2020年9月2日水曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

           ※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   2020年夏「戦争」を考える!!

           被服支廠キャンペナーズと喋ろう
                 【日航機墜落事故の真相】

申し込み先のメルアドが間違っていました。失礼いたしました。






●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。


東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??


10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)











1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察



731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!


731部隊被害者遺族の訴え!!        

 



検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)






第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報

 

第4性病発見は人体実験



 マウスの脳内に1回接種しても発症しなかったが、その脳を材料として脳内接種を繰り返すことによって第三代目以降に、著明な脳症状を起こすことができるようになった。塗抹標本には文字通り無数の顆粒小体が見つかり、これは猿(マルタ)の脳内に見出されたのと完全に一致した。この小体はギムザ染色などでよく染まり光学顕微鏡で見ることができた(第2回報告)




 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 


   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?


●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

中国の記者が見た判決公判見聞録 

會海波(湖南経済テレビニュースセンター記者)


夜を徹しての準備

また抗議デモの時には、勇気を持って大きい声でスローガンを言える人が必要である。そこでみんなの推薦によって候補者を確定した。会議が終わった時刻は既に深夜0時を回っていたが、スローガンを唱えることになった候補者はすぐにスローガンの練習を始めた。練習の時にスローガンが長すぎるという意見が出たので、考え直したりもした。30分の練習を経て、部屋に戻った後も、こらえきれずスローガンを唱えていた。その光景はまるで明日の闘いがすでに始まっているようであった。







●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
     731部隊の行なった細菌戦


●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難


           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記




●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』


 一月二九日

午前八時起床 関東軍付経理部長来鞍す。加藤家宛に手紙を書く 零下19十九度 晴 風冷たし

 朝食が九時半とは驚いた。今日の朝こそ本当に忙しいというような感じがした。関東軍経理部長 佐留閣下という人 顔は見えない いつでも感じることであるが実際嫌になるからね。午後はその反動で割合に暇だ・・・しかし何も書けない 後一日で下番と思っているが もし外れならメンソワーズ 中島が今日も羊羹を持ってきた 友は持つべきものなりか。夜電話をかけて遼陽の瀬谷軍材らに怒られるが面白い。僕もずいぶん変わったものだ。陸軍歩兵軍材を平気でからかえるようになったからな。







●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 7月30日(木)

8、4月からの延期開催、ありがとうございました。昨年よりも手書きのものが改善されて、展示物が見やすくなりました。昨年の感想を生かしていただいて感謝申し上げます。今回のコロナウィルスの発生地武漢が日中戦争の最大の戦闘で、毒ガスを使用していた事、細菌戦の歴史など、すべて今につながっていることを改めて痛感し、このような歴史をメディアが取り上げないことに暗澹たる思いがいたします。昨年の展示で、重慶爆撃を井上成美主導したことを知り、それまで井上成美は海軍の良識派と理解していたため、ショックを受けましたが、良識のある井上でさえ、戦争の中では、このような無情な作戦を行ってしまうことが、戦争の恐ろしさであると痛感しました。今回の展示の中には井上成美のことは出てなかったようですが、そういう意味ではとても大切な人物だと思うのでまた取り上げても良いのではないかと思います。(教育者としては素晴らしい人なのでご遺族はご不快かもしれませんが・・・子供はいなかったかも?)海軍の毒ガスの保管場所として「神奈川県の池子」という表記になっていましたが、「神奈川県逗子市池子」として方がわかりやすい思います。

【要望】

・ガイド付きの戦跡ツアーなどがあったら参加したいです。

・YouTubeの「今に生かせ」という番組がとても良いのでその先生を講師にお招きしていただきたいです。

・コロナ対策で映像室の窓を開けてくださっていると思いますが、外の音で音声が聞こえづらくなっているので、もう少し音量を上げていただくと良いと思います。

・甘粕正彦や里見甫などがかかわる、岸信介もアヘンについても取り上げられると良いと思います。日本はアヘンでできた国です・・・・残念ながら・・・

(女性、50代、市外三浦郡、メールマガジン)

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書


挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

かくのごとくこれらのエッセイは、広島の人々の直接および間接の協力と批判に支えられて進行したのであった。僕は今、改めてそれらをヒロシマ・ノートとして総合し刊行するのであるが、僕自身の内なる広島がこの出版によって完結するのではない。いわば僕は今、広島的なるもののうちへ入り込んだばかりだ。それに、もし広島に対してあえて眼をつむり耳を閉ざし舌を縛ろうとする者にとってでなければ、彼の内部において広島的なものがすっかり完結することは決してないであろう。


 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!


●『細菌戦部隊』

731研究会編

はじめに

 本書『細菌戦部隊―731部隊員が見たもの』では、様々な細菌戦部隊に配置された20人あまりの元隊員による実体験記録のご協力を頂いた。加害体験を語ることは決して安易な気持ちでできるものではない。苦悩を抱え彷徨する思いを抱えながらもここに実名(一部仮名)で証言してくださった方々の意思に、深い感銘を抱く。証言は細菌戦部隊の実相を紐解く糸口になると同時に、過去を直視することの意義と責任を、そして過去を直視することなくしては過去の過ちを克服することができないことを、戦後世代・戦無世代に教えてくれる。

 



・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 



 尋問証人張有祥(張兆林)調書(1956年3月17日)


問:「特移扱」とはどういう意味か。

答:当時、憲兵が言っていたところによれば、「特移扱」とはハルピンに送られ「研究用」に供されるということだった。移送の方法は、憲兵が対象者を駅まで護送すると、黒い車が迎えに来て、その車に引き渡せばそれでよかった。こうして「特移扱」となった人は、2度と戻ってこなかった。実験、解剖用だということだったが、解放後初めて細菌実験用であったことを知った。

問:こうしたことをどうやって知ったのか。

答:内部で仕事をしていたし、日本語もわかるので、日本人の話しているのを聞いたのである。「特移扱」の際は、私も目撃した。通訳が足りない時もあり、私も尋問の際の通訳をしたことがある。それゆえ知っているのである。

1)1192402、第4


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発



5、アジア太平洋戦争と科学動員による毒ガス兵器開発の展開


科学者の動員による毒ガス開発の推進


 この他に科学者の動員を示す資料としては、第6陸軍技術研究所「研究嘱託名簿」(1945年1月1日調)がある(『資料集Ⅱ』16)。これによれば、1944年に科学者の研究嘱託が激増しており、25名の科学者が新たに参画している。なお、科学者の動員で看過できないのは、文部省による動員の事実である。現段階では第6陸軍技術研究所との関係は不明だが、44年度の科学動員による195件の研究事項の中には牧鋭夫東大工学部教授を班長とする「化学兵器及爆発物」の研究班が存在していることが確認できる(文部省科学局「昭和19年度動員下における重要研究課題」)。文部省も毒ガス兵器の開発に関与していたのである。その陣容は前頁の表2に示した通りである 。

 

 

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず


  死の谷踏査記


 張振同さん(75歳、ハルバ嶺村民、1953年から1954年に毒ガス弾を処理した際、馬車で砲弾を運んだことがある)はこう語った。

「光復の際、大橋(鉄道の駅名)、馬鹿溝、梨樹溝には日本人の残した砲弾がたくさんあった。そういった砲弾は皆地面に一塊ずつにして置いてありました。後で、政府がわし等を集めて片付けました。砲弾を集めて、大橋まで運びましたよ。わしも加わった。馬車で行ったんです。あの頃家に馬車やら牛車やら持っていた者はみんな、砲弾運びの役を務めたもんです」






日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題


●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)


糧穀の略奪

冷酷非情な取り立て


引地 章(ひきじあきら)

警察署長 警正

(略歴)

学歴 高等小学校卒業

所属 旧満国 図們警察署

年齢 54歳


「村民たちも、『死ぬか生きるかの瀬戸際だ、俺たちの粟だからこんな時皆で分けて食うには、誰はばかることはないだろう』なんて言うのをやっとなだめてきましたで」と側のの4人達の方へ目をやりながら、「春先には、楡の若芽を取って食べたんで、楡も丸坊主になって枯れてしまいました。今度は畑や丘の野草を食い尽くしてしまいました。嘘と思うなら、今県公署の前にあの通り40人ほど来ていますから聞いてみてください 」と言う。4人の農民は、李村長の言葉に立ち上がって、何か言い出そうとした。早川は手でそれを制した。曲科長もまあまあ腰を掛けろと言ったので、4人はやむなくまたそっと腰を下ろした。早川は丸く太った大きな腹をぶくぶくとさせ、頭をソファーに持たせかけ、かすかにうす笑いを浮かべた。



 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)




●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)

4 私達の情報公開裁判闘争の目的

 このような経過を経て、自衛隊の中には対生物戦の専門部隊が、2007年に創設された「陸上自衛隊中央即応集団」隷下の衛生部隊として編制されました。

また、2015年に改訂された新「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」で、「作戦支援活動」として「CBRN(化学・生物・放射能・核)防護」が重視されています。このような背景の下で自衛隊が米軍と結託して北朝鮮や中国に対して謀略的な生物戦を実戦展開する危険性が指摘されています。

 


・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判も(第16回)東京地裁522号法廷は

未定になっています。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊





●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器


1 自衛隊の基本戦略


自衛隊の基本戦略

だからこそ、自衛隊の基本戦略は、「強大な軍事力を保有し、その威嚇、脅迫のみによって政治目的を達成する」「不戦屈敵」の思想(陸上自衛隊『化学学校記事』第13号・吉田太桂司化学学校長)で貫かれるのである。孫氏の「不戦屈敵」戦略は、このような“脅迫戦略”として理解することは根本的に間違っているわけで、よく使われる抑止戦略というのが軍事的には、戦争挑発の戦略なのである。

 




●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。







●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

2001年ピュリッツァー賞受賞



※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

この間、つまり、ポツダム宣言から86日の原爆投下までの重大な時期に、東京で昭和天皇はポツダム宣言の受諾について何も言わず、何の行動もとらなかった。しかし、725日と31日の2度にわたり、天皇は木戸に三種の神器は何としてでも護持しなければならないと話していた。八咫の鏡(やたのかがみ)八尺瓊曲玉(やさかにのまがたま)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)からなる三種の神器は、北朝から受け継いだ統治の正統性を象徴するものであり、神権により皇位を占めているという昭和天皇の意識からすれば不可欠のものであった。天皇は神器を〔伊勢神宮から鏡を、熱田神宮から剣を〕宮中の身辺に移動してこれを守りたかったのである。ただちに降伏を受け入れるべきか否かという大問題に際し、皇位の象徴にこだわっていた天皇は、時機を見て、自身の力で戦争を終結させようとは考えていなかったのである。  

                    




731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!


日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱


最悪の地球加熱装置

―原子力発電所


 私は企業を退社してからフリーで医学書の翻訳に従事した時期が長く、公害時代だったので水俣病、スモン病、イタイイタイ病の患者さんの苦悩の実態を英文に訳すを一方で、代理店を通して大企業からの翻訳も引き受けた。そうした時に、東京電力から依頼され、1970年代の OECD (経済協力開発機構)のレポートを受け取った。

「原発の温排水は、海に排出されても、熱が海の中にすぐに拡散しないので、ホットスポットと呼ばれる熱の塊となって浮遊する。そのため、大陸棚の生物が甚大な影響を受ける。浅瀬にいる魚の卵や稚魚は、2~3℃というわずかな温度変化で死んでしまうからである」と書かれた文章を正確に訳して納めた。そうして電力会社が内部でこのレポートをもみ潰し、確信犯として環境を破壊する企業であることを密かに知った人間である。 

 

 

 

※私が考えるに、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 



●核実験(ウキペディアより)


若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 



核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。


2.地下核実験 地表面下の様々な深度で行われる核実験である。実験の手法は、冷戦時に米国及びソ連にて確立されたが、本実験以外の手法は1963年に締結された部分的核実験禁止条約 (PTBT) で禁止された。核爆発が完全に地中で収束した場合には、放射性降下物は殆ど発生しない。しかし爆発によって地面に穴が空いてしまった場合には、そこから大量の放射性降下物が発生してしまう。地下核実験では、その核出力と爆弾の構造に応じた地震波が発生するが、多くの場合で地殻の陥没によるクレーターも生成される。1974年には、地下核実験の最大核出力を150キロトンとする地下核実験制限条約 (TTBT) が米国とソ連の間で署名されている。



水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 





●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について





なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!








           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


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