2018年12月9日日曜日

細菌戦の系譜!!

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「731部隊と100部隊」の現在の課題(八王子)
第10回『化学学校記事』情報公開裁判
帝銀事件と登戸研究所
第19回「衛生学校記事」情報公開裁判
シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか?
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

元731部隊軍医と強制不妊手術

「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ







京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

職種不明の軍属
そう答えると、話は急だった。すぐに父母の同意を求めるために家に帰された。夕方まで確答をもって再び学校に戻って来い、というのである。
兄貴はすでに兵隊にとられていて、長いこと消息が絶えていたのでいたのだったから、両親は私を手放すことを好まないのは当然だった。
父は、
「お前が行くというのなら、しようがないだろうが・・・・・」
と、あきらめたふうだったが、母は引き留めたい口ぶりで、
「どうせ、やがては兵隊になるんだもの、何もあわてて志願しなくても・・・」
といった。
しかし、一度決心してしまった私には、時勢に気兼ねしながらしゃべっている母の言葉などろくろく耳には入らなかった。
「どうせ行くんだから、早く行った方が、それだけ進級が早いじゃないか」
そういって押し通し、私は又すぐ学校に引き返した。先生に、父母の承諾を得たむねを伝えると、先生は私を応接室に連れて行った。
そこには、募集係の軍属が待っていた。
仲野と名乗るその人は、近県の各中学校を回って歩く判任官待遇の雇員で、草色の地に白い星の重なった胸章をつけ、肩には金線が1本入っていた。



「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」


日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第2章 地図から消えた神秘の大久野島

1988年、次代にこの島の歴史を語り継ぎ、平和をアピールするためにこの島に『大久野島資料館』を建て、村上先生はその館長になった。だが、他の職員はおらず、村上先生ただ1人。しかも資料館の参観は無料だから、村上先生の仕事は決して楽ではないし、忙しさは想像にあまりある。しかし、先生は努力して当時の文献資料と実物を集め、毎日自ら各地からの参観者の接待をしている。このような資料館は世界にもここ一か所しかない。今、村上先生の心が休まるのは、資料館ができてから、毎年5~6万人の人が各地から参観に訪れ、現在総数30万人にも達したことだ。訪れた人々は一様に深い感銘を受け、中でも次のことは村上先生を特に感動させた。それは1992年、忠海中学校の生徒が何回も資料館を参観に来て、自分の学校にも毒ガス資料館の模型を作り、学生たちにも知らせ、長く教育に役立てようと決定したことだ。生徒たちは自信をもって協力し合い、11月15日開館こぎつけた。





●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


4、ドイツではどのように向き合ったのか

■二ュルンぺルクにおける訴追
―ところで、医学の戦争への加担ということでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。

ところが、私が2002年に、同書の著者と面談した際には、「世界医師会に西ドイツ医師会が加盟する際に約束した医師会会員へのジュネーブ宣言の配布は実行されずに放置されていた」「日本ではドイツが進んでいるかのように言われるが、遅々たるものだ」「ドイツ医学界の重職には元ナチ党員が多数を占めていた」「1994年には、ドイツ医師会会長歴(西山注:1973~1977年)があり、9年間務めていた世界医師会の財務理事(西山注:2010年7月、逝去)が辞任に追いやられたが、それはナチ親衛隊将校で戦争医学犯罪を犯したことが暴露されたから」「彼を推薦し、サポートし続けたドイツ医師会長が後任(西山注:1999年迄、以降名誉会長で現在に至る)」と聞きました。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■肝炎の実験

ここに名前の記されている11人のユダヤ人の子どもと若者が1943年9月にドーレンの黄疸実験のためにアウシュヴィッツ強制収容所からザクセンハウゼン強制収容所へ移送された。1944年に、ユダヤ人の少年たちが収容されていた第2病舎のブロック古参として、毎日彼らの面倒を見る仕事をしており、日誌をつけていたブルーノ・マイヤーは、検事の報告書によれば、ザクセンハウゼンのドーレンの実験―その中には肝臓穿刺が含まれているーについて次のように供述している。

「ドーレン博士は医療器具カバンから1本の斜めに歯のついたゾンデを取り出してザウル・ホルンフェルトの背後に近づき、指で彼の背後を探りました。そしてゾンデを当て、子どもの背中の筋肉を通して深く身体の中まで突き刺しました。ザウル・ホルンフェルトは痛みのあまり、自分の小さな拳を噛みました。急いでわたしは彼の前へ歩み寄り、声を押し殺して、しっかりしろといいました。涙で見えない目で彼はわたしを見ました。すると再び医者がゾンデを突き刺しました。わたしは不安と疑いの目でオフデダール博士を見詰めました。『肝臓穿刺だ』と彼は小声でわたしに言いました。その後、わたしは、ドーレン博士がゾンデから長い針を抜き、ゾンデの開口部に急いで試験管をあてがうのを見ました。黒っぽい血が試験管の中へ滴り落ちました。小さな組織も―たぶん肝臓の一部だったのでしょう―少しその中に混じっていました。
外のバラックの通路でわたしは、ちょうど立ち去ろうとしているドーレン博士に会いました。わたしは彼の足を留め、彼の良心に訴えようとしました。わたしは言いました。わたしは召集されており、前線へ行かなければならない。ただ子どもたちと別れるのはつらい。どうか、彼らのここの恐ろしい生活を少し楽にやってはくれまいか、と。彼は何も返事をしませんでした。」



イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ

●ニュース
「黙っていても受験生が集まる」医学部の問題性 3私大で不正入試


医学部不正、3大学で同時会見…福大副学長「びっくり」

真珠湾攻撃に参加した隊員たちがこっそり明かした「本音」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活

●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変
30歳の天皇にとっていまや若槻内閣を支え、軍部を押さえ込み、そして事態の悪化を阻止する格好の機会だった。政治面では軍部はまだ弱く、満州をめぐり国論は二分されていたのである。天皇が専制君主ではなく、憲法にのっとったイギリス型の 「立憲君主」として統治することを望むのであればこれは良い機会であった。
9月22日、奈良侍従武官長の日記は、この重大な局面での天皇の行動をこう記している。

午后陛下の御召しに依り拝謁せしに、陛下は行動を拡大せざる様総長に注意したるやと御下間ありしを以て、注意も致したり、又注意を待たず総長は能く閣議の主旨も御意図も承知し夫々処置へを執り居れり、但し出先きの軍隊は騎虎の勢もあり脱線少からず、誠に遺憾且恐懼に堪へずと奉答し置きたり。・・・(その後)午后4時20分金谷参謀総長拝謁、朝鮮軍より混成旅団派遣の追認御允許を内奏し、陛下より此度は致方なきも将来充分注意せよとの御諚を拝す。
関東軍の前進部隊は中国軍に数で圧倒されているため増派が必要であると考え、天皇は事態を既成事実として容認した。天皇は臣下の軍隊が帝国の版図を拡大しようとすることに格別に反対しなかったのである。たとえ、統帥権干犯の事実があろうと、作戦の首尾が良ければ、よしとしたのだった。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争


●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!



2018年12月8日土曜日

細菌戦の系譜!!

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「731部隊と100部隊」の現在の課題(八王子)
第10回『化学学校記事』情報公開裁判
帝銀事件と登戸研究所
第19回「衛生学校記事」情報公開裁判
シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか?
731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

元731部隊軍医と強制不妊手術

「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ







京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に



「特殊部隊731」
秋山 浩著 (三一書房 1956年6月30日 発行)

職種不明の軍属
学徒動員に応じて私が渡満することになったのは、昭和20年の3月下旬であった。その頃の戦況は、日本がすでに、マニラ、硫黄島を失い、米軍が沖縄に進攻しつつあったのだが、中学4年の少年にすぎなかった私は、当時の一般的風潮をそのままに、日本の最後の勝利を信じていた。数人の学友は、少年飛行兵や特別幹部候補生を志願して学舎を去っていったあとでもあり、私もいずれは軍人となって祖国を大事に殉ずる心組みであった。
そんなある日、私は担任教師の呼び出しを受け、少年兵に準ずるものとして関東軍に入隊する気持ちはないか、と尋ねられた。




「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」


日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第2章 地図から消えた神秘の大久野島

村上初太郎先生は1925年生まれ。15歳で訓練所に入り、以後は毒ガス工場で仕事をしていた。1945年の敗戦時、彼は20歳だった。彼の記憶では、天皇が無条件降伏を宣言した次の日、工場長は彼らに島の北西部の長浦で、青酸ガスの工室を破壊するようにと命じた。その当時この作業場は最も先進的な技術を採用しており、島でも最高機密に属していた。作業員があまり行きたがらないので、工場長は作業員に倍の賃金を支払うといい、そして、「アメリカ占領軍は毒ガス生産問題の調査にやって来て、恐らく私たちを捕まえるだろう。そして責任を追及するだろう」といった。作業員たちはこれを聞くと怖くなり、自分が毒ガス製造に参加したという証明になるものを全部焼き捨てた。今、この事を考えると、とても残念に思うと村上先生は言われた。



日本鬼子のおきみやげ


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


4、ドイツではどのように向き合ったのか

■二ュルンぺルクにおける訴追
―ところで、医学の戦争への加担ということでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。

1947年米国主導で、ニュルンべルク国際軍事裁判における医師たちの訴追は「共同謀議」「戦争犯罪」「人道に反する罪」「犯罪組織への所属」の4点にわたって行われました。被告弁護側の抗弁・反論は、検察側のヒポクラテスの誓いなどを典拠にして断罪され、許容できる人体実験の条件が判決で示されました。これが「ニュルンべルク綱領」です。「ニュルンべルク綱領」は、前述のジュネーブ宣言や1949年10月にロンドンで開催された世界医師会第3回総会(1949年10月)で採択された国際医倫理綱領(2006年までに3回改訂、「医師の一般的な義務」の4項目には「医師は、患者や同僚医師を誠実に扱い、人格や能力に欠陥があったり、欺まん、またはごまかしをするような医師の摘発に努めるべきである」という規定がある)、1964年6月フィンランド、ヘルシンキで開催された第18回世界医師会総会で採択され、以後、人体実験に関する倫理規定の基本をなすヘルシンキ宣言(2013年までに9回改訂)の基礎となりました。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■肝炎の実験

ここに名前の記されている11人のユダヤ人の子どもと若者が1943年9月にドーレンの黄疸実験のためにアウシュヴィッツ強制収容所からザクセンハウゼン強制収容所へ移送された。1944年に、ユダヤ人の少年たちが収容されていた第2病舎のブロック古参として、毎日彼らの面倒を見る仕事をしており、日誌をつけていたブルーノ・マイヤーは、検事の報告書によれば、ザクセンハウゼンのドーレンの実験―その中には肝臓穿刺が含まれているーについて次のように供述している。



イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ

●ニュース
真珠湾77年、ハワイで追悼式典

岩手医大など入試「不適切」=文科省が指摘

「外国人材拡大」法、8日未明にも成立へ

東京医科大、女子5人を再び不合格に 「定員に達した」

新天皇即位の「祝日」全国民に求めず 政府が答弁書

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活

●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変
30歳の天皇にとっていまや若槻内閣を支え、軍部を押さえ込み、そして事態の悪化を阻止する格好の機会だった。政治面では軍部はまだ弱く、満州をめぐり国論は二分されていたのである。天皇が専制君主ではなく、憲法にのっとったイギリス型の 「立憲君主」として統治することを望むのであればこれは良い機会であった。
9月22日、奈良侍従武官長の日記は、この重大な局面での天皇の行動をこう記している。


小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争


●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

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2018年12月7日金曜日

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第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

元731部隊軍医と強制不妊手術

「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ







京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし

『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶

第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退
2、石井部隊長の動向
石井による撤収案は、①731の秘密保持こそが最大の問題である、②そのために、ソ連軍の進撃途上にある海拉爾、林口、孫呉、牡丹江各支部の731隊員には既に派遣している西中佐(教育部長)らを通じ証拠隠滅と全員自決を命じている、③これにならい、東郷村官舎に入居している隊員家族にも全員自決を命じたい、④現在収容中のマルタは一人残らず殺害するとともにロ号棟建物は「完全」に破壊し、部隊施設は工兵隊の手により爆破する、⑤しかるのち少年隊を集め、本隊は完全な統率のもとに南下し、通化に至る―というものである。もっとも、これらの案がすべて朝枝の「厳命」に含まれてたとは考えにくい。
菊池は隊員及び家族の自決強要に激しく反発し、大激論となった。菊池は「731には有能な研究者が多く、いたずらに自決を押し付けるよりも、支部の救出方策を練ることが先決である」と主張、「隊員の家族は部隊長が率先して内地へ生還させる努力を払うべきである」と激怒したという。最後は石井が折れた。

満蒙開拓団



「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」


日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第2章 地図から消えた神秘の大久野島

彼女はその画集の前言の中で、「この画集は、私達戦争世代の体験による資料である。私はこれを次の世代に永久に残したい。私はこの画集を通して日本の侵略を受けた国々の人民に謝罪したい。特に、かの風船爆弾によって被害を受けた人々に謝罪の意味を込めてこの画集を彼(彼女)らに贈る」と、記している。



日本鬼子のおきみやげ


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表


4、ドイツではどのように向き合ったのか

■二ュルンぺルクにおける訴追
―ところで、医学の戦争への加担ということでは、世界で、とりわけドイツではどのように向き合ったのでしょうか。

ナチス・ドイツ政権下における医学者・医師の非人道人体実験には、超高度(標高20000mに相当する低気圧)、低体温、マラリア、毒ガス、サルファ剤等の薬品、骨・筋肉・神経の再生および骨移植、海水飲用、流行性黄だん(肝炎)、断種、発疹チフスなど、毒物、焼夷弾治療、障害者の「安楽死」、仮病対策、電気ショック、子宮癌の早期診断法、双子の利用、肝臓移植、血液確定、敗血病などに関する実験がありました。これらがドイツでは裁かれました。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■肝炎の実験

クゥルト・グートツァイト(1893-1957)は1934年からブレスラウ大学内科医学の正教授で、1939年にベルリンの軍事医学アカデミーに「軍衛生局総監督部内科顧問医科」をつくった。1934年からはSSのメンバーで、最後の位はSS大尉だった。1937年5月1日、彼はナチス党員になっている。戦後。彼はバイロイトのヘルツォークヘーエ・サナトリウムの所長となり、1954年、ハインリヒ・タイトゲとの共著で教科書『胃カメラ撮影』第2版を出版している。

知ってるつもり「731部隊と医学者たち」



イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ

●ニュース
脱安保!!
「自分の漁場に落ちるとは」米機墜落、漁業関係者も不安

【水道法】民営化、欧米でも失敗続きー安倍政権が水道事業を売り飛ばす暴挙、海外企業とも癒着

被爆者サーローさん、安倍首相と面会できず=「違う意見の人とも語って」

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活

●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変
実際、原田の私邸で合意されたことは、天皇は軍部の行動を肯定すべきだということ、そして西園寺と宮中官吏は統帥権干犯の追及をすべきではなく、また軍部を刺激するようなことはいっさいすべきではない、というものだった。宮廷グループはこのような態度を取ることで、満州事変の全過程にわたり軍部に毅然とした立場を取ることはけっしてなかったのである。
9月21日、若槻は6時間に及ぶ閣議で次のことを決定した。内地、朝鮮のいずれからも増派を認めない、満州の戦闘を「事変」と見なすことで宣戦布告を避ける。他方、関東軍は鴨緑江を越え満州に増援部隊を送ることを林朝鮮軍司令官に許可するよう、参謀本部に3日間にわたり圧力をかけ続けた。9月21日午後1時、閣議のさなか、林は独断で部隊に越境を命じた。その直後、金谷〔範三〕参謀総長は、警戒態勢で待機との命令にもいかわらず、現地司令官の独断専行により朝鮮軍の混成旅団が「既に越境、奉天に進出せる旨」を天皇に上奏した。もちろん、この場合、金谷は作戦行動の裁量について林の独断専行を正当化できる原則などないことをよくわかっていた。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争


●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!



2018年12月6日木曜日

細菌戦の系譜!!

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帝銀事件と登戸研究所
第19回「衛生学校記事」情報公開裁判
シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか?
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731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

元731部隊軍医と強制不妊手術

「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ





●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」
●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし

『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶

第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退
2、石井部隊長の動向
≪関東軍司令部から石井部隊長宛に「命令受領に出頭せよ」の連絡が入った。
だが、この時点で石井部隊長は不在であり、行き先は極秘で誰も知らない。部隊幹部は急遽、N副官を航空機で新京に派遣した。(中略)既に山田乙三関東軍司令官以下各参謀は各地に飛び(中略)石井部隊長に代わって、出頭したN副官に「ソ連軍の進撃速度は大、関東軍各部隊とも南下し転戦を開始している。731においても独断進行してよし」≫(森村、276頁)

石井隊長にかわって受けたN副官に対する司令官からの命令は、関東軍司令官による全施設の破壊であった。文中にある≪転戦とは、逃亡退却≫(森村、277頁)のことである。森村によれば、N副官が平房の731部隊に引き返したのは≪8月10日正午≫との記述もある。繰り返すがこの時刻は、新京の飛行場で石井が大本営参謀(作戦課)朝枝中佐と向き合っていたころである。N副官が平房に戻ったのが正午で、以後、施設内は大混乱の極みとなっていく。

満蒙開拓団



「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」


日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第2章 地図から消えた神秘の大久野島

彼女は風船爆弾製造のグループに入ったが、ずっと不安を感じていたという。日本で作った風船爆弾が285個もアメリカの領土で爆発したと聞いており、オレゴン州では子どもたちが爆死したと聞いたからだ。何の自覚のないままにそれらの殺人行為を行った事を思うと、彼女はいつも心が疼いた。戦後、岡田さんは京都芸大を卒業してから、中学校で美術を教えた。1985年、彼女は病気で退職したが、いつも思い出すのは少女期の体験であった。彼女は多方面から資料を探したが、多くは既に失われたり、焼却されたりしていた。自分は絵が描けるのに、どうして自分の絵筆で当時の情景を描かないのかと自分に問いかけ、彼女は当時の記憶を頼りに、一枚一枚と描いて行った。1981年、遂に画集を描き上げると、自費で出版した。この画集には31枚の絵が収められており、当時の大久野島の様子を生々しく再現し、他に類を見ない貴重な資料になっている。



日本鬼子のおきみやげ


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証
―731部隊に属していた医師・医学者自身の特徴的な証言はあるのでしょうか。

敗戦直後から医学界・医療界の民主化に奔走した秋元寿恵夫医師は「これまで、40年近くになる長い間、第731部隊が犯した戦争犯罪については、問われれば答えるが、 あえて自分から何もいうまいという態度を取り続けてきた」としながら、1982年に自著『医の倫理を問う第731部隊の経験から』において、「血清学者として石井部隊に勤務した者が、今なお深い罪の意識を背負いながら、戦争と癒着した医学研究の恐ろしさを告発し、医の倫理とは何かを問う」ています。
湯浅謙医師による、中国太原の陸軍病院で行った生体解剖の証言は、極悪非道な医師の行為が731部隊だけではなかったことを明らかにしました。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■肝炎の実験
腹を立てたグートツァイトは、彼を「彼を動物実験の惰眠」から呼び覚まそうとして、「動物から人間までの1歩がそんなに困難だというのはおかしなことだ」と言っている。結局ドーレンは幾人かのユダヤ人の子どもを感染させ、その1人には肝臓穿刺を実行した。だが今度も黄疸を起こすことができず、グートツァイトは彼に、肝炎の臨床結果を明らかにするためさらに「大量の」感染実験を要求した。この実験予定を挫折させたのは、医師の抵抗ではなく連合軍の勝利だった。
ニュルンベルグ裁判で、グートツァイトは自身の責任を否認し、終戦直前に自殺したグラーヴィッツこそドーレンに圧力をかけたのであり、ザクセンハウゼンの自分の実験はグラーヴィッツをなだめるための見せかけだった、と言っている。

知ってるつもり「731部隊と医学者たち」



イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ

●ニュース
脱安保!!
米軍機2機が室戸沖に墜落 救助された1名の容態は安定 岩屋防衛大臣
米海兵隊2機が日本近海で事故、7人行方不明=米当局者

今治市民らが詐欺容疑で告発状

室井佑月「昭恵さん、これでいいの?」


「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活

●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変
その晩、宮中グループは原田の私邸に集まった。出席者は木戸(『木戸日記』は利用価値の高い資料である)、近衛、貴族院議員岡部長景に、華族がもうひとりいた。そろって40代の彼らは西園寺や牧野には批判的で、満州問題を武力で解決しようとする軍部に同調するところがあった。彼らは、上級司令部の命令がまったく遵守されていない状態にあること、そして事態の悪化を防止し、これ以上国際世論を損なわないようにするとの当初の内閣の要望に天皇が同意していることを確認した。木戸によると、問題は2つあった。軍部は、天皇の意思表示に影響を与える宮中の側近と、彼らが敵視していた西園寺に怒りの鉾先を向けていた。それゆえ、「今後は不得止(やむをえざる)場合の外は御諚等はなき方よろしかるべく」、そして「状況に変化なき限り」西園寺が東京に来るのを思い留まらせるべきであるというのだ。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争


●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!



●第10回『化学学校記事』情報公開裁判 


●第10回『化学学校記事』情報公開裁判 12月5日(水)13:30~東京地裁522号法廷
原告側は、『化学学校記事』第16号が、昭和45(1970)年に発行されてるのに、防衛省側は、『化学学校史』には、昭和42年まで『化学学校記事』の記載があり、その後の記載が無いので、無いと主張する。
原告側は、16号の提出も考えているが、防衛省の回答は?
原告側は、防衛省図書館の図書原簿の公開も求めている。

次回は2019年2月13日(水)11:30~東京地裁522号法廷

●第9回『化学学校記事』情報公開裁判 9月26日 16:00~東京地裁522号法廷
防衛省側は、化学学校2人、衛生学校1人の陳述書をだして、隅から隅まで(トイレの中まで)調べたが『化学学校記事』『衛生学校記事』『衛生戦史資料の体系化』は無かったと主張する。図書原簿や図書カードには、廃棄した記載はないのだろうか?
市民は化学学校に行って、調べることはできないという。
図書原簿は、化学学校では見せられないが、外部に出して見せることはできるという。なぜ、化学学校内で見せられないのか理由がよくわからない。
化学学校の図書原簿を、どこで、どのように見せるのだろうか?

防衛省は、もう陳述書を出したのだから、次回の裁判で終わりにしたいとも言ってきた。

防衛予算が膨らむ中、今の防衛省のこの秘密主義は、驚くばかりである。


CBRのCは化学兵器(毒ガス)、Bは【生物兵器(細菌兵器など)】、Rは【放射能兵器(核兵器)】だ。最近はCBRN(シーバーン)とも言っている。

このような大事な機関誌の廃刊の時期も防衛省は分からず、全巻の存在も分からないとは、防衛省の図書管理能力はどうなっているのだろうか?

編者である「化学学校記事編集委員会」や発行所である「陸上自衛隊大宮修親会化学学校分会」には1冊もないのだろうか??

次回裁判 第10回『化学学校記事』情報公開裁判 12月5日(水)13:30~ 東京地裁522号法廷

「化学学校記事」裁判 資料

7月4日の裁判では、前回に裁判官が変わったので、原告が、改めて意見陳述をした。
この裁判を何故始めたのか、経過を縷々説明した。最初は、防衛省との意見交換会の中で、いろいろ731部隊の情報を出すように求めていたがそれが叶わす、次は情報公開で請求したが、大分時間が経ってから、不開示になったことなど。なぜこんなにも時間をかけて不開示にするのか?
又、最近の防衛省の日報問題を取り上げて、本来あるべきはずの日報が、国民に知られてはまずい事実があったので、ずっと隠していたことなどを例に出して、『化学学校記事』も本来、化学学校にあるべきものなのに、国民に知られてはまずい情報があるので隠しているのではないかと追及した。

『化学学校記事』には、杉田論文が載っていて、その中に、戦中の731部隊の細菌戦の記述もある!!
その中には、1940年重慶細菌戦との記述もある!!
1940年と言えば、101号作戦で、重慶を5月~9月まで無差別に絨毯(じゅうたん)爆撃していた時期だ!!

藩洵著『重慶大爆撃の研究』の細菌戦の記述には、年が異なるが以下の記述がある。(142頁)
日本軍大陸指第345号で「中国軍に対して特殊弾(毒ガス弾)を使用してよい」と、規定しているが、実際に民間居住地域に対して細菌弾を投下した。1943年8月8日、日機9機が梁山県に侵入、爆弾20発の他、細菌弾4発を投下した。翌年の春と夏にかけて、梁山東門大砲台より西門霊土地までの細菌弾が投下された地域で多くの人に、高熱、吐き気、目まい、動悸などの症状が現れ、中には体に赤斑ができ、鼻血を出しながら死んでいった者もおり、石安、福禄、城東等の郷での死者は123人に達した。


国側は、目下当時編集した人などを中心に聞き取りを行っているが、まだその報告は出来ないという。

モリカケ問題でも、記録文書の存否が問題になっているが、防衛省でも、化学学校で作った『化学学校記事』の記録をきちんと把握していないという。
何でこうなるのだろうか?
防衛省の日報問題で、明らかになった防衛省の隠蔽体質。省が大きくなるにつけ、軍備を増強している現在、化学兵器も重要な武器であろう。
戦力は持たないと9条で謳っているが、余りの現実との乖離が生じているのではないか?
化学兵器、核兵器、生物兵器の開発を、自衛隊は戦後も、戦争中の反省も全くないまま、エスカレートさせている。

防衛省は、『化学学校記事』の発行元の化学学校にも、自分の所で発行した『化学学校記事』がいつまで発行されていたかは不明で、全部をきちんと保管していないと公然と言う。全く私には理解できない。まずい情報を隠しているとしか思えない。

自衛隊の化学学校が、防護を前面に出して、毒ガス兵器の開発。研究をしているのではないかと考えてしまう。

国民の税金をつぎ込んで作った化学学校の中で行われている研究がどんなものなのか、国民には、全く分からないのである。
最近、テレビなどでテロ対策として毒物の処理をする防毒マスクを付けた自衛隊員の光景を見るが、新たな毒物・毒ガスの研究は進められていないのだろうか?

実際『BC兵器』(久保綾三著、三省堂出版 1869年)には
『化学学校記事13号』の記事として以下のような記述がある。
陸上自衛隊化学学校長吉田大桂司1佐は「化学武器の様な内傷効果を与える武器」を「人道的である」として「現在において多発している低次元の戦争、紛争あるいは暴動において、無傷害化学剤が多く使え荒れている現実に注目しなければならない」と言い、「化学戦が現代戦ないしは将来戦の主役となり得る素地をもっている」し「生物武器についても、化学武器と同じことが言える」と述べている。


1957年・・・化学学校創立
1959年12月・・・『化学学校記事』創刊。
1964年・・・自衛隊化学学校、サリンの製造に成功
1968年・・・『化学学校史』の中に、昭和42年まで『化学学校記事』の記載があり、その後は確認できないと防衛省は、言っている。
1970年・・・『化学学校記事16号』が発行されている。
1977年・・・化学学校『20年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。
1994年6月27日・・・松本サリン事件(この時に自衛隊は使われた毒物がサリンであることをいち早くつかんでいた、)
1995年・・・この年は、戦後50年で、革新勢力が政権(1994年6月30日~1995年8月8日)を取っていたが、自衛隊を容認するのか決断を迫られていた。 村山首相は、自衛隊の合憲、日の丸・君が代の容認した。3月20日、地下鉄サリン事件発生、その前から警察・自衛隊はオウム真理教でサリンを製造していることは分かっていた。オウムの信者の中に多数の自衛隊員がいた。化学学校の情報が洩れてはいなかったのか。サティアンでサリンを製造する時、土屋正美だけの力でプラントの建設は無理で、自衛隊化学学校の情報を入手してプラントを作ったり、解毒の方法が分かったのではないか。
又、事件発生後の、素早い化学学校の対応。化学学校はオウムが事件を起こすことを知っていたのではないか?サリン事件によって、化学学校の知名度、自衛隊の評価が上がる。この年になって日本の国会で「化学兵器禁止条約」批准可決・決定。(防御の為として、微量の毒ガスの生産は継続され、OPCWの査察を受けながら、研究・開発は続けている)

1997年・・・4月29日「化学兵器禁止条約」発効。2017年現在加盟国192か国。化学学校『40年のあゆみ』にわざわざ創刊号の写真を載せている。価値ある情報だから載せているのだろう!!

1999年・・・7月30日、北京にて日本政府と中国政府による共通認識8項目を記載した「日本の遺棄化学兵器の廃棄に関する覚書」が取り交わされた。
だが、遺棄弾処理は遅々として進まず、「化学兵器禁止条約」で規定された「10年以内の廃棄処理」(2007年)は実行できず、5年延長、さらに10年延長を申請し、2022年までにハルバ嶺30~40万を含む各地の遺棄化学兵器は処理しなければならない。
現在、遺棄化学兵器が発見・確認され保管されている地域は51カ所、OPCW(化学兵器禁止機関)に日本政府が申告した中国遺棄化学兵器総数は約56,149発である(ハルバ嶺の推定30~40万発は含まず)。 

ABC企画委員会ホームページ、中国の遺棄毒ガス問題の項

※日本はかつて自衛のための戦争と言って、中国で大量の毒ガス兵器を使用した。そして、その事については、731部隊と同じく公式にきちんと謝罪していない。
そして、又、防護のためと称して毒ガス製造をしている。(化学兵器禁止条約に批准後も)

※1959年の『化学学校記事』の創刊号には次のような文言がある。
「今次大戦を境にあらゆる科学進歩には目覚ましいものがあり、今後益々躍進すると思いますが我々はこの機運に遅れないようあるいは先達としてCBR防護訓練に万全の努力を致す覚悟であります。その努力の一端として又化学学校創立2周年記念の意義を含めて、この度化学学校記事の発刊を計画した次第であります。」


どこまで続くアメリカいいなり安倍政権/とことん共産党


●731部隊関連資料の情報公開裁判
・裁判は『衛生学校記事』『化学学校記事』『衛生戦史資料の体系化』の情報公開を求めている。『衛生学校記事』は2013年11月に提訴して4年、第16回公判が昨年の12月21日に開かれた。14年9月に防衛医科大図書室から28冊発見・公開されて以降進展はない。『記事』が発行元の衛生学校に1冊も無いとは納得いかない。
『化学学校記事』は2016年9月に提訴、第6回公判が18年1月17日に開かれた。職員延べ98973名で調査したが1冊も保管されていないと主張している。
防衛省の「海上自衛隊たちかぜ」いじめ問題文書、「PKO日報」そして現政権による「森友、加計学園」等の防衛省、政府の文書資料隠蔽体質を追究する形で行って来た。そして今又、1年以上の隠蔽事実が明らかになった「イラク日報」、これらの状況を知ると「アメリカから返還された731部隊資料」は必ずあるはず!民主主義の基本である全ての情報公開実現を目指す。(『ABC企画NEWS113号』より)
・戦時中、支那派遣軍作戦主任参謀であった、井本熊男の『業務日誌』も、防衛省は、井本氏個人のプライバシーに関わるとして、公開を拒否している。この日誌は、井本本人も『業務日誌』としているように、個人的な日記ではなく、作戦主任参謀としての業務を記録したものであり、公文書の範疇に含まれる。これも公開してもらいたい。

“日報”1年分以上新たに発見 小野寺防衛相「不適切な対応」

命がけの活動の記録、「日報」の廃棄などあり得ない


2018年12月5日水曜日

細菌戦の系譜!!

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第19回「衛生学校記事」情報公開裁判
シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか?
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731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第9回『化学学校記事』情報公開裁判 9月26日 16:00~東京地裁522号法廷
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

元731部隊軍医と強制不妊手術

「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ





●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」
●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし

『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶

第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退
2、石井部隊長の動向
石井はソ連参戦のニュースをいつ、どこで知ったのだろうか。石井は来るべきソ連との最終戦は細菌戦しかないと、この年の春には細菌兵器の研究を終了させていた。特使の命を受けた彼が、どのように平房本部に破壊命令を出そうとしたのか明確になっていない。そもそも、朝枝からの電報もどこで受け、誰によって渡されたのが。大混乱となった10日、早朝に関東軍から平房本部の石井にも出頭命令が届いていたのにもかかわらず、先述したように石井は新京の飛行場に赴き不在で、代理として副官の1人が関東軍本部に出向いた。

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日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第2章 地図から消えた神秘の大久野島

1929年に生まれた岡田藜子さんは、1944年忠海高等女学校に通っていた時徴用されて島で働かされた。彼女は毒ガス工場の工室で、発煙筒や防毒マスクの製造等の工室を見ており、今でもはっきりと発煙筒の工室で火事が起きた時のことを覚えていた。爆風が作業場の屋根をまくり上げ工室全体が火の海になった。彼女はまた、同級生と一緒に海辺の試験場で発煙筒の発煙実験を見た。それに彼女は多くの同級生が火薬と毒剤の粉塵を吸って食堂や気管支、それに手や顔を火傷したことなどを記憶していた。



日本鬼子のおきみやげ


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証
―731部隊に属していた医師・医学者自身の特徴的な証言はあるのでしょうか。

731部隊に属していた医師で、当時のことを自著で表している者は少数です。吉村寿人元731部隊技師(京大医学部卒、戦後京都府立医大学長などを務める)は「私が属していた部隊に戦犯事項があったことが最近、森村誠一氏の『悪魔の飽食』に記載され、それがべストセラーになった為に国内の批判を浴びる様になった。<中略>個人の自由意志でその良心に従つて軍隊内で行動が出来ると考える事自体が間違つている。<中略>個人の良心によって行動の出来る様な軍隊が何処にあるだろうか。<中略>私が戦時中に属していた部隊において戦犯行為があったからとて、直接の指揮官でもない私が何故マスコミによって責められねばならないのか、全くのお門違い」などと弁明しています(『喜寿回顧』吉村先生喜寿記念行事会、1984年)。これは、ニュルンべルク裁判では退けられた、被告の弁明「医師たちは人体実験を行わなければ生命の危険にさらされたかもしれない」 「医師たちは命令に従っただけである」と同類にほかなりません。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■肝炎の実験
マイターラーは1941年9月、捕虜たちをクレタ島に移した。しかし黄疸を発生させることはできなかった。1941年10月、グートツァイトはブレスラウにいる助手のハンス・フェークトに命じて6人の精神病患者を人工的に感染させようとした。グートツァイトは、1943年の夏、ギーセンのかれの協力者アルノルト・ドーレンに、捕虜と強制収容所の囚人に対する実験を強要した。ドーレンは、動物実験の段階を経た後、自分でも人体実験を行うことを考えていた。「SS並びに警察全国医師」のエルンスト・ローバート・グラーヴィッツとの打ち合わせの後、ドーレンは人体実験のために11人のユダヤ人の子どもと若者をアウシュヴィッツからザクセンハウゼンへ移送した。だがドーレンは良心の呵責に陥り、実験計画を約1年後に中止した。

知ってるつもり「731部隊と医学者たち」



イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

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小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

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自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ

●ニュース
脱安保!!
最新鋭ステルス戦闘機導入の方針 「防衛計画の大綱」骨格案

強制不妊手術被害者家族の会結成 旧優生保護法、国の謝罪求める

元徴用工訴訟の原告側弁護団「24日までに回答なければ差し押さえ」


韓国外交部 日本の「対抗措置」言及に失望=強制徴用判決で

県が“違法指摘”土砂運搬作業を一時中止に

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活

●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変
外務省の報告も陸軍省の報告も、自分の手許に来ない・・・しかし川崎書記官長を以ていま注意させておいた・・・・また満蒙における支那の現兵力は20万以上もあるのに、日本軍は1万余りであるから、「現在の兵力であまりに傍若無人に振舞つて、もし万一のことが起つたらどうするか」といふことを陸軍大臣にきくと、「朝鮮から兵を出す」或は「既に出したらしい」との答なので、「政府の命令なしに、朝鮮から兵を出すとはけしからんぢやないか」となじつたところが、「田中内閣(1927-29)の時に、御裁可なしに出兵した事実がある」とのことで、これは後に問題を残さないと思つたらしい。・・・・かういふ情勢であつてみると、自分の力では軍部を抑へることはできない。荀くも陛下の軍隊が御裁可なしに出動するといふのは言語道断な話であるが、この場合一体どうすればいゝのか、こんなことを、貴下に話す筋でないかもしらんけれども、なんとかならないか、・・・・実に困つたものだ。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争


●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!



2018年12月4日火曜日

細菌戦の系譜!!

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第19回「衛生学校記事」情報公開裁判
シンガポールで、731部隊は何をやっていたのか?
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731部隊『留守名簿』(不二出版)2018年9月
京大 軍医博士論文の検証
731部隊『留守名簿』公開
ある元自衛官の回想 「化学学校の黒い霧」
第9回『化学学校記事』情報公開裁判 9月26日 16:00~東京地裁522号法廷
第10回ビザ発給拒否・集会妨害国賠訴訟【9月21日(金)11:30~東京地裁415号室】
731部隊と「要塞」遺跡を訪ねる

元731部隊軍医と強制不妊手術

「明治150年」史観批判ー近現代日本の戦争・植民地支配と国民統制ー山田朗、他


中国の侵略被害者の証言を聞く集い2018 11.30

●お知らせ





●「731部隊 人体実験はこうして拡大した/隊員たちの素顔」
●NHKスペシャル「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」


京大の「731部隊」論文疑惑(上) 勝間田秀樹(京都支局)

731部隊将校の学位取り消しを 人体実験疑い論文で京大に

『731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~』の起こし

『満洲天理村「生琉里(ふるさと)」の記憶

第5章 ソ連参戦と731部隊の撤退
敗戦を迎えた日、彼に731部隊の上官から指令が下がった。
「≪『731部隊は建物と資料と焼却し、関係者は朝鮮半島を通って日本に帰国するため列車に乗り込んでいる。お前もそれを追っかけろ。決して捕虜になるな。捕まった時はこれを飲め』そう言って、青酸カリの入った小さな包みが渡されたのです≫」(同上、106頁)

満蒙開拓団



「元満州中川村開拓団 私の敗戦回顧録」


日本は、日中戦争で国際法に違反して、毒ガス戦、細菌戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!
●『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店より
第2章 地図から消えた神秘の大久野島

既に世を去った、家寿田幸江さんと松井さんと一緒に住んでいたが、彼女は1978年に訪れた記者に対して「私は島では、毒ガス缶の運搬と風船爆弾の製造に従事した。どこに行っても息が詰まるようないやな臭いが立ち込めていた。憲兵は私たちに、便所へ行くほかには休憩の時間はないといった。私は、まるで監獄の中に入れられて強制労働されているようだと思った。19歳で結婚し、子どもを産むときは気管支炎で、寝たきり起きられなかった」と語った。



日本鬼子のおきみやげ


●特集 軍拡に走る安倍政権と学術①

15年戦争中の「医学犯罪」に目を閉ざさず、繰り返さないために
1、戦争における医学者・医師たちの犯罪

西山勝夫さん(滋賀医科大学名誉教授)に聞く
にしやま・かつお=滋賀医科大学名誉教授、 15年戦争と日本の医学医療研究会事務局長、「戦争と医の倫理」の検証を進める会代表世話人、軍学共同反対連絡会共同代表

3、戦後、日本の戦争医学犯罪は裁かれなかったのか
■発足当時の学術会議における戦争医学犯罪の検証
―世界でも類例のない公選制で選ばれた日本の科学者の議会ともいわれる日本学術会議は1949年の「日本学術会議の発足にあたって科学者としての決意表明(声明)」で「これまでのわが国の科学者がとりきたった態度について強く反省し、今後は、 科学が文化国家ないし平和国家の基礎であるという確信の下に、わが国の平和的復興と人類の福祉増進のために貢献せんことを誓う」と述べています。そこでは、戦争医学犯罪についてはどのような反省がなされたのでしょうか。

1950年4月28日の第6回総会では「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明」が採択されました。その時も「日本の科学者も戦争を感知せざるを得ない情勢に立ち至つている」という中段の提案は、彼らの口火で、「戦争が非常に近いと言うことはいったいどういう根拠があって言っておるのか」などの議論となり、削除されました。その2ヵ月後に朝鮮戦争が起こりました。
 また、1952年の第13回総会では、「細菌兵器使用禁止に関するジュネーブ条約の批准を国会に申入れる」提案に対して、「現在日本では戦争を放棄しているのだから、戦時に問題になる条約を批准するのは筋違い」「4,50年も前に解決している問題でありまして、今日ほとんど実用になりません」などと反対し、賛成わずかで否決されています。



●『人間の価値』
―1918年から1945年までのドイツ医学
Ch.ブロス/G.アリ編
林 功三訳

■肝炎の実験
第2次大戦中に黄疸がヨーロッパの大部分の地に疫病のように蔓延したとき、これまでは、たぶんこの病気は伝染により発生するものではあるまいと思われていたが、伝染病であることに疑いの余地がなくなった。新しい医学的認識と軍隊の中での肝炎の発生から、多数の民間医と軍医にたいし、この病気の病原体を究めることが求められた。
「軍衛生局総監督部内科顧問医」のクゥルト・グートツァイトは、様々な部隊の研究から、1941年流行性肝炎と黄疸が同じものであることを知った。1941年の夏、肝炎研究の組織者だったグートツァイトはアテネで第12師団の内科顧問医のフリードリヒ・マイターラーと、イギリスの捕虜にこの病気を感染させることを打ち合わせた。

知ってるつもり「731部隊と医学者たち」



イタイイタイ病を究明した男 萩野昇

●驚愕!御用医学者をさかのぼると、すぐに731部隊に行き着く

水俣病問題

小島三郎国立予防衛生研究所所長の過去

小泉親彦と宮川米次の絆

ヒロシマからフクシマへ

宮川正

「想定外」 と日本の統治—ヒロシマからフクシマへ—

ビキニ「死の灰」世界各地へ

自衛隊とサリン

相模海軍工廠・寒川と平塚にあった秘密毒ガス工場

日本の国家機密

兒嶋俊郎さんを偲ぶ

●ニュース
森友の証人隠し 疑惑暴いた地元議員が「早く裁判に出てきて」

徴用工訴訟の判決を先送りか 韓国の元裁判官2人の逮捕状を請求

玉城デニー知事、土砂搬出を違法として停止を要求 赤土流出防止条例の届け出も指導

「水俣病は終わらない」公式確認から60年―私たちに託されたメッセージ

松本元死刑囚らの死刑執行文書、ほぼ全て黒塗りで開示

“旧優生保護法”強制的な不妊手術 事業として推進(18/04/27)


真相を解明していないからこうなるのだろう!!
オウム13人死刑で「上川陽子法相」一生SPつきの生活

●昭和天皇の戦争責任を問う!!大嘗祭反対!!


●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
第3部   陛下の戦争
1931(昭和6)年―1945 (昭和20)年

第7章 満州事変
一度、勃発すると満州事変は国内外の危機がたがいにからみ合う連鎖反応の端緒となり、国家の発展の軌道全体を根本的に変えてしまった。中国は直ちに国際連盟に原状復帰を求め、関東軍は部隊の増派を求めた。林銑十郎中将は、東京の参謀本部に鴨緑江を越え満州に部隊を派遣する許可を求めた。9月19日、政府は依然、無力で情報に乏しかった。若槻首相は元老西園寺の秘書原田熊雄に助言を求めていた。

小泉親彦と昭和天皇

近現代史を《憲法視点》から問う~「湘南社」の憲法論議~

近代天皇制の真髄は

福沢諭吉

神武と戦争


●日本国憲法第9条
1、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2、前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

憲法9条を生かそう!!



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