2021年9月21日火曜日

細菌戦の系譜!!

         











●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演


『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」










原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎












自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―




=福見秀雄=

自分の公表した論文の内容についても、平気で知らぬ存ぜぬとウソをつく、シラを切る。

このやりとりだけでも、彼の人格がよくわかる。

福見は1980年に予研を定年退官後、長崎大学学長に就任した。

凄惨な人体実験を繰り返した731部隊の関係者が国立大学学長に就任とは悪夢のような話であるが、事実である。

これが日本という国なのだ。

公益財団法人・黒住医学研究振興財団は、毎年、優秀な医学研究者に福見秀雄賞を授与している。

受賞者は誇らしげだが、福見秀雄の経歴を知っているのだろうか。

福見が長崎大学学長に就任した年に、教え子の長瀧重信氏が長崎大医学部教授に、

のちに医学部長になっている。長瀧教授の教え子が山下俊一教授、その後輩が高村昇教授である。



 


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置







 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?


実験医学雑誌第16巻雑報

16巻9号(1932年)

西部博士逝く

新潟医大に至っては、修得された組織培養の術式をRickettsia orientalisの培養に用い助手細野、宮沢の両氏とともに「組織培養内におけるRickettsia orientalis Nagayoの増殖」「組織培養法によるツツガムシ病病原体(Rickettsia orientalisに関する研究」「ツツガムシ病病原体(Rickettsia orientalis)の累代組織培養法の改良法について」「血管内皮細胞とツツガムシ病病原体(Rickettsia orientalis)との関係について」「ツツガムシ病病原体(Rickettsia orientalis)の三証明法(長與)、(緒方)、(西部)の比較試験」矢継に画期的な業績を学界に送り、実に目覚しい活動を続けられつつあった。伝え聞くところによると氏の最終の目的は細胞なき培地でRickettsiaの純培養にあったということである。勿論この研究は容易ならざる難事業ではあるが氏の優れた頭脳と旺盛な研究心とを以てすれば、必ずしも不可能のことではなく、学界の注目は実に氏の研究に集まっていたかの観があった。もしこの研究が氏の手によって解決されたら、独り我が学界の為に気を吐くのみならず純粋なる「ワクチンの製造を可能ならしめ引いては予防及び治療方面に一大光明をもたらすことは想像に難くなく、人類の幸福に寄与する所はまた大であったであろう。実に同氏の将来には輝かしい世界が待っていたと言うべきである。しかるに天この人に齢を仮さずと言うか遂に研究の途上にあって病を得て斃れたことは返す返すも残念なことである。

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)

(5) 条約の作成過程に照らした解釈(条約法条約32条)


イ 証拠(乙19)の弁論の全趣旨によれば、ヘーグ陸戦条約3条の作成過程に関し、次の(ア)から(ケ)までの事実を認めることができる。

(ア)ヘーグ陸戦条約3条の規定は、1899年の第1回ヘーグ平和会議において採択された陸戦の法規慣例に関する条約(以下「旧ヘーグ陸戦条約」という。)及び陸戦の法規慣例に関する規則(以下「旧ヘーグ陸戦規則」という。)の修正として、1907年(明治40年)の第2回ヘーグ平和会議で検討された。

 まず、ドイツ代表が、以下のような規定を新たに設けることを提案した。


第1条 この規則の条項に違反して中立な者を侵害した交戦当事者は、その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。交戦当事者は、その軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。

 現金による即時の賠償が予定されていない場合において、交戦当事者が生じた損害及び支払うべき賠償額を決定することが、当面交戦行為と両立しないと交戦当事者が認めるときは、右決定を延期することができる。


第2条 (同規則の)違反行為により交戦相手側を侵害したときは ,賠償の問題は、和平の締結時に解決するものとする。 







731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

二月一日

午前九時二十分 遼陽分遣上番 衛兵勤務 曇りあり微雪 夜より見事な月  内地も変わりないだろう  零下十九度 社内の何某と電話でベラベラ

 昨日の腹が立ったのに引き換えて、今日はその反動でもあるまいか 自ら作った喜びに一晩中寝ずに暮らした。今思っても微笑まずにはいられない。桃色の封筒来たならば・・・またひとしお微笑まずにいられない。中島が妬いて仕様がないが、面白いね。また何という親切な人だろうか。約三十分間の彼女との通話を左に記して軍隊生活の最大の思い出としたい。


軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅶ 広島へのさまざまな旅



 原爆を投下したアメリカの軍事責任者たちが、広島市民の自己回復力、あるいは自らを悲惨のうちに停滞させておかない、自立した人間の廉恥心とでもいうべきものに寄りかかって、原爆の災厄に高を括ることができたのであろうことを僕は度々考える。しかし、もっと広く、我々人類一般が、このように絶望しながらも尚屈服しない被爆者たちの克己心に寄りかかって、自分たちの甘い良心を無傷に保つことができたのであることも、我々は忘れてはならないであろうと思う。



原爆初動調査 隠された真実

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

ネズミを集め、ノミの飼育

フンドシ一丁の体にノミが・・・・


伊藤影明(いとうかげあき)

1855部隊

(略歴)

1924年生まれ

1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属

1944年 発疹チフスで入院

1946年 帰国

■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。


 北京での生活

また、華北全体の各支部出張所でネズミを買い取り、ある程度ネズミの数が揃うと第2分遣隊に連絡が入り、受け取りに行っていました。私自身、ネズミの受け取りに5~6回、北支防疫給水部の各支部(張家口、太原、天津、石門ー本部と同じで防疫給水の作業をしている)に行きました。華北は広いので、行く時はもちろん、汽車で行きました。ネズミを篭に入れて運んでいたので、きっと周囲にいた人は変な目で見ていたことでしょう。





●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北

3 遼寧


2 華北

1、河北

紀仇「地獄からの脱出」抄録


この同じ日、扉が開いて私は出るように命じられた。私は静かに銃殺を待ったが、思いがけず幸いにも釈放された。私は逃げた。死ぬのは何でもないが、幸いとせねばならないのは、日本が行った想像を絶する残虐行為とわが祖国の最も勇敢な8人の戦士の悲惨な死を、全中国・全世界の人民の前に報告できることである 。

(2)787、425


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦

 3 1943年中の中国戦線における毒ガス戦  掃蕩剔抉と殲滅戦


江南・江北・常徳殲滅戦


第1線部隊が行った毒ガス兵器の人体実験

この一文を読んだ筆者は、吉見義明氏と共に1999(平成12)年7月27日に倉岡氏の自宅でヒアリングを行ったが、同氏によれば、この人体実験は師団参謀長の大佐(佐方繁木大佐か)の統監で毒ガス戦教育の一環として毒ガスの効力を確認するためにガス掛(係)将校を10人ほど集めて行われたもので、スパイ容疑をかけて捕らえた3人の中国人男性を対象に、94式山砲を用いて75 mm 「きい弾」を1人あたり3発ぐらい使用、被験者は全員死亡したという。中国戦線では、中国人を対象にした毒ガス人体実験が第1線部隊で行われていたのである。




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第7章 残虐な毒ガス戦


動かしようのない事実



降伏後、政府に設けられた第1復員省史実調査部が、これらの資料を受け継ぎ、秘密裏にタイプ印刷により複製された。しかし占領軍の追跡調査を避けるために、タイプを打つ際重要部分に改ざんが行われ、司令官の名は省略された。複製後、原文はある旧将校が自宅に保管、1960年にこの将校が死ぬと、防衛研究所のの戦史部に移された。だが、その前に、防衛研究所は既に写真撮影による複製を行い、マイクロフィルムで当資料を保管していた。当資料の秘密厳守期限が切れると、研究所での閲覧を希望する者が出て来た。そのうちの一人、エムテイ出版社は防衛庁の同意を得、当資料の印刷発行を計画した。そしてこの時、驚愕すべき事実が明るみに出た。全部で2561号を数える命令と指令のオリジナル中、3分の1近くが紛失していたのである。管理責任者の言によれば、文書を引き継いだ際と変わらない状態だったという。紛失された文書の中にこそ、日本軍が糜爛性の化学兵器を使用したことに関する内容が含まれており、当文件の目録中にある「きい剤」の字句も塗り潰されている。幸い、以前に作ってあったマイクロフィルムによって、問題部分の内容を知ることができた。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

 虐殺

若夫婦殺し

島津酉二郎

分隊長 憲兵伍長

《略歴〉

本籍    和歌山県東牟婁郡

出身階級  手工業労働者

学歴    尋常高等小学校8年卒業

職業    鍛冶工

所属部隊名 前関東軍長春第2特別警備隊第2大隊

被捕時   1945年10月初旬

被捕地点  長春市南嶺

年齢    36歳


「畜生!村の奴らに逃げられた。どうして奴らはこんなに逃げ足が速いんだ。野郎ら逃げるんならそれもよかろう、奴らが再び帰って来られないように村中丸焼きだ」

むしゃくしゃする腹の虫を抑えようもなく、煙草をふかし始めた。それから間もなく、私の使っている3名の密偵が二2名の男女を捕らえ、足蹴にしながら私の方に近づいてきた。≪しめた、いい若者を捕らえた。こいつは大したもんだ。こいつを絞れば素晴らしい情報を取れるぞ≫と、今までむしゃくしゃしていた気持ちは吹き飛んだ。密偵の1人が飛んできた。「報告、伍長、今捕らえた2人はこの村の者で、八路軍の工作員です。私が昔この村に商売に来た時、この2人は村人から八路軍の糧秣や靴を集めておったのです」と、勝ち誇ったように、もっともらしく言った。



2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 

■ 第 31 回『衛生学校記事』情報公開裁判:10 月 21 日(木)15 時~103 号法廷 

8 月 25 日、5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時
■ 第 20 回『化学学校記事』情報公開裁判:11 月 10 日(水)11 時~703 号法廷


◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

5 「秘」の性格と内容

「秘」は公知の事実  

川崎一佐事件の第1審判決文から、実質的にも「秘」にあたると判示された記載事項の具体例と、その理由を紹介しておこう。自衛隊の秘密の実体と、その秘密主義的体質をしめす貴重な資料であるから、該当条項ごとに整理しつつ、全部を掲出することにしたい。空自達第11条1号(平常時における部隊行動、配備計画など)にあたるとされた秘密は、

(9)弾薬の備蓄 (弾薬の各年度の取得数量が記載され、あわせて3次防末における弾薬の備蓄について言及している)

(10)防衛力整備の重点項目(F104戦闘機につける機能、新戦闘機についての基本的な考え方、ナイキの増強、新しいレーダーの採用、弾薬の備蓄などが記載されている)

(11)バッジの現組織の完成時における能力、用法、問題点ならびに3次防における整備目標 (昭和42年度末に建設が終るバッジの処理能力、すなわちレーダーに写ったものを主に計算機を使用して分析し、敵味方を判別し、敵機を迎撃する戦闘機をコントロールする能力、地区別の能力が数字で記載されている)

(12)防空組織(バッジ、要撃機、対空ミサイル)の運用要領とその能力(3次防末における迎撃機、戦闘機の数、対空ミサイルの数、それらの運用関係、撃墜率などの記載があり、とくに後者についてはwargameによる相当詳細な数字がしめされている)

(13)弾薬の整備(F104戦闘機の搭載弾薬、ナイキの弾丸について、3次防末までに取得することを要する数量の記載が年度別に具体的数字をもって示されている)

(14)要員の充足 (バッジ操作員、バッジ整備員のそれぞれの要員充足見積表があり、昭和41年以降昭和44年までの間の毎年4半期ごとにバッジ操作員、バッジ整備員の養成されていく数が示されて、バッジの能力が判断される資料がある) 

(15)自動運用に必要な部隊練成訓練 (昭和41年度から昭和43年度までの間における各方面隊ごとの機材の運用能力、バッジの運用能力を知りうる表があり、これを見ればわが方の機材の運用能力が判断される)

(16)F104Jの可動率の見通し見積(昭和41年度から昭和43年度までの間における各航空団ごとのF104J戦闘機の可動率が数字でしめされており、これはこの国の秘密の一番大きな対象となっている)

(17)行動用資材の取得配分(昭和42年度において取得し配分する弾丸その他行動用資材の数量を数字でしめす表がある)

(18)高射部隊の建設構想 (高射部隊の設置場所、時期、規模をしめす表、その部隊展開にいたるまでの用地取得、施設工事の概要、養成するナイキ操作員を数字でしめす表がある)

(19)航空弾薬整備計画(備蓄弾薬類の取得計画AAM〔空対空ミサイル〕取得計画、訓練用航空弾薬使用計画、落下タンク備蓄計画などの、いざという場合の実力の一部を把握するに足る資料がある) 

(20)ナイキミサイル整備計画(昭和47年度までの年度ごとの取得数が記載されている)

(21)地上火器用弾薬整備計画(航空機に搭載しない小銃、機関銃の弾薬の年度別備蓄、取得計画、訓用使用計画など)

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

2 生物・化学兵器と階級的視点

生物・化学兵器と階級的視点


 一方、国家独占資本主義を強化するに従い、階級間の矛盾が激化していくわけであり、体制維持のための化学兵器が階級抑圧の手段として用いられてきたことは歴史が示す通りであったし、生物・化学兵器が階級問題として論じられなければならない理由もそこにある。冷戦戦略の進行とともにその価値が重視されてきたのはそのためであった。69年7月10日に、イギリスがジュネーブ軍縮委に提出した「生物戦争防止に関する条約案」で、生物兵器に内容を限定し、催涙兵器類の暴動鎮圧に利用しうる側面をむしろ評価し、日本政府が催涙ガスを毒ガスでないと規定しているのも故なしとはしない。国家権力の暴力装置である自衛隊が、核にかわる戦略兵器(階級闘争の抑圧手段としての兵器であるという意味も含めて)として、生物・化学兵器の開発、製造、保有に執心する理由もそこにあるのである。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第16章 神秘性をとりもどす

 1951年1月25日、ダレスは東京に戻り、残る課題に取り組んだ。彼は最初のスタッフ会議で、問題の核心は「我々が必要とするだけの兵力を必要とする場所に、必要とする期間駐留させる権利を獲得できるかどうかである。」と述べた。日本全国に無制限の軍事力を展開できるようにすることを望んだダレスは、日本がアメリカの譲歩を引き出そうとすること警戒した。しかし吉田は、独立後の日本におけるアメリカの特権を制限する努力を形式的にさえ行わず、すんなりと受け入れた。アメリカは基地と治外法権を獲得し、さらに日本は5万人規模の「代用」軍隊までも創設することになった。明らかに吉田は無能だった。しかし、基地の貸与によって影響力を確保したり、アメリカは親切心から日本に軍隊を残すのだというダレスの主張を論破したりするべきはずのこの交渉で、吉田の立場が弱かったのは、彼自身の不手際もあったが、それ以上に天皇の介入のもとで折衝しなけれならなかったためである。


 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。


歴史
1997年11月、mNWC(UN Doc. A/C.1/52/7)がコスタリカ政府により国際連合事務総長に届けられ、国際連合の加盟国に配布された。
2007年4月、mNWCはNGOコンソーシアムを招集した核政策に関する法律家委員会(Lawyers' Committee on Nuclear Policy, LCNP)を通じ、コスタリカ及びマレーシア両政府の共同提案として、国際連合の核拡散防止条約(NPT)運用検討会議の第1回準備委員会(Preparatory Committee for the 2010 Review Conference of the Parties to the Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)に改訂版の「NWC」(UN Doc. A/62/650)として提出された。NWCは、以下の項目について核の取扱いを禁止している。
1.開発(development)
2.実験(testing)
3.製造(production)
4.備蓄(stockpiling)
5.移譲(transfer)
6.使用(use)
7.威嚇としての使用(threat of use)
2011年10月26日〜31日、国連総会で軍縮・国際安全保障問題を扱う第一委員会が52の決議を採択した。このうちマレーシアなどが提出した核兵器禁止条約の交渉開始を求めた決議が127か国(昨年より6か国多い)の賛成で採択された。




 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した










           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!











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