2021年9月28日火曜日

細菌戦の系譜!!

         











2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演


『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎












自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

生物兵器、脅威に懸念 防御後手
(The Economist)2020.5.5

■2001年米国の炭疽菌事件で懸念高まったが
生物戦争への懸念は、2001年9月に米国の報道機関や上院議員らに炭疽(たんそ)菌が封入された封筒が送りつけられ5人が死亡し、しばし高まった。これをきっかけに公衆衛生も国家安全保障の一部となった。米国では空気中に散布された生物剤を早期検知する「バイオウオッチ」プログラムが導入され、30を上回る都市に検知器網が設置された。だが近年、シリア空軍によるサリン投下や、英国南部でロシアからの暗殺者らが兵器級の神経剤「ノビチョク」をドアの取っ手に塗った事件などから化学兵器への対応が優先されてきた。



 


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?


実験医学雑誌第16巻雑報

16巻10号(1932年)

学友会へ寄付

金27円83銭   岡田丈夫君

        佐野忠君

9月中職員異動調

月日      異動事項            官職     氏名

8.15             叙正6位                                       遠山祐三

9.1            任海軍軍医中尉                      嘱託        進藤宙二

9.8       医学博士の学位を授与せらる            嘱託        佐藤猪一郎

9.15             叙従7位                       嘱託        進藤宙二

9.16 依願伝染病研究所における治療研究業務嘱託を解く        佐藤猪一郎

9.20 昭和7年9月20日付願研究生入学の件許可す          渡会次郎

9.20       東京府下へ出張を命ず                  嘱託        中村二三郎

〃        神奈川県下へ出張を命ず                 嘱託        中村二三郎

9.28       千葉県下へ出張を命ず                  嘱託        中村二三郎

9.28       朝鮮へ出張を命ず                    嘱託        笠井久雄

9.29    京都大阪及び山口熊本県下へ出張を命ず   嘱託        菊地常雄 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)

(5) 条約の作成過程に照らした解釈(条約法条約32条)


イ 証拠(乙19)の弁論の全趣旨によれば、ヘーグ陸戦条約3条の作成過程に関し、次の(ア)から(ケ)までの事実を認めることができる。

(オ)スイス代表は、以下のように述べて、フランス代表の疑問に反論しドイツ代表の提案に留保なく賛成した。

「この提案が認めさせようとしている原則は全く正当なものであり、1899年規則(旧ヘーグ陸戦規則)の実際上の穴を埋めるものであると言える。

・・・・

 ドイツ提案の内容そのものについては、これが中立の者に許しがたい特権を与えるというのは誤りである。この提案が提示している原則は、損害を受けたすべての個人に対し、敵国の国民であるか中立国の国民であるかを問わず、適用可能である。これら2つのカテゴリーの被害者、即ち権利保有者の間に設けられた唯一の区別は、賠償の支払いに関するものであり、この点に関する両者間の違いは、物事の性質そのものにある。中立の者に対する賠償の支払いは、責任ある交戦国が被害者の国とは平気にあり、また、平和な関係を維持しており、両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にあるため、大抵の場合、即時に行い得るであろう。このような容易さないし可能性は、戦争という一事により、交戦国同士の間では存在しない。賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生ずるが、交戦国同士の間では賠償の支払いは、和平を達成してからでなければ決定し実施することはできないであろう。









731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

二月四日

午前七時半起床す 巡査あり 張台子煙台間 十五列車(午後七時十三分) 十四列車にて帰隊す。零下十三度

今日も巡察あり。本当に夜間の巡察だ 第十五列車にて張台子煙台間だ 帰りは十四列車午前0時半だからたまらない 今日の巡察もまた面白い胸を抱いて実現した。駅で彼女より手紙をもらった吉松が妬いて弱ってしまった。

非常に上手に封筒に日塔?の絵を書いて 中身は大したことはないが なかなか茶目ぶりには驚いた 話せるらしい 今に何とかするからね。夜の巡察なんてメンソワーズだ いかに楽しい手紙を持って巡察したからと言っても 寒さは抜けないからやりきれない 月は出るには出たが段々欠けてゆく 今にこの月が消えたら一寸先も見えない。線路上を歩かねばならないのだ 車中でも同情したり、珍しがられたりして色々話を仕掛けられるが、勤務中では思うようにもならず 不規則な就寝で眠たくて仕方がないが国の為なりと諦めてはいるものの。内藤が来る 日記も一々書き直してはいられぬ。


軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅶ 広島へのさまざまな旅



 被爆した時、村戸さんはほんの小さな子どもだった。ケロイドが村戸さんの顔を変えた。そこで、成長した彼女の日々の希望は、過去の、傷ついていない自分の顔を、見たいということであり、彼女自身の言葉を用いれば、≪失われた美≫を回復したいということであった。健康のためにというのではない、ただ、≪失われた美≫を取り戻すための手術を彼女は幾たびか受けた。その結果彼女が理解したのは、≪失われた美≫が、ついに回復されることはないということであった。それらの手術の後彼女は、広島の家の奥深く潜んで、じっと沈黙して暮らしている、ケロイドを持った数多くの娘達の1人として生きるべき前途を考えるに至った 。
 




原爆初動調査 隠された真実

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

ネズミを集め、ノミの飼育

フンドシ一丁の体にノミが・・・・


伊藤影明(いとうかげあき)

1855部隊

(略歴)

1924年生まれ

1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属

1944年 発疹チフスで入院

1946年 帰国

■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。


 捕虜のこと

1945(昭和20)年の2月頃に、第3課に陸軍の幌付きトラックで、捕虜、俗に言う〝マルタ”(これは帰ってきてから覚えた言葉で、当時は知らなかった)が運ばれてきました。私の友人が1階で捕虜がトラックから下ろされる様子を見ていました。私は衛兵勤務で、普段は空鉄砲(からでっぽう)でしたが、その時だけは実弾を5発持たされました。私たちは、〝マルタ”を収容する部屋を作るためにための準備に作業場の片付けをしました。3階の片側を〝監獄”(留置場)にして、そこでいろいろな実験をやったと思われます。その間は私たち兵隊がその場所に行くことは全く禁じられていました。私は、そのトラックが入ったことは知っていましたが、それがどのような捕虜で、どのようになったかということは、全くわかりませんでした。このようにして人が連れてこられたことが私の見た記憶でも2回ありました。








●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北

3 遼寧


2 華北

1、河北


野田実自筆供述書(1954年7月31日)


1942年10月下旬、河北省保定陸軍病院内外科病室に1名の傀儡軍〔原文:偽軍〕(中国人)負傷者を収容した。外科主任軍医中尉長田文男と私は、当時、外科医学雑誌に発表された膿胸手術法を採用することを計画しており、この患者を実験台にすることに決めた。手術は、窪田看護婦長と某衛生下士官が手術助手として、数名の衛生兵を指図して行われた。手術中に、患者の容態が急変し呼吸が停止したので、手術を中止し救急処置を取った。呼吸は回復したものの、容態は極めて悪かった。「どうせ中国人なのだから、殺しても構わない」ということで手術は続けられ、その患者は翌朝を殺害された。当時私の職務と階級は、保定陸軍病院附・外科病室附医官兼訓練隊主任の軍医少尉であった。

(1)119‐2、901、1、第5号



●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍


毒ガス戦の抑制と報復的毒ガス戦準備


この頃陸軍統帥部では、再度参謀本部作戦課長に就任した服部卓四郎大佐の統裁で、43年12月24日から約1週間にわたって今後の作戦指導を検討する兵棋演習(「虎号兵棋」)を実施したが、アメリカ軍の攻勢について非常に甘い見通しが示された反面、12月27日の議論では「殊に離島に於ける敵の瓦斯使用に関してはその公算相当あるに付き十分なる研究を為すを要す」(軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班機密作戦日誌』下)と連合軍による先制的な毒ガス戦の可能性についてはリアルに捉えていた。





・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第7章 残虐な毒ガス戦


動かしようのない事実


風速1.7mの東側にのって、毒ガスは中国側の中国側の陣地に広がり、激烈だった中国軍の射撃者はそれとともに次第に力を失い、統計資料によれば中国軍約500人が被毒した。中国軍が抵抗力を失うと、日本軍の歩兵が機に乗じて3キロ進攻した。7月7日払暁、日本軍は東韓村から南吉村にかけての3キロ四方に向け再び毒ガス筒5600(約3000)個を放出。前日の夜間、猛烈に反撃していた中国軍もこれにより迅速な撤退を余儀なくされ、日本軍はらくらくと前進した。第20師団は毒ガス弾使用によって進攻し、中国軍の被毒症状がひどくなって撤退し始めると、迫撃に転じ、速やかに運城を奪回。こうして山西南部の曲沃作戦は終わった。



加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

 虐殺

若夫婦殺し

島津酉二郎

分隊長 憲兵伍長

《略歴〉

本籍    和歌山県東牟婁郡

出身階級  手工業労働者

学歴    尋常高等小学校8年卒業

職業    鍛冶工

所属部隊名 前関東軍長春第2特別警備隊第2大隊

被捕時   1945年10月初旬

被捕地点  長春市南嶺

年齢    36歳


男の表情は今まで私に哀願しているとしか見えなかったが、今はたとえ八つ裂きにされても八路軍のことについては言わねえ、言わせられるとは思ったら言わせてみろ!・・・と思わせるような憎悪に満ちた形相に変わっていた。

 その形相に触れた瞬間、私は何者かに威圧されたような恐怖を感じて、1歩後ろに下がった。だが、とっさに、また凶暴性が出てきた。≪畜生!負けてたまるか≫私は体ごと男に飛びかかった。男の体が大きく揺れた瞬間、吊るしていた縄がきしるような音を立てて切れた。男の体は後ろ手のまま、うつ向けに倒れ落ちた。ゴッボッという鈍い音と同時に、男の胸部はまともに敷居の角に当たって、そのまま動かなくなった。手足だけがピクリピクリ痙攣している。女は狂ったように男に取りすがり、何事か訴え体をゆすぶったが、男は何も応えなかった。 





2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 

■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷 

8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

5 「秘」の性格と内容

モザイク理論の登場

また、空自達に 「総合編集」の結果が秘密になるという、いわゆるモザイク理論が姿を見せているのも問題である。西ドイツでは「それ自体は公表されている事実であっても、それを体系的に編集し充分に総合することによって得られた国家の重要な軍事能力の正確な叙述は国家機密たりうる」という連邦裁判所の判決があったが、1962年、NATOの演習「ファレックス62」の内容を暴露した雑誌『シュピーゲル』事件に関する連邦憲法裁判所判決(66・8・5)では、「すでに知られているか、あるいは一般に知りうる状態にある個々の事実を体系的に総合して、国防の重要な要素の正確な全体像を構成したばあいにも国家機密の漏洩があるとする理論は認められない」との意見が半数の裁判官から出され、憲法訴願自体は却下されたがモザイク理論は出版の自由に反するとして認められなかった。(石村善治「報道の自由と国家機密」、『法律時報』71年9月号および野中俊彦「西ドイツ―連邦憲法裁判所判例を中心として」、『ジュリスト』72・6・15)。 

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


生物・化学兵器の効果についての報告書(大要)

1969年7月2日


自然のバランス崩す

すべての兵器は人の生命を破壊するが、生物・化学兵器は、その効果を生き物だけに対して発揮する兵器の部類に属する。生物兵器が故意に病気をまき散らすために使用できるという考えは、人々に恐怖の念を生じさせる。ある種の化学薬品や細菌は場所と時を問わず、その潜在的な力が無限であるという事実、また、それらを大規模に使用すると、自然のバランスに有害かつ取り返しのつかない影響をもたらし得るという事実はこの種の兵器の存在によって生じる不安の念と緊張感を増大させる。これらの点を考慮すると、現在続いている軍備競争に関しては、これらの兵器は独自のカテゴリーに属する。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

2000人以上の学生が、伝統の国歌「君が代」ではなく「平和のうた」を歌って天皇を迎えた。彼らのシンボリックな行動と「エチケットを知らぬ」態度に衝撃を受けて、500人の機動隊と一般警官が構内に突入し、学生と小ぜり合いを始めた。翌日の新聞は京大で「世紀の不祥事」が起きたと報じて、学生に対抗した警察の肩をもった。8人の学生が平和的抗議のために退学処分を受けた。学生組織〔京大同学会〕は解散させられた。萎縮して自主規制する日本の新聞は、数週間にわたって不敬事件として扇動的にこれを報じた。全国でも地方でも多くの人々が「アホな赤」、エチケットを知らない若者として学生を非難した。しかし他方では天皇に反感を表明し、またはまったく無関心だと公言して学生を擁護する人々も同様に多かった。

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。



内容

第1条 禁止 - 締約国による核兵器や核起爆装置の開発・実験・生産・製造・取得・専有・貯蔵の禁止
第2条 申告 - 締約国から国連事務総長への過去・現在の状況の申告義務、申告内容の事務総から全締約国への送付
第3条 保障措置 - 国際原子力機関との保障処置協定の締結
第4条 核兵器の全面的な廃絶に向けて - 核兵器廃止国の廃止検証など
第5条 国内の実施 - 締約国の義務履行処置
第6条 被害者に対する援助および環境の修復 - 核兵器被害者への適切な援助、汚染地域の修復
第7条 国際的な協力及び援助 - 他の締約国との協力と相互援助
第8条 締約国の会合 - 効力発生後1年以内、以後は原則2年ごと
第9条 費用 - 締約国およびオブザーバー国の費用分担
第10条 改正 - 締約国による改正提案、改正手続き
第11条 紛争解決 - 条約の解釈・運用に関する締約国間の紛争の解決手順
第12条 普遍性 - 締約国から非締約国への当条約への参加の推奨
第13条 署名 - 当条約は2017年9月20日より著名可能
第14条 批准、受諾、承認、加盟 - 署名国による批准・受諾・承認の必要性
第15条 効力発生 - 50番目の批准後に90日で発効
第16条 留保 - 各条項への留保禁止
第17条 有効期間と脱退 - 有効期間は無期限、脱退は通告後12ヵ月
第18条 別の合意との関係 - 当条約と両立する限り、既存の国際協定に影響しない
第19条 寄託者 - 寄託者は国連事務総長
第20条 正文 - 6カ国語ひとしく正文




 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した








           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!











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