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●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●731部隊の問題
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
何で殺処分なんだろうか???
豚コレラ感染拡大 業界衝撃 対策早急に 「胸つぶれる」殺処分に悲痛 防止策徹底も「終わりない」 「風評が怖い」正確な情報を
政府与党、実質賃金の参考値は公表しない方向で調整
調査統計不正問題での政府統計への信頼回復は容易ではない
強制不妊手術、裁判の行方は 救済に高い壁も
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
意外な来訪者
そういってその人は、この部隊の秘密を探り出そうとしてハルビンに集まっている各国のスパイは、およそ3、4千人もいるだろうなどと話してくれた。
日本の細菌戦医学は、世界で最も優れているというので、各国の注目は、「731」と呼ばれるこの部隊に集まっていた。関東軍と陸軍省の一部首脳以外、日本の国民も兵隊も知らない舞台裏の戦いが、ハルビンを中心に繰り広げられていたのである。
「“731”と言えば、日本国内よりも外国の方で有名なんだからね」
と、その人は言う。
この人は、明石義隆といって、重慶に3度も潜入し、蒋介石が彼の首に10万ドルの賞金をかけたという、関東軍特務機関の腕利きであった。
そして、現在は「731」を狙う敵国のスパイを摘発して、保護院に送り込む仕事をしていたのである。逆スパイとして使える見込みのない者は、処刑の代わりに人体実験によって命を奪われるのだ、という。
毎週土曜日に送られて来て、獄舎につながれている囚人たちは敵のスパイで、これまですでに2千人ぐらいの者が実験材料となって死亡し、監獄には常時5百人ぐらいの囚人が幽閉されているのだそうである。
“人体実験!”―私は、はっと襟首をつかまれたように、明石氏の顔を見つめた。明石氏は、私が、とうにその事実を知っているものと思っていたのだろうが、私が直接耳にしたのは、この時が初めてなのである。しかし、私はもはや、その事実を疑わなかった。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
多種多様な化学兵器
1937年以降は、日本軍の化学迫撃砲部隊では、基本的に上記の「九四式」軽迫撃砲を装備し、その後「九七式」迫撃砲も装備した。「九七式」砲は口径81.3ミリ、射程3000メートルで、「九四式」に比べてより軽便で、発射速度も更に早く、1分間20発に達した。1942年には、この他120ミリ口径の大型迫撃砲も制式化された。
攻撃的な化学兵器としては、さらに手で投げることができる数種類の爆弾があり、接近戦の際に相手の人馬を殺傷したり、相手の戦闘力を制したりするのに用いられた。毒剤の種類によって、やはり「あか弾」「みどり弾」「ちゃ瓶」等と呼ばれた。手投げの「ちゃ瓶」も当時の機密兵器で、普通の球形のガラス容器の中に青酸ガスを装入して作る。球形容器の直径は110ミリ、容積は410㏄である。当時の化学戦のテキストの中に、相手の戦車ないし火力点7メートル以内に接近し、ちゃ瓶を砲塔ないし銃眼に投擲すれば、敵方戦車ないし火力点内の戦闘人員を死亡させることができる、と述べられている。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B1棟(仕上げ場)
この面から見ると、高い壁が目立って、先の写真とのイメージがかなり異なります。
見学会に連れて来られた子供が、枯れ草の茎でチャンバラ遊びをしていました。カメラを向けたら固まってしまったのが残念です。
●登戸研究所資料館
はじめに
設立趣旨―開館にあたっての明治大学からのメッセージ
私達は、登戸研究所の研究施設であったこの建物を保存・活用して「明治大学平和教育登戸研究所資料館」を設立し、登戸研究所という機関の行なった事柄を記憶にとどめ、大学として歴史教育・平和教育・科学教育の発信地とするとともに、多年にわたり、登戸研究所を戦争遺跡として保存・活用することを目指して地道な活動を続けてきた、地域住民・教育者の方々との連帯の場としていきたいと考えています。
2010年3月29日 明治大学
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■世界と日本での議論の進展
―今も戦争が絶えないもとで、国際的には医学界・医療界ではどんな議論が行われているでしょうか。
人体実験に関する国際規範であるヘルシンキ宣言やその源流となったニュルンべルク綱領も、医学者・医師が軍事研究に従事すること自体については踏み込んではいませんし、世界医師会や世界の医学界・医療界において国際紛争の解決に際しての「戦争と武力による威嚇又は武力の行使」 の禁止や武器生産の禁止についてはほとんど議論されていませんでした。2005年になって、世界で最もよく知られ、評価の高い医学雑誌Lan cet(ランセット) では出版社のエルゼビアの傘下に軍需産業の会社があることが明らかにされ、「兵器と健康を売る医学雑誌の偽善」の論争が起こり、国際的な運動の結果、軍需産業から一切経済的支援を受けないことになり、「生物医学研究者に対する軍需産業との関係についての提案」もなされました。この時には、最大の人為的災害は戦争であり、最も被害を受けるのは女性と子どもであり、国際的な公衆衛生上の課題であるという趣旨のWHO(世界保健機構)の報告についても議論されました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
4、救護班の派遣
班長は近山大佐、庶務主任は大橋少佐で病理主任を兼務、調査研究は御園生、本郷、成田の3少佐、病室は2つに分け、第1に本橋、神林少佐、第2に高田少佐が勤務した。別に巡回診療をするため中山少佐を主任とし中富大尉がこれを補佐した。外来は宮崎、大地少佐が当たった。衛生材料主任は大竹大尉で経理には木下少尉以下の経理官が加わった。南雲、野本の両准尉以下下士官7名、兵20名、看護婦は日赤本部第180班高野婦長以下23名、兵庫第203班竹原婦長以下19名、福島第153班遠藤婦長以下19名、茨城第206班高部婦長以下17名、高知第314班栗岡婦長以下12名、陸軍看護婦佐藤婦長補他2名、計93名、雇用人57名、合計班長以下194名が実際の業務をとった。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅳ
1932年の夏から秋にかけて、それはふたりの人生でも、とりわけストレスが強い時期となった。天皇は満州の危機への対応に追われ、皇后は男子の世継ぎをもうけることができないことに心を悩ましていた〔皇位の継承権は男系男子にだけ認められていた〕。厳しく管理された公人としての生活を送ってきた天皇と皇后は、内大臣牧野、その秘書官長河井、侍従長鈴木の意見に従い、第1子である6歳の照宮を皇居内の別の建物で生活させるために宮殿の外へ出すことにした。夫妻はともに照宮を手放すのが残念だったが、それを要求する宮中の伝統を否定しようとはしなかった。
こうした雰囲気のもとで皇后は1932年末のある日、流産をしてしまった。その後、昭和天皇は君主としての責務を果たすために側室を置くことを求められた。かつて学習院院長や宮内大臣をつとめ、明治天皇、大正天皇に仕えた長老の伯爵田中光顕は、東京および京都でふさわしい側室を求めた。10人の姫君が選れ、さらに3人ヘと絞られ、そのうちの(おそらく、もっとも美しい)ひとりが宮中に招かれ(皇后陪席の下で)昭和天皇とトランプをしたという話である。 一夫一婦主義の昭和天皇は、おそらく、彼女にそれ以上の関心を持たなかったと思われる。1933年初頭、皇后は再び懐妊し、同年12月23日、皇太子明仁を出産した。彼らの私的な危機は去ったのである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
731を問う!!
2019年2月6日水曜日
細菌戦の系譜!!
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●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
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●細菌戦部隊員の戦後
●731部隊の問題
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
豚コレラ「重大な局面」と農相
統計問題「ミスで生じた200億の諸経費は国民負担」に潜む“騙しのテクニック” 舛添氏が厚労省を糾弾
強制不妊手術、裁判の行方は 救済に高い壁も
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
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松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
意外な来訪者
私達は満州桜や松の木のある小公園のベンチに並んで坐った。樹木の少ない満州では、松は非常に珍しいのである。この松も、浜江省内に3本しかないという中の1本だった。
「若いのに、よく来たね。・・・・どうだ、辛(つら)いだろう?」
と、その人は言った。
「いいえ、辛いとは思いません」
これは自然に飛び出す嘘である。いつの間にか、このように決まった答えが出るように習慣づいているのだ。だが私は、この人に対して、少し甘える気持があった。
「・・・・ですけど、毎日毎日、ペスト菌の培養ばかりやっているのですから、つい憂鬱(ゆううつ)になることがあります」
「きみ!」
その人は、鋭く私をたしなめた。低い声だが、私は水を浴びたようにひやりとした。
「気をつけなければいけないよ。俺がもし、敵のスパイだったら、どうなると思う」
そういえば、私はまだ、この人の身分も名前も聞いていなかったのだ。
「まあ、いいさ。これから注意するんだね。職業柄ゆうんだが、スパイという者は、何でも無いようなことから手がかりを見つけて重大な秘密を探り出すものなんだ」
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
多種多様な化学兵器
毒ガス砲弾を発射する火砲の中では、迫撃砲が最も軽便で融通性がある。集中的に使用して専門の迫撃砲部隊を設けることができるだけでなく、歩兵部隊に配備して単独に使用してもよいため、戦争中に最も幅広く使用され、日本軍の化学戦の戦術にも非常に合致するものであった。このため、日本軍では迫撃砲及び砲弾に関する制式化が重要な課題であった。化学部隊で、最も幅広く使用されたのは「九四式」軽迫撃砲で、これは日本軍の第1級秘密兵器であった。このタイプの砲は口径90・5ミリ、射程4000メートルである。砲弾に普通榴弾と重型榴弾の2種類があり、前者には嘔吐性の毒ガスであるジフェニールシアンアルシン(あか弾)もしくは糜爛性の毒ガスであるイペリット、ルイサイト(きい弾)を装填し、後者にはホスゲン(あお弾)もそくは有毒物質である砒素を含む発煙剤(しろ弾)を装填した。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B1棟(仕上げ場)
B1棟は、このような形状をしています。
●登戸研究所資料館
はじめに
設立趣旨―開館にあたっての明治大学からのメッセージ
登戸研究所は、戦前日本の戦争・軍隊を知る上で、極めて貴重な戦争遺跡のひとつです。
登戸研究所は、戦争には必ず付随する「秘密戦」(防諜・諜報・謀略・宣伝)という側面を担っていた研究所であり、その為、その活動は、戦争の隠された裏面を示していると言えます。
登戸研究所の研究内容やそこで開発された兵器・資材などは、時には人道上あるいは国際法規上、大きな問題を有するものも含まれています。しかし、私達はこうした戦争の暗部ともいえる部分を直視し、戦争の本質や戦前の日本軍がおこなってきた諸活動の一端を、冷静に後世に語り継いでいく必要があると思っています。
それは、私達大学と同じ科学研究にあたる場が、戦争という目的のためには、場合によっては尋常な理性と人間性を喪失してしまいかねない機能をもってしまうことを強く自戒するためでもあります。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪
―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。
第27回日本医学会総会出展「戦争と医学」展実行委員会が、2007年4月に国際シンポジウムを主催した際に、招いた米国の生命倫理学者は「過去の世代の不正は、それがとりわけ隠蔽された場合には、現在の世代の重荷としてそのまま残されると言えます。731部隊の場合、米国が一度日本の科学者たちとこのような取引をしたために、日本が抱えていた秘密が、我々の抱える秘密にもなってしまいました」「調査を行い、過去に何が起こったのかを誠実に、率直に、正確に報告することによって、そして過去と対峙することによって、我々は常々持ちたいと望んできた価値観を肯定するのです。最も重要なのは、そうすることによって、過去との共犯関係から若い世代を解放し、過去の不正に対する責任を負う必要をなくすことです。隠蔽や共犯の伝統を保持するよう若い世代に求めるのではなく、代わりに彼らをこの責任から完全に解放することです」と述べました。
戦争医学犯罪の検証について国際的な連携・協力をするための議論が必要だと思います。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
4、救護班の派遣
明治19年6月陸軍軍医学校と唱えてから60年、その草創時代を通算すれば77年、幾多の英才を生み、有益な研究業績数10000編に達し、軍陣医学に、また広く社会に貢献しかつ誘益してきた陸軍に医学校も、9月2日復員して消滅し、残ろ職員は東京第1陸軍病院の所属に移った。復員が進むと共に各地の陸軍病院から広島に派遣されていた救護班も原隊に引き揚げていった。
9月10日陸軍省は東京第1陸軍病院長井深中将に、旧陸軍軍医学校教官を主体とする長以下約140名の救護班を編成して広島に派遣することを指令した。その目的は原爆による傷病者の収療並びにその晩期(後遺)障害の調査であった。装備として患者延人員2万人を収療調査するだけの衛生材料と患者300人を収容するに足る数量の病衣、寝具、給養器具、糧食及び輸送具を整えた。別に派遣班用の糧食10日分を携行した。病院開設のために引継ぎを受けた広島第1陸軍病院の宇品分院は屋根は破壊し、窓ガラスは1枚もない有様であったが、9月15日から業務を開始した。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅳ
満州事変期、昭和天皇の私生活を伝える公刊文献は、河井弥八日記のなかの2頁にわたる記述と、非公式に天皇と会い、宮中の文書を見たと称する小説家小山いと子による秘話以外はほとんどない。
1932年、昭和天皇と良子皇后は結婚して8年になっていた。皇后は4人の内親王をもうけたが、無事に育ったのは3名だった。そして、当時5番めの子どもを懐妊していた。この夏、彼らは満州情勢の緊迫化のため葉山御用邸への避暑旅行を取りやめ、東京に留まることを余儀なくされた。天皇夫妻は日々長時間、それぞれの側近と念入りに整えられた日々の仕事をこなしていた。天皇は、規則正しく7時半に、皇后はそれよりも少し早く起きていた。天皇夫妻は召使の手を借りずに着替えをし、通常、ふたりの女官により用意された食事をミルクとともにとった。食事が終わると、侍女のひとりがベルを鳴らし、当直の侍従に、部屋に入り挨拶をしてもよいことを知らせた。天皇夫妻の1日は入浴から始まり、次いで、
別々になって屋外で運動をすることにしていた。妊娠中の良子皇后の運動は、花壇の手入れをするか、看護婦と1ラウンド、ゴルフをすることだった。正午になると、皇后と昼食をとるため天皇は執務室〔御学問所の2階〕から戻り、そして4時ごろまで公務をこなし、ふたたび皇后とお茶をともにした。6時半ごろに夕食を済ませ、就寝前の9時ごろ、軽食をとってから通常10時には寝室に退いた。皇后は庭いじりをしないときには、満州に駐留する部隊のために下賜品の包帯を巻くことで時間を過ごした。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●731部隊の問題
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
豚コレラ「重大な局面」と農相
統計問題「ミスで生じた200億の諸経費は国民負担」に潜む“騙しのテクニック” 舛添氏が厚労省を糾弾
強制不妊手術、裁判の行方は 救済に高い壁も
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
意外な来訪者
私達は満州桜や松の木のある小公園のベンチに並んで坐った。樹木の少ない満州では、松は非常に珍しいのである。この松も、浜江省内に3本しかないという中の1本だった。
「若いのに、よく来たね。・・・・どうだ、辛(つら)いだろう?」
と、その人は言った。
「いいえ、辛いとは思いません」
これは自然に飛び出す嘘である。いつの間にか、このように決まった答えが出るように習慣づいているのだ。だが私は、この人に対して、少し甘える気持があった。
「・・・・ですけど、毎日毎日、ペスト菌の培養ばかりやっているのですから、つい憂鬱(ゆううつ)になることがあります」
「きみ!」
その人は、鋭く私をたしなめた。低い声だが、私は水を浴びたようにひやりとした。
「気をつけなければいけないよ。俺がもし、敵のスパイだったら、どうなると思う」
そういえば、私はまだ、この人の身分も名前も聞いていなかったのだ。
「まあ、いいさ。これから注意するんだね。職業柄ゆうんだが、スパイという者は、何でも無いようなことから手がかりを見つけて重大な秘密を探り出すものなんだ」
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
多種多様な化学兵器
毒ガス砲弾を発射する火砲の中では、迫撃砲が最も軽便で融通性がある。集中的に使用して専門の迫撃砲部隊を設けることができるだけでなく、歩兵部隊に配備して単独に使用してもよいため、戦争中に最も幅広く使用され、日本軍の化学戦の戦術にも非常に合致するものであった。このため、日本軍では迫撃砲及び砲弾に関する制式化が重要な課題であった。化学部隊で、最も幅広く使用されたのは「九四式」軽迫撃砲で、これは日本軍の第1級秘密兵器であった。このタイプの砲は口径90・5ミリ、射程4000メートルである。砲弾に普通榴弾と重型榴弾の2種類があり、前者には嘔吐性の毒ガスであるジフェニールシアンアルシン(あか弾)もしくは糜爛性の毒ガスであるイペリット、ルイサイト(きい弾)を装填し、後者にはホスゲン(あお弾)もそくは有毒物質である砒素を含む発煙剤(しろ弾)を装填した。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●B1棟(仕上げ場)
B1棟は、このような形状をしています。
●登戸研究所資料館
はじめに
設立趣旨―開館にあたっての明治大学からのメッセージ
登戸研究所は、戦前日本の戦争・軍隊を知る上で、極めて貴重な戦争遺跡のひとつです。
登戸研究所は、戦争には必ず付随する「秘密戦」(防諜・諜報・謀略・宣伝)という側面を担っていた研究所であり、その為、その活動は、戦争の隠された裏面を示していると言えます。
登戸研究所の研究内容やそこで開発された兵器・資材などは、時には人道上あるいは国際法規上、大きな問題を有するものも含まれています。しかし、私達はこうした戦争の暗部ともいえる部分を直視し、戦争の本質や戦前の日本軍がおこなってきた諸活動の一端を、冷静に後世に語り継いでいく必要があると思っています。
それは、私達大学と同じ科学研究にあたる場が、戦争という目的のためには、場合によっては尋常な理性と人間性を喪失してしまいかねない機能をもってしまうことを強く自戒するためでもあります。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪
―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。
第27回日本医学会総会出展「戦争と医学」展実行委員会が、2007年4月に国際シンポジウムを主催した際に、招いた米国の生命倫理学者は「過去の世代の不正は、それがとりわけ隠蔽された場合には、現在の世代の重荷としてそのまま残されると言えます。731部隊の場合、米国が一度日本の科学者たちとこのような取引をしたために、日本が抱えていた秘密が、我々の抱える秘密にもなってしまいました」「調査を行い、過去に何が起こったのかを誠実に、率直に、正確に報告することによって、そして過去と対峙することによって、我々は常々持ちたいと望んできた価値観を肯定するのです。最も重要なのは、そうすることによって、過去との共犯関係から若い世代を解放し、過去の不正に対する責任を負う必要をなくすことです。隠蔽や共犯の伝統を保持するよう若い世代に求めるのではなく、代わりに彼らをこの責任から完全に解放することです」と述べました。
戦争医学犯罪の検証について国際的な連携・協力をするための議論が必要だと思います。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
4、救護班の派遣
明治19年6月陸軍軍医学校と唱えてから60年、その草創時代を通算すれば77年、幾多の英才を生み、有益な研究業績数10000編に達し、軍陣医学に、また広く社会に貢献しかつ誘益してきた陸軍に医学校も、9月2日復員して消滅し、残ろ職員は東京第1陸軍病院の所属に移った。復員が進むと共に各地の陸軍病院から広島に派遣されていた救護班も原隊に引き揚げていった。
9月10日陸軍省は東京第1陸軍病院長井深中将に、旧陸軍軍医学校教官を主体とする長以下約140名の救護班を編成して広島に派遣することを指令した。その目的は原爆による傷病者の収療並びにその晩期(後遺)障害の調査であった。装備として患者延人員2万人を収療調査するだけの衛生材料と患者300人を収容するに足る数量の病衣、寝具、給養器具、糧食及び輸送具を整えた。別に派遣班用の糧食10日分を携行した。病院開設のために引継ぎを受けた広島第1陸軍病院の宇品分院は屋根は破壊し、窓ガラスは1枚もない有様であったが、9月15日から業務を開始した。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅳ
満州事変期、昭和天皇の私生活を伝える公刊文献は、河井弥八日記のなかの2頁にわたる記述と、非公式に天皇と会い、宮中の文書を見たと称する小説家小山いと子による秘話以外はほとんどない。
1932年、昭和天皇と良子皇后は結婚して8年になっていた。皇后は4人の内親王をもうけたが、無事に育ったのは3名だった。そして、当時5番めの子どもを懐妊していた。この夏、彼らは満州情勢の緊迫化のため葉山御用邸への避暑旅行を取りやめ、東京に留まることを余儀なくされた。天皇夫妻は日々長時間、それぞれの側近と念入りに整えられた日々の仕事をこなしていた。天皇は、規則正しく7時半に、皇后はそれよりも少し早く起きていた。天皇夫妻は召使の手を借りずに着替えをし、通常、ふたりの女官により用意された食事をミルクとともにとった。食事が終わると、侍女のひとりがベルを鳴らし、当直の侍従に、部屋に入り挨拶をしてもよいことを知らせた。天皇夫妻の1日は入浴から始まり、次いで、
別々になって屋外で運動をすることにしていた。妊娠中の良子皇后の運動は、花壇の手入れをするか、看護婦と1ラウンド、ゴルフをすることだった。正午になると、皇后と昼食をとるため天皇は執務室〔御学問所の2階〕から戻り、そして4時ごろまで公務をこなし、ふたたび皇后とお茶をともにした。6時半ごろに夕食を済ませ、就寝前の9時ごろ、軽食をとってから通常10時には寝室に退いた。皇后は庭いじりをしないときには、満州に駐留する部隊のために下賜品の包帯を巻くことで時間を過ごした。
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●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年2月5日火曜日
細菌戦の系譜!!
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●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
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●731部隊の問題
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
厚生労働省の統計不正 安倍晋三首相がアベノミクスへの影響に言及
東京医大で一般入試 不正入試問題で志願者大幅減
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン
「歴史の真相」内海聡の内海塾
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竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
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「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
意外な来訪者
私が川のそばの部落です、と答えると、おれは隣村だよ、と言って、慈父ののような笑いを豊かな頬のあたりにたたえた。私も思わず安堵の顔をほころばせ、そうでありますか、と浮き浮きしていた。こうした邂逅は満州にきてから初めてのことであり、なつかしさで胸が一杯だった。隣村と言っても、双方とも村境の部落なので、ごく近いところなのである。
その人は、私の家をほぼ知っていたが、年齢的に隔たる私は、家名を言われても、ちょっと見当がつきかねた。
だが、その人は、私の村にある近郷では有名な神社や、お姫様が狐の化けた若侍に恋をし、かなえられぬ悲しみからついに石になってしまったという姫石の話などをよく知っていて、暗に私を慰めるように語ってくれた。
すでに、郷里に帰ることを断念し、全てをあきらめの中に閉じ込めようとしていた私であったが、それだけに、郷里の話は遠い昔のことにように甘い郷愁の曲を奏でるのである。
その上、丁度、私達のそばを通った教習隊長すらも、その人に丁寧な敬礼をするのだ。
私は、この人は、きっと偉い人に違いないと思いながら、自分がこの人と親しげにしていられることに、得々としていた。
「少し歩くか」
しばらくして、その人は私を連れ出した。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
多種多様な化学兵器
各種砲弾は口径が様々であるために、それぞれ異なる山砲や野砲に用いられ、効力もまちまちである。砲弾についていえば、「九二式」「九三式」「九二式尖鋭弾」「九三式尖鋭弾」等に分けられ、各種砲弾は様々な火砲に用いられる。「九二式」砲弾を例にとると、「三八式野砲」「九○式野砲」「四一式山砲」「四一式騎兵砲」「九四式山砲」等の火砲に用いられる。表13はこれらの砲弾に様々な毒剤を装入した場合の性能を示すものである。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●E1棟(ジェニル・シアン・アルシンの充填作業場)
隣接して、排気筒が一つ建っています。
●登戸研究所資料館
はじめに
登戸研究所資料館の特徴
第2に、戦争には必ず付随しますが、歴史にはほとんど記録されていない秘密戦に焦点を当てた、日本では唯一の資料館であるということです。
第3に、登戸研究所の全貌、各科の活動の概要を、実証的かつ視覚的に展示した唯一の常設資料館であるという事です。ここで開発された兵器・資材には、人道上・国際法規上問題のあるものも多いのですが、それらを直視し、歴史的事実として語り継ぐことに重点をおきました。
第4に、登戸研究所の史実発掘過程をも展示の対象にしたことです。元所員の貴重な証言・手記が明るみに出るきっかけを作ったのは、自分の住んでいる地域の歴史を調べようとした一般市民・教員・高校生たちでした。こうした人々が、知られざる歴史、戦争の暗部を解明するきっかけを作ったということも分かるように展示しています。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪
―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。
「戦争と医の倫理」の検証を進める会が2012年に京都大学で主催した国際シンポジウムに参加したドイツの精神科医は「ドイツでは過去との関わりをできるだけ回避しようとする動きがずっと以前から一般的で、ニュルンべルク裁判は要するに勝者の恣意による判決だ、という乱暴な考えさえ多くの所で出ている」「ニュルンべルクは扉を開けた。しかし、研究の倫理への道、医学の社会的責任への道はまだ遠く、なすべきことはまだ多い」などと書いています。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
3、特殊爆弾から原子爆弾へ
この報告により陸軍省は9月9日次官通牒(陸普第177号)をもって陸軍一般へ次のように処置をしました。
(1)治療法
a. 安静
b. 自家血液の筋肉注射
c. 生理食塩液または5%ブドウ糖液の皮下注射
d. 食塩の静脈内注射
e. ビタミンB₁及びCの大量投与
f. 肝臓製剤の投与
(2)爆心から半径2キロ以内の者(でき得れば4キロ以内の者)は健康診断(特に白血球数、赤血球沈降速度)の要あり。白血球数3000以下、赤沈50ミリ以上の者は患者として取り扱い、白血球3000-5000、赤沈30ミリ程度のものは要注意者として安静を必要とす。
原爆調査団をきわめて初期から派遣し、比較的詳細な調査ができたことは、組織と訓練と人材が揃っていたことによるのであろう。また食も住もない被災地の行動は軍に期待するよりほかになかったのである。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅳ
しかしながら、結局は短期的な政治的配慮によって天皇は軍部と連携することになった。ほとんどの国が日本の既成事実を承認したということに、昭和天皇は自信を得ていた。これまでのところ満州国を承認した西洋列強はないが、しかし、満州侵略に対して経済制裁を実施した国も、今のところない。昭和天皇の考えでは、最も必要なことは、首相の暗殺、側近の襲撃、クーデタ未遂などで震撼した国内の政治情勢を安定させることだった。天皇が優先すべきことは、関東軍司令官との対立の回避であり、それは満州国を守るためにも必要だったのである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●731部隊の問題
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
2013年5月12日 安倍 731と書かれた戦闘機に乗る!!宮城県松島市にある航空自衛隊の基地で撮影
●ニュース
自衛隊の名、実態と合ってない? 無線では「日本海軍」
厚生労働省の統計不正 安倍晋三首相がアベノミクスへの影響に言及
東京医大で一般入試 不正入試問題で志願者大幅減
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
意外な来訪者
私が川のそばの部落です、と答えると、おれは隣村だよ、と言って、慈父ののような笑いを豊かな頬のあたりにたたえた。私も思わず安堵の顔をほころばせ、そうでありますか、と浮き浮きしていた。こうした邂逅は満州にきてから初めてのことであり、なつかしさで胸が一杯だった。隣村と言っても、双方とも村境の部落なので、ごく近いところなのである。
その人は、私の家をほぼ知っていたが、年齢的に隔たる私は、家名を言われても、ちょっと見当がつきかねた。
だが、その人は、私の村にある近郷では有名な神社や、お姫様が狐の化けた若侍に恋をし、かなえられぬ悲しみからついに石になってしまったという姫石の話などをよく知っていて、暗に私を慰めるように語ってくれた。
すでに、郷里に帰ることを断念し、全てをあきらめの中に閉じ込めようとしていた私であったが、それだけに、郷里の話は遠い昔のことにように甘い郷愁の曲を奏でるのである。
その上、丁度、私達のそばを通った教習隊長すらも、その人に丁寧な敬礼をするのだ。
私は、この人は、きっと偉い人に違いないと思いながら、自分がこの人と親しげにしていられることに、得々としていた。
「少し歩くか」
しばらくして、その人は私を連れ出した。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
多種多様な化学兵器
各種砲弾は口径が様々であるために、それぞれ異なる山砲や野砲に用いられ、効力もまちまちである。砲弾についていえば、「九二式」「九三式」「九二式尖鋭弾」「九三式尖鋭弾」等に分けられ、各種砲弾は様々な火砲に用いられる。「九二式」砲弾を例にとると、「三八式野砲」「九○式野砲」「四一式山砲」「四一式騎兵砲」「九四式山砲」等の火砲に用いられる。表13はこれらの砲弾に様々な毒剤を装入した場合の性能を示すものである。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●E1棟(ジェニル・シアン・アルシンの充填作業場)
隣接して、排気筒が一つ建っています。
●登戸研究所資料館
はじめに
登戸研究所資料館の特徴
第2に、戦争には必ず付随しますが、歴史にはほとんど記録されていない秘密戦に焦点を当てた、日本では唯一の資料館であるということです。
第3に、登戸研究所の全貌、各科の活動の概要を、実証的かつ視覚的に展示した唯一の常設資料館であるという事です。ここで開発された兵器・資材には、人道上・国際法規上問題のあるものも多いのですが、それらを直視し、歴史的事実として語り継ぐことに重点をおきました。
第4に、登戸研究所の史実発掘過程をも展示の対象にしたことです。元所員の貴重な証言・手記が明るみに出るきっかけを作ったのは、自分の住んでいる地域の歴史を調べようとした一般市民・教員・高校生たちでした。こうした人々が、知られざる歴史、戦争の暗部を解明するきっかけを作ったということも分かるように展示しています。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪
―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。
「戦争と医の倫理」の検証を進める会が2012年に京都大学で主催した国際シンポジウムに参加したドイツの精神科医は「ドイツでは過去との関わりをできるだけ回避しようとする動きがずっと以前から一般的で、ニュルンべルク裁判は要するに勝者の恣意による判決だ、という乱暴な考えさえ多くの所で出ている」「ニュルンべルクは扉を開けた。しかし、研究の倫理への道、医学の社会的責任への道はまだ遠く、なすべきことはまだ多い」などと書いています。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
3、特殊爆弾から原子爆弾へ
この報告により陸軍省は9月9日次官通牒(陸普第177号)をもって陸軍一般へ次のように処置をしました。
(1)治療法
a. 安静
b. 自家血液の筋肉注射
c. 生理食塩液または5%ブドウ糖液の皮下注射
d. 食塩の静脈内注射
e. ビタミンB₁及びCの大量投与
f. 肝臓製剤の投与
(2)爆心から半径2キロ以内の者(でき得れば4キロ以内の者)は健康診断(特に白血球数、赤血球沈降速度)の要あり。白血球数3000以下、赤沈50ミリ以上の者は患者として取り扱い、白血球3000-5000、赤沈30ミリ程度のものは要注意者として安静を必要とす。
原爆調査団をきわめて初期から派遣し、比較的詳細な調査ができたことは、組織と訓練と人材が揃っていたことによるのであろう。また食も住もない被災地の行動は軍に期待するよりほかになかったのである。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅳ
しかしながら、結局は短期的な政治的配慮によって天皇は軍部と連携することになった。ほとんどの国が日本の既成事実を承認したということに、昭和天皇は自信を得ていた。これまでのところ満州国を承認した西洋列強はないが、しかし、満州侵略に対して経済制裁を実施した国も、今のところない。昭和天皇の考えでは、最も必要なことは、首相の暗殺、側近の襲撃、クーデタ未遂などで震撼した国内の政治情勢を安定させることだった。天皇が優先すべきことは、関東軍司令官との対立の回避であり、それは満州国を守るためにも必要だったのである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年2月4日月曜日
細菌戦の系譜!!
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●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●731部隊の問題
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
●ニュース
厚労省担当者の更迭「証言封じるため」 立憲・枝野氏
東京医大で一般入試 不正入試問題で志願者大幅減
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
意外な来訪者
休みの日であった。洗濯は自分ですることになっていたが、1日に2回ずつ入浴するのに加えて、衣料の消毒や漂白などをしょっちゅうやっているので、洗濯が重荷になるということはなかった。
朝の5時に起床して勤務し、夜は10時まで講義を受けるという厳しい日課のせいで、先ず眠ることが何よりの楽しみなのである。その日も軽く洗濯を済ませて2時ごろから眠るつもりであった。
ところが、突然、私を訪ねて来た人がある。
「秋山という者が、いるだろう?」
平服を着たその人は、森島をつかまえてたずねていた。私は部屋の中で、廊下から聞こえる声を耳にして、はっと立ち上がった。語調は穏やかだったが、私は、憲兵かも知れないと思ったのである。この部隊で平服を着用しているのは憲兵ぐらいよりない筈であったから。―身に何のおぼえもなかったけれども、顔中の血が、すうと引くのが自分でもわかる。
「はい、自分であります」
と、内心の動揺を緊張で抑えながら、私は進み出た。
その人は声や動作などからは30前後の感じであったが、顔を見ると、40ぐらいにも思える。
「S村のどの辺かね?」
その人は、柔和に相好をくずして、私の全身をそれとなく見回した。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
多種多様な化学兵器
各種毒ガス弾の外部形状及び規格は普通の砲弾と違いは無い。一般の火炎砲を用いて発射することもできる。しかし毒ガス砲弾の内部には、火薬の他に毒剤が入っている。このため内部の構造は普通の砲弾に比べて複雑で、各種毒ガス弾は装入される毒剤の成分によって分類できる。毒ガス弾の外側は様々な色の塗料で環状の標識帯が塗られている。ラベルの色は毒剤の色の表示と一致する。例えば糜爛性毒剤(きい一号もしくはきい二号)を装入した砲弾には黄色の標識帯が塗られ、嘔吐性のジフェニールシアンアルシン(あか一号)毒剤を装入した砲弾には赤い標識帯が塗られている、等々。日本の軍隊の中では、一般に砲弾の表示帯の色によって砲弾を「きい弾」「あか弾」等と名付けている。1934年、迫撃砲弾用のあか弾、きい弾及び飛行機から空中投下する15キログラムのあか弾が制式化され、また毒ガス部隊用の毒剤補給管も開発された。1937年には、青酸ガスが制式化されたため、この毒剤を装填する山野砲及び榴弾砲用弾丸も制式化された。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●E1棟(ジェニル・シアン・アルシンの充填作業場)
中は、壁によって細長い部屋と広い部屋に区切られています。上の右側写真で見える二階部分へ通じる階段が見えます。
●登戸研究所資料館
はじめに
登戸研究所資料館の特徴
この資料館の特徴は4つあります。まず第1に、この資料館が、旧日本軍の研究施設をそのまま保存・活用して資料館にした全国でも唯一の事例であるという事です。資料館(36号棟)は、登戸研究所第二科の実験棟の一つ(農作物を枯らす細菌兵器の開発棟)であり、建物そのものが貴重な戦争遺跡です。その為、可能な限り、建物に作り付けの設備はそのまま残し、部屋割り・内装・証明も戦時中の姿に近いもの復元しました。また、室内にフレームを組んで、展示を行なうというやり方を採用し、建物内部の設備・壁面などがなるべく見られるように工夫しました。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪
―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。
しかし、ナチス・ドイツの戦争医学犯罪を踏まえて、世界医師会はジュネーブ宣言や医の国際倫理綱領で「医師は、常に何ものにも左右されることなくその専門職としての判断を行い、専門職としての行為の最高の水準を維持しなければならない」などの条項を採択し、「患者の人権擁護」のためには患者、医師、医師会、それぞれの自律が必要だとしてきました。このような国際的に普遍的な考え方にたつならば、国政の如何などとは関係なく、日本の医学界・医療界が自省の議論を尽くす必要があります。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
3、特殊爆弾から原子爆弾へ
被災後2週間もすれば、被爆者は外科的症状よりも放射能障害による出血、下血、発熱、衰弱等の症状を著明に現わしていた。そのため内科の本橋少佐と防疫の秦少佐が派遣されて、8月22日から調査に従事した。29日からは嘱託の都築教授、三宅助教授以下が広島に派遣され、御園生、山科の両少佐も再び出張した。これ等の人々は広島戦災再調査班という名称で行動し、原爆症の臨床、病理、及び対策等に関して詳細な観察を行なって9月1日から毎日報告を陸軍軍医学校長へ提出した。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅳ
このような強硬な主張のため元老西園寺からは、しばしば批判されることになるが、近衛は天皇からは信頼されていた。連盟脱退を承認した天皇の決定に、近衛が影響を与えたかどうかを証明することはできない。しかし、昭和天皇は、列強は人種的対立にとらわれ、日本がアジアにおける有力な国家として台頭しないことを望んでいるという見方をかなり以前から聞かされていた。さらには、近衛の考えは、世論形成の役を担う各方面のエリートにも、天皇側近の宮廷官僚にも大きな影響力を持っていたと言える。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●NO MORE 化学兵器
●帝銀事件と登戸研究所
●石垣島の自衛隊!!
●カネミ油症問題
●元731部隊軍医と強制不妊手術
●731部隊・100部隊と戦後の流れ
●細菌戦部隊員の戦後
●731部隊の問題
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本の政治の常道【historyとは、彼(his)(権力者)の物語(story)】
・まずい事は隠す!!(=あったことを無かったことにする、=データ改ざんは当たり前)
・責任を下に押し付ける!!(=権力者は、責任を取らない)
統計不正聴取に厚労省官房長同席 中立性への疑念、更に
●ニュース
厚労省担当者の更迭「証言封じるため」 立憲・枝野氏
東京医大で一般入試 不正入試問題で志願者大幅減
「南スーダンPKO動画」開示 防衛省
根元から腐り始めた国の機構/防衛省PKO動画公開
核兵器廃絶!!
復活する米露の中距離核戦力とは
3 11人工地震の証明~日本人が知らねばならない真実~
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 厚生労働省の毎月勤労統計改ざん! 政府の流れはつぶれる会社のパターン
「歴史の真相」内海聡の内海塾
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 やばい日本の製造業! 家電&国産スマホの財政危機
【大竹まこと×近藤誠×倉田真由美】 〈目から鱗の医療〉 がん手術・抗がん剤治療・早期発見は効果がない!
【大竹まこと×森永卓郎×倉田真由美】 日立のイギリス原発輸出撤退の裏側! 日本に生まれる新ビジネスチャンス
竹田会長の記者会見は本当に「潔白主張」なのか
海外メディア「かえって疑惑深まった」 JOC竹田会長の会見
【大竹まこと×金子勝×室井佑月】 日立がイギリス原発輸出を断念! 世界に逆行する日本と経団連の責任
森友・加計問題 疑惑の核心/下 政治家、官邸官僚… 「安倍側用人」を覆う「黒い霧」
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
意外な来訪者
休みの日であった。洗濯は自分ですることになっていたが、1日に2回ずつ入浴するのに加えて、衣料の消毒や漂白などをしょっちゅうやっているので、洗濯が重荷になるということはなかった。
朝の5時に起床して勤務し、夜は10時まで講義を受けるという厳しい日課のせいで、先ず眠ることが何よりの楽しみなのである。その日も軽く洗濯を済ませて2時ごろから眠るつもりであった。
ところが、突然、私を訪ねて来た人がある。
「秋山という者が、いるだろう?」
平服を着たその人は、森島をつかまえてたずねていた。私は部屋の中で、廊下から聞こえる声を耳にして、はっと立ち上がった。語調は穏やかだったが、私は、憲兵かも知れないと思ったのである。この部隊で平服を着用しているのは憲兵ぐらいよりない筈であったから。―身に何のおぼえもなかったけれども、顔中の血が、すうと引くのが自分でもわかる。
「はい、自分であります」
と、内心の動揺を緊張で抑えながら、私は進み出た。
その人は声や動作などからは30前後の感じであったが、顔を見ると、40ぐらいにも思える。
「S村のどの辺かね?」
その人は、柔和に相好をくずして、私の全身をそれとなく見回した。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第4章 科学はいかにして罪業となったか
多種多様な化学兵器
各種毒ガス弾の外部形状及び規格は普通の砲弾と違いは無い。一般の火炎砲を用いて発射することもできる。しかし毒ガス砲弾の内部には、火薬の他に毒剤が入っている。このため内部の構造は普通の砲弾に比べて複雑で、各種毒ガス弾は装入される毒剤の成分によって分類できる。毒ガス弾の外側は様々な色の塗料で環状の標識帯が塗られている。ラベルの色は毒剤の色の表示と一致する。例えば糜爛性毒剤(きい一号もしくはきい二号)を装入した砲弾には黄色の標識帯が塗られ、嘔吐性のジフェニールシアンアルシン(あか一号)毒剤を装入した砲弾には赤い標識帯が塗られている、等々。日本の軍隊の中では、一般に砲弾の表示帯の色によって砲弾を「きい弾」「あか弾」等と名付けている。1934年、迫撃砲弾用のあか弾、きい弾及び飛行機から空中投下する15キログラムのあか弾が制式化され、また毒ガス部隊用の毒剤補給管も開発された。1937年には、青酸ガスが制式化されたため、この毒剤を装填する山野砲及び榴弾砲用弾丸も制式化された。
東京第二陸軍造兵廠曽根製造所
平成十二年八月六日、「平和のための戦争展 in 北九州2000」の企画で、旧軍施設の見学会が催されました。見学先は、「東京第二陸軍造兵廠曽根製造所」跡地です。それに参加したときの写真です。
ここは、表向きは普通の爆弾製造工場とされていましたが、実際は、「東京第二陸軍造兵廠忠海製造所(広島県竹原市大久野島)」製の毒ガスを、「小倉陸軍造兵廠(福岡県北九州市小倉北区)」製の砲弾・爆弾に充填する化学兵器製造所でした。日本の製造した毒ガス弾の2割がここで充填されたと言われています。
●E1棟(ジェニル・シアン・アルシンの充填作業場)
中は、壁によって細長い部屋と広い部屋に区切られています。上の右側写真で見える二階部分へ通じる階段が見えます。
●登戸研究所資料館
はじめに
登戸研究所資料館の特徴
この資料館の特徴は4つあります。まず第1に、この資料館が、旧日本軍の研究施設をそのまま保存・活用して資料館にした全国でも唯一の事例であるという事です。資料館(36号棟)は、登戸研究所第二科の実験棟の一つ(農作物を枯らす細菌兵器の開発棟)であり、建物そのものが貴重な戦争遺跡です。その為、可能な限り、建物に作り付けの設備はそのまま残し、部屋割り・内装・証明も戦時中の姿に近いもの復元しました。また、室内にフレームを組んで、展示を行なうというやり方を採用し、建物内部の設備・壁面などがなるべく見られるように工夫しました。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
4、ドイツではどのように向き合ったのか
■日本ではまだ広く知られていない戦争医学犯罪
―現在、日本では、どのような議論がなされているのでしょうか。また、いま、軍事研究への大学や研究機関の動員という問題が大きな問題となっているときに、どんな議論がなされる必要があるとお思いですか。
しかし、ナチス・ドイツの戦争医学犯罪を踏まえて、世界医師会はジュネーブ宣言や医の国際倫理綱領で「医師は、常に何ものにも左右されることなくその専門職としての判断を行い、専門職としての行為の最高の水準を維持しなければならない」などの条項を採択し、「患者の人権擁護」のためには患者、医師、医師会、それぞれの自律が必要だとしてきました。このような国際的に普遍的な考え方にたつならば、国政の如何などとは関係なく、日本の医学界・医療界が自省の議論を尽くす必要があります。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●「衛生学校記事」とはどんなものだろうか?
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1948年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を転任になり、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
復刊衛生学校記事1(2)(井上義弘)
1961年7月
昭和20年の頃
3、特殊爆弾から原子爆弾へ
被災後2週間もすれば、被爆者は外科的症状よりも放射能障害による出血、下血、発熱、衰弱等の症状を著明に現わしていた。そのため内科の本橋少佐と防疫の秦少佐が派遣されて、8月22日から調査に従事した。29日からは嘱託の都築教授、三宅助教授以下が広島に派遣され、御園生、山科の両少佐も再び出張した。これ等の人々は広島戦災再調査班という名称で行動し、原爆症の臨床、病理、及び対策等に関して詳細な観察を行なって9月1日から毎日報告を陸軍軍医学校長へ提出した。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
●水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅳ
このような強硬な主張のため元老西園寺からは、しばしば批判されることになるが、近衛は天皇からは信頼されていた。連盟脱退を承認した天皇の決定に、近衛が影響を与えたかどうかを証明することはできない。しかし、昭和天皇は、列強は人種的対立にとらわれ、日本がアジアにおける有力な国家として台頭しないことを望んでいるという見方をかなり以前から聞かされていた。さらには、近衛の考えは、世論形成の役を担う各方面のエリートにも、天皇側近の宮廷官僚にも大きな影響力を持っていたと言える。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
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●神武と戦争
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