2021年9月29日水曜日

細菌戦の系譜!!

         













2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演


『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎












自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

生物兵器、脅威に懸念 防御後手
(The Economist)2020.5.5

■2001年米国の炭疽菌事件で懸念高まったが
トランプ米政権は18年に国家生物兵器防衛戦略を発表したが、米国家安全保障会議のこの分野の組織を廃止し、生物学的脅威について調べる研究所の予算削減を提案した。一般市民をバイオ攻撃から守るための予算も19会計年度は15年度比で27%削減され、16億1000万ドル(約1700億円)に減った。この額は軍用ヘリコプター「ブラックホーク」の購入予算より少ない。米ジョンズ・ホプキンス大学健康安全保障センターのジジ・グロンバル准教授は「今回のような事態に陥るまでは予算削減の影響がわからないため、簡単に予算が減らされがちな分野だ」と語る。



 


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?


実験医学雑誌第16巻雑報


16巻11号(1932年)

学術集談会開催

10月20日集談会開催。演題は次の通りである。

演題

1、妊産婦及び初生児の梅毒血清診断について     中山二郎君

2、各種ヒドラジン誘導体脳貧血を起こす力並びに血液中の酸素に及ぼす影響とその化学構造式との関係について          南茂夫君

3、一塩基脂肪酸類の殺菌作用              鉄本総吾君

4、酸化還元電位の応用による諸実験について(総説)   佐藤秀三君


鳩山文相当所視察

鳩山文相は10月22日来所当所の研究作業状態につき視察した。


群霊祭挙行

11月5日例年の通り家畜群霊祭を挙行した。


学友会へ寄付

金200円也      池井新弥君 



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)

(5) 条約の作成過程に照らした解釈(条約法条約32条)


イ 証拠(乙19)の弁論の全趣旨によれば、ヘーグ陸戦条約3条の作成過程に関し、次の(ア)から(ケ)までの事実を認めることができる。

(カ)ドイツ代表は、自分自身もできない最高の弁明をしていただいたと、スイス代表の発言に対し感謝の意を表した 。


(キ)イギリス代表は、フランス代表の懸念を共有し、ドイツ提案がこれまでなかった特権を中立国に与えるものであることを理由にこれに同意できないとし、次のように述べた。

「第1条が中立の者に対し、受けた損害の賠償を交戦当事者に要求する権利を与えているのに比べ、第2条では、交戦相手側の者については賠償は和平の締結時に解決するとしている。従って交戦相手側の者にとっては、賠償は平和条約に盛り込まれる条件次第、交戦国間の交渉の結果として条件次第ということになる。

 私は、陸戦の法規慣例の違反の被害者に対し交戦当事国が賠償をなすべき責任を否定するものではなく、英国はいかなる意味においてもこの責任を免れようとしているわけではない。ただ、このような違反及び生じた損害の範囲を確定することが、しばしば非常に困難であることを指摘したい。原則を示すことはたやすいが、問題を解決すべき国家間の良好な関係を害する反対の声を引き起こすことなく、その原則を適用することは、大変困難である。」










731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

二月五日

午前六時半起床 晴 風強く 非常に寒し 零下二十三度

「胸に秘め 風間に立てる白塔の 謎の姿ぞ 月の大空」

今日は雑役だ しかしおかしくてやれない。夕方乗馬巡察の白木班長が鶏を持ってくる故 これにて鳥飯を作るといふ しかし僕はこんな残酷なことはできない 杉浦が平気で鳥を殺すには驚いた 中々味なことをやる 見たのみで寝るまで上にあがってしまった然し食べる時は中々おいしい 僕がご飯を炊いている姿を一枚写真に撮りたいものです。

 彼女の所にお礼の手紙を出す 相変わらず走り回る 午後八時半寝付いて午後十一時十分起こされ、午前一時寝に着き 午前五時半起こされた いかに寒いことか 構内巡察から走って帰る 耳がこって立ったまま黄色い風になった 蒙古風だ 満州が嫌になった つくづくね。あと二九七日だバックに 四拾五秒だ


軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅶ 広島へのさまざまな旅



 このような、失われた過去への指向と、それに続く絶望の時は、いわば、人間を最も神経症的な深みに、近づけるものであろう。そしてそのような危機的な状態の人々は、広島に数多いことに違いない。そのような人々を狂気や自殺から救助する、積極的な手だてが、我々にあるというのではない。我々は、ただ、それらの人々が、しかもなお狂気に陥らず、自殺しないで生き続けることを、心虚しく期待するほかない。

 




原爆初動調査 隠された真実

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

ネズミを集め、ノミの飼育

フンドシ一丁の体にノミが・・・・


伊藤影明(いとうかげあき)

1855部隊

(略歴)

1924年生まれ

1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属

1944年 発疹チフスで入院

1946年 帰国

■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。


 捕虜のこと

翌日、私は一つの部屋を盗み見にしました。部屋は8畳か10畳くらいの部屋で、窓ガラスには黒いペンキが塗ってあり外からは見えなくしてありました。窓枠には鉄格子が入っている。またアンペラが敷かれ、裸電球が小さい卓とその上にマントウが2つ置いてあるだけでした。留置室の木製扉の覗き窓から“捕虜”を見て、私はこれは人間に対して人間のすることではないと思いました。その“捕虜”は私と同じくらいの年齢の痩せた男で、目だけがギョロッとしていました。言葉ではとても申し上げられあげられぬ様です。向こうが「お前もか」というような、いかにもうらめしそうな目をしていました。








●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北

3 遼寧


2 華北

1、河北


吉沢行雄自筆供述書(1954年11月15日)

1943年10月中旬から12月初め、河北阜平県東下関において、法華村付近の約20名の住民が逃亡するのを防ぐため、彼らを同村東端の家屋に監禁した。その後、我々は銃剣で脅し彼等を山西五台県銅溝付近へ強制連行し、担架を担がせた。11月上旬、彼らの1名が極度の酷使と寒さのために急性肺炎を起こしたが、治療しなかったばかりかこれを殺してしまった。旅団の軍医部長原見権一大尉が、この死体の病理解剖をするといい、私は絶好の勉強の機会だと思って同意した。解剖後、原見は衛生兵に助手をさせ、私は器具を使って切開し、取り出した内臓を検査した。解剖後、死体は東下関東北約200 m の地に埋めた。

(1)119-2,732,1、第7号




●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍


毒ガス戦の抑制と報復的毒ガス戦準備



1944(昭和19)年1月24日に杉山参謀総長は、畑俊六支那派遣軍総司令官に対して1号作戦(大陸打通作戦)の要綱である「大陸指第1810号別冊 1号作戦要綱」を下達したが、その中では、近い将来アメリカ・イギリス軍が毒ガス戦を行使する公算が高いと判断されるとし、「敵の化学戦遂行能力の強大なるに反し帝国軍現下の化学戦に対応する準備は未だ極めて貧弱」なことなどから、日本側が刺激を与えて「化学戦を誘発」することは極力避けるべきだとして、中国戦線での毒ガス使用はこの点を充分に考慮するように指示している(『資料集Ⅱ』資料37‐22)。アメリカ軍に毒ガス戦開始の口実を与えさせないために、慎重な姿勢をとるように方針を転換したのである。



・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第7章 残虐な毒ガス戦


動かしようのない事実


日本軍は戦闘後の総括で、「毒ガス兵器を使用したため、進攻速度が大幅に加速、傷亡は急減。従来1つの村を占領するのに傷亡者は平均30~40人であったが、毒ガス使用後はわずか10人前後にとどまった。対照的に、なだ毒ガスを使用していない部隊が受けている抵抗は極めて強い」と言及している。

作戦開始後、『新華日報』は7月22日付で日本軍が同作戦において使用した化学兵器について報じた。「聞喜、曲沃、桓曲の役、久しく疲労せし敵軍は、わが新生部隊の包囲攻撃に連戦連敗、怒りと恥ずかしさの余り、公法人道を顧みず、極めて強力な糜爛性及び催涙性ガスをわが軍に放射す。わが軍はこのことを事前に予想し準備ありしため、犠牲はさほどに多くには至らず、だが、敵軍の残虐極まりない暴行はまさに激怒に値するものなり」。






加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

 虐殺

若夫婦殺し

島津酉二郎

分隊長 憲兵伍長

《略歴〉

本籍    和歌山県東牟婁郡

出身階級  手工業労働者

学歴    尋常高等小学校8年卒業

職業    鍛冶工

所属部隊名 前関東軍長春第2特別警備隊第2大隊

被捕時   1945年10月初旬

被捕地点  長春市南嶺

年齢    36歳


何の手応えもない。しかしまだ死んでいないことはわかった。虫の息のような呼吸をし、その度に綿のような真っ赤な血の塊を吐いている。そして真っ黒い土を赤く染めていった。言「野郎、強情な奴だ、のびても白状しやがらねえ」と独り言を言いながら、両親指を縛った捕縄をといた。その両親指は中指よりも長く伸び、ブランブランになり、捕縄は皮膚を破り、肉を破って、骨に食い込んでいた。





2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 

■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷 

8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

5 「秘」の性格と内容

モザイク理論の登場

ヒトラーはモザイクによってナチスドイツの国防能力を分析した人物を投獄したという。国防保安法も同様であった。同法第8条の情報に関する罪は、「或問題に関し新聞雑誌其の他の出版物に掲載されてゐるところをそのまま、又はこれを集めて綜合して結論を出し」た場合をも対象としていた(大竹武七郎『国防保安法』149ページ)。そういうことになれば、さしずめ私の分析作業なども弾圧の標的となるかもしれない。もちろん現在の法制では、直接に秘密保護法令違反の対象にはならない。だが、自衛隊の内部規定に、すでにモザイク理論が存在するとすれば、いつ全国民を拘束する法律になるかもしれない。

軍国主義の原型は、つねに軍隊内に生まれるのである。ともあれ、「個々の場合、秘密区分の指定を要しないもの」は、どれほ多く総合しても秘密にはならない。それは民主主義のイロハである。分析総合は学問と表現の自由にもとづき、自衛隊員をも含めて完全に保障されなければならないのである。 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


生物・化学兵器の効果についての報告書(大要)

1969年7月2日


自然のバランス崩す

1、今回の調査によれば、化学薬品や細菌などの数だけでなく、それらの毒性、効果の多様性の点で、生物・化学兵器の武器開発の可能性は近年かなり強まっている。一方、化学兵器が市民の騒乱規制に用いるために開発されている。また農産物の増産のためにも開発されている。これらの物質が他の化学薬品より毒性が少ないとしても、民間で間違った考えのもとに使われたり、あるいは軍事目的のもとに使用されれば、非常に危険なものとなるだろう。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

京大の抗議事件は、事実上の不敬罪の復活と、天皇を護持するさらに伝統的な手段の復活を告げるものだった。それは「人間天皇」キャンペーンに唐突な終焉をもたらした。日本の指導者に、時代が変わり、君主の権威を少しでも復活させようとする動きに危険が生じていることを警告した。この緊迫した対立から、生まれつつある日本の反軍国主義・一国平和主義に天皇が適応しようとするときに直面する問題をすでに予見することができた。

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。


署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。

署名国            署名日             批准日 (締約日)
アルジェリア        2017年9月20日
アンゴラ          2018年9月27日
アンティグア・バーブーダ 2018年9月26日        2019年11月25日
オーストリア        2017年9月20日        2018年5月8日
バングラデシュ      2017年9月20日        2019年9月26日





 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した










           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!











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