足摺岬サンセットクルーズ(高知県)
ウクライナ戦争は即時停戦を!!
【随時更新】ロシア ウクライナに軍事侵攻(26日の動き)
靖国神社参拝反対!!
超党派の議員連盟メンバー87人 そろって靖国神社に参拝
原発の怖さを考えよう!!
ワクチン開発と戦争犯罪
731部隊と日本医学会―「未来への提言」を踏まえて―
※多摩労務管理事務所への裁判闘争
3月29日、多摩労務管理事務所への裁判闘争が原告の主張が全て認められたかたちで、完全勝訴判決を勝ち取りました。
詳細は、追ってご報告致します。
これまで私達の裁判闘争をさまざまな形で支えて下さった皆様にまず感謝を申し上げます。
Union No.6 からのメール
「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ
【今日でちょうど60年、独占告白】被差別部落出身の青年が「殺人犯」として不当逮捕された…「命の恩人」は三鷹事件で逮捕された男だった
731部隊で行われていたこと
遺棄毒ガス兵器処理事業の文書を公開せよ!!
旧日本軍の毒ガス戦、戦後の処理新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??
鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??
鳥インフルの処分数 全国で1000万羽超える 過去最多
原発60年超、異例の多数決 原子力規制委、石渡氏反対
「原発が狙われる」と独り訴えた福井県原子力委員が辞めた理由
福島第一原発処理水 発生量減も 放出の開始時期に変更なし
核融合反対!!
核融合の初の政府戦略案 海外市場に参入し関連産業育成方針
なぜ、いま?リスクは
日本は、きちんと謝罪・補償すべきだ!!
国連改革!!拒否権廃止を!!
あの日本の侵略戦争を反省し作られた憲法9条を、順守すれば、軍事費ゼロ!!戦争をしないように全力で取り組む姿勢を全世界に示す!!【天皇制再考、軍人恩給廃止、戦争被害者(外国も含む)への補償、外交力強化!!】
憲法9条
第二章 戦争の放棄
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
軍事費削減!!憲法9条の推進!!被ばくの問題は重大だ!!
ドイツの大学キャンパスから少女像撤去される 学生会が昨夏設置
「細菌兵器製造の731部隊―731部隊軍医秦正氏の証言」
放射能の影響を考えよう!!
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展
731・原爆・ビキニ
なぜ、こんな危険な原発を、全国にたくさん作ってしまったのか??それも運転期間延長で60年超も??自然環境にやさしいエネルギーの活用ができないものか!!
12月23日(金)
3、つい80年前のことなのに、何にもなかったような今のこの国の過去。“安らかに眠って下さい”と誓ったのに、2度と戦争はしませんと世界に約束したのに。この様な時に沢山の人々に見聞きしてもらいたい展示だと思いました。過去は消えません。若い人たちにこの様な時代を歩まないよう、強く参考にして自分を大切に、他人も大切に生きて欲しいと思います。昔のことではなく、今も生きている危ない考えに気を付けて欲しいと思います。とても勉強になりました。
井伏鱒二の『黒い雨』など被爆者の1人1人のことを考える。でも戦争って死者の数になってしまう。憲法9条は、国是として永久に守らねばなりません。ここに示されているすべてが、証明してるではありませんか。ありがとうございました。
ナチは軍隊が行なったけど、731は、学者、医者が行ないました。ここに大きな人間として、罪があると言えます。恐ろしいことです。(51歳以上、市内、チラシ)
劇映画「伊藤千代子の生涯」
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??
原爆初動調査ー隠された真実3
新聞記事からの報告(ビキニ水爆実験)
忘れられたビキニ被災者たち 裁判の報告
2022 5 7 世界の核被害問題と解決の取り組み
2022 5 7パネルディスカッションのまとめ
中満泉ビデオメッセージ
2022 5 8高橋博子講演
閉会の挨拶
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
※『30年目のグレーゾーン』の録画をお持ちの方は、nobu.goi@gmail.com(五井)までご一報ください!!
太平洋核被災支援センター
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
冤罪が晴れてもその後の人生に困難を伴う!
社会が許さない 釈放後も「地獄」
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
実験医学雑報20巻 第7号(1936年)
本所職制改正
この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。
*特別研究室とは何だ??
小島三郎、中込亘、八田貞義、大橋久治
城井直義、佐藤久蔵、安藤啓三郎、山田誠
大牟田の慰霊碑(裏)
(碑文)
「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」
わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)
この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。
日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業
北宏一郎(化学兵器被害解決ネットワーク)
毒ガス製造の経緯
(陸軍)
1921(大正10)年 陸軍科研第2課主任久村砲兵中佐の毒ガス戦提言
1927(昭和 2)年 陸軍造兵廠火工廠忠海派出所(大久野島)毒ガス製造
1929(昭和 4)年 陸軍造兵廠火工廠忠海兵器製造所となり、大規模化
1933(昭和 8〉年 陸軍造兵廠曽根兵器製造所開設、毒ガス兵器化
1940(昭和15)年 東京第2陸軍造兵廠忠海製造所、曽根製造所となる
1942(昭和19)年 科研から第6技術研究所に改組
定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
はないのか?
資料・731部隊細菌戦裁判第1審判決全文
被告の主張 (別紙4)
第6 立法不作為を理由とする国家賠償請求について
(1)憲法の規定を根拠とする立法義務について
原告らが挙げる憲法前文、 9条、13条、14条、17条、29条1項及び3項の諸規定を総合して検討しても、以下に述べる通り、いわゆる戦後補償問題に対する賠償立法義務等が内容も含めて憲法上明文でもって定められているとは言えず、また、憲法解釈上そのような賠償立法等を行うべき作為義務の存在が一義的にに明白であるとも言えない(東京高裁平成11年8月30日判決 ・乙10、前掲東京地裁平成11年10月1日判決・乙11、東京地裁平成10年12月21日判決・乙12、その控訴審判決である東京高裁平成11年12月21日判決・乙13、14)
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
おわりに
作家の辺見庸氏の父親もこの時に徴兵されています。中国人を殺しているかもしれないと著書『1937』(金曜日刊)に書いています。その上で日中戦争に自らも無辜でいられない立場だと位置付けています。1946年生まれの私も戦争とは全く無関係だと思い込んでいたものの、辺見氏の想像力に触れて気持ちが揺らぎました。父が中国人を殺害した可能性など露ほども想像しませんでしたが、戦争だからあり得ます。今となっては父にこの疑いをぶつけることも、問い詰めることもできません。
原爆詩集
夜
血漿(を曳き這いずり
いまもあの日から遠ざかりながら
何処ともなくいざり寄るひろしまの灯
歴史の闇に
しずかに低く
ひろしまの灯は溢れ
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
『細菌戦部隊』
731研究会編
Ⅰ 731部隊
終生の重荷
脳裏にこびりついて離れない断末魔の形相
千田英男(ちだ ひでお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1917年生まれ
1942年 731部隊入隊
教育部付き衛生兵教育
吉村班、植村班、教育部庶務を歴任
■この証言は戦争体験を記録する会(宮城県)編『雲はかえらず』所収「終生の重荷」(1974年)より転載したもの
生体実験
幸にしてこの生体実験に、私は未経験者という事で傍観させられたが、その20日ほどの間連続して行われた実験の果て、飯も喉を通らず、夜ベッドに横たわってもその日の事が思い出されて寝付かれなかった。そして凍傷実験に供された人間の四肢が標本になって所狭しと並んでいる研究室を垣間見た時、これはとんでもないところに足を踏み入れたものだと思った。ところが降って湧いたように植村班に手伝いに行けという。私はホッと胸をなでおろした。
●毒ガス戦
『毒ガス戦と日本軍』
吉見義明 (2004年発行)
Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始 1937―1938
2 武漢攻略作戦
武漢攻略作戦の教訓
さらに、陸軍中央に対して3つの提言を行った。まず第1に、将来、編成装備が優良な「敵」、つまりソ連軍に対しては、あか筒放射によって同様の効果を収めるのは困難なので、発射あか筒とあか弾の急襲使用の訓練が必要である。第2に、少量で即効致死的な効果のある毒ガス戦資材を研究・改善することが「国軍として絶対に必要」である。第3に武漢作戦終了後の対中国戦では、占領地域内の討伐・警備などに、必要に応じてあか筒・あか弾を使用することが必要である、と。
核時代39年(1984年)5月初版発行
刺突(しとつ)
農民を初年兵の訓練に
江先 光(えさきひかる)
曹長
〈略歴〉
私は山口県岩国市岩国に生まれた。
小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、
1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。
以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において
捕虜となった。今年40歳です。
「こいつは、子どもがよっぽど可愛いと見える、ゆっくり絞ったらものになるぞ・・・まあ待て、次は女だ、西川ッ、こいつは変わった味だぞッ」何に驚いたのか野犬がむせぶように吠え出した。「全く強情だ」腫れ上がった体を引きずるようにして、3里の道を連れて帰った。それから毎日、脅したり、すかしたりした、ある時は1人を呼んで、そうっと帰してやると言ったが、誰にも針で口を縫ったように開かなかった。
藤井治夫著
第3編 主要極秘文書
1 三矢研究
昭和38年度統合防衛図上研究の想定(概要)
第3動 自7月1日 至7月31日 状況
1、世界情勢(略)
2、アジアの情勢(略)
(8)7月19日夕刻、突如中共空軍機を含むと思われる北鮮側の戦爆大編隊が、韓国の主
要空軍基地及び都市を奇襲攻撃し、夜半に入って、北鮮側地上軍は軍事境界線の
全線に渡り攻撃を開始し、東部 国境地区においては韓国反乱軍及び革命分子の策
応もあって、相当の進出をみた模様である。
北京、平壌両放送は、本行動を韓国革命政権の援助要請に基づく義勇軍の行動で
あると報じた。米韓軍はかなりの損害を受けたが、これが阻止及び反撃に転じつつ
あり、同時に在韓米軍司令官は、共産側の明白かつ組織的な侵略の開始を指摘して
国連軍としての行動を開始することを宣言した。また 米太平洋軍司令官は直ちに
東北アジア所在の米3軍に対して韓国救援作戦の開始を発令した。
第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。
1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。
『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。
第4代衛生学校長
『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?
金原節三(1901~1976)
陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」
厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1
金原節三と細菌戦
金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。
細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。
金原節三と武見太郎
金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。
※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!
『軍事史研究』2010年9月
軍事史関係史料館探訪(56)
陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館
喜多義人
収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。
●『BC兵器』 久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
装備・訓練の実体は
M25A1型CN内乱鎮圧用手榴弾
暴徒及び他の内乱鎮圧に使用するため設計された。その重量、寸法及び形状は運搬や発射しやすいようにできている。球形で野球ボール大である。弾体はベークライト製で充填剤は、クロルアセトフェノン微細粉約3オンス強である。雷管は2秒延時管及び炸薬からなる信管。
第5代衛生学校長
井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身
1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】
第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。
井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。
又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。
東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。
※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。
1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。
南方軍防疫給水部(岡9420部隊)
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
第2部 仁愛の政治
1922(大正11)年―1930(昭和5)年
Ⅵ
井上事件に注目した側近たちは、しかし異端的・原理主義的思想のさまざまな底流(例えば神道を基にした新興宗教の大本教など)には、さほど注意を払っていなかったようである。これらは主流の議論の陰にありながら、日本のナショナリズムの極端化を推進していた。警察の報告には言及されていたが、国体の至福千年的な予言に引きつけられる民衆の道徳観に無知な宮中の高官は、日記を見るかぎり動きに無頓着である。皇太子もそれらについては知らされていなかっただろう。彼らが皇室に注目されるのは、大正末期の政局に影響したり、のちの昭和時代の出発にあたって、君主制がもっと国家主義的な方向で再出発するための土壌として利用できる場合だけだった。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
IMAGINE9
解説
9条をつかって、
戦争のない世界をつくる。
02
武器をつくったり売ったりしない世界
日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。
しかし一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。ミサイル開発に携わる企業からは、武器輸出を認めるよう求める声が高まってぃます。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。
『鹿屋(かのや)航空基地 史料館』(鹿児島県鹿屋市)について
~ご理解していただきたいことを文章にしました~
2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)
私は若い頃、『きけ わだつみのこえ』をよく読んでいました。読んでいく中で波長の合う戦没学生を数名見つけて、現在も時々、読み返しています。とりわけ、佐々木八郎さんの残した手記や日記は私の魂にピタッと伝わってきました。その佐々木さんも、当該鹿屋航空基地から出撃しています。学徒出陣の22歳、沖縄海上で戦死。宮沢賢治の『烏の北斗七星』に関連して書いた自分のエッセイを(第一高校の)クラス会にて発表するほど、戦争(戦いで敵を殺すこと)に対して根本的な疑問を持っていた佐々木さんの、出撃直前と思われる機上での笑顔の写真もあります。それは、生来の朗らかさと親友たちへの別れの笑顔が重なったものと思われます。
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、戦争、
3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え
●核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
地球を破壊する核実験
歴史上重要な核実験の一覧を次に示す。広島と長崎の原子爆弾の投下に加え、既定の兵器のその国における初の核実験、さもなければ、例えばこれまでに最も大きな核実験だったなど顕著だった核実験が含まれる。すべての核出力(爆発力)は、推定エネルギーと等価とされるTNTの質量(kt)で与えられる。
表中の「実用兵器/非実用兵器」は、実験された装置が(理論実証装置と対照的に)実際の戦闘において仮定として使われることができたかどうかを意味する。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核融合もすべきではない!!
カンパ大歓迎
ブログ・動画作成・オンラインなどをやっています。
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