●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
34、来る前に“21-2-21”にどこかで受け取った「ビラ」を見ていて、〔第6回〕と、充実したパネル説明と全体を見渡せる展示内容に感心しました。
連休中若い人々が多く来場してくれたらうれしいのですが・・・・・。
自分自身が少し知識が足りないパート(下記)を中心に見るようにしました。
・平頂山事件と満州国
・マレー侵略
・重慶無差別爆撃
DVD上映も731部隊「後編」他を見ました。
パンフ「731部隊・・・」¥100を買いました。
(男性、70代、市内、チラシ)
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第16巻雑報
16巻4号(1932年)
細谷、管両氏凱旋
上海に出征中であられた細谷、管両氏3月26日午後4時品川着。目出度く凱旋さる。
学友会懇親会
名古屋市で開催された各医学会に出席の為同志に集まれた会員の歓迎を兼ねて懇親会が地元会員幹部のもとに、4月2日午後6時から同市覚王山向陽館の大広間で開催された。
出席された会員は、80名で稀に見る盛会であったが、加えるに美妓30名が酒宴の間に侍ったので、一段の濃かな情緒が加えられた。
尚余興として、義太夫野崎村、長唄楠公、角兵衛獅子、最後に総踊、捧ぐる花があり。10時半盛会裡に散会。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
1 ヘーグ陸戦条約3条ないしこれを内容とする国際慣習法に基づく損害賠償請求について(争点1)
(1)原告らの請求根拠について
原告らも主張するように、ヘーグ陸戦条約第2条には、同条約及びこれに附属する「陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則」(以下「ヘーグ陸戦法規」という。)の規定は交戦国が全てヘーグ陸戦条約の当事者であるときに限り締結国間についてのみ適用するという、いわゆる総加入条項が規定されている。しかし、第2次世界大戦の交戦国中には同条約の締約国でない国も存在していたから、同条約は第2次世界大戦については直接適用されないことになる。そこで、以下に於ては、同条約を内容とする国際慣習法が成立していたことを前提とする原告らの主張について検討を進めることとする。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
一月二二日
無神経な者でも食べれない。カンメン包をかじりつつ午後0時半出発。愈々吹雪ははげしくなるが演習が始まる。酷寒と耐寒を兼ねたような行軍だ。歩いている間は暑いが休めば体中がいたくなる位寒い。道の半分は畑だ。下手に道など歩けば氷ばかりだ。数えきれないくらいころんだ人がある。面白いようであるが 危険此の上ない。演習は一三が攻撃だ。
初日だというのに山から山 雪野から雪野と斤候 命が縮まる 汗びっしょり部落戦闘に日本軍の威力を示しつつ舎営部落に急いだ。雪ますますはげしく非常に困難なり。
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
Ⅶ 広島へのさまざまな旅
原爆初動調査 隠された真実
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
ネズミを集め、ノミの飼育
フンドシ一丁の体にノミが・・・・
伊藤影明(いとうかげあき)
1855部隊
(略歴)
1924年生まれ
1943年 北支那派遣軍甲第1855部隊部隊配属
1944年 発疹チフスで入院
1946年 帰国
■この証言は1992年3月の戦争体験を語り継ぐ会(横浜)、731研究会の学習会での発言(94年11月)をもとに本人がまとめたもの。
入隊まで
6月1日に千葉にある気球連隊(第87気球連隊と記憶している)に入隊しました。入隊式が終るとすぐ栗山庁舎(学徒の行く大学演習場と言われていた)に行軍で連れて行かれ、そこに1週間いました、そこからすぐ、現地の“北支”へ転属ということで、7日に出発し、千葉から軍用列車に乗って両国・上野・東京と通り、9日には下関から船で釜山に向かいました。そして釜山から貨車で北京まで5~6日かけて行きました。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
3 遼寧
張丕卿の日本帝国主義による生体解剖の残虐行為に対する告発(1954年6月29日)
・・・・・・
1942年晩秋から43年春にかけて、満洲医科大学解剖室において前後5回くらいの生体解剖が行なわれた、被害者数は私の知るところでは約25名ほどで、1回は3人、1回は7人、1回は12人、それ以外の2回は2人から3人で、全て男性で年齢は30歳から40歳くらいであった。そのうち私の知るところでは朝鮮人1名、ドイツ籍の者1名、ロシア人5から6名、残りは全て中国人であった。これらの情況は解剖以後に知ったことで、当時の日本帝国主義者の規制は厳重で、生前の姓名、職業、住所などは中国人の知り得る事ではなかった。
(1)119-2、21,2、第18号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第6章 アジア太平洋戦争期の毒ガス戦
2 ソロモン諸島とアリューシャン列島をめぐる激戦と毒ガス兵器
ガダルカナル島攻防戦間の毒ガス配備
陸軍統帥部は、新たに第2師団をガ島に増加して奪回作戦を再興するすることに決し、第17軍司令部も10月9日に同島に進出したが、同日に軽迫撃砲用95式90ミリあか弾1万2600発が同軍に交付されている。(陸軍省兵器局銃砲課起案「作戦用弾薬補給の件」)。
しかし、10月24~25日の第2師団の総攻撃は失敗し、海軍は制空権・制海権を確保することが出来ず、ガ島奪回は絶望的となった。だが、毒ガス兵器はさらに第17軍へ増派された。11月6日に、第14軍が保有する92式75ミリ砲「あか弾」2560発・93式尖鋭100ミリ「あか弾」330発が第17軍に転送されている(陸軍兵器行政本部第1課起案「作戦用弾薬補給(転送)変更に関する件)
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第6章 悪魔の兄弟たちの毒ガス網
共同の人体実験
元731部隊と516部隊の隊員がともに証言しているが、そのガラス小屋で実験されたのは小鳥、ねずみ、犬、ニワトリなどの動物とさらに「マルタ」と呼ばれた人間だった。この装置の中で人間を使って多種の実験、異なった条件での実験をした。実験された人は、あるいはマスクを着け、あるいは普通の衣服を着て、あるいは裸であった。森村の本の起債では、実験の時、ガラス張りの外にはいつも6,7人いたが、普通は731部隊吉村班と写真班の構成員で、時には516部隊から来た技術将校、あるいは長春孟家屯から来た関東軍第100部隊の将校だった。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
村落掃討
上級将校の罪行
野間栄作
V
名刹西域寺の南方3㎞の構築現場に出かけた私は、農民が固い粘土層を木製円匙(えんび=シャベル)で掘っているのに驚いた、そこで牧田中隊長に「これで壕が掘れるか」と尋ねた。牧田は半分ぐらいに減った鉄製円匙を指して、「これで掘り起こして、木の円匙は“土はね”が主です、しかし軟土はこれでも掘れます」と答えた。「他に器具はないのか」と聞くと、牧田は苦笑しながら、「農具は焼いたり、壊したりした後は補充品がないのです。今頃鉄類が入らない様です。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
4 自衛隊の機密事項
正体不明の「機密」
庁秘訓令にもとづく陸海空幕の達についての検討をすすめよう。これらのうち、秘密区分の基準をしめしているのは、航空幕僚長が1968年11月28日付で定めた「秘密保全に関する達」(空自達第33号)である。その第9条は航空自衛隊における「機密」の基準として、次のように規定している。p56
第9条
訓令第5条第1号の秘密区分の機密に指定すべき知識又は文書等は次の各号に掲げる基準によるものとする。
(1)航空自衛隊の基本的な方針及び計画のうち、訓令第5条第1号に該当するもの
(2)航空自衛隊の出動(災害派遣を除く。以下同じ)及び出動準備並びにこれらに関連する基本的な計画及び情報で、最高度の秘匿を要するもの
(3)前号に関連する主要部隊の配備計画及び命令
(4)航空自衛隊の出動実力の全容を詳細には握するに足る情報
(5)将来使用されるものを含み、訓令第5条第1号に該当する装備品等及びこれに関する
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器
1 自衛隊の基本戦略
自衛隊の基本戦略
だからこそ、自衛隊の基本戦略は、「強大な軍事力を保有し、その威嚇、脅迫のみによって政治目的を達成する」「不戦屈敵」の思想(陸上自衛隊『化学学校記事』第13号・吉田太桂司化学学校長)で貫かれるのである。孫氏の「不戦屈敵」戦略は、このような“脅迫戦略”として理解することは根本的に間違っているわけで、よく使われる抑止戦略というのが軍事的には、戦争挑発の戦略なのである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
Ⅱ
この事件は、新しい君主制にふさわしく、行動の基準をいっそう改革する必要があることをはっきりさせた。巡幸が禁止され、その報道が主要日刊紙の紙面から姿を消したにもかかわらず、国民の人気を得ようとする天皇の努力は続けられ、それはまた君主制に垣根をめぐらす過程にもなった。
48年2月10日、社会党の主導する片山内閣は、同党の左右両派の対立が原因で総辞職した。憲法上は必要がないのに、彼はただちにそれを天皇に報告した。4週間後の3月10日、芦田均がふたつめの不安定な連立内閣を組織した。天皇は以前とまったく変わらず、「共産党に対しては何とか手を打つことが必要と思うが」と芦田に言った。芦田は、共産党も合法政党である以上、非合法なことをしないかぎり、告発はできないと答えた。また彼は、地方巡幸に関する〔批判の〕「投書が山の如く」GHQに届いており、それが新しい天皇制を危うくしていると警告した。こうして芦田は、片山が努力して成功しなかった宮中改革を続行する意図を明らかにした。天皇は約2ヵ月、漸進的な改革の論拠である得意の「振り子理論」を持ち出して抵抗した。しかし、最後には芦田は彼を説得し、側近高官の罷免に同意させた。その夏、巡幸の主な演出者だった大金、加藤、松平は舞台から姿を消した。
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1998年5月11日 シャクティ II 12 インド インドによる初の原子爆弾実験
1998年5月28日 チャガイ-I 9-12? パキスタン パキスタンによる初の原子爆弾実験
2006年10月9日 北朝鮮の核実験 (2006年) 1.5-15? 北朝鮮 北朝鮮による初の原子爆弾実験
2010年11月18日 ポルックス ? アメリカ合衆国 アメリカによる「Zマシン」と呼ばれる装置を使った初の臨界前核実験 このZマシンに関してはこの後2014年11月までの間に12回の実験が繰り返されている
2013年2月12日 北朝鮮の核実験 (2013年) 10-45? 北朝鮮 北朝鮮による初の強化原爆実験?
2016年1月6日 北朝鮮の核実験 (2016年1月) 10? 北朝鮮 北朝鮮による初の水素爆弾実験(懐疑的な意見もある)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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