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●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
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●戦争の加害パネル展(横浜)
●防衛費の異常な増加に抗議!!
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●第11回『化学学校記事』情報公開裁判
●731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
陸上イージスの電波、生活への影響は? 防衛省が調査へ
沖縄県民投票求め宜野湾の27歳男性がハンスト開始
ハーバード大で入学差別か アジア系訴え、黒人にも波紋
世襲制反対!!
京都市民が「長男の京大進学」を喜ばない事情
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
郷愁に泣く
だが、総務部にいる浜中だけは、何か生きがいのある者のように張り切っていた。仕事は関係で、それほど苦痛を感じないだろうし、女事務員なども混じっているので、他の部署より殺風景でないのは確かなのだ。
私は、自分の顔が次第に険悪になり、眼が兎のように赤くおどおどしてくるのを感じていた。
「いっそ、ひとおもいに死んでしまった方が、楽か知れないなぁ」
「脱走しようか」
研究所の控室で、佐々、保坂と3人きりになると、こんな冗談を言ったりする。しかし、それは案外本音だったのかも知れない。自殺もできず、脱走も不可能とあきらめているからこそ、表面には冗談めいてあらわれるだけのことである。
そんな私達をみて、何かと慰めてくれるのは小枝傭員であった。私達が、ひっそり沈んでいると、
「おい、元気を出せ。俺と一緒に原っぱへ行こう」
などといって、私達を飛行場の方の草原に連れ出し、相撲をとったり、あるいは、ハタリスを捕まえたりして遊ぶのだった。ねずみとリスのあいの子みたいなハタリスの穴は必ず入口が2つになっているので、一方の穴だけをみつけても掴まえられない。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
曽根の印象
外国の使節を受け入れる大宰府は、福岡県太宰府町にあり、当時の外国使節が上陸したのはつまり博多だった。私が中国の歴史を学んだ時、唐朝と渤海国が日本に派遣する遣日使はつまりここ博多から上陸したと聞いた。それ以来、私はこの特殊な名前を頭の中に留めていたのだ。
さらに新幹線で小倉に着いた。新幹線のホームは高架橋の上にあるので、駅から全市を鳥瞰することができる。見たところ小倉という所は決して繁華な商業都市ではない。駅近くの建築物は大部分が鉄骨の工場と倉庫で、灰色が町の基本的な色調である。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■さらなる戦争加担を邁進
―戦時下、医療界は、どのようにさらなる戦争加担に邁進していったのでしょうか。
1942年2月、従来の医師法などを改正し制定された「国民医療法」は「国民体力の向上を図るを以て日的」(第1条)とし、「富国強兵」策を遂行するための方策(開業の制限、新卒医師への動務地の指定、医師の徴用制度、無医地区での公営医療機関の設置、医療機関の整備統合など)を掲げました。さらに従来の医師の任務は「医事衛生の改良発展を図る」というものでしたが、この「国民医療法」の第3条で「医師及び歯科医師は国民体力の向上に寄与するを以てその本分とす」と明記し、国の方策遂行に寄与するという新しい任務を規定しました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1942年1月20日
『ヴァンぜー会議』ハイドリヒ、アイヒマン、フライシャー、ミュラー、シュトゥッカーらSS将校や高級官僚が「ユダヤ人問題の最終的解決」のため、ベルリン=ヴァンゼーに集まり、ヨーロッパ各国にいる1100万人のユダヤ人の絶滅を論じ、決議する。これにより、3年間に600万人のユダヤ人が殺戮された。
1942年1-2月
ダッハウ強制収容所で囚人に低圧実験を始める。一連の人体実験の始まりである。
1942年3月14日精神病学者のリッターはドイツ研究財団へ「1500件のジプシーの研究」レポートを提出した。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅲ
後に、天皇は多門と依田を宮中晩餐会に招くことになるが、そこでは彼らふたりと他の将官に対して菊の紋章の入った下賜品が与えられた。もちろん、このような下賜品は皇室行事として宮中の標準的な手続きであるが、この場合は、大元帥が上級将校らの行為を認め、誉め称えていることを意味していた。雷光のごとき速さで死傷者もほとんど出さずに、彼らは天皇が責任を有する明治時代の値民地遺産を拡大したからである。
他方、天皇は喜んでいたものの、やはり懸念をしなければならない理由があった。中国東北地方の3省を越え軍事的な拡張を行ったことは、中国との全面戦争、そして列強、なかでもソ連からの反発という二重の危機をもたらした。すでにモスクワは、極東軍を急速に建設しており、ヨーロッパのソビエト空軍部隊を移動させ、太平洋艦隊の編成を始めていた。1933年2月4日、天皇が熱河作戦を裁可すると、閑院宮は関東軍の部隊を熱河に転進させることを求めた。この侵攻について斎藤内閣になんら諮ることなく、天皇は条件付きでこれに同意した。日本が掌握した満州国に合併するための軍事的拡張政策ならば容認するが、華北本土を攻撃することは認めない。したがって、天皇は閑院宮に「万里長城を越て関内に進人することなき条件にて」裁可すると伝え、関東軍の熱河作戦を承認した。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
731を問う!!
2019年1月15日火曜日
細菌戦の系譜!!
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●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
うるま市長、4択の県民投票を県に提案 島袋市長「市議の理解得られる」
原発事故の和解、打ち切り1.7万人 東電が相次ぎ拒否
韓国「1965年請求権協定の補完」 日本に逆提案を検討
バス会社 「点呼」不適切が多数 軽井沢バス事故後に処分の会社
世襲制反対!!
京都市民が「長男の京大進学」を喜ばない事情
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
郷愁に泣く
眠気と神経の疲れが限界に達しても、まだ作業が終らない時などは、ふと、死にあこがれるような気分になっている自分に気付いて、ひやりとすることもあった。
軍医や雇員たちも、遅くなると、私達に仕事を押し付けて帰ることばかり考えている。ことに、辻塚軍医は、私達がすっかり片付け終ってから、
「これを洗っておけ」
といって、シャーレや試験管などを出してくる。もう数分早ければ、みないっぺんに洗えたものを、と恨らんでも、上官に対してそんなことを言えるはずがない。仕方なく、一度きれいにした手をまた汚すのだ、腹に不満があると、どうしても、いい仕事にならず、それがまた、軍医の意地悪を刺激して、ますます余分な仕事を増やす結果となるのだった。
よくよく貧乏くじを引き当てた。なぜ満州になぞ来る気になったのか、と、いまさら後悔しても始まらない。夜、くたくたになった体を横たえると、いつもそうした、とめどない想いにかられる。そして、幾度にも忘れよう、あきらめようと心に誓った故郷のことが目にちらつくのである。
同室の森島も来住野も、やはり悲嘆にくれていた。私は、はじめ、床に入ってから、めそめそ泣いてばかりいる来住野を、だらしない奴だと内心あざ笑っていたのだが、その頃になって、ようやく彼の心境がわかると思うようになった。毛布を頭からかぶって、泣きたいだけ泣き、惨めさと涙と一緒に洗い流すのが、一番たやすく眠りにつける方法であった。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
曽根の印象
福岡県小倉市曽根町は、小さな町だ。福岡の人でも、この町のことをよく知っている人はあまりいないのではないだろうか?だが、あまり知られていないであろうが、この小さな町でかつて第2次世界大戦の時に、ここに兵工廠があったのだ。私たちがここにやってきたのは、その調査のためなのだ。ここは、砲弾の中に化学毒剤を填実する曽根兵工廠の所在地だ。当然のことながら、この工場は今は存在しない。聞いたところでは自衛隊の自動車訓練場になっているそうだ。
私は、何日か前に北京から福岡に来た。短い間に山口、下関、福岡を訪問して各大学で講演をした。毎日地図を見ながら歩き、九州一帯の地理環境を少し理解することができた。博多は福岡市の一部分であり、また、福岡市の別名でもあるが、しかし、その名前は福岡というより博多と言った方が通りがいい。こういうと私はやはりかつての歴史を回顧せざるを得ない。日本の歴史で言えば福岡は外交と軍事の重要な拠点であった。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■医学界全体が戦争に加担した
―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか
医学教育の軍事化・医学生の戦時動員もあげられます。1939年から、軍事教練が全大学の学部学生の必修科目となり、医学部でも、現役の配属将校による軍事教練が課され、軍事講習の授業も実施され、軍隊内の衛生・防疫および戦傷について学ぶ軍陣医学(現在の軍事医学にあたる)の講義も行われました。同年より、「学生衛生部隊」が全国の大学医学部の学生により組織され、夏季休暇時等に各地に「衛生調査」等の名目で派遺されました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1940年末
指導的な心理学者、優生学者、官僚たちが「安楽死」法案を検討する。
1941年6月22日
ソ連への攻撃開始。SS、国防軍がユダヤ人、シンチとローマ、精神病疾患、ソ連軍将校などの集団殺戮を始める。
1941年8月
カトリックの司教カウント・フォン・ガレンらの抗議によって、精神疾患の毒ガス殺戮が一時停止した。しかし殺戮はすぐ、より集中的かつ大規模に行われるようになった。
1941年12月11日
ドイツのアメリカへの宣戦布告。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
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●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
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●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅲ
1933年1月14日、参謀総長閑院宮が満州への部隊増派の裁可を求めたとき、天皇は熱河省の件について注意を与えた。牧野によると(木戸の記録からも確認できる)、天皇は閑院宮に「満州に付ては此れまで都合好く進み来りたり、誠に幸なり、今後功一箕(いっき)〔簣〕を欠く様の事ありては遺憾なれば、熱河方面に付ては特に慎重に処置すべし」と語っていた。言い換えるならば、天皇は閑院宮に行き過ぎた作戦を戒めたのである。天皇は領土の拡大そのものを懸念したのではなく、失敗を、そして失敗の責任がどこに帰結するのかを恐れたのだった。
数週間後、天皇は、第2師同長の多門二郎中将と事変の緒戦に参加した朝鮮軍混成第38旅団の司令官依田四朗将軍をわざわざ褒章したのである。将軍たちはちょうど、広島県宇品港に着いたところだったが、天皇は、嘉賞(かしょう)の言葉を伝えるために侍従武官を遣わした。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
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●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
うるま市長、4択の県民投票を県に提案 島袋市長「市議の理解得られる」
原発事故の和解、打ち切り1.7万人 東電が相次ぎ拒否
韓国「1965年請求権協定の補完」 日本に逆提案を検討
バス会社 「点呼」不適切が多数 軽井沢バス事故後に処分の会社
世襲制反対!!
京都市民が「長男の京大進学」を喜ばない事情
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
郷愁に泣く
眠気と神経の疲れが限界に達しても、まだ作業が終らない時などは、ふと、死にあこがれるような気分になっている自分に気付いて、ひやりとすることもあった。
軍医や雇員たちも、遅くなると、私達に仕事を押し付けて帰ることばかり考えている。ことに、辻塚軍医は、私達がすっかり片付け終ってから、
「これを洗っておけ」
といって、シャーレや試験管などを出してくる。もう数分早ければ、みないっぺんに洗えたものを、と恨らんでも、上官に対してそんなことを言えるはずがない。仕方なく、一度きれいにした手をまた汚すのだ、腹に不満があると、どうしても、いい仕事にならず、それがまた、軍医の意地悪を刺激して、ますます余分な仕事を増やす結果となるのだった。
よくよく貧乏くじを引き当てた。なぜ満州になぞ来る気になったのか、と、いまさら後悔しても始まらない。夜、くたくたになった体を横たえると、いつもそうした、とめどない想いにかられる。そして、幾度にも忘れよう、あきらめようと心に誓った故郷のことが目にちらつくのである。
同室の森島も来住野も、やはり悲嘆にくれていた。私は、はじめ、床に入ってから、めそめそ泣いてばかりいる来住野を、だらしない奴だと内心あざ笑っていたのだが、その頃になって、ようやく彼の心境がわかると思うようになった。毛布を頭からかぶって、泣きたいだけ泣き、惨めさと涙と一緒に洗い流すのが、一番たやすく眠りにつける方法であった。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
曽根の印象
福岡県小倉市曽根町は、小さな町だ。福岡の人でも、この町のことをよく知っている人はあまりいないのではないだろうか?だが、あまり知られていないであろうが、この小さな町でかつて第2次世界大戦の時に、ここに兵工廠があったのだ。私たちがここにやってきたのは、その調査のためなのだ。ここは、砲弾の中に化学毒剤を填実する曽根兵工廠の所在地だ。当然のことながら、この工場は今は存在しない。聞いたところでは自衛隊の自動車訓練場になっているそうだ。
私は、何日か前に北京から福岡に来た。短い間に山口、下関、福岡を訪問して各大学で講演をした。毎日地図を見ながら歩き、九州一帯の地理環境を少し理解することができた。博多は福岡市の一部分であり、また、福岡市の別名でもあるが、しかし、その名前は福岡というより博多と言った方が通りがいい。こういうと私はやはりかつての歴史を回顧せざるを得ない。日本の歴史で言えば福岡は外交と軍事の重要な拠点であった。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■医学界全体が戦争に加担した
―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか
医学教育の軍事化・医学生の戦時動員もあげられます。1939年から、軍事教練が全大学の学部学生の必修科目となり、医学部でも、現役の配属将校による軍事教練が課され、軍事講習の授業も実施され、軍隊内の衛生・防疫および戦傷について学ぶ軍陣医学(現在の軍事医学にあたる)の講義も行われました。同年より、「学生衛生部隊」が全国の大学医学部の学生により組織され、夏季休暇時等に各地に「衛生調査」等の名目で派遺されました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1940年末
指導的な心理学者、優生学者、官僚たちが「安楽死」法案を検討する。
1941年6月22日
ソ連への攻撃開始。SS、国防軍がユダヤ人、シンチとローマ、精神病疾患、ソ連軍将校などの集団殺戮を始める。
1941年8月
カトリックの司教カウント・フォン・ガレンらの抗議によって、精神疾患の毒ガス殺戮が一時停止した。しかし殺戮はすぐ、より集中的かつ大規模に行われるようになった。
1941年12月11日
ドイツのアメリカへの宣戦布告。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅲ
1933年1月14日、参謀総長閑院宮が満州への部隊増派の裁可を求めたとき、天皇は熱河省の件について注意を与えた。牧野によると(木戸の記録からも確認できる)、天皇は閑院宮に「満州に付ては此れまで都合好く進み来りたり、誠に幸なり、今後功一箕(いっき)〔簣〕を欠く様の事ありては遺憾なれば、熱河方面に付ては特に慎重に処置すべし」と語っていた。言い換えるならば、天皇は閑院宮に行き過ぎた作戦を戒めたのである。天皇は領土の拡大そのものを懸念したのではなく、失敗を、そして失敗の責任がどこに帰結するのかを恐れたのだった。
数週間後、天皇は、第2師同長の多門二郎中将と事変の緒戦に参加した朝鮮軍混成第38旅団の司令官依田四朗将軍をわざわざ褒章したのである。将軍たちはちょうど、広島県宇品港に着いたところだったが、天皇は、嘉賞(かしょう)の言葉を伝えるために侍従武官を遣わした。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年1月14日月曜日
細菌戦の系譜!!
ブログ王ランキングに参加中!
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●戦争の加害パネル展(横浜)
●防衛費の異常な増加に抗議!!
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●第11回『化学学校記事』情報公開裁判
●731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
辺野古移設、示せぬ民意3割 4市が拒否 沖縄県民投票、告示まで1カ月
加計問題で安倍首相を守った柳瀬氏 東芝関連会社に天下り
イラク日報が体育会系ノリで書かれたワケ
五輪招致疑惑 ゴーン事件3カ月前から竹田氏聴取調整
JOC竹田会長「訴追」が招く東京五輪の危機
こんなものは不必要!!
政府、「電子攻撃機」開発へ…レーダーを無力化
毎月勤労統計 不適切調査、12日も電話相談相次ぐ
世襲制反対!!
京都市民が「長男の京大進学」を喜ばない事情
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
郷愁に泣く
深夜作業が続くようになると、隊員たちの顔がだんだんとげとげしくなり、勤務のつらさに、やり場のない悲しみがつのるのだった。私も寝不足のため、目が力なくちらちらし、後頭部がいつも重くてならなかった。
しかし、培養作業中は一瞬たりとも、気を許してはいられないのである。うっかりして試験管を取り落としたり、移植するときにもし手もとが狂ったりしては大変な事になる。知らぬ間に菌を指先や肌につけ、指をなめるとか、その部分を無意識に引っ掻きでもしようものなら、たちまち感染して、命取りになるのは必定なのだ。そして細菌は附着しても肉眼では見えないから、後からでは気のつきようがない。したがって、いつも神経を張り詰めて、いなければならないわけだ。少しでも不安が残るような時は、入浴や消毒を念入りにし、万全を期すのであるが、しまいには、すっかり神経が疲れてしまって、いつも菌が附着しているような心もとない気分になるのだった。そうなると、自分の身体がいつも石灰酸のにおいがしていないと安心できない。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
秘密にされた毒ガス製造
アメリカ軍隊の資料の中に、日本の軍隊が毒ガス兵器を関東軍に配備した部分の記載があり、この記載から、関東軍に配備した毒ガス兵器の数量はとても多いことが分かる(表12参照)。関東軍は中国の東北地区で毒ガス兵器の試験は行ったが、戦争中にはあまり使用しなかったから、大量の毒ガス兵器が東北に遺棄された。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■医学界全体が戦争に加担した
―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか
1938年の日本の全医師数は6万3000人弱でしたが、軍医の損耗度が高いとして、1942年度までの軍医需要を3万人とし、さらに1943年度以降の大需要を5万人との見積もりで、1939年度から大学医学部・医科大学における3年の修業年限の臨時付属医学専門部の強行設立が始まりました。敗戦時までに新設医専は帝大、官立、公立、私立あわせて51校に達しました。そのうち「外地」は7校でした。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1938年9月30日
すべてのユダヤ人の医師はそのライセンスを失う。
1938年11月9日
「水晶の夜」パリでナチスの外交官が襲われたことを口実に、この日ナチスは一斉にドイツのユダヤ人に対するポグロムをおこなった。7500の商店が破壊され、171のユダヤ教教会が放火され、91人のユダヤ人が殺され、2600人が強制収容所へ送られた。残るユダヤ人には10億ライヒスマルクの懲罰金が科せられた。またユダヤ人に対するありとあらゆる差別と迫害がおこなわれるようになった。
1939年8月18日
内務省令により、すべての医師と産婆は障害者、障害新生児を届け出ることを義務づけられた。身体障害児「安楽死」計画の始まり。
1939年9月1日
ドイツ軍ポーランドへ侵入(第2次世界大戦の始まり)。「安楽死」のためのヒトラーへの権能付与。「安楽死」はこの日に始まっている。
1939年10月
全国の精神病院へアンケートのカードが配布される。このカードによってどの患者に「安楽死」が与えられるが決められた。
1940年1月
いくつかの病院で精神病患者が毒ガスで殺害された。かなりの数の患者が占領下のポーランドへ移送された。41年8月には約7万人の人々が殺戮されている。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅲ
このころ、関東軍は熱河省攻撃の結果、北京―天津間の地域への軍事行動を展開する兆候を示していたが、これほど、昭和天皇にとって心配なことはなかった。攻勢に先だって、東京の陸軍上層部は多くの関東軍幹部将校を更迭し、満州の官僚機構を統合することで統制を回復しようと努めた。武藤信義(のぶよし)大将が関東軍司令官、駐満州国特命全権大使、関東長官の三官に任命された。これらの職分は公的には3つの機関に分かれていたものだった。同時に関東軍が増強された。
1932年11月、天皇は関東軍が熱河省(阿片という重要な財源があった)を満州国の一部と見なし、春には侵攻を開始する計画であることを知った。しかし、12月23日には関東軍の先遣隊はすでに、万里の長城の東端にある山海関に達していたが、そこは熱河省への入り口だった。そこで張学良の軍隊との間に小規模な衝突があった。1週間後の1933年1月1日、より大規模な衝突が起き、日本は町全体を占領した。天皇は、この侵攻が国際連盟との関係を複雑にしかねないと懸念し、(奈良を通じて)事変の拡大を認めないよう陸軍に警告しようとした。1週間後、天皇はこの問題に対処させようと牧野に御前会議の召集を提案した。しかし、側近の意見は分かれ、結局、御前会議は召集されなかったのである。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●戦争の加害パネル展(横浜)
●防衛費の異常な増加に抗議!!
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●第11回『化学学校記事』情報公開裁判
●731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
辺野古移設、示せぬ民意3割 4市が拒否 沖縄県民投票、告示まで1カ月
加計問題で安倍首相を守った柳瀬氏 東芝関連会社に天下り
イラク日報が体育会系ノリで書かれたワケ
五輪招致疑惑 ゴーン事件3カ月前から竹田氏聴取調整
JOC竹田会長「訴追」が招く東京五輪の危機
こんなものは不必要!!
政府、「電子攻撃機」開発へ…レーダーを無力化
毎月勤労統計 不適切調査、12日も電話相談相次ぐ
世襲制反対!!
京都市民が「長男の京大進学」を喜ばない事情
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
郷愁に泣く
深夜作業が続くようになると、隊員たちの顔がだんだんとげとげしくなり、勤務のつらさに、やり場のない悲しみがつのるのだった。私も寝不足のため、目が力なくちらちらし、後頭部がいつも重くてならなかった。
しかし、培養作業中は一瞬たりとも、気を許してはいられないのである。うっかりして試験管を取り落としたり、移植するときにもし手もとが狂ったりしては大変な事になる。知らぬ間に菌を指先や肌につけ、指をなめるとか、その部分を無意識に引っ掻きでもしようものなら、たちまち感染して、命取りになるのは必定なのだ。そして細菌は附着しても肉眼では見えないから、後からでは気のつきようがない。したがって、いつも神経を張り詰めて、いなければならないわけだ。少しでも不安が残るような時は、入浴や消毒を念入りにし、万全を期すのであるが、しまいには、すっかり神経が疲れてしまって、いつも菌が附着しているような心もとない気分になるのだった。そうなると、自分の身体がいつも石灰酸のにおいがしていないと安心できない。
・陸軍軍医少佐 平澤正欣の学位授与授与の内容
(731資料センター会報28号より:西山勝夫「731部隊問題、克服への道」より)
1945年6月6日に京都大学医学部教授会で審査後纏められた平澤正欣論文要旨(国立公文書館学位授与記録より翻刻、京都大学公文書館の内容と同一)は以下の通り
京都大学は何を学位授与に値すると認定したか。【先人の見解と異なり「イヌノミ」もまた人類に対する「ペスト」媒介蚤なる新事実を発見せり】、人と獣(イヌ)、両方同じ媒体、「イヌノミ」により「ペスト」に感染すること、「ペスト」の人獣感染を新事実として評価しました。ネズミ、モルモットやサルで実験をやっていて、どうして人に感染したと言えるのでしょうか。
審査員の戸田元医学部長、木村医学部長は731部隊に教え子を送った人達です。彼らは、自らも陸軍軍医学校の嘱託研究員などを務め、戦後に戸田は金沢大学の学長、木村は名古屋市立大学学長になったことで知られています。
これらの論文を2014年から15年に検討し、15年3月の戦医研例会で紹介し、問題を、以下の4点にまとめました。
・実験対象がヒトであるにもかかわらず、「さる」と偽った
・当該対象者を治療することを目的とした実験ではなかった
・当該対象者の発症後も治療せずに死亡に至るまで経過を観察した
・死亡後の学位授与認可
・・・・・
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
秘密にされた毒ガス製造
アメリカ軍隊の資料の中に、日本の軍隊が毒ガス兵器を関東軍に配備した部分の記載があり、この記載から、関東軍に配備した毒ガス兵器の数量はとても多いことが分かる(表12参照)。関東軍は中国の東北地区で毒ガス兵器の試験は行ったが、戦争中にはあまり使用しなかったから、大量の毒ガス兵器が東北に遺棄された。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■医学界全体が戦争に加担した
―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか
1938年の日本の全医師数は6万3000人弱でしたが、軍医の損耗度が高いとして、1942年度までの軍医需要を3万人とし、さらに1943年度以降の大需要を5万人との見積もりで、1939年度から大学医学部・医科大学における3年の修業年限の臨時付属医学専門部の強行設立が始まりました。敗戦時までに新設医専は帝大、官立、公立、私立あわせて51校に達しました。そのうち「外地」は7校でした。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
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林 功三訳
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1938年9月30日
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1938年11月9日
「水晶の夜」パリでナチスの外交官が襲われたことを口実に、この日ナチスは一斉にドイツのユダヤ人に対するポグロムをおこなった。7500の商店が破壊され、171のユダヤ教教会が放火され、91人のユダヤ人が殺され、2600人が強制収容所へ送られた。残るユダヤ人には10億ライヒスマルクの懲罰金が科せられた。またユダヤ人に対するありとあらゆる差別と迫害がおこなわれるようになった。
1939年8月18日
内務省令により、すべての医師と産婆は障害者、障害新生児を届け出ることを義務づけられた。身体障害児「安楽死」計画の始まり。
1939年9月1日
ドイツ軍ポーランドへ侵入(第2次世界大戦の始まり)。「安楽死」のためのヒトラーへの権能付与。「安楽死」はこの日に始まっている。
1939年10月
全国の精神病院へアンケートのカードが配布される。このカードによってどの患者に「安楽死」が与えられるが決められた。
1940年1月
いくつかの病院で精神病患者が毒ガスで殺害された。かなりの数の患者が占領下のポーランドへ移送された。41年8月には約7万人の人々が殺戮されている。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅲ
このころ、関東軍は熱河省攻撃の結果、北京―天津間の地域への軍事行動を展開する兆候を示していたが、これほど、昭和天皇にとって心配なことはなかった。攻勢に先だって、東京の陸軍上層部は多くの関東軍幹部将校を更迭し、満州の官僚機構を統合することで統制を回復しようと努めた。武藤信義(のぶよし)大将が関東軍司令官、駐満州国特命全権大使、関東長官の三官に任命された。これらの職分は公的には3つの機関に分かれていたものだった。同時に関東軍が増強された。
1932年11月、天皇は関東軍が熱河省(阿片という重要な財源があった)を満州国の一部と見なし、春には侵攻を開始する計画であることを知った。しかし、12月23日には関東軍の先遣隊はすでに、万里の長城の東端にある山海関に達していたが、そこは熱河省への入り口だった。そこで張学良の軍隊との間に小規模な衝突があった。1週間後の1933年1月1日、より大規模な衝突が起き、日本は町全体を占領した。天皇は、この侵攻が国際連盟との関係を複雑にしかねないと懸念し、(奈良を通じて)事変の拡大を認めないよう陸軍に警告しようとした。1週間後、天皇はこの問題に対処させようと牧野に御前会議の召集を提案した。しかし、側近の意見は分かれ、結局、御前会議は召集されなかったのである。
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●福沢諭吉
●神武と戦争
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2019年1月13日日曜日
細菌戦の系譜!!
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平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
五輪招致疑惑 ゴーン事件3カ月前から竹田氏聴取調整
JOC竹田会長「訴追」が招く東京五輪の危機
こんなものは不必要!!
政府、「電子攻撃機」開発へ…レーダーを無力化
毎月勤労統計 不適切調査、12日も電話相談相次ぐ
世襲制反対!!
京都市民が「長男の京大進学」を喜ばない事情
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
医学のための研究所ならば、予防と治療の方が第一であるべきなのに、ここでは、この危険極まりない菌をせっせと増殖し保存するのである。これと併行して、一度に大量生産できる石井式培養タンクと呼ばれる直径1m半に、たけ2mぐらいの円筒型のものが常時用いられていた。
その頃、すでに、1gで1億人の人間を殺戮できるというペスト菌をはじめ、コレラ菌、チフス菌、ガス壊疽菌などが、25kg保有されてあるといわれた。これは、細菌の世界では、まさに天文学的な数字である。私達が使用している試験管は、口径3cm近い大試験管が大部分だったから、仮に試験管1本分の菌を50mgとして換算すれば、500万本ぐらいあったことになる。
しかも、ペスト菌の場合は、菌力を落とさないために、約1ヶ月ごとに動物の体内を通過させる必要があるというから、その保存だけでも大変な仕事なのである。聞けば、1000人以上の人間が、菌の移植と保存にかかりきりなのだという。
つまり、防疫面よりも、細菌を使用する目的の方に大部分の労力が集中されていたことになる。そして、日がたつにつれてますます大量生産に拍車がかけられ、私達も深夜まで残業する日が多くなった。
第2部で、細菌爆弾を製造しているという話が私達の耳にまで届くようになったのは、その頃である。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
秘密にされた毒ガス製造
曽根兵工廠で実際に填実された毒ガス弾は161万2626発で、焼夷弾・発煙剤を填実した化学砲弾は182万発前後にもなる。敗戦時に日本国内に貯蔵されていたものと、敗戦直後に日本陸軍が廃棄した投下弾を合わせると9万1371発だから、結局毒ガス弾については忠海のみどり弾3万3700発を加えて164万6326発のうち155万5000発が戦線に配備されたことになる。
以上は資料が不十分であることもあって数字は決して精密とはいえない。しかし、これによっても日本軍隊が生産し使用した化学兵器の規模は推し量ることができるだろう。表10、表11は各種の資料の集計である。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■医学界全体が戦争に加担した
―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか
病理学、細菌学、外科、内科等の学会でも、戦争関連の論文発表が増えました。このような機運が高まる中で、「戦時中においては、学会(協会)の総力を動員して、後方戦力の労働力の確保に大いに貢献するところがあった」と言われた日本産業衛生学会(1927年)、ハンセン病患者の絶対隔離を求めた日本癌病学会(1927年)、「生命の根本を、浄化し--国家を繁栄せしむ--」との趣旨を掲げた日本民族衛生学会(1930年)等が設立されました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1935年4月1日
すべての医師が「帝国医師会」に加盟することを義務づけられる。
1935年9月15日
「ニュルンベルグ法」公布。ユダヤ人とアーリア人の間の結婚を禁止。ユダヤ人の市民権を大幅に制限する。
1935年10月18日
「不妊法」の強化。遺伝病患者と「健康者」の間の結婚を禁止。「遺伝病患者」の妊娠6ヶ月までの胎児を中絶させる。
1936年2月5日
内務省令ですべての精神病院に患者の遺伝病理学的データを提出させる。
1936年10月18日
ゲーリング、「4カ年計画」の実行を委任される。生産力増強のため極端な労働強化。
1936年11月
精神病学者のローベルト・リッター、ベルリンの「全国保健局・民族衛生ならびに住民病理・研究所」で選別の仕事を開始。
1937年
春以降フィッシャーやその他の民族衛生学者のレポートに基づきラインラントの混血児に対する不妊・断種手術がおこなわれる。
1937年末
DAFのキャンペーンで、労働者の病気休暇日は、1933年の22.6日に対し、1937年には7日になった。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅱ
内田外相の演説を補って、森格は「我国の外交が自主独立になったことを世界に宣言するが如きものである。・・・・外交的に宣戦を布告した如きものである」との考えを述べた。このようなイオロギッシュな大言壮語と虚勢は、日本の政策が、少なくとも短期的には、国家の安全保障や経済的な安定とは無関係であるという異常な考えを明らかに宙一言するものだった。
1932年9月15日、斎藤内閣は正式に満州国を承認し、日満議定書に署名した。日本は満州国の国防に責任を負うとされ、それが承認されたが、秘密の付属文書では、日本が望むことは何でも満州で行えることが認められていた。
国際連盟のリットン調査団は、紛争に関する調査を行い、満州事変に関する報告書を10月2日の総会に提出した。しかし、総会は日本政府が対応を整えるための時間を配慮して、報告書の審議を遅らせた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●戦争の加害パネル展(横浜)
●防衛費の異常な増加に抗議!!
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●第11回『化学学校記事』情報公開裁判
●731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
五輪招致疑惑 ゴーン事件3カ月前から竹田氏聴取調整
JOC竹田会長「訴追」が招く東京五輪の危機
こんなものは不必要!!
政府、「電子攻撃機」開発へ…レーダーを無力化
毎月勤労統計 不適切調査、12日も電話相談相次ぐ
世襲制反対!!
京都市民が「長男の京大進学」を喜ばない事情
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
医学のための研究所ならば、予防と治療の方が第一であるべきなのに、ここでは、この危険極まりない菌をせっせと増殖し保存するのである。これと併行して、一度に大量生産できる石井式培養タンクと呼ばれる直径1m半に、たけ2mぐらいの円筒型のものが常時用いられていた。
その頃、すでに、1gで1億人の人間を殺戮できるというペスト菌をはじめ、コレラ菌、チフス菌、ガス壊疽菌などが、25kg保有されてあるといわれた。これは、細菌の世界では、まさに天文学的な数字である。私達が使用している試験管は、口径3cm近い大試験管が大部分だったから、仮に試験管1本分の菌を50mgとして換算すれば、500万本ぐらいあったことになる。
しかも、ペスト菌の場合は、菌力を落とさないために、約1ヶ月ごとに動物の体内を通過させる必要があるというから、その保存だけでも大変な仕事なのである。聞けば、1000人以上の人間が、菌の移植と保存にかかりきりなのだという。
つまり、防疫面よりも、細菌を使用する目的の方に大部分の労力が集中されていたことになる。そして、日がたつにつれてますます大量生産に拍車がかけられ、私達も深夜まで残業する日が多くなった。
第2部で、細菌爆弾を製造しているという話が私達の耳にまで届くようになったのは、その頃である。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
秘密にされた毒ガス製造
曽根兵工廠で実際に填実された毒ガス弾は161万2626発で、焼夷弾・発煙剤を填実した化学砲弾は182万発前後にもなる。敗戦時に日本国内に貯蔵されていたものと、敗戦直後に日本陸軍が廃棄した投下弾を合わせると9万1371発だから、結局毒ガス弾については忠海のみどり弾3万3700発を加えて164万6326発のうち155万5000発が戦線に配備されたことになる。
以上は資料が不十分であることもあって数字は決して精密とはいえない。しかし、これによっても日本軍隊が生産し使用した化学兵器の規模は推し量ることができるだろう。表10、表11は各種の資料の集計である。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■医学界全体が戦争に加担した
―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか
病理学、細菌学、外科、内科等の学会でも、戦争関連の論文発表が増えました。このような機運が高まる中で、「戦時中においては、学会(協会)の総力を動員して、後方戦力の労働力の確保に大いに貢献するところがあった」と言われた日本産業衛生学会(1927年)、ハンセン病患者の絶対隔離を求めた日本癌病学会(1927年)、「生命の根本を、浄化し--国家を繁栄せしむ--」との趣旨を掲げた日本民族衛生学会(1930年)等が設立されました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1935年4月1日
すべての医師が「帝国医師会」に加盟することを義務づけられる。
1935年9月15日
「ニュルンベルグ法」公布。ユダヤ人とアーリア人の間の結婚を禁止。ユダヤ人の市民権を大幅に制限する。
1935年10月18日
「不妊法」の強化。遺伝病患者と「健康者」の間の結婚を禁止。「遺伝病患者」の妊娠6ヶ月までの胎児を中絶させる。
1936年2月5日
内務省令ですべての精神病院に患者の遺伝病理学的データを提出させる。
1936年10月18日
ゲーリング、「4カ年計画」の実行を委任される。生産力増強のため極端な労働強化。
1936年11月
精神病学者のローベルト・リッター、ベルリンの「全国保健局・民族衛生ならびに住民病理・研究所」で選別の仕事を開始。
1937年
春以降フィッシャーやその他の民族衛生学者のレポートに基づきラインラントの混血児に対する不妊・断種手術がおこなわれる。
1937年末
DAFのキャンペーンで、労働者の病気休暇日は、1933年の22.6日に対し、1937年には7日になった。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
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Ⅱ
内田外相の演説を補って、森格は「我国の外交が自主独立になったことを世界に宣言するが如きものである。・・・・外交的に宣戦を布告した如きものである」との考えを述べた。このようなイオロギッシュな大言壮語と虚勢は、日本の政策が、少なくとも短期的には、国家の安全保障や経済的な安定とは無関係であるという異常な考えを明らかに宙一言するものだった。
1932年9月15日、斎藤内閣は正式に満州国を承認し、日満議定書に署名した。日本は満州国の国防に責任を負うとされ、それが承認されたが、秘密の付属文書では、日本が望むことは何でも満州で行えることが認められていた。
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憲法9条を生かそう!!
2019年1月12日土曜日
細菌戦の系譜!!
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日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
勤労統計不正 政府統計の信頼失墜
加計問題で安倍首相を守った元秘書官、東芝関連会社に天下り
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世襲制反対!!
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松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
培養方法は、ときたま、ペプトンや鶏卵に植えることもあったが、ほとんど寒天斜面培養であった。
菌の生えている試験官の中に白金耳を入れて、菌を釣り上げ、それを新しい培地の試験官に移植する。斜面培養室の片側は、幾段にも棚になっていて、移植を終えた試験管が斜めに寝かされて無数に並んでいた。私は直ちに自分の作業を理解するというわけにはいかなかったが、教えられるまま、ただ雑菌が混入しないように1回ごとに試験管の口や白金耳を灼き、寒天のかたまりの上にしみ出た凝固水に白金耳を触れないように、また、菌のついた白金耳を灼くとき、急激に火に入れて菌が飛散しないように徐々に焦がしながら火にあて、神経をとがらせて同じ操作を繰り返した。移植が終って綿で栓をするまでは、試験管の口をいつも実験台の上の炎の方に向ける。風と共に空気中の雑菌が入り込むのを防ぐためである。
移植が終わると、菌の名(ペスト菌でない場合もたまにあったから)、移植した日付を書いたレッテルをはり、棚に並べる。それらは1日半か2日ぐらいして順次箱に入れ替え、手押車につんで、本館の保存室へ運ばれるのである。
私ははじめ、選ばれて医学実習に携わるのだというプライドを持っていたが、菌を増殖するだけの機械的な作業を連日繰り返しているうちに、医学の理念とは食い違った危険な仕事だという風に考え、張り合い抜けがした。そして、明るい太陽の下で農耕に従事する同輩たちが羨ましくなるときもあった。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
秘密にされた毒ガス製造
その他、日本軍隊は戦争の間、部分的には民間の化学工場を利用して軍用の化学毒剤をも生産し、そこでは主として「ホスゲン」を生産する。目下の所総生産量については統計が出ているが、そのうちどの位が戦争に使われたかということは、さらに調査をしなければならない。表9の統計数字は「ホスゲン」の全生産量である。
上述の各毒剤が生産工場で生産され、どんどん毒ガス筒、砲弾や爆弾の中に填実されたが、その数字には注目すべきものがある。
統計によれば、大久野島の兵工廠で製造されたもののうちに、填実されたみどり2号毒剤の毒ガス筒は287万9042本で、毒ガス弾は3万3700発であり、あか1号の毒ガス筒は265万7004本、製造しちゃ瓶は20万8000個であった。もし、敗戦時日本国内に残されていた86万6954本の各種の毒ガス筒を除くと、日本の軍隊が戦線に配備していた毒ガス筒の合計は466万9092本となる。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■医学界全体が戦争に加担した
―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか
日本医学会(1902年設立)は、ほぼ4年に1回、全国の大学医学部・医科大学・医学研究機関の医学者が参集する医学会(1948年に、日本医師会の改組設立に伴い、日本医学会と日本医師会は統合。戦後は、「日本医学会総会」として)を開催しています。この医学会も戦争動員の場となりました。第9回(1934年、東大)では「石井式無菌濾過機」や陸軍の衛生車、衛生飛行機などが陳列されるなど、軍部の影響が如実に出始め、第10回(1938年、京大)は、陸軍省医務局からの強い要請を受けて、特別に「戦時体制下医学講演会」のテーマで「軍部と医学会が提携して医学報国の大旆(たいはい)」をかかげて開催され、総会招待講演ではナチス・ドイツ軍の将校が毒ガスの講演を行い、第11回(1942年、東大)の主題は、「戦場医学の確立」と「大東亜医学会」を結成する機運を助成することとされ、「戦場医学」と称された演題が次々と発表されました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1933年4月20日
「非アーリア人」および「国家の敵対者」を登録医師から排除する政令公布。
1933年5月2日
DAF(ドイツ労働戦線)結成される。
1933年7月14日
「遺伝病のこどもの出生を防止する法」制定される。遺伝の癲癇(てんかん)病患、分裂病患者、そううつ病患者、知的障害者、アルコール病患者などに強制的不妊手術を施すことを認める。
1935年3月11日
優生学者フィッシャー、レンツ、ギュンターや内務省の官僚たちがラインラントの占領軍フランス・黒人兵のこどもの非合法不妊手術を計画。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅱ
対外的には独立国家の存在を宣言しながら、それは実際には植民地に対する宗主権の行使だった。8月25日、内田外相は第63帝国議会において、次のように発言した。
私は支那に対する帝国の態度殊に9月18日事件発生以来、我方の執り来りし措置が極めて正当且適法のものなること、満洲国は其の住民の自発的意図に依り成立せるものにして支那に於ける分離運動の結果と見るべきものなること、及斯くの如くにして成立せる新国家に対し帝国にて承認を与ふるは九国条約の規定に何等抵触せざること。
そのうえで、満洲国について「挙国一致、国を焦土にしてもこの主張を徹することに於ては一歩も譲らない」と述べたのだった。
●小泉親彦と昭和天皇
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●福沢諭吉
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●第11回『化学学校記事』情報公開裁判
●731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
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●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
勤労統計不正 政府統計の信頼失墜
加計問題で安倍首相を守った元秘書官、東芝関連会社に天下り
安倍首相のサンゴ移植発言が波紋 政府、打ち消しに懸命
世襲制反対!!
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「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
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真相を解明していないからこうなるのだろう!!
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731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
培養方法は、ときたま、ペプトンや鶏卵に植えることもあったが、ほとんど寒天斜面培養であった。
菌の生えている試験官の中に白金耳を入れて、菌を釣り上げ、それを新しい培地の試験官に移植する。斜面培養室の片側は、幾段にも棚になっていて、移植を終えた試験管が斜めに寝かされて無数に並んでいた。私は直ちに自分の作業を理解するというわけにはいかなかったが、教えられるまま、ただ雑菌が混入しないように1回ごとに試験管の口や白金耳を灼き、寒天のかたまりの上にしみ出た凝固水に白金耳を触れないように、また、菌のついた白金耳を灼くとき、急激に火に入れて菌が飛散しないように徐々に焦がしながら火にあて、神経をとがらせて同じ操作を繰り返した。移植が終って綿で栓をするまでは、試験管の口をいつも実験台の上の炎の方に向ける。風と共に空気中の雑菌が入り込むのを防ぐためである。
移植が終わると、菌の名(ペスト菌でない場合もたまにあったから)、移植した日付を書いたレッテルをはり、棚に並べる。それらは1日半か2日ぐらいして順次箱に入れ替え、手押車につんで、本館の保存室へ運ばれるのである。
私ははじめ、選ばれて医学実習に携わるのだというプライドを持っていたが、菌を増殖するだけの機械的な作業を連日繰り返しているうちに、医学の理念とは食い違った危険な仕事だという風に考え、張り合い抜けがした。そして、明るい太陽の下で農耕に従事する同輩たちが羨ましくなるときもあった。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
秘密にされた毒ガス製造
その他、日本軍隊は戦争の間、部分的には民間の化学工場を利用して軍用の化学毒剤をも生産し、そこでは主として「ホスゲン」を生産する。目下の所総生産量については統計が出ているが、そのうちどの位が戦争に使われたかということは、さらに調査をしなければならない。表9の統計数字は「ホスゲン」の全生産量である。
上述の各毒剤が生産工場で生産され、どんどん毒ガス筒、砲弾や爆弾の中に填実されたが、その数字には注目すべきものがある。
統計によれば、大久野島の兵工廠で製造されたもののうちに、填実されたみどり2号毒剤の毒ガス筒は287万9042本で、毒ガス弾は3万3700発であり、あか1号の毒ガス筒は265万7004本、製造しちゃ瓶は20万8000個であった。もし、敗戦時日本国内に残されていた86万6954本の各種の毒ガス筒を除くと、日本の軍隊が戦線に配備していた毒ガス筒の合計は466万9092本となる。
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■医学界全体が戦争に加担した
―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか
日本医学会(1902年設立)は、ほぼ4年に1回、全国の大学医学部・医科大学・医学研究機関の医学者が参集する医学会(1948年に、日本医師会の改組設立に伴い、日本医学会と日本医師会は統合。戦後は、「日本医学会総会」として)を開催しています。この医学会も戦争動員の場となりました。第9回(1934年、東大)では「石井式無菌濾過機」や陸軍の衛生車、衛生飛行機などが陳列されるなど、軍部の影響が如実に出始め、第10回(1938年、京大)は、陸軍省医務局からの強い要請を受けて、特別に「戦時体制下医学講演会」のテーマで「軍部と医学会が提携して医学報国の大旆(たいはい)」をかかげて開催され、総会招待講演ではナチス・ドイツ軍の将校が毒ガスの講演を行い、第11回(1942年、東大)の主題は、「戦場医学の確立」と「大東亜医学会」を結成する機運を助成することとされ、「戦場医学」と称された演題が次々と発表されました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1933年4月20日
「非アーリア人」および「国家の敵対者」を登録医師から排除する政令公布。
1933年5月2日
DAF(ドイツ労働戦線)結成される。
1933年7月14日
「遺伝病のこどもの出生を防止する法」制定される。遺伝の癲癇(てんかん)病患、分裂病患者、そううつ病患者、知的障害者、アルコール病患者などに強制的不妊手術を施すことを認める。
1935年3月11日
優生学者フィッシャー、レンツ、ギュンターや内務省の官僚たちがラインラントの占領軍フランス・黒人兵のこどもの非合法不妊手術を計画。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅱ
対外的には独立国家の存在を宣言しながら、それは実際には植民地に対する宗主権の行使だった。8月25日、内田外相は第63帝国議会において、次のように発言した。
私は支那に対する帝国の態度殊に9月18日事件発生以来、我方の執り来りし措置が極めて正当且適法のものなること、満洲国は其の住民の自発的意図に依り成立せるものにして支那に於ける分離運動の結果と見るべきものなること、及斯くの如くにして成立せる新国家に対し帝国にて承認を与ふるは九国条約の規定に何等抵触せざること。
そのうえで、満洲国について「挙国一致、国を焦土にしてもこの主張を徹することに於ては一歩も譲らない」と述べたのだった。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
2019年1月11日金曜日
細菌戦の系譜!!
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●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●細菌戦部隊(731部隊と100部隊)パネル展を開催しませんか?
●戦争の加害パネル展(横浜)
●防衛費の異常な増加に抗議!!
●第20回『衛生学校記事』情報公開裁判
●第11回『化学学校記事』情報公開裁判
●731部隊の証言(第26回)(ビデオ学習会)
●731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
●ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
●第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●ニュース
韓国大統領、「日本政府はもっと謙虚な態度取るべき」
文大統領「日本が問題拡散」 元徴用工問題「司法に関与せず」
「親戚は全て離れていきました」――元ハンセン病患者の女性が向き合った差別と時代
保険の過少給付は2千万人、数百億円規模 不適切調査で
安倍首相のサンゴ移植発言が波紋 政府、打ち消しに懸命
首相のサンゴ発言、NHK「自主的な編集判断で放送」
世襲制反対!!
京都市民が「長男の京大進学」を喜ばない事情
「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ
松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示
“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)
真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活
731部隊員・長友浪男軍医少佐の戦中・戦後、甲第1855部隊考、他
国立公文書館で公開された留守名簿を巡る問題
中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30
●お知らせ
京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)
ただ、雑菌が混入しないように、ペスト菌の繁殖しやすい培地に植えて、ペスト菌だけが集落を作ったのを釣り上げればいいのだ。
だが、この分離培養は、私達にはできないと言って、やらされなかった。
そして、私達が一番やらされたのは、分離培養してあるペスト菌を、ひたすら増殖する仕事であった。
感染すれば、およそ治癒する事はおぼつかないという、死亡率100%に近い生菌を扱うのであるから、操作はきわめて慎重を要した。しかし、媒介に大きな役割を果たす蚤やハエなどがいないので、服装はねずみの検査ほど神経を使っていなかった。先任の人たちは、白衣に帽子、ゴム手袋、マスクだけでやっていた。中には、草色の作業服のまま、手袋もかけずに、マスクだけでやっている人もあった。
「たが、君たちは気を許してはいけないぞ。少し慣れると、惰性でやるようになるが、間違いを起こすのは、その頃だからね。教わった通りに、充分注意してやれ」
小枝という雇員が、親切に注意してくれた。この人は、長野県の人で、入隊してから2年半たっている。と自分で紹介した。陰気臭い顔をしている人の多い中にあって、明るい表情を常に身につけているこの人は、苔の中に混じって咲き出た雛菊(デージー)のように明るく目立つ人だった。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
秘密にされた毒ガス製造
この工場の生産能力と実際の生産状況に関しては、吉見義明先生が既にアメリカの国立公文書館で発見された日本軍隊の調査資料がある。先生の計算によれば当工場が1931年から1945年の8月までに生産した各種の毒剤は6616トン。日本が投降した時日本本土に残されていた毒剤は3647トンだから、少なく見積もっても3000トン以上の毒剤は各地の戦場で使われたことになる。
吉見先生がアメリカからの資料を元にしてとった統計によると、日本の海軍が生産した毒剤は合計760トンあり、戦後日本の国内に残されたものは268、4トンであったので、戦場で使われたのは500トンに近いと推測された。(表8参照)
●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①
15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
2、戦争医学犯罪に医学界・大学医学部はどうかかわったのか
■医学界全体が戦争に加担した
―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか
文部省科学研究費(1918年創設)の重要項日として採用された医学分野の題目や新たに大学に附置された医学研究所にも軍事化の傾向がみられました。学術研究会議(1920年設立)には科学研究動員委員会が設置され、多くの戦時研究班を擁していました。1942年には、日本の東南アジアへの侵入と符号して「日本人の南方に於ける生活に関する科学的研究」が総合課題とされ、関連分野の5カ年共同研究計画となっています。昭和恐慌を契機に1932年に設立された「日本学術振興会」も、1937年頃から軍部や商工省の意向に沿つて、次第に国策的研究をすすめる機関(医学・衛生学は第8部門)となりました。
昨年2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1932年
失業者600万
1932年7月
ナチス党国会選挙で37.4%を獲得、第1党となる。
1932年7月2日
プロイセン保健会議、不妊法を議決。
1933年2月27日
国会炎上。
1933年3月22日
ダッハウに最初の強制収容所がつくられる。
1933年3-4月
SAによる、すべての国立病院・保健機関からの社会主義者・ユダヤ人追放。
1933年4月1日
ユダヤ人商店、医師、弁護士へのボイコット運動が組織化される。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く
水俣病問題
●小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去
●小泉親彦と宮川米次の絆
●ヒロシマからフクシマへ
●宮川正
●「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—
●ビキニ「死の灰」世界各地へ
●自衛隊とサリン
●相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場
●日本の国家機密
●兒嶋俊郎さんを偲ぶ
●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅱ
斎藤は直ちに満州国承認の準備に着手した。それは諸条約への違反を必要とし、米国との従来の関係を危険にさらさなければならなかった。いまや日本の政治家、ジャーナリスト、将校、知識人は国際連盟、国際法、西側諸国に強烈な批判を浴びせていた。日中間の紛争に対する連盟の決議は、1895五年の三国干渉に擬せられた。それは明治政府に遼東半島の断念を余儀なくさせたものだった。スティムソンの不承認政策を支持し、日本の行動をケロッグ・ブリアン協定〔不戦条約〕や連盟の規約に反すると裁定した連盟を荒木陸相は、非難した。荒木は同時に、白人西洋国家によるアジア抑圧論を述べ立てた。
●小泉親彦と昭和天皇
●近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~
●近代天皇制の真髄は
●福沢諭吉
●神武と戦争
憲法9条を生かそう!!
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●京大 軍医博士論文の検証
●731部隊『留守名簿』公開
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●731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる
日本は、あの侵略戦争を反省して、憲法9条を作った!!
平和条約締結は「日本が大戦の結果認めること」 露外相
●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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文大統領「日本が問題拡散」 元徴用工問題「司法に関与せず」
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京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)
731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に
「特殊部隊731」
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ただ、雑菌が混入しないように、ペスト菌の繁殖しやすい培地に植えて、ペスト菌だけが集落を作ったのを釣り上げればいいのだ。
だが、この分離培養は、私達にはできないと言って、やらされなかった。
そして、私達が一番やらされたのは、分離培養してあるペスト菌を、ひたすら増殖する仕事であった。
感染すれば、およそ治癒する事はおぼつかないという、死亡率100%に近い生菌を扱うのであるから、操作はきわめて慎重を要した。しかし、媒介に大きな役割を果たす蚤やハエなどがいないので、服装はねずみの検査ほど神経を使っていなかった。先任の人たちは、白衣に帽子、ゴム手袋、マスクだけでやっていた。中には、草色の作業服のまま、手袋もかけずに、マスクだけでやっている人もあった。
「たが、君たちは気を許してはいけないぞ。少し慣れると、惰性でやるようになるが、間違いを起こすのは、その頃だからね。教わった通りに、充分注意してやれ」
小枝という雇員が、親切に注意してくれた。この人は、長野県の人で、入隊してから2年半たっている。と自分で紹介した。陰気臭い顔をしている人の多い中にあって、明るい表情を常に身につけているこの人は、苔の中に混じって咲き出た雛菊(デージー)のように明るく目立つ人だった。
「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」
日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
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第3章 毒ガスと毒ガス兵器の大規模生産
秘密にされた毒ガス製造
この工場の生産能力と実際の生産状況に関しては、吉見義明先生が既にアメリカの国立公文書館で発見された日本軍隊の調査資料がある。先生の計算によれば当工場が1931年から1945年の8月までに生産した各種の毒剤は6616トン。日本が投降した時日本本土に残されていた毒剤は3647トンだから、少なく見積もっても3000トン以上の毒剤は各地の戦場で使われたことになる。
吉見先生がアメリカからの資料を元にしてとった統計によると、日本の海軍が生産した毒剤は合計760トンあり、戦後日本の国内に残されたものは268、4トンであったので、戦場で使われたのは500トンに近いと推測された。(表8参照)
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15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪
西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表
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■医学界全体が戦争に加担した
―個々の大学というより、医学界の戦争加担ということで見なければならないということでしょうか
文部省科学研究費(1918年創設)の重要項日として採用された医学分野の題目や新たに大学に附置された医学研究所にも軍事化の傾向がみられました。学術研究会議(1920年設立)には科学研究動員委員会が設置され、多くの戦時研究班を擁していました。1942年には、日本の東南アジアへの侵入と符号して「日本人の南方に於ける生活に関する科学的研究」が総合課題とされ、関連分野の5カ年共同研究計画となっています。昭和恐慌を契機に1932年に設立された「日本学術振興会」も、1937年頃から軍部や商工省の意向に沿つて、次第に国策的研究をすすめる機関(医学・衛生学は第8部門)となりました。
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―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳
略年表
1932年
失業者600万
1932年7月
ナチス党国会選挙で37.4%を獲得、第1党となる。
1932年7月2日
プロイセン保健会議、不妊法を議決。
1933年2月27日
国会炎上。
1933年3月22日
ダッハウに最初の強制収容所がつくられる。
1933年3-4月
SAによる、すべての国立病院・保健機関からの社会主義者・ユダヤ人追放。
1933年4月1日
ユダヤ人商店、医師、弁護士へのボイコット運動が組織化される。
●イタイイタイ病を究明した男 萩野昇
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●ヒロシマからフクシマへ
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第3部 陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年
第7章 満州事変
Ⅱ
斎藤は直ちに満州国承認の準備に着手した。それは諸条約への違反を必要とし、米国との従来の関係を危険にさらさなければならなかった。いまや日本の政治家、ジャーナリスト、将校、知識人は国際連盟、国際法、西側諸国に強烈な批判を浴びせていた。日中間の紛争に対する連盟の決議は、1895五年の三国干渉に擬せられた。それは明治政府に遼東半島の断念を余儀なくさせたものだった。スティムソンの不承認政策を支持し、日本の行動をケロッグ・ブリアン協定〔不戦条約〕や連盟の規約に反すると裁定した連盟を荒木陸相は、非難した。荒木は同時に、白人西洋国家によるアジア抑圧論を述べ立てた。
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