2020年9月16日水曜日

細菌戦の系譜!!

中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

※日本も大統領制にして、国民投票で決めたらどうですか?



森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

    関東大震災と朝鮮人虐殺「なかった」ことにしたい集会、誰が参加するの か?   

                   

 

    歴史改ざん(「風を読む」)


           被服支廠キャンペナーズと喋ろう

                 【日航機墜落事故の真相】

 


 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


【コロナは生物兵器か】人工のコロナウイルスショックによる文明の転換点 船瀬俊介氏が語る

 




米軍300人が新型コロナの感染が広がる前に武漢にいたという。
新型コロナウィルスを撒いたのは??

 

10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)













 

 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。

 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

 

検証・中国に於ける生体実験
東京帝大医学部の犯罪   美馬聡昭著  桐書房(2013年)



 

第4章  伝染病研究所と「実験医学雑誌」の雑報


日中戦争始まる


  1938年元旦式辞(雑報、22巻1号)では次のように述べている。

 「現在はまさに非常時である。わが伝研に置いては全所員、一丸となって伝研の使命を完全に遂行すること、すなわち我々の本分をまっとうすることが、この非常時を乗り切る唯一の方法である。」と強調し、さらに「1937年を回顧すると61日が伝研の記念日になり、年中行事の1つとなった。」「日支事変と伝研の関係では、とくにガス壊疽、破傷風の血清の要求が急増した。だがこれも伝研内残すところなく厩舎を建ててのりきった。」「また石井信太郎をはじめ約30名の出征者を出した。」「多年望んでいた厚生省・公衆衛生院が本年中に開設 される。」「日本人と支那人は同文同種かという問題については、私は支那人と同文同種であることを、疑うものである。人類学立場からいうのではない。それは風俗、習慣、物の考え方が徹底的に違う。日本語と支那語との相違は英語とドイツ語との相違よりはなはだしい。支那人には義理人情はなく、利に走る。日本人は死体にむち打つことはしないが、支那人は死体を徹底的にさいなむ習慣がある。風俗上に徹底的な相違がある。支那の下層特に婦人は、一生入浴しないことが非常に多い。支那の家屋には、普通は便所はない。支那の松は不浄の樹で、松のある所は必ず墓地である。同様に亀も淫乱な動物として非常に嫌う。今後日本人と中国人は、緊密に付き合うことになるので、中国人をよく理解することが大切である。」


 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。

中国の記者が見た判決公判見聞録 

會海波(湖南経済テレビニュースセンター記者)

 

判決の傍聴


 103号法廷の面積は約200㎡で、法廷には空いている席はなく、雰囲気も以前と違っていた。浙江と常徳から原告代表、弁護士と通訳の席は法廷の左側にあり、右側は被告日本政府の席であった。

 午後1時半、裁判長と裁判官が法廷に入ってきた。裁判長の岩田好二氏は、今年53歳で、彼は細菌戦が行われた7年後に生まれたとのことであった。原告弁護団長の土屋先生の話によると、この訴訟の勝訴にはある程度裁判官らの良知に望みを託さねばならないということである。

 

 




 

●731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 


 二月五日

午前六時半起床 晴 風強く 非常に寒し 零下二十三度

「胸に秘め 風間に立てる白塔の 謎の姿ぞ 月の大空」

今日は雑役だ しかしおかしくてやれない。夕方乗馬巡察の白木班長が鶏を持ってくる故 これにて鳥飯を作るといふ しかし僕はこんな残酷なことはできない 杉浦が平気で鳥を殺すには驚いた 中々味なことをやる 見たのみで寝るまで上にあがってしまった然し食べる時は中々おいしい 僕がご飯を炊いている姿を一枚写真に撮りたいものです。

 彼女の所にお礼の手紙を出す 相変わらず走り回る 午後八時半寝付いて午後十一時十分起こされ、午前一時寝に着き 午前五時半起こされた いかに寒いことか 構内巡察から走って帰る 耳がこって立ったまま黄色い風になった 蒙古風だ 満州が嫌になった つくづくね。あと二九七日だバックに 四拾五秒だ

 

●パネル展「戦争の加害」感想(2020年7月27日~31日)

 7月30日(木)

21、改めて勉強させられました。DVD 731篠塚さんの話も感動です。自身が多くの人を実験のため殺害し、その後人間性を取り戻した話は説得力のある話でした。平和の尊さ、絶対戦争してはならない。自身が自身の思いを後世に伝えることの責任・・・・・・。時間があれば再度入館したい。このパネル展に。

(男性、60代、市内、神奈川新聞)731部隊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 



挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

1  広島への最初の旅


 安井理事長が部屋に入ってくる。待ち受ける理事たちはみんな苛立って疲れ、いくらか悲しげだ。彼らもまた、原爆記念館の廊下とんびの記者達や、平和公園の樹かげに群をなして坐りこんでいる、早く到着しすぎた参加者達同様、つんぼ桟敷で忍耐していたのである。彼らは安井理事長に、怒りと哀願のこもごもあらわになる憔悴した声、ほとんど叫び声に似た声で質問する。もっと率直な連中は、かくも長く彼らを不安な無知の状態においた、担当常任理事(即ち、彼らがこの原水爆禁止世界大会のプログラムを具体的に担当しているのだ)と安井理事長に釈明をもとめる、憤りもあらわに。

 


 

 

 

 

 日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編


 序ー 731部隊がいかにして作られ、またいかにして歴史の闇に葬られたのか?


 部隊では食物への細菌の混入、細菌爆弾の試作、細菌の撒布機による試用など様々な研究がすすめられ、「満州第731部隊」の秘匿名を使い出した1941(昭和16)年前後には、遂に細菌戦を実施する。1939年のノモンハン事件、40年の寧波、41年の常徳、42年の浙贛(せっかん)、44年の重慶の各作戦でペスト菌、チフス菌、コレラ菌などが使用された。作戦は、部隊や石井の独走によるものではなく、「当時、軍隊を動かす時は必ず陛下ののご裁可必要で、これなしでは1個中隊さえ動かすことはできなかった」「『よきに計らえ』式にやっておられるように思われがちですが、全然違うのですね」(当時の大本営作戦参謀・瀬島龍三のの証言)という状況の中で行われた。「細菌戦が統帥系統、陸軍中央総ぐるみで計画され実施されたことの解明はようやく最近になって進みつつある」(岩波ブックレット『731部隊と天皇・陸軍中央』)








 ・『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳

三 警察・憲兵の第731部隊への「特移扱」 

 


芳信雅之自筆供述書1954年6月18日

1943年6月山東省地区に於いて共産軍が部隊(兵力5千人と称していた)内部で工作を行っているとの情報が入り、しかも同部隊の中共軍作戦士気は低下し、日本軍反旗を翻す恐れがあったため、師団では同部隊を消滅させようと計画した師団(兵力6個大隊)による部隊武装解除陰謀事件にいて、私は師団情報係で次のような仕事をした

1、第44大隊情報係及び憲兵隊華北に勢力を持っていた秘密結社などから部隊の兵力配備、装備などに関する情報を収集し、師団が陰謀計画を策定するための資料を提供した。

2、師団の兵力結集を掩護するために、第44大隊情報係及び組織を利用して、情報収集強化し東昌駐留の部隊処に対して、部隊が我が軍のく(河北山東・河南の地帯に開設され中共指導下の抗日根拠地)作戦に協力するよう鼓舞させることで、師団の兵力結集対する注意を打ち消した。・・・

●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著
第1章 毒ガス兵器の研究と開発

 

 


 6 日本海軍の毒ガス研究


海軍の毒ガス兵器研究機関


さらに、毒ガス戦教育を行うために、館山海軍砲術学校(陸戦及び地上からの対空戦の教育を担当)内に化兵科が設置されて44年から教育が開始された。このときも海軍の教育要員が事前に陸軍習志野学校に出向いて講習を受けている。しかし、館山海軍砲術学校が45年4月に廃止されて横須賀海軍砲術学校に併合されると、以後の毒ガス教育は横須賀海軍砲術学校で行われるようになった。また、1945(昭和20)年41日に、海軍大臣直轄の海軍化兵戦部(秘匿の為第101事務所と呼称)が新設され、海軍の毒ガス全般を統轄することとなった。


 

  

  ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第13章

毒ガスは消えず

 

  死の谷踏査記

 

 これらの毒ガス弾を見ていると、思わず身の毛のよだつのを覚えた。まるで怪獣の獰猛な顔つきが、まさに牙をむきだして、人々を脅かしているようだ。この土地はかくも残酷に踏みにじられ、生命を脅かす数十万の砲弾を癌細胞のように体内に抱えているのである。大地がこれを知ったらなら、決してこのように黙ってはいまい。こう考えた時、私たちはあたかも大地の苦し気なうめき声と怒りに満ちた抗議を聞いたかのような気がした。ここはまだ未開墾の処女地である。だが、日本の遺棄した毒ガス弾が埋められているために、その名を口にしただけで人々の顔色が変わる死の谷になってしまった。以前は山の中に野獣がいたのだが、やがてだんだん少なくなったり、いなくなったりして、小動物がいくらか残っているだけだと案内役はいった。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題

 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

糧穀の略奪

冷酷非情な取り立て

 

引地 章(ひきじあきら)

警察署長 警正

(略歴)

学歴 高等小学校卒業

所属 旧満国 図們警察署

年齢 54歳


 経済保安主任は「ハイッ」とかしこまって後姿を見送り、そして留置場へ入れられたのか、子どもの泣き声が廊下を伝わって聞こえてきた。しばらくすると経済保安主任は署長室にやって来た。

「警正殿」

「なんだ・・・」

言いにくそうだったが、口をゆがめ目をつぶるようにして、「あの、白麺3斤と、餅きび3斤を持って子供を抱いている中国婦人は、子どもが百日咳で、相当熱があって容態が悪いし、所持品は久しぶりで帰った実家の生母から土産として、嫁入り先の老母と夫に食べさせるようにと貰ってきたんだそうで、それからあの朝鮮飴を持っていた朝鮮人も、佳木斯の母親に土産に持って行こうというわけで、量は少し多いが、説諭を加えて帰してやったら」

引地は窪んだ目をむき出し、「馬鹿ッ!何回そんなことを聞くんだ。現在の重要政策の違反だ。情実を考えていたら駄目だ。重刑にするんだ。文句を言わず送致しろッ。この取締りが徹底せんと、出荷の成績が上がらないんだ。子どもが病気なら、嘱託医に見せておけ。それで子どもが死のうが、どうなろうが、自業自得だ」と、怒鳴りつけた。

 



 2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

・731部隊関連の「情報公開裁判」に関する報告

和田千代子(731細菌戦部隊の実態を明らかにする会事務局長)


3 『化学学校記事』裁判の問題点と争点

1959(昭和34)年度の『化学学校史』には「第9節学校記事の刊行」の欄に、編纂委員長・副校長と委員13名の名前と階級、発行状況(印刷日、発行日、印刷所、印刷部数)が詳細に記載・報告されており、この「発行報告」掲載は1967(昭和42)年度の『化学学校史』まで続いています。

 裁判の当初、被告国は、1968(昭和43)年度以降の『化学学校史』に記載がないことを理由に、『化学学校記事』は12号で終了したと主張していました。


 


 

・次回『衛生学校記事』情報公開裁判(第26回)東京地裁419号法廷

10月15日(木)14:00~(定員19名・・・コロナ禍?)

・次回『化学学校記事」情報公開裁判は(第16回)東京地裁?号法廷(未定)は

12月16日(水)11:00~になりました。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊




 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅳ 安保体制下の生物化学兵器

 

二 生物・化学兵器と階級的視点


戦略兵器の変化


 即ち、第2次世界大戦後、資本主義諸国の生産能力の60%を占め、投資額の80%近くを支配したアメリカは、核兵器体系の独占と優越を恫喝の背景として、1916年にレーニンがその『帝国主義論』の中で指摘したように、帝国主義の最終目的である世界市場の支配を目指したが、現代の帝国主義国家が、革命運動・民族解放運動の抑圧に向かうことによって、核兵器がいわゆる象徴的存在となって、使用不可能な政治的道徳的兵器となり、生物・化学兵器が冷戦体制における戦略兵器に転身していくことになるのである。

 


 


 

 

 



●昭和天皇の戦争責任を問う!!

天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



13章 遅すぎた降伏

外相のモスクワヘの訓電はアメリカ諜報機関により傍受、解読され、少なくともその一部にトルーマン大統領は目を通していた。このため、今日にいたるまで、大統領は無条件降伏方式から少なくとも何らかの譲歩をすることができ、そして、そうするべきであったとの議論がなされてきた。しかし、傍受された電信は、いずれも不確かであいまいだったので、日本が戦争終結を真剣に交渉しようとしているとは受け止められなかった。

近衛を天皇の特使としてひそかに派遣する(実現しなかったが)ために外務省が用意していた親書も、皇位と昭和天皇の将来をソ連に保障させることを主たる目的としたものと記録されている。国体の保持が究極の目標であり、講和の唯一の条件だった。さらに「天皇の親書」は、戦争があたかも天災のように自然に発生し、米英が無条件降伏に固執するかぎり、平和を阻害するのは日本ではなく、米英なのだということを示唆していた。

                    

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

地球の温暖化や異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


●『二酸化炭素温暖化説の崩壊』広瀬隆(集英社新書 2010年発行)

第2章 都市化と原発の膨大な排熱

 

最悪の地球加熱装置

―原子力発電所


自然破壊の実態


海への放射能の放流は、寿命の長い放射性物質が魚介類に取り込まれ、死骸が海底土壌に沈殿し、再び海水に放出されるサイクルによって、その場所が半永久的に汚染海域になる。これらの魚介類にタンパク質を依存している日本人にとっては、最も恐ろしいものが放射能である。

 

 


 


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 



ソ連

セミパラチンスクでの核実験

· 1949年8月29日 初の原爆実験(長崎型)。22kt。コード名"RDS-1"。アメリカ側のコード名"ジョー(=スターリン)-1"。

· 1953年8月12日 『初の』水爆実験。400kt。コード名"RDS-6"。アメリカ側のコード名"ジョー4号"。

放射性降下物の分析より核融合ではなかったと言われている。

· 1955年11月22日 水爆実験。1.6Mt。コード名"RDS-37"。アメリカ側のコード名"ジョー19号"。

ソ連初の水爆実験成功。

ノヴァヤゼムリャでの核実験

· 1961年10月30日 ノヴァヤゼムリャで、史上最大の水爆実験が行われた。爆弾(ツァーリ・ボンバ)の核出力は50 Mtでファットマンの3000倍近い出力。

 

 

 


 



水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!

 











 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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