●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)
●2021 9 17 浅井基文講演
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
56、第2次世界戦争の戦争責任について、当時はっきり負っていないから、戦後の問題になってしましました。1990年代、高橋哲哉という哲学者は戦後責任という議論を提出しました。その中には、記憶の継承という点はとても重要だと感じました。このパネル展は戦争の記憶が喚起され、とても大きな意味があると考えています。いろいろ勉強になってありがとうございました。
(女性、20代、市外、学校)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第16巻雑報
16巻10号(1932年)
16巻10号(1932年)
学術集談会会開催
9月20日集談会開催。演題は次の通りである
1、主栄養素を異にせる場合における筋疲労の血液像に及ぼす影響について 武田英一君
2、急激なる温度の変化が血液像に及ぼす影響 柏崎晃君
3、波佐見熱の病原体並びにその自然保有者について 阿部俊男君
4、欧米視察談(総説) 遠山祐三君
日仏生物学会成立
かねてより本邦生物学者の間にあって、待望されていた。日仏生物学会は、今回2,3有志の非常な異常な尽力によっていよいよ成立の運びに至った。去る10月4日帝大山上御殿に於いて第1回総会が開かれ都下著名の生物学者が参集し、会則、役員を決定した。会長には長與伝研所長、幹事には日本人側を代表し、佐藤秀三教授。仏人側を代表してシモット氏の就任を見た。尚、事務所は東京市神田区駿河台鈴木町26番地、日仏会館内に置かれることとなった。
同会はパリの生物学会の連盟学会であって、その事業はまず日仏生物学者の親睦と連絡を図る他、我邦生物学者の業績を同会誌なるComptes rendus Seances de la Societe de Biologieに特に本会のため提供された紙面に発表し掲載し、あまねく世界の学会へ迅速に紹介の便を計ろうとするのを目的としている。これによって従来ややもすると、我邦生物学者が、発表機関の不備から受けつつあった「プロオリテート」の点で損失から免れるわけで今回同学会の成立は我邦生物学研究家にとって何よりの福音である 。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)
(5) 条約の作成過程に照らした解釈(条約法条約32条)
イ 証拠(乙19)の弁論の全趣旨によれば、ヘーグ陸戦条約3条の作成過程に関し、次の(ア)から(ケ)までの事実を認めることができる。
(エ)フランス代表は、ドイツ提案が中立国の市民と交戦国の市民とで扱いを異にしている点に疑問を呈して、次のように述べた。
「ドイツ提案は、非常に深刻な別の根本的反対を引き起こす。即ち、この提案は、今まさに第2小委員会が議論している中立国の者の処遇についてのドイツ提案に見られる、中立の問題に関するドイツ代表団の非常にはっきりとした主張の直接の帰結と考えられ売るのである。との主張は、中立国の国民と侵略地又は占領地に居住する交戦国の国民とを区別し、前者に有利な地位を与え、彼らにいわゆる中立の配当を認めんとするものである 。
私はここで、仏代表団はいかなる意味においてもこの考え方を受け入れることができず、個人のためにとられる保護措置は、『中立の者』か『交戦相手側の者』かにより区別を設けることなく、全ての者に対し同様に適用されるべきであると考える旨繰り返したい。ドイツ代表団により提案された文案は、まさにこの区別を確立せんとしているようである。なぜなら、その第1条に於いては『中立の者』に対する損害についてしか語られず、『交戦相手側の者』は第2条においてしか扱われていないからである。・・・・
・・・・現代の戦時規則により徐々に支配的となりつつある考え方、即ち、保護的措置であれ、抑圧的措置であれ、敵対行動に参加しない全ての個人を完全に平等に扱おうとする考え方に従えば、保護的措置が中立の者に限定されるのは受け入れられない。」
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
二月三日
晴 風あり 巡察あり 遼陽張台子間三里半 零下十八度 非常に風冷たく泣き出しそう 構内巡察あり
巡察あり遼陽張台子間三里半の行程は閉口だ。第二八一列車にて張台子に行く車の情景を書く。満州の小学生の通学ぶりを 満州の女学生は内地よりも早熟であることは実際である。小学校六年生位からは早くも変な風に見える テストを踏んだり わざわざ靴下を直したりその他色々ある。しかしこうした小さい車よりも 沿線の父母故に駅に貨物で通学する小供が約二十五名位ある。
今日は非常に寒く風あるために 僕は飛びそうだ 大子河の飯場で少し休ませていただく。矢張り日本人の人達は親切だ いろいろ話しているうちにお茶は頂く、ミカンは頂く、仕舞には入浴に入って行けなんて言われる。なんでも武豊の人だそうだ。広いようで狭いとは実によく云う 故郷が思い出されたもんだ。武豊なら海一つ隔てた割合に良い街だ そんなこと言われると一入故郷が思い出される。なんぼ辛いことか。
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
ノミの標本づくり
ノミの生産の仕事の後、庶務課の営繕係をやり、1944(昭和19)年の秋ごろには、ノミの標本作りの仕事に移りました。これは1階に作業場があり、私と下士官、高橋(故人)という同僚がいたかもしれません。ノミを徐々に濃度の濃いアルコールに漬けて、水分を取ってからパラフィンを溶かしたものに入れ固めて、ノミの標本を作る作業でした。これを“マイクロトーム”という装置で薄くスライスし、研究をしていました。
廊下を挟んで、反対側に滅菌室があり、主に私たちが器材の消毒に使用していました。ここには“ゴッホ”と呼んでいた滅菌器があり(正しくは、コッホ釜)、絵描きのゴッホから名前を取ったと言われていました。滅菌室の管理は厳しく消毒の際のみに許可を得て、鍵を開けてもらい利用できました 。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
3 遼寧
2 華北
1、河北
重富広一自筆供述書(1954年8月)
日付:1940年7月中旬。
場所:河北省密雲県石匣鎮駅西3、400mの田地の中。
命令者:独立守備歩兵第16大隊大隊長深野時之助大佐。
執行者:大隊隊付松尾元治軍医中尉と衛生兵2名、兵士2、3名
経過:1940年7月中旬、水堡子西南の戦闘で、1名の捕虜を捕らえた。私は古北口憲兵分隊隊付の玉井軍曹に尋問を命じたところ、捕虜は山西人で年齢25歳、従軍して2年、ということが分かった。その他に、玉井からその所属部隊・人員・指揮官及びそれまでの全ての行動などを聞いたが、現在では記憶に残っていない。私はその時の尋問の結果を第9独立守備隊司令部に報告した。
松尾は捕虜を使って、口腔内負傷で出血多量のため呼吸できない時に、咽頭下部を切開して呼吸できるようにさせる実験を行った後、それを殺害し、田地の中に埋めた(以上は大隊長から聞いたことである)。殺害状況及び大隊長と玉井・松尾の間でどのような交渉が行われたかは不明であるが、大隊長自らが殺害現場に赴いていることから推測すると、松尾は大隊長の許可を得ていたと思う。
(1)119‐2,873,1、第4号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
4 毒ガス戦をめぐる 日米の確執 アメリカ軍の毒ガス戦論計画と日本軍
アメリカ軍内部で対日毒ガス戦論が台頭
吉見氏の研究によれば、このような意見の背景には、アメリカ兵の犠牲を抑えることだけでなく、「日本軍は、中国に対していくつかの機会にガスを使用してきており、このため報復を免れる権利を放棄しているので、今やガス戦遂行のイニシアチブを連合国に譲り渡している」という意見も存在していたという(吉見義明「米国の日本軍殲滅『毒ガス作戦』の全容」)。一方、日本陸軍では、毒ガス戦関係者の間で「アッツ島及びタラワ・マキン両島方面守備隊の玉砕するやたちまち敵側がガスを使用したのではないかとの疑念が起こった」(小柳津政雄「化学戦研究史」)のである。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章 残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
第20師団は指令を受け、第1から第4特種指導班及び迫撃砲第3大隊を配属し、1万8000個のあか筒を準備し、命令に準じて主力の攻撃、襲撃時にこれを使用するべく配置した。
作戦は曲沃付近の澮河両岸において展開された。7月4日、日本軍は中国軍の秦崗鎮駐地に対して毒ガス弾を発射。7月5日、日本軍第20師団は大砲、迫撃砲を用いて、盈村、南下村を守る中国軍陣地に向け毒ガス弾390発を発射し、3.3キロ四方の毒ガス汚染地区を作り出した。7月6日朝、35門の大砲を西陽村、白水村、西明徳一帯の中国陣地に向け約1600発の毒ガスを発射。5時20分、日本軍は曲沃東南において澮河南岸の儀門村、北樊村一帯、4~5キロ四方に向け噴嚏性の毒ガス筒6000~7000個を放出。
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
虐殺
若夫婦殺し
島津酉二郎
分隊長 憲兵伍長
《略歴〉
本籍 和歌山県東牟婁郡
出身階級 手工業労働者
学歴 尋常高等小学校8年卒業
職業 鍛冶工
所属部隊名 前関東軍長春第2特別警備隊第2大隊
被捕時 1945年10月初旬
被捕地点 長春市南嶺
年齢 36歳
服を引き裂かれた女は、苦しみもがく夫の姿に髪を乱して、取りすがっている。それを背後から襟首を掴んで引き倒し、蹴り倒した。そしてなおも私に救いを求めて取りすがる女の胸を蹴って倒した。
「畜生!まだ言わねえか」
私は力いっぱい殴り続けたが、男の体は急に力が抜け、だらっとなった。
「野郎、のびたな」
私は男の頭を見上げた。男は精魂尽きて首を垂れていた。私は真下から男の顎を、思いきり棍棒で突き上げた。その瞬間、男は最後の力を振り絞り出したのか、顔を持ち上げると真っ赤に充血し、血に染まった顔をまともに私の顔に向けた。その形相、それは私に対する燃えるような怒りを表現している。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
5 「秘」の性格と内容
モザイク理論の登場
だが、こうしたもののほかに、なんとしても秘匿しなけれならないと彼ら考えている高度の軍事機密が現実に存在していることも事実である。その1つは「国土防衛」の枠を超えた攻撃用装備とその運用構想である。それは奇襲戦略の利点を確保するために徹底的に秘匿しなければならないし、なにより国民に知らせるわけにはいかない。いま1つは諜報関係の分野である。攻撃対象の手の内を、どの程度読んでいるかは絶対に知らせるわにはいかないのである。つまり、高度の秘密とは「国民的合意」の許容限界を全く逸脱した、よこしまな意図をしめすものか、そのための具体的な活動内容なのである。その他のものは公になっているか、軍事的意義からすれば取るにたりないもの、あるいは利権の対象になるものである。自衛隊の秘密を認める立場からしても、フローレンス前米国防次官補代理のいうように99・5%、すくなくとも秘密区分「秘」は全部公開せよと主張すべきであろう。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
生物・化学兵器の効果についての報告書(大要)
1969年7月2日
防御や治療の方法なし
1、この種の戦争への道がひとたび開かれると、必ずやエスカレーションが起こり、とどまるところを知らないであろう。従って、生物・化学兵器の存在は国際間の緊張を生むばかりでなく、いかなる国の安全にも寄与することなく軍備競争に拍車をかけることになるものと本報告書は結論する。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
Ⅲ
51年10月、天皇は京都府ほか3県の訪問を計画した。京都大学では1000人以上の学生が平和集会に参加し、吉田政権が9月8日に調印したサンフランシスコ平和条約と日米安保条約に抗議した。彼らはまた再軍備問題に焦点を合わせて「人間天皇」への「公開質問状」を発表し、「我々は、貴方が今また、単独講和と再軍備の日本でかつてと同じような戦争イデオロギーの一つの支柱としての役割を果たそうとしていることを認めざるを得ない」と述べた。天皇が11月12日に京都大学に着くと、大きなプラカードが彼を迎えた。
「神様だったあなたの手で、我々の先輩は戦場に殺されました。もう絶対に神様になるのはやめて下さい『わだつみの声』を叫ばせないで下さい」。
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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