●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
41、あまりの資料の多さに驚きました。加害の歴史こそ、今、日本人が直視し。学ばなければならないと思います。軍隊による加害だけでなく、経済的、文化的な支配についても半分しか見れてませんが勉強になりました。
(男性、40代、市外、Twitter)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第16巻雑報
16巻6号(1932年)
学術集談会開催
5月26日(木)午後1時より所内講堂において学術集団会開催さる。演題は次の如くである。
1、発疹チフス感染海猽の白血球像、特に単核細胞の形態学的研究 飯淵かをる君
2、本邦における伝染病の季節的分布 山岸精実君
3、急劇なる温度の変化がタンパク代謝に及ぼす影響 柏崎晃君
4、無機酸類の殺菌作用 鉄本総吾君
5、水による伝染病の流行(総説) 野辺地慶三君
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)
(3)ヘーグ陸戦条約3条の用語の通常の意味に照らした解釈(条約法条約31条1項)。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
一月二五日
晴 寒し 休日にて図書室で暮らす。 零下二五度
起床ラッパに起こされてから 一日中寝てようと思ったが眠れない 図書室で暮らしてしまった 昨日の苦しみに引き換えて今日は呑気なこと話にならない 未だ足の方は治らないが大変楽になる。これで何も勤務さえなければ極楽だがね。外は非常に寒く外出の元気なし。ペチカ?かかえてほしいようだが一日経ってしまった。平凡な一日楽なことはない。午後四時寝に付く夕食までは白河夜船だ 何も考えたくない 歌でもと思ったが肉体が疲れれば心も疲れるらしい。歌なんていうものは 肉体も精神も揃った時初めてできるのだろう。
内藤が分遣で二週間も勤務だ 菓子でも送ってやろうよ喜ぶだろう この寒いのにご苦労様だ。ペンを走らすさえ嫌になる。なぜこんなになるのだろう。
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
原爆初動調査 隠された真実
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
特別の仕事
訓示の内容は「ここの仕事が特別の仕事なので〔ノミ〕は使用したくないし、使用してはならないのだが、使わざるを得ない事態が起こってくるかもしれない。その時のために、これから君たちに頑張ってもらわなければならない」ということでした。それから、これからやることは全部暗号でやってもらいたいと言われ、暗号を教わりました。ネズミを“モチ”とか、ノミを“アワ”と教わりましたが、他の事はほとんど忘れてしまいました。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
3 遼寧
告発人張丕卿の審問記録(1954年11月13日)
「満州国」矯正総局長中井久二の所属した奉天監獄が、拘禁し虐待死亡させたいわゆる犯人の死体を「満州国」奉天満州医科大学に送り、解剖実験が行われた罪行を明らかにするために、瀋陽市人民政府李永浦は、1954年11月13日、告発人張丕卿教室を審問した。張丕卿の自称によれば、今年45歳、職業は中国医科大学解剖研究室技官、住所は瀋陽市南市区九緯路西口北自強里2号である。
問:生体解剖の被害者はどこから送り込まれてきたか、知っているか。
答:今、当時の日本憲兵の厳戒情況と西村の漏らした言葉から分析してみると、おそらく日本憲兵隊からであろう。
問:話したことは全て事実か。もし虚偽の点があれば、法律的責任を負うことになるが。
答え:すべて事実であり、私は完全に責任を負う。
(1)119-2、21、2、第18号
*訳注:満洲医科大学―原文は「偽南満医科大学」。南満洲鉄道株式会社(満鉄)が1911年に設立した南満医科堂として発足、1922年に大学に昇格して満洲医科大学と改称。14ページに「奉天医科大学」とあるのもこの大学の別称である。日本の敗戦で中国に接収され、人民共和国成立後は中国医科大学となった。なお、本文中の鈴木真吉は1930年に同学解剖学教室助教授、のち教授(『柳絮地に舞ふー満洲医科大学史』輔仁会、1978年)。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
3 1943年中の中国戦線における毒ガス戦 掃蕩剔抉と殲滅戦
18春大行作戦での使用
この戦闘の所感では、「特に瓦斯(飛行機及び第一線歩兵も使用)の効果は十分にありたるものと認められる。即ち死屍の状況を見るに防毒覆(感冒用マスクの如し)内は鼻汁を充満しあり」と毒ガスの効果を生々しく記している(同然)。この資料は、筆者が発見した資料の中でも航空機と地上部隊が同時に毒ガス攻撃を行ったことを示す重要なものである。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
悪魔の兄弟の毒網
日本陸軍の首脳は演習計画を直ちに裁可したが、真崎甚三郎の日記にはさらに、当時ソ連のスパイが北安地区に出没しているのを心配して、関東軍に調査を要求し、もし危険であれば、演習地点は洮南付近に変更することにしたと記載されている。
演習に参加した部隊は全部で135人(将校13人、准士官2人、兵120人)これらの人は12月4日に集合後、下関から乗船中国に向かい、28日、演習地点に着いた。そこで駐屯軍が提供した兵営に泊まったが、演習は1935年1月4日に始まり10日に終了した。
この時の演習後から、中国東北は日本陸軍習志野学校が化学戦演習を行う理想的な場所になり、演習地点は同時に北部の辺境地区に移動した。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
村落掃討
上級将校の罪行
野間栄作
V
山村中尉は部隊の一部を連れ、村の西側の1軒の扉を叩いた。家人は何事かとズボンを履き、上着をかけて扉を開けた。戸口に立った銃剣が胸板を狙いながら、「外に出ろ」と引っ張り出し、「歩け」と薄闇の中を村落外に連れ出して銃剣で取り巻いた。「村長の名前は?何歳ぐらいか?村民の評判はどうか?」と簡単なことを尋ねてから、村長の家に案内を命じた。何事か分からないが、断わる問題ではないことを知っている村民は、渋々と村長の家に案内した。
村長も急いで起き出して戸口に顔を出した途端、銃剣で取り巻かれてしまった。「何事ですかと」と、不審そうに尋ねる村長を伴って、村公署に行き、戸口調査簿を没収した後、「この調査簿によって村民を調査するから、病人でも何でも30分後に全員、廟前の広場に集合するように手配しろ」と村長に命令した。村長は言われるままに、村公署の書記と炊事人と案内者を使って村民に伝えさせた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
4 自衛隊の機密事項
正体不明の「機密」
米軍のシークレット
自衛隊の創設・育成者として、つねに悪しき教訓を与えてきた米軍の場合はどうか。米陸
軍の管理訓練について公式の方針および規則をしめした陸軍規定((Army Regulation)が大統領行政命令にもとづくクラシフィケーションの準拠を明らかにしている。「トップ シークレット」に分類されるのは、たとえば次のような文書である。
①戦争の全体的指揮についてしるした戦略計画
②世界的規模での戦争指導計画
(a)計画のデータと設想
(b)核兵器使用の戦時計画要因
(c)敵戦力についての情報見積
(d)戦力の配備と展開
(e)数ヵ月にわたる時間相での実際所要量と施設の地理的位置
③単一の作戦計画または一連の複合作戦計画であって、②のファクターのいくつかと、出撃率、作戦開始日・完了日を含んでいるもの
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
2 生物・化学兵器と階級的視点
「間接侵略という言葉」
間接侵略というものが言葉として登場するのはこの時が初めてであるが、パワー・ポリティクスを要請から生まれたギリシャ、トルコ援助は、1949年の中国革命の成功、ソビエトの原爆実験成功に伴ってますます「力による政策」を推し進め、1947年6月5日のマーシャルによるハーバード大学における演説中に現れた、いわゆるマーシャル・プランによって ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)を結成し、ドル不足に悩むヨーロッパに対し、対外援助という形での資本の輸出を可能ならしめた。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
Ⅲ
冷戦の深化につれて、新日本の国民は遅まきながら原爆被害者の体験に目を開き始めた。大田洋子の『屍の街』、原民喜の『夏の花』、今村得之・大森実『ヒロシマの緑の芽』などが1948年から49年にかけて国民的ベストセラーになった。核意識の高まりと冷戦の進行が結合して、新憲法の平和原則への評価は一段と高いものになった。しかし、新憲法のもとで国政を握った保守政治家が掲げる国家のありようと、大多数の国民が抱くそれとは大きくへだたったままだった。憲法の理想と現実政治とのこの食い違いを反映するかのように、宮内官僚の入念な計画と準備にもかかわらず、国民の間では、あるべき天皇の姿についての意見はまとまっていなかった。ある者は天皇のいっそうの人間化を望んだ。ある者は、あまりにも 「人間」になってしまうと、君主制自体が信頼されなくなると思っていた。
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ソ連
セミパラチンスクでの核実験
· 1949年8月29日 初の原爆実験(長崎型)。22kt。コード名"RDS-1"。アメリカ側のコード名"ジョー(=スターリン)-1"。
· 1953年8月12日 『初の』水爆実験。400kt。コード名"RDS-6"。アメリカ側のコード名"ジョー4号"。
放射性降下物の分析より核融合ではなかったと言われている。
· 1955年11月22日 水爆実験。1.6Mt。コード名"RDS-37"。アメリカ側のコード名"ジョー19号"。
ソ連初の水爆実験成功。
ノヴァヤゼムリャでの核実験
· 1961年10月30日 ノヴァヤゼムリャで、史上最大の水爆実験が行われた。爆弾(ツァーリ・ボンバ)の核出力は50 Mtでファットマンの3000倍近い出力。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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