が人体実験を行っていた疑いが強いとして検証を求めている団体に対し、京都大学は、当時の資料はないことなどから、調査の継続は不可能だと伝えていたことがわかりました。
京都大学は昭和20年、旧日本軍の「731部隊」に所属していた軍医に対し、サルにペストを媒介するノミを付着させて感染の経過を調べた論文で博士号を授与しています。
この論文をめぐって、大学教授などでつくる団体は、▼サルの種類が書かれておらず、▼「頭痛を訴えている」など不自然な記述があることを挙げ、実験は捕虜を使った人体実験の疑いが強いとして、去年7月、大学側に検証を求めました。
団体によりますと、先月、京都大学から予備調査の結果について回答があり、▼実験がサルに行われたことを否定する科学的に合理的な理由があるとは言えず、▼本人に聞き取りができないうえ、実験ノートもデータも存在しないことから調査の継続は不可能だとして、今後の調査は行わないと伝えられたということです。
団体は、軍医がどのようにして頭痛だと判断したかも調べていない調査は不十分だなどとして異議を申し立て、改めて詳しい調査を求めたということです。
事務局長を務める滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授は、「当時の歴史的な背景についての検証が一切なされていない。京大はこの問題に真摯(しんし)に向き合ってほしい」と話しています。
京都大学は団体から異議申し立てを受けたことは認めたうえで、「コメントはありません」としています。
京大、軍医論文の本調査せず
731部隊、人体実験の疑い
2019/3/1 18:20
©一般社団法人共同通信社
記者会見する京都大に検証を求めた研究者のグループ=1日午後、京都市
戦時中に満州で細菌兵器の開発を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)の軍医将校が書いたペストに関する論文を巡り、軍医に医学博士を授与した京都大に経緯の検証を求めた研究者のグループが1日、京都市内で記者会見し、大学から本調査をしないとの通知があったと明らかにした。2月8日付。グループは既に異議を申し立てた。
論文は、旧京都帝大医学部卒の平沢正欣陸軍軍医少佐(当時)が執筆した「イヌノミのペスト媒介能力に就て」。グループは、「特殊実験」に用いたサルが頭痛を訴えたとの記載などから、人体実験を基にした疑いがあると指摘していた。
731部隊軍医論文、本調査せず=研究者グループに回答-京大
2019年03月01日16時51分(時事通信)
京都帝国大(現京都大)が医学博士の学位を授与した旧日本軍731部隊の軍医将校の論文をめぐり、西山勝夫滋賀医大名誉教授ら研究者グループが検証を求めていた問題で、京大は予備調査をした上で、本調査を行わないと回答した。グループは異議を申し立て、1日、記者会見して明らかにした。
学位論文は1945年の「イヌノミのペスト媒介能力について」。サルにイヌノミを付着させた実験でサルが頭痛を訴えたとされ、グループは「実は人体実験ではないか」と主張していた。
京大の回答は「著者がどのようにサルの頭痛を判断したかは記載されていないが、何らかの行動指標によって判断していたと推察できる」と指摘。実験報告の改ざんとまで断定できず、実験ノートも存在しないとして退けた。
これに対し、グループは「臆測を根拠にしており、現在の知見に基づいて判断するのは科学的合理性に欠ける」と反論している。(2019/03/01-16:51)
関西 NEWS WEB(NHKニュース)
人体実験疑い 京大調査継続せず
03月01日 17時54分
戦時中、京都大学から博士号を授与された旧日本軍の軍医が人体実験を行っていた疑いが強いとして検証を求めている団体に対し、京都大学は、当時の資料はないことなどから、調査の継続は不可能だと伝えていたことがわかりました。
京都大学は昭和20年、旧日本軍の「731部隊」に所属していた軍医に対し、サルにペストを媒介するノミを付着させて感染の経過を調べた論文で博士号を授与しています。
この論文をめぐって、大学教授などでつくる団体は、▼サルの種類が書かれておらず、▼「頭痛を訴えている」など不自然な記述があることを挙げ、実験は捕虜を使った人体実験の疑いが強いとして、去年7月、大学側に検証を求めました。
団体によりますと、先月、京都大学から予備調査の結果について回答があり、▼実験がサルに行われたことを否定する科学的に合理的な理由があるとは言えず、▼本人に聞き取りができないうえ、実験ノートもデータも存在しないことから調査の継続は不可能だとして、今後の調査は行わないと伝えられたということです。
団体は、軍医がどのようにして頭痛だと判断したかも調べていない調査は不十分だなどとして異議を申し立て、改めて詳しい調査を求めたということです。
事務局長を務める滋賀医科大学の西山勝夫名誉教授は、「当時の歴史的な背景についての検証が一切なされていない。京大はこの問題に真摯(しんし)に向き合ってほしい」と話しています。
京都大学は団体から異議申し立てを受けたことは認めたうえで、「コメントはありません」としています。
京大、軍医論文の本調査せず
731部隊、人体実験の疑い
2019/3/1 18:20
©一般社団法人共同通信社
記者会見する京都大に検証を求めた研究者のグループ=1日午後、京都市
戦時中に満州で細菌兵器の開発を進めた旧関東軍防疫給水部(731部隊)の軍医将校が書いたペストに関する論文を巡り、軍医に医学博士を授与した京都大に経緯の検証を求めた研究者のグループが1日、京都市内で記者会見し、大学から本調査をしないとの通知があったと明らかにした。2月8日付。グループは既に異議を申し立てた。
論文は、旧京都帝大医学部卒の平沢正欣陸軍軍医少佐(当時)が執筆した「イヌノミのペスト媒介能力に就て」。グループは、「特殊実験」に用いたサルが頭痛を訴えたとの記載などから、人体実験を基にした疑いがあると指摘していた。
731部隊軍医論文、本調査せず=研究者グループに回答-京大
2019年03月01日16時51分(時事通信)
京都帝国大(現京都大)が医学博士の学位を授与した旧日本軍731部隊の軍医将校の論文をめぐり、西山勝夫滋賀医大名誉教授ら研究者グループが検証を求めていた問題で、京大は予備調査をした上で、本調査を行わないと回答した。グループは異議を申し立て、1日、記者会見して明らかにした。
学位論文は1945年の「イヌノミのペスト媒介能力について」。サルにイヌノミを付着させた実験でサルが頭痛を訴えたとされ、グループは「実は人体実験ではないか」と主張していた。
京大の回答は「著者がどのようにサルの頭痛を判断したかは記載されていないが、何らかの行動指標によって判断していたと推察できる」と指摘。実験報告の改ざんとまで断定できず、実験ノートも存在しないとして退けた。
これに対し、グループは「臆測を根拠にしており、現在の知見に基づいて判断するのは科学的合理性に欠ける」と反論している。(2019/03/01-16:51)
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