2020年9月10日木曜日

細菌戦の系譜!!

  中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

※日本も大統領制にして、国民投票で決めたらどうですか?           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   2020年夏「戦争」を考える!!

 

           被服支廠キャンペナーズと喋ろう
                 【日航機墜落事故の真相】

申し込み先のメルアドが間違っていました。失礼いたしました。


 


 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)











 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



 

第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報

 

第4性病発見は人体実験

 


日本脳炎も生体実験


 我が国の研究者は、1934年夏の流行待っていたが、日本脳炎の流行は見られなかった。そのため日本脳炎の研究はアメリカに一歩リードされた。

 日本医事新報社の梅沢彦太郎社長は、1935年9月5日と10日、2回にわたって流行性脳炎座談会を開いて記録を残すと同時に、わずか1ヶ月後を締め切りとして原稿を集め1冊の貴重な記録を出版した。林、竹内はこの座談会には出席していない。

 

座談会に出席した三田村篤志郎(東大 1911年卒)は、次のようなことを話している。

「1933年の流行に際して竹内は、岡山市で発症し、死亡した東野という患者の脳をマウスに接種し、5代のマウスにおいて今日から見れば典型的な発症を認め、しかもその状態を見事に活動写真(映画)に収めたのであるが、他の仕事(猿の実験)に忙殺されたためか、ついにそれよりの移植実験が行われなかったのは、返すがえすも遺憾であった。我々は当時氏らと実験室をならべて、研究に従事した者として目撃したまでを書き留めておく次第である。



 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

中国の記者が見た判決公判見聞録 

會海波(湖南経済テレビニュースセンター記者)

 

中国日本世界各国のマスコミが殺到

 

 

 裁判所前での支援活動 

 1940年10月、日本軍は寧波にペストに感染したノミを投下した。1940年11月から12月にかけて、少なくとも109人が死亡した。

  1942年8月、日本軍は江山に、コレラ菌を混入した食べ物を置き、コレラを流行させた。1942年8月の1ヶ月の間に、江山県城、蔡家山と七里橋などの農村では、少なくとも100人が死亡した。



 

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

二月一日

駅の車内電話交換所の中島〇子さんと言ふ遼陽の一娘さんの 名前は残念だか知らない。僕の上番記念だから一つ話をしかけてみようと思って 大蓮に送る写真の振替えを 当たって砕けろ式に撮った所 案外成功したのは珍しい。僕の腕?彼女の物好きか。多分両方がこんな珍しい話を取り持ったのだと思う。

「ああ、もしもしちょっとお尋ね致します。あの遼陽の郵便局は何処らへんにありますでしょうか。すみませんがお知らせください。。」「郵便局です?局はね、駅をご存知でしょう?」やや笑顔を含んだからかいの声「ハハハご冗談でしょう。駅を知らないことはありませんが」「駅の前に木があるでしょう」「ええ、どんな木なんです?」「木って林よ。あるでしょう」「ああ、林ですか、早く言えばいいのに」「林の後ろにあるでしょ」「何が?」「何って家よ」話を段々進め仕舞には此の振替えも見知らぬ女性に頼んでしまった。非常に愉快だ。そして午後8時半にはその見知らぬ人と顔を合わせた。小さいがなかなかよく揃った体だ。人並みより小さい背丈によく合った洋装 おしろい 口紅 一見十七歳ぐらいに見える。しかし女はなかなかわからないからね。此の一週間の分遣は楽しい日が続くように思われる。


 

 

●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 7月30日(木)

15、日本の戦争責任や加害の歴史についてある程度は、知っていたつもりだが、改めて、写真や文書(史料)と見ると、非常に心打たれるものがある。日本も先の大戦で大きな戦争被害を被ったものの、こういった「加害」の方の視点を知ることは、我が国の今後、いかに同じ歴史を繰り返さねいようにできるかを考えるうえで極めて重要だと感じた。今の日本社会にはびこる歴史修正的な風潮に一石を投じるような素晴らしい展示でした。

【要望】もっと展示を長くやってほしい。プラス他の会場でもぜひ。そもそも知らなかったのでもっと大規模にPRしてほしい。

(男性、20代、川崎、たまたま訪れた)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

現在の沖縄の水準の医療保障である限り、被爆者たちが沖縄で放射能障害の治療を行うことは、もし専門医がそこに常駐してもなお、重い困難を伴うことであろう。ここで僕は沖縄の被爆者の鋭い棘に満ちた言葉を書き留めておく他にさしあたって何一つできないことを恥じるのみである。≪日本人はもっと誠意をもってもらいたい。いつもアメリカのご機嫌をとっていて、人間の問題を放置している。もし、やるつもりがあるなら、すぐにもやってくれ、すぐさま行動に示してくれ。それがみんなの心です≫

 彼らの存在と呼びかけの声が、かくも抜き差しならないものである以上、我々の誰の内部で、広島的になるものがすっかり完結してしまうだろう?(65年4月)



 


 

 

 

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編


 序ー 731部隊がいかにして作られ、またいかにして歴史の闇に葬られたのか?



1925(大正14)年、生物化学兵器の使用を禁止するジュネーブ議定書が締結された(日本はこの時批准していない)。731部隊の創設者となる石井四郎はこのことにヒントを得て関東軍防疫給水部の設立を思いついたと言われる。陸軍の中にあって後陣の下位の位置に甘んじていた軍医の立場を、なんとか上位に押し上げたいという野心を抱いていた彼は、細菌兵器の研究、準備をもってそれを実現しようとしたのである。1928年の春から2年間、石井はワルシャワ、モスクワ、パリ、ベルリン、アメリカと、各国の医学研究所を視察して回った。 












 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 


原口一八供述書(1954年8月26日)

問:いわゆる浮浪者という名目で、部下に指図して我が国の善良な住民を何人逮捕したか。

答:1943年3月から44年10月まで、「満洲国」牡丹江市警察局で、特務科長をしていた期間に、「浮浪者」という名目で、中国人の善良な住民797人を逮捕し、労務興国会牡丹江支部の運営する労働訓練所に拘留した。拷問の後、そのうち職業を有する者506名は釈放したが、牡丹江市駐屯の731部隊支部に送って細菌実験に供し死亡した者が25名いた。残りの270人は訓練所に移送し、 2、3か月訓練してから、労務者として使った。


※訳注:労務興国会―1941年10月、満州労工協会を改組して成立した労働力調達・統制組織。労働者の募集・雇用・供給・解雇などに強力な権限を持ち、10人以上雇用の事業者を強権的に掌握、「興国精神」のスローガンのもとに労働力の大量動員を目指した(小林英夫『「大東亜共栄圏」の形成と崩壊』御茶の水書房、 1975年、285、466頁、前掲『満洲国史』各論、1169頁)。





●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

 

 

5、アジア太平洋戦争と科学動員による毒ガス兵器開発の展開

 

科学者の動員による毒ガス開発の推進

 

 戦争と科学者


 今後は、それぞれの科学者か具体的にどのような毒ガス研究を行っていたのかについての詳しい実態解明を行うとともに、科学者はどのような経過で戦争に協力していくのか、そしてそれを許してしまった条件や背景とは何だったのかなど、科学と戦争の関係についてのより深い広範な議論を深めていく必要があるだろう。


 

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

 

  死の谷踏査記

 

 この場所についてのタブーがお経を詠むように村人たちの間に伝わった。「毒弾溝には行くな。あそこには毒弾があるぞ」。年を取った人はこの言い伝えを自分の一生の責任と思っているし、小学校の先生もしばしば子どもたちに毒弾溝の話をしている。侵略されたあの悲惨な日々を語り、次の世代が永遠に忘れないようにしている・・・・。

 谷の入り口にはコンクリート製の通告碑が立っている。そこに刻まれた告示はこうだ。

「ここに日本軍の遺棄した毒ガス弾を処理してある。人民の生命の安全を保障するために、ここで土砂を採取したり、開墾したり、狩猟や放牧を行なったり、柴や薬草を取ったりしてはならない」。

 この通告碑は1980年に立てられたもので、案内役によれば、以前はここに木製の通告碑が立っていたということだ。







 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

糧穀の略奪

冷酷非情な取り立て

 

引地 章(ひきじあきら)

警察署長 警正

(略歴)

学歴 高等小学校卒業

所属 旧満国 図們警察署

年齢 54歳

 

「おらあ三道崗の後街(うらまち)の王ちうもんだが、今年一垧(いっけい)半の作付に、2600斤の割当てだ。俺の土地は以前は良かったか村落に集家させられ、畑には遠くなるし、肥料は思うようにならない、今年干ばつと雨で七分作で、やっと6割出したが、もうあとは出せねえ、出せ出せと言ったって、もうねえんだ。それに日本軍に乾し草干し草を出せと言うんで、馬車に1台出したが、倭背(わいはい)駅まで往復一晩泊まりだ。俺は馬車を持っていないので、雇ったらこれに15円取られたんだ。乾草代はたった10円だ。ただ働いて5円を損した。出せ出せと言ったって、それは無理ってもんだ、俺たちは飢え死にしかけているんだ。ここんとこよく考えてもらいてえ」

 農民たちの間に、そうだ、その通りだという声があちこちから起こった。今度は後ろの方の農民が立った。40歳くらいの黒の袷(あわせ)の短衣を着た男だった。

 

 

 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

1 最近の情報公開裁判の動き

 また裁判で私達は、衛生学校、化学学校それぞれの担当責任者、関係者の取り扱い体験の供述を出すように要求しました。これで多数の「陳述書」「聴取報告書」が証拠として提出してきましたが、これで様々な問題点が浮き彫りになってきました。

 


 

 

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判も(第16回)東京地裁522号法廷は

未定になっています。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

 

二 生物・化学兵器と階級的視点



 ドル防衛と自衛隊の拡張


即ち、第二次世界大戦後、アメリカの世界支配の上で、社会主義体制の下で強大化したソビエトの存在と、広大な植民地を抱えるイギリスの存在がその意図を阻んでいた。そこで、アメリカはイギリス資本主義のマーケットとポンドの国際的地位を脅かし、イギリス帝国主義の弱体化を図るのである。


 

 

 



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

 モスクワとの予備交渉について、引き続き「独自録」のなかで天皇は次のように語っている。「処が7月上旬になつても『ソビエト』から返事がない。こちらとしては『ポツダム』会議以前に事を極めねばならぬ、遅れては困ると云う訳で、鈴木とも相談し広田『マリク』会談を取止め、『ソビエト』に直接交渉することにした」。

 事実上、会談を打ち切ったのは、昭和天皇ではなく、マリク駐日大使であった。天皇はそのことを差し置いて、7月初旬には大権の保持を可能とする戦争終結の交渉にいちだんと関心を寄せるようになっていた。712日、天皇と木戸は、近衛公爵を天皇の特使としてモスクワに派遣することで、ソビエトと秘密の直接交渉を始めようとした。しかし数日前の79日、有田八郎元外相は天皇への上奏で、「重慶若しくはソ連、延安を我方に引付け、現在の我地位を有利に展開せしめんとするが如きは殆ん望み得ざるところならん。然るにも拘らず尚且つ之を試みるとせんか、或は虞る徒らに寸刻を争ふ貴重なる時間を空費するに過ぎざらんことを」と指摘していた。大局から冷静かつ合理的な判断を下していた有田は、「神州をして真に不滅ならしめんが為には、単に必勝不滅の信念を呼号するも何等の益なし。宜しく大局を洞察して時に忍ぶべからざることを忍ぶことも必要なるべく」と天皇に訴えたのである。 

                    

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

最悪の地球加熱装置

―原子力発電所


自然破壊の実態

「二酸化炭素の排出量を減らせば環境が良くなる」と考える人間は、今一度この地球に何が起こっているかを、目を開いてしっかりと見る必要がある。一番悪いのは「毒物」と「熱の排出」と「機械的な自然破壊」である。 

 

 


 


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 



 

1945年7月16日アメリカ合衆国マンハッタン計画で人類史上初めて行った核実験(トリニティ実験)では、長崎に投下したファットマン」と同型のプルトニウム爆縮型原子爆弾(ガジェット)をニューメキシコ州アラモゴードにある実験場で炸裂させた。

· 爆発で火球の中に舞いあげられた砂漠の砂が溶けて液体になって降り積もったガラス質の緑色鉱石(トリニタイト)が生成され、今なお中レベルの放射能を帯びている。ほとんどは1952年に埋め立てられ、持ち出し禁止になっている。

· 実験から50年以上が経過した現在でも、実験場跡地では通常環境の約10倍の残存放射線が検出される。

詳細は「トリニティ実験」および「マンハッタン計画」を参照

 



水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 



















 

 

 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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