●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
36、素晴らしいことをされていて感動いたしました。
(要望)もっと多くの方が知っていただけたらいいなと思います。
(男性、50代、市内、ウェブ)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第16巻雑報
16巻4号(1932年)
3月中職員異動調
3.31伝染病研究所直江津出張所土地建物を管理嘱託を解く 米沢圭之助
〃 愛知県県下へ出張を命ず 助教授 細谷省吾
〃 依願伝染病研究所における看護婦長事務取扱嘱託を解く 古川ヨシ
〃 陸軍派遣学生退学 一等獣医 市井正次
一等軍医 白川初次郎
二等軍医 小口亘
〃 伝染病研究所における看護婦長事務取扱を嘱託す 小鹿島レキ
〃 伝染病研究所における治療研究業務嘱託を解く 木村次郎
〃 渡会陸二
〃 依願免本官 技師 石原喜久太郎
〃 依願免兼官技師兼教授 同
〃 依願免本官 技手 宮下義信
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)
(2)条約の解釈方法
条約の解釈方法については、1969年(昭和44年)に採択された「条約法に関するウィーン条約」(以下「条約法条約」と言う。)31条、32条がこれを規定している。しかし、一般に、条約の解釈はその条約の発効時における国際法上の条約解釈の規定によってされるべきものと解され、条約法条約も遡及しない旨が定められている(同条約4条)から、ヘ―グ陸戦条約の解釈に条約法条約における規則を直接適用することはできない。しかし、条約法条約31条、32条における条約解釈の規則は、国際判例等により従来から認められ国際慣習法として成立していた条約解釈の準則を確認し明確化したものと解されるから、ヘーグ陸戦条約の解釈も、条約法条約31条、32条の条約解釈の方法に準じて行うのが相当である。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
一月二二日
オンドル式の床暖かく支那人の小供の多いのもこのオンドルが原因をなしているのではあるまいか。腰冷えなんて少しもなし。
不寝番だ 3時間半 兵器でも取られたらメンフーズだ。本当にやりきれないな。明日はまた早起きして食料をこしらえて第2の山から山へ 日本軍の戦続 非常に多し 大阪の古新聞が壁に貼ってあるのもちょっと珍しく見られた。支那人なんて呑気なもんだ。親子揃って変なことばかり言っている。
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
原爆初動調査 隠された真実
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
衛生兵の教育
北京に着いたその翌日から、市内の天壇にある1855部隊本部で衛生兵として教育を受けました。軍事教練もありました。衛生兵と言っても、患者を看護する衛生兵と防疫をする衛生兵とがあるのですが、私は防疫の方でした。部隊が戦場に行って一番困る水を第一線の兵隊に与える仕事が任務でした。この時に濾水機というものを使いました。これが、かの有名な石井四郎中将が考案したものでした。濾水機は秘密ではないのですが、その中の濾過管というのが、秘密部位でした。中国に行ったら生水を飲むなと教育されましたが、その生水が濾過管を通ると飲める。例えば、馬の足跡の穴に溜まった水でも飲めると教えられました。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
3 遼寧
張丕卿の日本帝国主義による生体解剖の残虐行為に対する告発(1954年6月29日)
・・・・・・
解剖の目的は、生体の脳、脊髄、内臓、筋肉、皮膚などを取り出して、より優れた組織切片を作り研究しようというものであった。こうした情況は、解剖の終わった後に知り得たことである。日本人は解剖後いつもそのままの状態で帰ってしまうため、一切の後片付けは翌日出勤後、私や劉学棋、西村××らが行った。その時私の目に映ったのは、被害者は頭部がノコギリで切り開かれ大脳を摘出され、背部中央にもノコギリで深い溝がつき脊髄は取り出され、胸腔も腹腔も開いて心臓、肝臓、脾臓、肺、腎臓、腸も全て研究材料として一部を切り取られており、両眼さえも抉り出されて、全身のうち1カ所として完全な部分がなくなった有様だった。
(1)119-2、21,2、第18号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
2 ソロモン諸島とアリューシャン列島をめぐる激戦と毒ガス兵器
ガダルカナル島攻防戦間の毒ガス配備
大本営陸軍部は、11月16日に第八方面軍(ラバウル)を新設し、第17軍と第18軍(ニューギニア方面の作戦を担当)をその隷下に入れたが、杉山参謀総長は11月18日の大陸指1338号で今村均第8方面軍司令官に対して「特種煙及特種弾の使用については必要にあたり別に指示す」と指示している(『資料集Ⅱ』資料37‐20)。なお、ガダルカナル島攻防戦自体は日本軍が敗北し、12月31日の大本営御前会議で同島からの撤退が決定された。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
実験の情景はさらに残忍だった。森村の本にこのような描写がある。
「ガラス張りの中に閉じ込められた『マルタ』は忿怒の目を見開き、何とかもがいて飛び出そうとしたが、体はしっかり縛られているので、なすすべもなかった。516部隊の隊員たちが電源をつなぎ、スイッチを入れると、中にしつらえた扇風機が回り始め、ビーカーの中の茶褐色の青酸が過熱され、ゆっくりガスが立ち上った。毒ガスはパイプを通って『マルタ』を閉じ込めたガラス張りに侵入する。毒ガス生産設備の中に、日本の島津製作所の製造した毒ガス濃度計が1台あり、随時毒ガスの濃度を記録し、『マルタ』の致死毒ガス数値が測定できた。
毒ガスがガラス張りの中に流れると、柱に縛り付けられた『マルタ』はかすれた叫びを発し、体は懸命に悶えたが、次の瞬間目をカッと見開き、口から白い泡を吹き出し、四肢が硬直、がっくりと頭を垂れ、絶命した」
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
村落掃討
上級将校の罪行
野間栄作
V
昼食時になると、約100名くらいの集団が畑の中に集まって腰を下ろした。赤胴色に日焼けしたシワだらけの老人、蒼白く痩せた14,5歳の少年もいる。大部分の人が素足で、血の気の失せた顔に眼玉だけがギロギロ光らせていた。やがて、黒い焼餅をかじる者、生葱や塩漬け大根をかじる者、頭を深く両足の間に垂れて食事をせずにいる者もある。誰一人として声高に話す者もなく、時々静かな声で話し合い、うなずきあっている。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
4 自衛隊の機密事項
正体不明の「機密」
防衛当局が国会で明らかにした最大限のものは、こうである。「『機密』文書 につきまして一例を申し上げますと、毎年毎年つくりますところの防衛計画の基本に関するもの、あるいは暗号の基本に関するもの、こういうものが『機密』文書になって、おるわけでございましてその一つ一つにつきましてここで申し上げるということは、必ずしも適当でないというふうに考えます」(衆院予算委第2分科会70・3・18、島田防衛庁官房長)。暗号については空自達の基準に全く出てこない。これは別個に秘密文書としての例規が定められているためである。その秘密区分は、「送信や解読に使うひとつひとつの暗号書(乱数表)は『極秘』で、その暗号書ナンバーを集めたものは最高度の『機密』という」(『毎日新聞』68・3・18)
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
1 自衛隊の基本戦略
「防護」の裏話
さらに、「防護」ということについてであるが、自衛隊について一般的に言われている「防護」のみを戦略的、戦術的任務とするなどと言ったごまかしが通用していることに問題がある。
防護はつまりDefenceであるわけだが、自衛隊教範『特殊武器防護』の「防護」という軍事用語は、技術的な事項に限定したものである(『化学学校記事』第13号)。このことはただそれだけのことして見逃されそうなことなのだが、戦略問題として見た場合は、極めて重要な問題を提起することになる。以下「特殊武器防護教範編纂裏話」(『化学学校記事』第13号・樋上倫久1佐)の中から「自衛のための軍隊」という軍事的に不可能な存在を表面的な姿としている自衛隊の持つ矛盾を露呈している部分を引用してみよう。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
Ⅱ
次の日、マッカーサーはA級戦犯容疑者のうち、起訴されなかった19人を拘置所や自宅監禁から解放した。そこには、元国務大臣で1941年に対米開戦宣言〔開戦の詔書〕に署名した岸信介、警察官僚で東条内閣や鈴木内閣時代に反政府の言論を弾圧した安倍源基、右翼組織のボスだった児玉誉士夫、笹川良一らも含まれていた。
続く数年のあいだ、日本の政治家と天皇は、A・B・C各級すべての受刑者の釈放を求めることになるが、マッカーサーと後任の陸軍中将マシュー・B・リッジウェイはほとんどの場合それを容認した。サンフランシスコ対日講和条約が発効する1952年4月までに、ワシントンの承認を得て、SCAP〔連合国最高司令官〕は、B・C級で裁判に付されていなかった未決容疑者を含めて合計892人を釈放している。釈放された人物のうち何人かは、たちまち戦後の国家で最高権力の座を占め、1950年代を通じて日本の政治を大きく分裂させる力となった。
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
マーシャル諸島での核実験
1946年7月1日からアメリカ軍占領下にある日本の委任統治領であるマーシャル諸島のビキニ環礁で核実験を行い、1947年にアメリカ領となった後も核実験を継続し、エニウェトク環礁と合わせて67回の核実験を行った。
1946年7月、原爆実験クロスロード作戦では、日本の戦艦長門など約70隻の艦艇が標的として集められ、そこを原爆で攻撃して効果を測定した。1回目は7月1日に実験(エイブル)し、2回目(ベイカー)は7月25日に行なわれた。
その後、太平洋核実験場として指定され、1954年3月1日ビキニ環礁で水爆実験(キャッスル作戦)では、実験計画では数Mtクラスの爆発力と見積もっていたものが、実際には15Mtの爆発力があったため予想よりも広範囲に死の灰が拡散して、多数の被曝者を出した。
ビキニ環礁の島民は、強制的にロンゲリック環礁へ移住させられ、現在に至るまで帰島出来ていない。
日本のマグロ漁船第五福竜丸など数百〜千隻の漁船が、死の灰で被曝した。
240km離れたロンゲラップ環礁にも死の灰が降り、実験の3日後に住民全員が強制避難させられた。
ビキニ環礁面積の80%のサンゴ礁が回復しているが、28種のサンゴが原水爆実験で絶滅した。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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