●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
46、仕事で中国・マレー・シンガポール・韓国・フィリピンの方々と話すこともあります。彼らの祖父母がもしかしたら日本兵に・・・・・と思うと胸が締め付けられます。こういう事実も学校・テレビなどで取り上げてほしいです。
(男性、50代、市内、友人)今回2回目
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
一見輝かしい経歴だが、よく見ると戦争中の経歴が抜けている。
実は戦争中は陸軍軍医学校防疫研究室に勤めていた。これは731部隊の別名である。
彼のまわりには元731部隊関係者が多く、勤めていた長崎大は元731関係者の巣窟であった。
731部隊リクルーター係の田宮猛雄や731部隊別働隊の栄1644部隊にいた北岡正見とも一緒に
研究をしている。
彼はCIA工作員でもあった。
2007年に機密解除されたCIAの資料には、731部隊長・石井四郎を始め、岸信介、笹川良一、
児玉誉士夫、正力松太郎といった超大物とともに彼の名前が並んでいる。
彼もまた医学界の大物だったのだ。
人体実験の罪を無罪放免にしてもらったのだから、米国の犬になることを拒否できなかったのは
当然である。CIAはこういったスネに傷をもつ人間を脅して、無理やり工作員をやらせるのである。
福見の最大の犯罪は、戦後も人体実験を続けたことだ。
芝田進午氏が予研が起こした事件をまとめている。
その中から彼の名前が挙がっているものを引用しよう。
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第16巻雑報
16巻8号(1932年)
学友会へ寄付
金15円19銭也 木村政長君
金2円78銭也 臼杵仁君
金58円80銭也 北条円了君
7月中職員異動調
月日 異動事項 官職 氏名
6.30昭和7年6月29日付願研究生退学の件許可す 中島義四郎
〃 東京府下へ出張を命ず 嘱託 福島伴次
〃 神奈川県県下へ出張を命ず 技手 工藤正四郎
〃 同 技手 小栗一好
〃 内科学研究のため満1年間アメリカ合衆国及びドイツ国に在留を命ず 同 菅野拓三
7.6 依願伝染病研究所における各種予防液製造研究業務嘱託を解く
鯛瀬国一
〃 伝染病研究所業務を嘱託す 石井信太郎
7.6 依願免本官 技手 小穴正徳
〃 依願免本官 技手 岡正
〃 伝染病研究所における治療研究業務嘱託を解く 戸田又男
〃 任伝染病研究所技手 戸田又生
〃 伝染病研究所業務を嘱託す 小穴正徳
〃 〃 岡正
〃 昭和7年7月5日付願研究生入学の件許可す 新見正喜
7.15 昭和7年7月11日付願研究生入学の件許可す 高田周平
〃 〃 守口武次
7.16 依願伝染病研究所における蛇毒研究業務嘱託を解く 寺尾秀三
〃 伝染病研究所業務を嘱託す 楠信男
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)
(4)事後の実行例に照らした解釈(条約法条約31条3項 (b)
ア 原告らは、各種の判決を挙げ、これ等が事後の国家実行例に該当すると主張するので、順次判断する。
(オ)1997年10月30日ギリシャ・レイバディア地方裁判所判決
ギリシャ占領中のドイツ軍が行った残虐行為により被害を受けたギリシャ人がドイツを相手方としてギリシャのレイバディア地方裁判所に提訴した事件(ただし、ドイツは、同訴訟がドイツ国家の主権を害するものであるとの理由から訴状の受領を拒否し、応訴しなかった。)において、同裁判所は、1997年10月30日、同訴訟に対する裁判管轄権を肯定した上、ヘーグ陸戦条約はギリシャによって批准されていないが同条約の内容はギリシャ及びドイツを拘束する国際慣習法の一部となっており、原告らの請求は、ヘーグ陸戦条約及びヘーグ陸戦規則、とりわけ同条約3条及び同規則46条により合法的であって、これらの請求は主権国家により行われる必要はなく個人の資格で行うことも可能であるとして、個人である原告らの損害賠償請求を認めた(甲230の1・2)。
この判決は、ドイツが訴状の受領を拒否し応訴したかったのに本案判決をし、かつ、主権国家の他国占領中の行為について主権免除の特権を否定したというものであるが、個人の加害国家に対する直接の損害賠償請求権を認めたものであって、原告らの主張に沿う国家実行例であると言える。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
一月三十日
午前十時二十分 軍参謀長来る 初年兵教育視察のため。曇り、風なし 零下十三度
郵便局へ二回往復した 自転車で行こうと思ったが なんだか昨日乗って嫌になった。昨日は一年半ぶりでは飛ばしたが 割合に心地よきも 軍服着てはあまり良い姿ではない。今日は乗るのが嫌で 歩いた方が良く思われたので 随分変わったなぁー。歩きながら思いつつ二回中々遠いが 歩くということが平気になった。浜にいる時分は乗り物でなければ行かなかったものを。
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
飼育方法
下の図のようにして、ノミを飼っていました。石油缶の中にネズミカゴに入ったネズミを入れ、そこにノミを入れてネズミの血を吸わせました。缶の底にはふすま〔麦のカス)・血粉・豆かすなどで床を作りました。ノミの卵は28℃にしておいて、卵から成虫になるまでに28日かかります。ノミの飼育のためにこの建物は一年中、ボイラーからのスチームで28℃に保たれていました。そのようにして、年中いつでも、ある一定量のノミを持ち出せるような状態にしておかなければなりませんでした。ここで、私たちが作っている時はノミはまだ汚染〔細菌ノミ〕にされていません。ただその後このノミをどこへ持って行って汚染するのかは分かっていました。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
3 遼寧
2 華北
1、河北
紀仇「地獄からの脱出」抄録
これらの中華民族の最も勇敢な戦士たちは、日本軍と戦った北平の保安隊員(※)であり、その他の中国軍が北平から退却した後も、彼らは西郊一帯で頑強な抵抗を続け、のちに捕虜になってこうした待遇を受けているのであった。
彼らは捕らえられて既に2日、毎日引き出されては拷問を受け、何も答えないと、獣のような日本人は、彼らの口を貫いている針金を熱して赤くなっているものに取り替えた。その時にはひとしきり生臭い臭いが鼻を突き、油条(小麦粉を練って細く揚げた食品)を揚げるような音が耳に突き刺さった。
※訳注:保安隊ー1937年7月28日、日本軍は北平に総攻撃をかけ陥落させた。北平駐屯の中国軍(第29軍)は当初抗戦したものの結局撤退し、一部は「保安隊」に改編されて北平に留まった。日本側資料によれば、この保安隊は武装解除されたはずであるが、本文にあるように抵抗を継続した部隊もあったのかもしれない(防衛庁防衛研究所戦史室『支那事変陸軍作戦』1、朝雲新聞社、1975年、225~228ページ)。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
3 1943年中の中国戦線における毒ガス戦 掃蕩剔抉と殲滅戦
江南・江北・常徳殲滅戦
続いて第11軍は、宜昌の南西地区と洞庭湖の北西にあたる地域にいる国民政府軍第73軍を撃滅するという江南殲滅作戦を実施したか、歩兵第65連隊は5月6日から6月25日までに「小あか筒」35本・「中あか筒」20本・「発射あか筒36本・催涙筒10本を使用した(同連隊「江南殲滅作戦戦闘詳報」)。
また、第3師団の歩兵第34連隊も、4月16日から6月16日にかけて「山砲赤弾」14発・「中赤筒」13本を使用し(同連隊「江南殲滅作戦戦闘詳報」)、さらに針谷支隊(第34師団)の歩兵216連隊第3大隊も5月9日から10日に「発射赤筒」を3本使用した(同大隊「江南殲滅作戦戦闘詳報」)。この作戦で中国軍の遺棄死体は3万766・捕虜は4279名にのぼり、第11軍司令部でこの作戦を視察した三笠宮崇仁親王は、5月30日に大本営で「敵の第73軍は、第161師を除き全く壊滅した」と報告している(防衛庁防衛研究所戦史室編「昭和17、8年の支那派遣軍』)。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章 残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
これら化学部隊の編成と時を同じくして、日本軍中枢部は各部隊に向け化学武器の使用に関する指示を発令していた。7月28日、軍参謀総長、閑院宮載仁が当時の中国駐屯軍司令官、香月清司に宛てた「臨命第421号」の中に「北京・天津地区での掃蕩に際し、適宜催涙筒を使用してよい」との指示がある。これが、日本軍が中国における本格的な残虐な毒ガス戦の幕開けとなった。
当然のことながら、日本側は国際間の化学兵器禁止に対する明確な態度を完全に了解していた。だから、前述のように化学兵器の使用を指示すると同時に、具体的な命令を出してその事実を極力隠蔽するのである。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
村落掃討
上級将校の罪行
野間栄作
V
糧秣の補給と整備を終えた部隊は、翌日の午前2時、下庄を出発して第一次の逆コースを取り、房山西北部の山間村落を焼き、略奪して百花山東側に進出した後、反転して11月7日未明、拒馬河上流の十渡村を北方から侵略攻撃した。
村落の北方3 km 地点で小勢の八路軍の伏撃を受けた部隊は、たちまち混乱状態に陥ったが、多勢を頼んでようやく交戦態勢を整えて、2時間後に八路軍が転進した後の十渡村に侵入、西方の高地を歩兵1小隊と機関銃で確保させて村落に侵入し、天井裏を破り、オンドル床を壊し、瓶の底を叩き、櫃の中を引っ掻き回し、血眼になって兵器や糧秣を探したが、全くの「空室清野」で目指すものは何一つに見つけることができなかった。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
5 「秘」の性格と内容
すべての文書が「秘」
自衛隊も全く変わらない。その実態について検討をすすめよう。前記航空自衛隊の「秘密保全に関する達」は、「秘」の指定基準として次の19項目をしめしている。
第11条 訓令第5条第3項の秘密区分の秘に指定すべき知識又は文書等は、次の各号の基準 によるものとする
(10)技術開発に関する計画のうち、極秘に該当しないが秘匿を要するもの
(11)予算に関する書類で秘匿を要するもの
(12)業務計画のうち、極秘に該当しないが秘匿を要するもの
(13)各種物件の調達計画で秘匿を要するもの
(14)編制及び装備のうち、極秘に該当しないが秘匿を要するもの
(15)衛生関係の統計資料で、秘匿を要するもの
(16)秘匿略号及び隠語表で極秘に該当しないもの
(17)調査及び秘密保全に関連する文書及び図画で秘匿を要するもの
(18)個々の場合、秘密区分の指定を要しないものであっても、総合編集の結果前各号の1以上に該当するもの
(19)その他訓令第5条第3号に照らし秘に指定することが適当であると認められるもの
「機密」から「秘」にいたる38項日におよぶ基準を検討するなら、自衛隊の基本的文書は、すべて秘密区分の指定を受けているといってよい。これに「取扱注意」を入れると、事実そういうことになる。むしろ秘密でないものの基準をしめしたほうが簡明であろうと“提言 ”したくなるのである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
2 生物・化学兵器と階級的視点
戦略兵器の変化
それは、ケネディとジョンソン、さらにニクソンが大統領の職を引き継いでいく過程において、キューバ危機、ベトナム戦争で現実に引き起こされ、「危機」の状態は全世界を巻き込んでいる。そして、こうした「危機」が、アメリカの産軍依存の体制によってつくられてきたのもまた疑いのないところであって、通常管理制度を媒介役とする新しい帝国主義は、それ自体の生んだ技術革新(軍需品の研究、開発投資)を栄養源とする恒久的な戦争の危機を生み、そのことで軍事支出を増やし、それがまた技術革新を刺激して“再生産過程外消耗”を促す生産向上の欠かせぬ要因となるという論理によって支えられているわけである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
Ⅲ
背景としてふたつの要因が彼に影響していた。1950年2月、ソ連は天皇の戦争責任問題を再燃させ、戦時中に生物・化学戦を裁可したかどで裁判にかけることを要求した。
そして4月6日には、共和党員の弁護士ジョン・フォスター・ダレスが国務長官ディーン・アチソンの特別顧問に任命され、国防総省と国務省の不一致で49年の秋以来足踏みしていた平和条約交渉が再開されるという推測を、東京とワシントンで生んだ。豊下は天皇・マッカーサー第10回会談の直後に蔵相池田勇人がワシントンに行ったとき、マッカーサーの財政顧間ジョゼフ・M・ドッジヘの政府のメッセージを伝達したと推測している。そのメッセージは、「(吉田の)政府はできるだけ早い機会に講和条約を結ぶことを希望する。そしてこのような講和条約ができても・・・・アメリカの軍隊を日本に駐留させる必要があるであろうが、もしアメリカ側からそのような希望を申出でにくいならば、日本政府としては、日本側からそれをオファするような持ち出し方を研究してもよろしい」という趣旨だった。
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
験はプルトニウム型である事が判明しており、北朝鮮の代理核実
験である可能性が高い。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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