2023年5月20日土曜日

細菌戦の系譜!!
















多摩労務管理事務所への裁判闘争
3月29日、多摩労務管理事務所への裁判闘争が原告の主張が全て認められたかたちで、完全勝訴判決を勝ち取りました。

詳細は、追ってご報告致します。

これまで私達の裁判闘争をさまざまな形で支えて下さった皆様にまず感謝を申し上げます。

Union No.6 からのメール

本日です!!

「声上げたら解雇」は許せない!〜「多摩労務管理事務所」に仮処分守れと申し入れ


731部隊の実態をきちんと伝えよう!!
















731部隊で行われていたこと













遺棄毒ガス兵器処理事業の文書を公開せよ!!

旧日本軍の毒ガス戦、戦後の処理























コロナワクチン接種 遺族団体“健康被害の救済認定速やかに”

新型コロナウイルスのワクチンを接種したあとに亡くなった人の遺族でつくる団体が、厚生労働省で会見し、予防接種法に基づいた健康被害の救済制度の認定を、速やかに進めることなどを国に求めました。

新型コロナウイルスのワクチン接種をめぐっては、副反応で健康被害が出たり死亡したりした場合、予防接種法上の救済制度の対象となり、接種との因果関係が否定できないと国が認定した人には、医療費や死亡一時金などが支給されます。

9日の会見には、おととし10月に、当時36歳の夫が2回目を接種した3日後に亡くなり、先月、救済申請が認められた須田睦子さんらが出席しました。

この中で須田さんは「夫が亡くなってから、当時、おなかの中にいた娘と上の子3人を育てていけるのか、不安の中で毎日を過ごしていました。接種の中止が一番の思いですが、せめて同じ不安を抱えている多くのご遺族の迅速な救済を望みます」と訴えました。

このあと団体は、救済制度の認定を速やかに幅広く進めることや、ワクチン接種後の突然死などについて、国が研究を進めることなどを求める要望書を、厚生労働省に提出しました。

救済制度には、先月10日時点で6219件の申請があり、死亡30件を含む1622件が認定されていて、厚生労働省は「審査の回数を増やしており、できるだけ迅速に対応していきたい」とコメントしています。

コロナワクチン8.8億回分、国の確保量「根拠不十分」 会計検査院




731部隊展


日本の機密文書管理はきちんと行われてりるのだろうか?隠蔽されている??機密文書も時間が経過したら、きちんと公開すべきだ!!日本にも積極的な情報開示を求めます!!
【バイデン大統領】自宅から別の機密文書見つかる


 







新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??

 

鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??

鳥インフルの処分数 全国で1000万羽超える 過去最多

なぜ、いま?リスクは


日本は、きちんと謝罪・補償すべきだ!!





連改革!!拒否権廃止を!!

今こそ拒否権を廃止すべき時だ

あの日本の侵略戦争を反省し作られた憲法9条を、順守すれば、軍事費ゼロ!!戦争をしないように全力で取り組む姿勢を全世界に示す!!【天皇制再考、軍人恩給廃止、戦争被害者(外国も含む)への補償、外交力強化!!】

憲法9条

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。








ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com



価格 ¥3,960



放射能の影響を考えよう!!
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展


731・原爆・ビキニ


なぜ、こんな危険な原発を、全国にたくさん作ってしまったのか??それも運転期間延長で60年超も??自然環境にやさしいエネルギーの活用ができないものか!!




2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート

12月22日(木)
9、731部隊がペスト菌を実際にバラまいていたことは初めて知りました。
ウクライナとロシアの戦争、コロナウィルスとワクチン、原爆と原子力発電所、安保3文章の改定・・・
どう捉えていくのか、学んでいきたいです。貴重な場を作って下さり、ありがとうございました。(21~50歳、市内、中央図書館ポスター)













大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

戦犯たちの告白









昨年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた



731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)

医療倫理・研究倫理の深化




放射能はこわい!!
福島県漁連、森林組合連合会は、放出に反対を表明
その中で、福島県漁業協同組合連合会は、去年は震災前漁獲量の約14%にとどまったが、今年の2月には出荷制限が解除され、これから増産に向けて舵を切ろうとしているところであり、海洋放出に反対だと訴え、福島県森林組合連合会は原木椎茸生産に不可欠な、しいたけ原木の生産が困難な状況が続いており、販売が皆無であること、野生きのこ・山菜等の出荷制限も多くの市町村で継続されている窮状を訴え、大気放出に反対を表明しました。

1945年9月に被爆地に残留放射線があったにもかかわらず、日米両政府は戦後それを隠蔽してきた。
原爆初動調査ー隠された真実2
原爆初動調査ー隠された真実3







世界には、核実験(原爆・水爆)、広島・長崎の原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!

被爆二世健診…43年目の真実~データが語る遺伝的影響と「ほしょう」を考える









京都大学出版会(2022年4月10日発行)

もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・



遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)

原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子


                





自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述


日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった








パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
 医学と人権を考える




『医学者は公害事件で何をしてきたのか』 津田敏秀著

食品衛生法を適用しないことが決定

 
 さらに国の主張はこうである。食品衛生法第4条2項、「有害な、もしくは有害な物質が含まれ、もしくは付着し、又はこれらの疑いがあるもの」を「販売し(不特定又は多数の者に授与する販売以外の場合を含む。以下同じ。)、又は販売の用に供するために、採取し、製造し、輸入し、加工し、使用し、調理し、貯蔵し、もしくは陳列してはならない」の中に、「又はこれらの疑いがあるもの」という部分は、水俣病事件の後で付けられた部分であり、当時は、「原因物質」が分からなかったために、「疑いがある」として食品衛生法を適用することができなかったと国は主張している。この議論は、病因物質が判明していることは対策を講じる上での必要条件ではないこと、また原因物質が水俣湾産の魚介類であったことが「疑われた」ことは一度も無いことから、全く的の外れた議論であることが分かる。国の主張には食品衛生行政の現場の知識が全く含まれていない。









小津安二郎も毒ガス部隊だった


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!     

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が 開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置






獄中1万日(帝銀事件) 森川哲郎 (図書出版社)より

 毒物に対する検事論告の矛盾

 では、重要直接証拠である凶器の毒物に対する争いはどうであったか、
「―本件の特徴は、確証がないことだと巷間では言われています。確かに椎名町の帝国銀行椎名町支店における直接の犯行についての物的な証拠は、ただ被害者などに与えられた毒物の飲み残と腹中に入った毒液だけであって、しかもその双方には、青酸カリまたは青酸ソーダ、もしくはその混合物ということを肯定できたにとどまり、それ以上の判定は他の状況証拠と相まって論じなければならない態のものであります。」






 

冤罪が晴れてもその後の人生に困難を伴う!

社会が許さない 釈放後も「地獄」

 

 



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。



 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

             伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 


●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』

・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?

・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。

・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??

・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。


実験医学雑報20巻 第7号(1936年)

本所職制改正

この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。

特別研究室とは何だ??



実験医学雑報22巻 第2号(1938年)

人事異動報告  昭和13.2.4現在
発令月日   辞令               官職    氏名
1.10    免兼官               技師    勝俣稔
〃     同                 同     野辺地憲三
〃     兼任厚生技師(官制改正により辞令を用いず)
                        教授    佐藤秀三
〃     兼任防疫官自然消滅の為)
                        同     高木逸麿

〃     同                 同     小島三郎
1.11    依願解嘱                    斎藤堯夫
1.14    任東京帝国大学教授
      叙高等官3等
       台北帝大教授兼東大教授            細谷省吾
1.15    北海道へ出張を命ず(学術上取調の為)技師    城井尚義
1.17    依願免本官             技手    後藤敏夫
〃     伝染病研究所業務を嘱託す            後藤敏夫
1.20    依願免本官             技手    大久保薫
1.22    伝染病研究所業務を嘱託す            大久保薫

     


1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田
で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??

浜一中大福餅事件

               
浜松一中の慰霊碑


大牟田の慰霊碑(裏)


(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」


<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。



日本軍の毒ガス戦を支えた軍需化学企業

                    北宏一郎(化学兵器被害解決ネットワーク)



再び歴史の改ざん


戦後になって大牟田市は「いわゆる爆発赤痢は上水道が原因ではなかった」と昭和44(1969)年発行大牟田市史(補充)○○に記した。

塚本メモ、第2水源公舎など120名の老幼者が生水を飲んでいるのに、1人も患者がいない。真空ポンプは針の穴ほどのキズでも機械は吐物、汚れ流入は考えられない。原因は不明としつつ水道水汚染原因説を否定しました。

 しかしなら・・・・

平成15年、歴史の改ざんが行われる。

大牟田企業届統計年報「平成15年度」版には、「この間、昭和12年水道水が原因とみられる爆発的な赤痢が流行し、患者12000人、死者712人発生するという事件もあった」と記し、大牟田市史に反する記述がなされ、現在に至っています。



科研を視察する昭和天皇(中央)。久村所長が先導している(元科研職員の小野田悦郎さん提供)


   







この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?


 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判第1審判決全文

被告の主張  (別紙4)

第6 立法不作為を理由とする国家賠償請求について


2 例外的な場合に関する原告らの違法性判断基準の誤りについて

(3)

ア まず、日本国憲法秩序の根本的価値に関わる基本的人権の重大な侵害が現に個別の個人に生じている場合は、端的にその加害者に対する損害賠償等によってその救済を図ればよく、加害者が公務員であれば 国家賠償法等に基づく損害賠償請求をすれば足りるはずである。そのような加害者が別に存在せず、ただ立法不作為状態だけによって日本国憲法秩序の根本的価値に関わる基本的人権の重大な侵害を現に個別の個人に生じさせるような事態は、およそ想定する 後は困難である。また、加害者が別に存在するにも関わらず、なお立法不作為状態が日本国憲法秩序の根本的価値に関わる基本的人権の侵害を現に個別の個人に生じさせるような事態も、想定が困難である




731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

           
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           


731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

日本の中国東北侵略から92年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 

六月三日


八月十五日

最も信用は置けないがこんな様な気分で分遣を一週間暮らした故に 非常に体が弱った様に思われたが遼陽に上番して初めて元通りになった。愉快な日が続いたから。ー。ー。満期風吹かしている内に早慶戦が始まった。早大三シーズン目に見事に陸の王者を破った 其の時は非常に嬉しかった。早大が勝った故もあるが こんなに詳しくサンデーに野球雑誌に経過を読んだのは初めてだ、何しろ大の早大ファンなんだから。  以上


軍都広島での物語

原爆詩集

峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。


    

 

ひろしまよ

原爆が不毛の隆起を(のこ)すおまえの夜

女は孕むことを忘れ

おれの精虫は尻尾を(うしな)

ひろしまの中の(きら)めく租借地

比治山公園の樹影にみごもる

原爆傷害調査委員会のアーチの灯が

離胎(りたい)する高級車のテールライトに

ニューメキシコ沙漠の土民音楽がにじむ








封印された原爆報告書
日本政府は、原爆が投下された後、その威力調査を行ない、その結果をまとめて、戦後、アメリカへ英訳して渡した。被爆者の治療は殆どされず、人体実験迄行われた。





1945年9月に被爆地に残留放射線があったにもかかわらず、日米両政府は戦後それを隠蔽してきた。




  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』

731研究会編

 Ⅰ 731部隊

終生の重荷

脳裏にこびりついて離れない断末魔の形相


千田英男(ちだ ひでお)

731部隊・教育部


〈略歴〉

1917年生まれ

1942年 731部隊入隊

教育部付き衛生兵教育

吉村班、植村班、教育部庶務を歴任

■この証言は戦争体験を記録する会(宮城県)編『雲はかえらず』所収「終生の重荷」(1974年)より転載したもの


「私達の実験はいつ終わるのか」

万に一つも生還の道はないと知りつつ、心にもない嘘を言わなければならない私は、自分の話している言葉のあまりの白々しさに呆れ、何か取り返しのつかない罪を犯しているように思えてくるのだった。私とこの人達の間には、何の怨みもない。

 こうして接触が度重なるうちに、人間同士として触れ合う何かが生まれてくるのは当然であろう。それが深まるにつれて私は、与えられたこの仕事が日ごとに苦痛になり、疎ましいものになっていった。それでもコレラやペストなどの激烈な伝染病の担当ではなかったことは本当に良かったとも思っていた。


 

日本軍政下香港(1997.7.27)



●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行


速記録
(平成3年9月9日第11回口頭弁論)

甲第267号証を示す 

同様に、森村誠一氏の業績の評価に関わりまして、オーラル、聞き取りによる史料の信用性ということに関わりまして、19頁20頁で言及しておられますけれども、この結論を一言で言うと、どういうことでしょうか。

 聞き取りによる史料というものは、特に現代史をやる場合には不可欠になっている、文献による史料だけではなくて、オーラル・ヒストリーと言われているものが不可欠になっているということでありますし、同時に聞き取りの史料というのは文献的史料と同じような意味で、厳格なる史料批判が必要だということでありまして、 オーラルの史料と文献的史料というのは、平等の市民権をもっているんだということを特に強調しておきたいと思います。




●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』

吉見義明  (2004年発行)

Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始  1937―1938

2 武漢攻略作戦



第11軍の戦闘



2例をあげてみよう。


1、8月22日の早朝、波田支隊の台湾歩兵第2連隊第3大隊は、赤湖北方城子鎮付近の戦闘で、あか筒420本を使用した。「実施報告」には、国民党軍は直ちに退却したが、「瓦斯の為、戦闘不能となり、刺殺せるもの三百を下らず」と記録されている。


2、9月26日午前7時40分、第27師団の支那駐屯歩兵第1連隊は、白水街付近であか筒565本を使用し、縦深1キロを完全に毒ガスで覆った。この時、毒ガスにより「吐血し、我に刺殺せられたるもの数十名」とある。


海軍の相模海軍工廠跡(寒川)を訪ねて(2022年4月9日)
日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!




略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)







*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)












大久野島の歴史

Ⅲ:大久野島毒ガス工場の稼働 

④ 毒ガス工場へ民間人の動員 


 戦争中、大久野島で働いた人の数は延べ約6700人であり、動員学徒がかなりの数を占めています。島に動員された子どもたちの年齢は13歳~15歳で、男子は防空壕堀や家屋の解体作業、風船爆弾の気球を造る糊作りなどに、女学生は毒ガス工場から出たゴミの運搬や毒ガス缶運び、風船爆弾の気球造りなどに従事させられました。当時大久野島は島全体が汚染され、有害な空気に覆われていた状態だったので、どんな作業をしていても毒ガス傷害を受ける環境でした。中でも建物の解体作業や毒ガス缶の運搬作業は直接毒剤に触れたり、毒剤の粉塵を吸引したりする可能性がある極めて危険な作業でした。また発煙筒の作業もさせられましたが、火薬が自然発火するなどの事故で負傷した子どもたちもいました。


 

 

 







●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行

刺突(しとつ)

農民を初年兵の訓練に


江先 光(えさきひかる)

曹長

〈略歴〉

私は山口県岩国市岩国に生まれた。

小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、

1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。

以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において

捕虜となった。今年40歳です。

 

「こんなことが婆あばかりでできるもんか、確かにどこかに隠れているんだッ!」藤井少将は青くなったり赤くなったりして怒った。「こらッ!何をぐずぐずしとるんだ、屋根を剥がしてみろッ、壁を壊してみろッ!!」だが、焦れば焦る程、鼠1匹も出なかった。

「よーし計略だ。いいか、数人で行って見ろ、少ないと思ったら出て来るかもわからん」藤井は兵隊を犠牲にするつもりで命令を出した。だがそれも見破られた。兵隊はブツブツ言った。「やれやれなんてことだ、夜通し歩きまわされて何もない、中助(中隊長の蔑称)がつまらんと兵隊まであごだ・・・」これを聞くと私は我が事のように責任を感じた。




    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

藤井治夫著


第3編 主要極秘文書

1 三矢研究



















第三動  研究問題


3、7月21日臨時閣議において決定された我が国防衛の基本方針並びに所要の国家施策についてその骨子を述べよ〈状況下の研究№12〉

4、7月21日下令された防衛出動待機命令に関連し、内局、統幕、各幕の作成する行動の基本、指揮命令をそれぞれの形式によって記述せよ。(状況下の研究№13)


5、7月21日下令された治安出動に関連し、内局、統幕、各幕の示すべき事項を行動の基本、指揮命令の基本、指揮命令に区分し、それぞれの形式によって記述せよ。(状況下の研究№14)


第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。



 1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

 『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長


『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1




金原節三と細菌戦


金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。


細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎


金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!


『軍事史研究』2010年9月

軍事史関係史料館探訪(56)

陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館

喜多義人


収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。




●『BC兵器』 久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦


1、自衛隊の装備・訓練を探る

装備・訓練の実体は


〔応急手当法〕頭痛、吐き気、くしゃみ、圧迫感、強い目の刺激、及び一時的倦怠の原因となり、気温が暑いときは皮膚を刺激することもある。応急手当は、患者を非ガス地域に運び出し、風にあて、患者に眼をこすらせないようにする。患者に低濃度のクロロフォルムを吸わせる。症状が悪化した時は、50%アルコールを使った10%重炭酸ソーダアルコール溶液で犯された皮膚を洗う。硼酸(ほうさん)溶液または水で洗う。症状が無くなるまで患者を温め安静にする。

5代衛生学校長

 

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

 

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

 第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

  井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

 又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。

東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。

※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。

1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

 

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)

 

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 


●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。



 

 






●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

    

第2部    仁愛の政治


1922(大正11)年―1930(昭和5)年

 両大戦間の陸軍内の「天皇のイメージ」に関する研究でも、その地位からいって天皇のために死ぬ確率の高い階級の間で皇太子の「支持率」低下していることがうかがえる。帝国の陸海軍は、3年制の士官学校で、選ばれた数の16、7歳の少年を教育していた。これらの学校の卒業生〔そのうちの志願者〕はふつう陸軍または海軍の大学校でも学んだ。同時代の意識調査と、第2次大戦後に軍の大学校や士官学校の卒業生数千人ー多くは太平洋戦争期に東京で参謀の任務についていた―に行われたアンケート調査に基づいて、河野仁は、職業軍人になる動機としての「天皇への奉仕」の自覚は、1922年から31年までは弱まる一方だったことを論証している。河野はまた、1922-45年の全調査機関を通じて、陸海軍ともに(海軍のエリート将校ではとく」)天皇を崇拝し、彼のために喜んで死ぬ意識が少しずつ低下していったことも明らかにした。


日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

IMAGINE9

解説

9条をつかって、

戦争のない世界をつくる。

01 

軍隊のお金を

みんなの暮らしのために使う世界

世界の軍事費は、今世紀に入ってからとくに増え続けています。世界の軍事費の約半分はアメリカの軍事費なのですが、そのアメリカが、2001年の「9.11テロ」をきっかけに、「テロとの戦い」と称してイラクを攻撃したり、世界中のアメリカ軍を強化したりして、軍事費を増やしているからです。

 その一方でアメリカ国内では、社会保障や教育すら十分に受けられない人びとが増えています。ハリケーンがアメリカを襲ったとき、これらの貧しい人びとがもっとも大きな被害を受けました。これによって「超大国アメリカ」の中の貧困問題が目に見える形で浮かび上がりました。



憲法9条を生かそう!!


『鹿屋(かのや)航空基地  史料館』(鹿児島県鹿屋市)について


~ご理解していただきたいことを文章にしました~


2022年7月17日記鶴ヶ岡裕一(都内在住)


この史料館を順路通りに歩いていくと、数々の遺影や、遺品のコーナーがあり、そこで写真を見たり、遺書・手紙の類(検閲を受けたもの)を読む人々も多いです。そして、出口へと向かう最後のコーナーでは、自衛隊戦闘機の操縦席とか、世界平和に貢献する自衛隊ポスターとか、自衛隊賛美のような内容のコーナーを通るという順路になっています。戦没者たちを自衛隊のためにまさに利用する行為は、戦没者たちを踏みにじり冒涜する行為だと思います(近年、展示の仕方や順路等の変更があったとしても、展示の根本思想は同じだと思います)。ですから、この史料館は、他の場所に移設(新設)し、平和祈念会館などの名前で、公的機関が管理すべきではないかと、思うに至りました。少なくとも、自衛隊敷地内に史料館を置いて、まるで戦没者たちが、彼らの持ち物でもあるかのように思い違いし、彼らを正当化するために、利用されてはならないと思います。一人ひとりの戦没者たちは、自衛隊から、解放されるべきです。






 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、戦争、

3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え




核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核被災に苦しむウイグルの人々

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。


●核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



核実験の種別

1.大気圏内核実験 地上、海上、及び空中で行われる核実験である。実験方法には、棟上、気球、船舶、離島、及び航空機からの投下が用いられる。また数は少ないが、高高度核爆発実験もロケットにより行われる。地上近くの核爆発では、土砂とチリがキノコ雲により巻き上げられ大量の放射性降下物が発生してしまう。また高々度での核爆発では強力な電磁パルスが発生し、周辺の電子機器に深刻な障害を引き起こす。



水素爆弾の恐怖・ビキ



ニ環礁 (アメリカ) 

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



核実験の人体実験


●核融合もすべきではない!!




なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「反原発!!」と叫ばない!!
 

       

      





































原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。


・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。





水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した











福島第1原発事故



           

















徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!






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