2020年9月7日月曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

※日本も大統領制にして、国民投票で決めたらどうですか?           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   2020年夏「戦争」を考える!!

 

           被服支廠キャンペナーズと喋ろう
                 【日航機墜落事故の真相】

申し込み先のメルアドが間違っていました。失礼いたしました。


 


 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)





 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



 

第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報

 

第4性病発見は人体実験

 


 常石によると、小泉親彦は1931年4月から9月まで再度訪米各国を訪問したとされているが、この訪問が本当に欧米だったのかどうかいつも気になっていた。

 1931年には、宮川米次は長与又郎の体調不良(うつ病)のため、所長代理をしていた。この時期の宮川の動きを見るため、この年の「実験医学雑誌」の雑報を取り寄せた。雑報には欠番はなかった。

 1号から順に見ていったが、宮川が出張した記録はなかった。4号に、高木(逸麿)、大和田(信道)(東大、1928年卒)技手が外務省の嘱託として3月16日ブラジル出張を命じられ、12号には、11月21日今春来、南米出張中の両氏は、旅中恙なく、無事帰朝した、との記事が掲載されていた。岡西順二郎をはじめ短期欧米留学、短期外国出張は行き先をごまかす最良の方法と理解できた。高木逸麿は最後まで宮川米次の片腕として暗躍した人物である。

 背蔭河の結核予防の生体実験開始時の指揮は、小泉親彦、高木逸麿がとったと考えると謎は解けた。 


 

 




 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

中国の記者が見た判決公判見聞録 

會海波(湖南経済テレビニュースセンター記者)

 

中国日本世界各国のマスコミが殺到

 

 

 裁判所前での支援活動 

 その後、常徳はすぐにペストの恐怖に陥った。11月24日、中国赤十字総会の細菌専門家陳文貴は調査を行い、死者の解剖の結果、「常徳のペスト流行の原因は、ペスト菌に感染したノミを日本軍が投下したことにある」という驚くべき結論を出した。

 この歴史的事実は、数十年もの歳月が過ぎてようやく発見された日本陸軍大本営参謀の井本熊男の日誌の中に、常徳細菌戦に関する記述として存在していたのである。

 5年間の調査・証拠収集を通して、常徳では15000人もの細菌戦被害者が確認された。


 

 

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

一月三十一日


排英排日と小国民に打ち込む支那教育館では宣伝 強制的に歌わせる

支那の排外的行為あるいは排日宣伝等は 彼らの常套手段としてあまりに聞きなれている結果でもあるが 近時論議の声を耳にしないようであるが 日本の勢力範囲満鉄治下においてすら 極端な排日思想をみなぎり ことに遼寧省の教育館教育に名を借りて 一般小国民に世界列強の中国侵略政策を鼓舞、宣伝戦する計画あり 奔渓教育局では先の唱歌を作って排日排英のの宣伝に力を尽くしているがこれによって支那の排日気分がいかに露骨になりつつあるか 指揮者の十分考究すべきことであろう。

 



 

 

●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 7月30日(木)

12、加害と一言ではくくれない指導者の罪を見ました。アジア各国に顔向けできないと思うことばかり。昨夜、吉永小百合さんがクローズアップ現代で「忘れない、伝えよう」と語っていたのを思い出しています。戦後です、今は。戦前にさせぬように頑張りましょう。今日来れてよかった。ありがとうございました。

(女性、70代、市内、神奈川新聞)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書

 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

 やがて彼は座ったまま動けなくなり、躰はすさまじく腫れあがり、そして62年、かつての沖縄相撲の横綱は、むなしくバケツに半分もの血を吐いて死亡した。それでもなお、彼が原爆症で横死したことを確認できる医師は沖縄にいなかったのである。

 沖縄原水協が作ったリストに載っている135人の被爆者たちのほとんどが、多かれ少なかれ躰の異常を感じている。しかし彼らの不安を訴えは全て、沖縄の医師たちによって、疲労だとかノイローゼだとか言って退けられるほかない。最もそれは沖縄の医師達に責を負わせるべきでなく。本土から原爆病院の専門医が沖縄を訪れるかほかに解決しようがない状況であろう。我々は沖縄に20年間放置されてきた被爆者たちの不安と憎悪の総量の前で、尚眼を閉じ、耳を塞ぎ舌を縛り続けていられるだろうか? 


 

 


 

 

 

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編


 






 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 

 







●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

 

 

5、アジア太平洋戦争と科学動員による毒ガス兵器開発の展開

 

科学者の動員による毒ガス開発の推進

 

 戦争と科学者

 第6陸軍技術研究所の戦時研究員として敗戦まで毒ガスの研究を続け、戦後、第7代大阪大学総長を務めた赤堀四郎教授は、研究活動を回想して、「昭和19年には我々にも戦時研究に動員された。何か戦争に役立ちそうな事をしなければ研究物資は何一つ手に入らないようになっていた」とし、1945年春に「夜間敵が青酸ガスを用いて攻めてきたらどうして防ぐか考えて欲しい という 陸軍第6技術研究所からの希望があった」と話すのみで、新毒物の開発に関与していたことには触れていない 。

 

 

 

 

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

 

  死の谷踏査記

 

  案内役の徐振吉さんは40歳くらいの道路見回り工である。毎日鉄道線路沿いになくとも22 km 巡回している。長年の屋外作業が彼を頑強な体格に鍛え上げている。遠くの山並みを指差しながら、ここから毒ガスを埋めた山あいまで3時間以上歩かなければならないと告げる。往復には丸1日かかるという。私達の一行がかくも長い行程に耐えられるかどうか危ぶんでいたが、私たちが山に入る目的を知ると、敢然として案内することを決めた。そのうえ私たちが村で、撮影用機材や昼食、荷物を運搬するための牛車2台を雇うのに便宜を図ってくれた。私たちも調査の成功は、この案内役と2台の牛車のおかげであった。




 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

糧穀の略奪

冷酷非情な取り立て

 

引地 章(ひきじあきら)

警察署長 警正

(略歴)

学歴 高等小学校卒業

所属 旧満国 図們警察署

年齢 54歳

 

 40数名の農民たちは、警備隊の歩哨を遠巻きにして県公署の内側を覗くように、代表者と曲科長の対談を眺めていた。陽はだいぶ西に傾き、炎熱の太陽が飢餓と失望と憎悪の怒りに燃える人たちの横顔を無情に照りつけていた。

 引地は、先刻、早川かとぼけた顔で、この際、ネズミでも蛙でも、何でも食えと言ったことがおかしかったので、「巧いことを言ったですね―副県長・・・・」と言ったら早川は、「なあに君、農民の言うことをいちいち取り上げたり同情したりしたら、つけあがって始末に負えないよ。少し前線の兵士のことに関心を持たせ、苦労させてやらなければ、楽になった時は当たり前のように思って、少しも感謝することもないからね」と言うのであった。

 

 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

おわりにー傍聴闘争で裁判官を監視を!

新型コロナウィルス感染症のため第26回『衛生学校記事』裁判(4月23日)と、第16回『化学学校記事』(6月3日)は取り消され、追って指定となりました。

 裁判闘争勝利のカギは、“裁判官を監視する”ことです。皆さんの裁判傍聴で裁判所と被告国を追い詰め、政府の隠蔽秘密体質を打ち破りましょう。私達は確実に被告を追い詰めています。あと1歩です!(了)


 

 

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判も(第16回)東京地裁522号法廷は

未定になっています。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

 

二 生物・化学兵器と階級的視点


「間接侵略という言葉」


今日までギリシャを援助して来た英国政府は、3月31日以降いかなる財政的経済的援助を与えないこととなった。英国はギリシャを含む全世界各所において、従来の責任を軽減ないし清算せざるを得なくなったのである。 我々は、現下の危機において、国連がいかに影響を与えうるかについても考慮した。しかし情況は切迫していて、即刻の行動を要する。」

 1947年2月まで、共産主義革命防止の名目でギリシャ駐兵と、ギリシャ・トルコ両国へ経済援助を行ってきたイギリスは、3月31日をもってこれを打ち切ることをアメリカに通告した。

  

 

 

 



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

 戦争終結に果たした昭和天皇の役割については、型通りの解釈では、ソ連への調停の依頼、つまり広田弘毅とヤコブ・マリク〔駐日大使〕との会談や、東郷外相がモスクワの佐藤尚武大使に送った密電を、降伏のための重要な試みであると見なしてきた。しかし、6月から8月初旬にかけて行われた一連の予備交渉にたずさわった人間は、この交渉は不可避となった降伏を単に先延ばしにするだけの外交戦術に過ぎないと見ていた。ソ連に期待を膨らませていたのは、自らの大権を喪失しかねないという事態に苦悶していた昭和天皇と陸軍統帥部だけだった。

 

                    

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

最悪の地球加熱装置

―原子力発電所


 しかしそれは、メーカーがその製造技術を維持するために、廃炉の穴埋めにわずかな原発を建設しなければならない、というに過ぎない。彼らは、これら放射能の危険性を全く知らない発展途上国に対して原発を輸出したあと、その原子炉が生み出す高レベル放射性廃棄物という巨大な超危険物をどのように処分させるつもりなのか。これは100万年の監視を必要とするのだ。自国でさえどこにも処分できずに絶望的な壁にぶち当たっているというのに、アジアや中東の全く事情を知らない人間に対して、一体どのような責任を持てるのか。原子炉輸出メーカーとして東芝、三菱重工業、日立製作所は、発展途上国の未来を破壊する許しがたい企業である。


 


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

 

核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。

 

 

歴史的重要度の高い核爆発・核実験

年月日

名称(実験名)

核出力 (kt)

実施国

重要性

1945年7月16日

ガジェットトリニティ実験

19

 アメリカ合衆国

人類史上初の原子爆弾実験

1945年8月6日

リトルボーイ

15

 アメリカ合衆国

人類史上最初の実戦使用(広島市への原子爆弾投下

1945年8月9日

ファットマン

21

 アメリカ合衆国

直近の実戦使用(長崎市への原子爆弾投下

 

水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 











 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中