2020年9月19日土曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会




森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)


           被服支廠キャンペナーズと喋ろう

                 【日航機墜落事故の真相】

 


 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)








 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



 

第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報


日中戦争始まる


731部隊は1938年から活動開始


1938428日、城井尚義、西澤行蔵の退職記念祝賀会が盛大に行われた(雑報、225号)。彼らは伝研が文部省に移管した当時の難問だった、ジフテリアおよび破傷風の血清、痘苗の製造を手がけ、これを解決したからである。城井は「ジフテリア」、西澤が「痘苗」を担当した。八木澤正雄(1921年樺太出張中に腸チフスで死亡)は「破傷風」を担当した。

 この退職記念会で宮川米次は、「両博士には退職後は、以前設けた特別研究室でこれからも研究をしてもらう予定である。」と語っている。

 また「城井の門下には笠井がおり、西澤門下には特に多くの逸材が出ている。すなわち田辺文四郎。梶塚隆二(東大、1914年卒)、松浦光清(九大、1913年卒)、平野林(岡山医専、1911年卒)、北野政次、島津忠預(東大、1921年卒)、田中継雄(日医大、1933年卒)、家原小文治(九大、1915年卒)、早川清(東大、1930年卒)などであり。現在陸軍細菌学会の中堅である。」と述べている。


 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

中国の記者が見た判決公判見聞録 

會海波(湖南経済テレビニュースセンター記者)

 

判決の傍聴


 

 原告団の代表王選さんは、「これは自己矛盾かつ不公平な判決だ、これは犯罪者の保護であり、被害者への保護ではない。しかも、その犯人たちはずっと保護され続けている」と、怒りを抑えられないとといった様子で語った。私が「今後はどうするつもりですか」と尋ねると、王選さんは「もちろん控訴する。そして、正義を実現するまで闘うつもりだ」と答えた。

 常徳原告の徐万智さんの話は、180名の中国原告の心の声を代表していた。「判決は被害者の要求に応じていないので、我々は絶対受け入れない!!」と抗議した。 

 




 

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 


二月八日

晴 風なし 非常に寒し 零下十二度 分遣下番

今日は下番 朝 彼女が昨夜一時に電話をかけてきたというので、どんな用事か聞いてみた。一週間はずいぶん悪づらした。そして彼女の悲鳴であった。何もかも忘れたよー

中隊に帰って寝たれば、榊原が改心したとか何とか云って頭をクリクリにすった 非常に青々した坊主だ。これがありし日に若きマドロスとして行く港々に遊びまわったかと思うと、面白くてやりきれない。一週間の分遣で疲れてしまった故、中隊に帰る早々寝たが、友がなかなか寝付かせない。島井と共に寝たれども榊原の奴改心したと言うに、裏から寝台を立てられては寝ていられない。夜は夜で河口が来て 眠いのに狂い回った。中隊が良いとは云うものの、分遣も中隊に帰れば懐かしい。あと十ヶ月で満期になるのに呑気なもんだ。

 

●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 7月30日(木)

24.パネル毒ガス戦を日本側も行っていたとは知りませんでした。南京大虐殺は 写真は合成だ!等と言われていて、どちらが本当か知りませんでしたが、日本軍も認めたとあったので真実が分かりました。DVDもちょうど南京のものを観れて良かったです。これから仕事なので、もっとDVDを観ていたかったです。

【要望】日本の歴史として、戦争の展示会は好きで、興味があります。また行なって欲しいです。

(男性、40代、市内、神奈川新聞)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

1  広島への最初の旅


  安井理事長はこの質問もまた、誠意に満ちた様子で、しかし核心には触れず受け流す≪私はここへ率直に懇談するために来ました≫。彼を窮地に押し込みかねない質問はこれくらいだ。東京の理事はこんなことを言う≪今東京から予定をこえた参加者がどんどん広島入りしているのだ、大会が成功する条件はある≫。しかし、共産党と社会党の動員合戦がこの大会の癌の1つとなるだろうというのが大方の考えである。長野の理事は、カンパを世界大会の名において集めた以上、世界大会を開いてくれなくては困ると切実に訴えている。

 


 

 

 

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編


 序ー 731部隊がいかにして作られ、またいかにして歴史の闇に葬られたのか?


 ソ連側の石井の尋問はGⅡの立ち合いのもと形ばかりのものに終わる。アメリカ側は、フェルに引き続き、ジョーゼフ・ビクターとエドウィン・V・ヒルに調査結果をまとめさせ、部隊の主要幹部19名を渡米させて研究データのレポートを作成・提出させた。

 こうして日本の細菌戦部隊の幹部はどこからも罪を問われることなく、過去を隠滅して、戦後日本の医療の分野や医学界に復帰していったのである。

 








 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 


陰地茂一自筆供述書(1954年6月18日)

  1944年6月頃富錦憲兵分隊で、小野武次ほか7名が石井部隊にいそうして化学実験に使うと決まった中国愛国者6名を富錦からハルピンへ護送する際私がそのための手錠と縄を用意した当時、私は兵長庶務助手であった。

 1944年12月富錦憲兵分隊で、佐藤幸雄ほか2名が石井部隊に移送して化学実験に使うと決まった中国愛国者男子3名を、富錦からハルピンへ護送する際私が手錠と縄を用意した私は当時伍長庶務助手であった。

(1)119-2316,1、第5号




●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

 

 


 6 日本海軍の毒ガス研究


海軍毒ガス兵器の種類と用法


 また、1938年4月に作成された海軍における爆弾の実験研究整備方針には以下の2種類のガス弾薬の開発が示されていた。まず、一号通常陸用爆弾(30㎏爆弾)は、「艦船及び陸上掩護物内部を毒化し人員殺傷と共に除毒、防毒等の為に戦闘力を減殺せしむ」とし、「持久性大にして即効性なるべく大なる特薬を有すること」などの性能が要求された。また、一号陸用爆弾(60㎏爆弾)については、「陸上飛行場、交通線、陣地等に散毒、人員を殺傷し、除毒、防毒等の為に戦闘力を減殺すると共に敵国民に大なる精神的な打撃を与う」るとし、「特薬の有効散布界なるべく大なること」「急速多量生産に適すること」が要求されている(日本海軍航空史編纂委員会編『日本海軍航空史』(3)制度・技術編)。





 

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

 

苦しかった過去を回顧する、忘れ難い調査

 

日本軍が遺棄した化学兵器の被害者、崔英韻先生と証人周乃栄先生を訪ねる

 今年1月、私たちはハルピンの師範大学に、かつてチチハルで毒ガスの被害を受けた先生がおられるということを聞いた。これはとても重要な消息なので、私たちはすぐに仕事をやめて、何はともあれお目にかかって事情をお聞きしたいと考えた。








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

糧穀の略奪

冷酷非情な取り立て

 

引地 章(ひきじあきら)

警察署長 警正

(略歴)

学歴 高等小学校卒業

所属 旧満国 図們警察署

年齢 54歳


 1943年1月、県民が、収穫物のほとんどを強奪され、飢えと寒さで死にかかっているとき、依蘭県公署の日本人官舎は、三味線入りで、飲めや歌えのドンチャン騒ぎをしていた。彼らの正月である。早川と引地の家の玄関には、こもかぶりの四斗樽が据えてあった。県整備委員会は、県民に対する配給物資を二割天引きしているので、何でも自由にできるのである。川魚は泥臭いと言って、肴は鯛に鮪、獣肉は神様に対して穢れになるからと、引地の家の倉庫の中には、猪15頭、鹿2頭、雉子200羽が積み込んだままになっており、米と果物も山とあった。だが、約10日間の酔いがさめると、早川も引地も、盗人が昼寝から覚めたように、慌てだした。出荷は、やっと70%を少し突破しただけだからである。



 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)


3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点

この点に関連し、故藤井治夫氏(軍事評論家)は、自身の著書の中で次のように述べていました。

即ち、「防衛庁図書館(国立国会図書館防衛庁分館)の毎年度の『図書目録』を見ていると、公刊資料が次々に姿を消しているのがわかる。68年度と69年度を比較してみよう。定期刊行物で目録に収録されなくなったのは、陸上自衛隊の『幹部学校記事』、『航空自衛隊幹部学校記事』をはじめ、陸自の『富士学校記事』『化学学校記事』、『会計記事』、『施設学校記事』、『衛生学校記事』、『武器』、『高射』、『通信電子』、『輸送』などで、いずれも月刊ないし季刊の公刊雑誌である。その多くはアメリカは勿論、韓国、台湾や、西ヨーロッパ諸国の軍隊にまで送付されているのである。目録から消えたばかりか、現物も図書館に置かれていない。教範類も完全になくなり、『防衛庁法規類集』さえ置かれなくなった。近頃では、陸海空自衛隊の『公報』さえも消えてしまった。書棚はガラガラで、戦記読物や大衆小説が並んでいるにすぎない。」(『日本の国家機密』(現代評論社、197210月、76頁)と指摘していました。

 


 

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

 

二 生物・化学兵器と階級的視点


生物・化学兵器と階級的視点

 一方、国家独占資本主義を強化するに従い、階級間の矛盾が激化していくわけであり、体制維持のための化学兵器が階級抑圧の手段として用いられてきたことは歴史が示す通りであったし、生物・化学兵器が階級問題として論じられなければならない理由もそこにある。冷戦戦略の進行とともにその価値が重視されてきたのはそのためであった。69710日に、イギリスがジュネーブ軍縮委に提出した「生物戦争防止に関する条約案」で、生物兵器に内容を限定し、催涙兵器類の暴動鎮圧に利用しうる側面をむしろ評価し、日本政府が催涙ガスを毒ガスでないと規定しているのも故なしとはしない。国家権力の暴力装置である自衛隊が、核にかわる戦略兵器(階級闘争の抑圧手段としての兵器であるという意味も含めて)として、生物・化学兵器の開発、製造、保有に執心する理由もそこにあるのである。

 


 


 

 

 



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

 統治エリー卜が考えたもうひとつの降伏条件の例が「和平交渉の要綱」である。これはモスクワ特使の件を近衛が不承不承受け入れた後に、近衛とその助言者であった退役陸軍中将の酒井鎬次が、起草したものだった。この要綱が統治エリート間で回覧されることはけっしてなかったと思われるが、そこでは天皇制の維持(大権のほとんどを含む)を和平のための絶対的な最低要件と規定していた。同文書は、「固有本土」は千島列島南部を含むものと規定したが、沖縄、アメリカが占領する小笠原諸島ならびに南樺太を含むすべての海外領土については、その放棄を示唆して敵国に譲歩する意を示していた。「要綱」は、また不特定の期間、完全な武装解除を受け入れるとしており、軍人の復員と武装解除の点についても自主的な武装解除と復員を主張する陸海軍を抑えて連合国側に妥協する内容のものだった。  

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

最悪の地球加熱装置

―原子力発電所


自然破壊の実態


 カリフォルニア大学とオーストラリアの共同研究チームが2003年8月15日に科学誌「サイエンス」に発表した報告によると、ほとんどのサンゴ礁の環境は、人間が周辺に定着した直後から悪化し始め、20世紀に入る前から急速に悪くなり始めたことが判明している。「過剰な漁業と地上からの汚染物質の流入」が、最大の原因であり、サンゴが死滅する白化現象が20世紀後半に問題になる以前から、人間活動の影響で、サンゴ礁の環境破壊が進んでいたことが裏付けられている。

 

 


 


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 



中華人民共和国




中国初の核爆弾(模型)

1964年10月16日 初の核実験「596 (核実験)」。

1967年6月17日 初の水爆実験。

詳細は「中国の核実験」を参照


 

 


 



水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 

















 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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