2023年1月27日金曜日

細菌戦の系譜!!












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日本の機密文書管理はきちんと行われてりるのだろうか?隠蔽されている??機密文書も時間が経過したら、きちんと公開すべきだ!!日本にも積極的な情報開示を求めます!!
【バイデン大統領】自宅から別の機密文書見つかる
遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟がいよいよ始まります!!

2023年1月9日          各位

遺棄化学兵器処理事業情報公開請求訴訟

第一回弁論傍聴&報告集会ご参加のお願い

(サポーター募集は追ってお送りします! ぜひご注目ください)

先の大戦で、旧日本陸・海軍は化学兵器(毒ガス兵器)を製造・使用した事実を隠すため、 敗戦

時、日中両国内でそれらを地中に埋めたり、川や海に投棄しました。戦後もこれらの遺棄化学兵器

による被害が後を絶ちません。

日本は1995年に化学兵器禁止条約に批准し、1999年以降、内閣府主導で、それらの化学兵

器を中国で処理していますが、処理してもなお化学兵器に含まれていた有毒物質のヒ素が残って

しまいます。内閣府はこのヒ素を含んだ有害廃棄物の最終処分をドイツで行うことを検討してい

ることが判明し、その検討経緯を知るために、2019年9月に行政文書開示請求をしました。しか

し、「公開」された6861頁のほとんどが黒塗りで肝心の経緯が分からなかったため、審査請求も

行いましたが、昨年5月19日、「ほとんどの文書の不開示は妥当である」という趣旨の内閣府の裁

決がありましたが届きました。

そこで、議論の過程を明らかにするために、12人の弁護士の協力のもと、2022年11月18日

に提訴しました。

≪ 第一回弁論 ≫

2023年1月24日(火)10:30〜 東京地裁703号法廷

予定 ▶︎ 平松真二郎弁護士より意見陳述、原告の意見陳述

 報告集会も開催します! ぜひご参加ください 

11時半頃〜12時半頃@衆議院第2議員会館第1面談室

*裁判の進行状況によりますので、前後する可能性がございます。

*閉廷後〜開始前までの間に入館証を配布致します。報告集会開始時には配布を終了致します

ので、予めご了承ください。

≪ 原告より皆様へ ≫

本事業の昨年度までの予算執行額累計は約3,847億円にまで上ります。莫大な税金が投じら

れた一大国家プロジェクトでありながら、ブラックボックス的に進められています。今なお、遺棄

化学兵器によって苦しむ方々がいる一方で、また新たな被害を生み出してしまうかもしれないと

思うと、何もしないわけにはいきません。

自分自身が一人で原告になることは初めてで、とても心細い思いです。ぜひ皆様のお顔を見せ

て頂けますと大変心強いです。傍聴席を埋め尽くし、裁判所に情報公開の必要性を訴えられたら

と思います。サポーター募集のため、現在クラウドファンディングも準備中です。お力添えのほど

何卒よろしくお願い申し上げます!

≪ お問い合わせ ≫

城北法律事務所 Tel:03-3988-4866 担当:平松

 




新型コロナも鳥インフルも生物兵器か??世界のBSL4施設は何を研究しているのか??

 

鳥インフルでの殺処分は適切なのだろうか??

鳥インフルの処分数 全国で1000万羽超える 過去最多


中国 新型コロナ 専門家「人口の約80%感染」11億人余り感染か

あの日本の侵略戦争を反省し作られた憲法9条を、順守すれば、軍事費ゼロ!!戦争をしないように全力で取り組む姿勢を全世界に示す!!【天皇制再考、軍人恩給廃止、戦争被害者(外国も含む)への補償、外交力強化!!】

憲法9条

第二章 戦争の放棄

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

与那国ミサイル配備に反発 玉城知事「唐突な予算計上」

玉城デニー知事「敵基地攻撃能力、保有できない」沖縄への自衛隊配備増強巡り見解


防衛増税も迷走「岸田政権」に今、決定的に足りないこと



ミサイルが飛んできても「反撃しない」ことこそが日本の抑止力だ

“弾薬だけ”で8200億円 来年度当初予算案、防衛費が25%増の過去最大 総額114兆円程度で最終調整


軍事侵攻11か月 ロシア大規模攻撃準備か ウクライナ戦車求める

【詳細】ロシア ウクライナに軍事侵攻(26日の動き)






ブックレット 500円
NPO中帰連平和記念館内
「供述書を読む会」
Tel・Fax 049-236-4711
Email:npo-kinenkan@nifty.com



価格 ¥3,960

放射能の影響を考えよう!!
パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」展


731・原爆・ビキニ






2022年 パネル展「731部隊・原爆・ビキニ」アンケート

12月22日(木)

12、こうした小さな展示がやがて大きな波になりますように祈っています。(51歳以上、相模原市、不明)


新宿戸山の陸軍軍医学校跡地から見つかった人骨についての番組を見たい方は
下記のギガファイル便をダウンロードしてください(4月26日までダウンロード可能です)。

桜の下に眠り続ける死者たち
https://81.gigafile.nu/0426-f28efe24152e71e1bbe5a9daa5171a2b4







「731部隊」展示再検討 委員会の設置方針了承 飯田市教委







飯田市平和祈念資料館の展示の見直しを!!


















2022/10/22 清水さん宅

731部隊の証言展示取りやめ パネル展示予定だった宮田村の清水さん「これでは伝わらない」

731部隊の少年隊に所属し、飯田市平和祈念館での証言の展示を打診されていた清水さん。入隊時の写真の拡大コピーも用意していた=7月12日、宮田村

 

731部隊を巡っては2002年、中国人被害者らが起こした国家賠償請求訴訟で東京地裁が戦時中に生物兵器の開発、研究を行い、細菌戦を行っていたなどと認定した。一方、03年に当時首相だった小泉純一郎氏は国会で、細菌戦を示す資料は「現時点で確認されていない」と答弁。部隊については終戦直後に文書が処分された経緯もあり、専門家からは貴重な歴史的証言の展示を見合わせた市教委の姿勢を疑問視する声が出ている。

 「自分たちの証言が紹介されなければ、部隊の事実が伝わらない」。戦時中、731部隊の少年隊に所属していた清水英男さん(92)=上伊那郡宮田村=はそう訴える。飯田市平和祈念館の開館前、市資料収集委員会から証言のパネル展示を打診され、了承。まだ14歳だった入隊時の集合写真も自費で拡大コピーし、展示用に用意した。

 清水さんは国民学校高等科を卒業後、731部隊の少年隊に配属された。主に見習い技術員として病原菌の基礎知識などを学び、「マルタ」と呼ばれた中国人やロシア人の捕虜の人体実験後の標本を見たこともある。日本の敗戦間近に「マルタ小屋」で多数の人骨を拾って・・・・































久保田昇さんが熱く語る731部隊員の証言(以下のビデオ:30分辺りから)
飯田市平和祈念館資料室
飯田市平和祈念資料室




大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

戦犯たちの告白



「731部隊員だった池田苗夫元軍医の戦後の軌跡」




今年(2022年)4月2日に開かれた日本医学会記念事業では、「過去の過ちに学ぶ」で、731部隊のことが取り上げられた



731部隊で非人道的な人体実験があったことを述べている!!
(以下の動画、5分20秒過ぎ)

医療倫理・研究倫理の深化




放射能はこわい!!
福島県漁連、森林組合連合会は、放出に反対を表明
その中で、福島県漁業協同組合連合会は、去年は震災前漁獲量の約14%にとどまったが、今年の2月には出荷制限が解除され、これから増産に向けて舵を切ろうとしているところであり、海洋放出に反対だと訴え、福島県森林組合連合会は原木椎茸生産に不可欠な、しいたけ原木の生産が困難な状況が続いており、販売が皆無であること、野生きのこ・山菜等の出荷制限も多くの市町村で継続されている窮状を訴え、大気放出に反対を表明しました。

1945年9月に被爆地に残留放射線があったにもかかわらず、日米両政府は戦後それを隠蔽してきた。
原爆初動調査ー隠された真実2
原爆初動調査ー隠された真実3







世界には、核実験、原爆、原発労働者、ウラン鉱山の採掘者等で被ばくした人はたくさんいる!!
それが、次世代・次々世代に影響するとなると大変な数になる!!反原発!!

被爆二世健診…43年目の真実~データが語る遺伝的影響と「ほしょう」を考える




戦争では、何も解決しない!!即時停戦を!!
На войне ничего не решить! !! Немедленное прекращение огня! !!
Мировой продовольственный кризис! !! , Всемирное разрушение окружающей среды! !! Кардинальные изменения в экосистеме! !! Нищета, резня, насилие, человеконенавистничество! !!

У війні нічого не вирішиться! !! Негайне припинення вогню! !!
Світова продовольча криза! !! , Знищення навколишнього середовища світу! !! Різкі зміни в екосистемі! !! Бідність, бійня, зґвалтування, мізантропія! !!

Nothing will be solved in the war! !! Immediate ceasefire! !!
World food crisis! !! , World environmental destruction! !! A drastic change in the ecosystem! !! Poverty, slaughter, rape, misanthropy! !!




ウクライナに平和を!!


戦争を停止する道を探れないのか??


No War!!Stop War!!
Нет войне!!Стоп Война!!



憲法9条を持つ日本はもっと停戦に向けて前向きに動いてほしい!!

War in the 21st century? ?? In the 21st century, a world without war!!

Война в 21 веке? ?? В 21 веке мир без войн!!

21世紀に戦争??21世紀こそ、戦争のない世界に!!








京都大学出版会(2022年4月10日発行)

もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・



遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)

原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子


                





自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述


日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった








パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
 医学と人権を考える

1957(昭和32)年l月16日 日本学術会議 


原子力平和利用の研究開発に関する声明

本会議は、わが国の原子力平和利用が原子力委員会等を中心として発展しつつあること喜ぶとともに、とくに長期基本計画が着実に実現されることに深い関心をもつものである。

しかるに昭和32年度原子力関係予算がきわめて大巾に削減されて、同計面の中の重要な部分が実行されず、あるいは延期されるのやむなきにいたるやに聞くことは憂慮にたえないものがある。

最近世界における原子力研究の発達とともに原子動力の利用は具体化の段階にはいっている。それとともにわが国における研究の体制を急速に整備し、海外の科学技術の発展の成果を自主的にとりいれ、将来においてはわが国独自の研究をもって世界に寄与しなければならない。

そのためには長期基本計面が実行でき、かつ放射線医学総合研究所等の国民の厚生のために必要な研究施設を設置するにたる予算面の措置が必要である。

本会議は予算の具体的な内容に立ち入って発言しようとするものではないが、政府が原子力委員会の意見をきき、わが国における原子力研究の長期的発展の見地から悔を残さないような予算措置を講ずることを希望する。 




太平洋核被災支援センター

宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露された

戦後、宮川東大教授(元731部隊レントゲン班班長)が関与した動物実験

プルトニウム元年 第3作 1993年8月放送 3/5






小津安二郎も毒ガス部隊だった


森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!     

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が 開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置


(『日中友好新聞』2022年2月15日号より)
この事件は、冤罪の可能性が高いことが長らく多くの識者によって指摘されてきたが、現在でも再審請求を続けている平沢弁護団が所蔵する捜査資料『甲斐捜査手記』の分析から、非常に重要なことが浮かび上がってきた。
 それは、帝銀事件捜査陣は、旧日本陸軍の秘密戦部隊(731部隊・登戸研究所、毒ガス研究をしていた六研、中野学校など)の実態を詳細に明らかにしていたが、米軍はそれらの部隊が行なった人体実験データを入手するために、731部隊をはじめとする部隊関係者の多くを免責・保護し、さらには関係者に捜査当局にも旧軍の秘密を話さないように約束させたということである。

 

冤罪が晴れてもその後の人生に困難を伴う!

社会が許さない 釈放後も「地獄」

 

 



1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。



 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

             伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 


●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』

・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??

・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?

・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?

・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。

・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??

・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。


実験医学雑報20巻 第7号(1936年)

本所職制改正

この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。

特別研究室とは何だ??


実験医学雑報21巻 第6号(1937年)


山田信一郎君の英霊を弔う

      昭和12年6月15日   伝染病研究所長   宮川米治

本所に於いては先ず技手となり、大正3年には技師となり、10年には衛生昆虫学研究の為と欧米に出張を命ぜられ昭和3年には理学博士の学位を授与せられ、数多くの重要なる研究業績を発表せられたのみならずその間シャム国・中華民国等にも出張せられたのであります。今回君の病漸く篤くなるや君の功績は天聴に達し、直任官を以て待遇せられ、従4位に叙せられ、勲4等瑞宝章を授けられた。天恩の深きに感泣せられておることと信じます。由来君は極めて熱心ある研究者であったと同時に反面、熱烈なる皇室中心主義者でもありました。学業の余暇には常に諸所より招かれて思想問題に関する講演もせられていた。


1936年5月10日には、浜松一中で大福餅の食中毒事件、1937年9月25日には大牟田
で爆発赤痢事件が発生している?防疫研究室との関係はないのか??

浜一中大福餅事件

               
浜松一中の慰霊碑


大牟田の慰霊碑(裏)


(碑文)

「時維(ときにこれ)昭和12年9月25日恰も支那事変勃発して3月全市を挙げて銃後の遂行に邁進せる秋(とき)、青天の霹靂の如く突如として我が12万市民は古今を絶する悪疫の魔手に掩われたり。ここに大産業都市として殷賑を極めたる本市は忽にして阿鼻叫喚の巷ト化し官民必死の防疫にも拘らず竟(つい)に一万数千の罹患者を出し七百十二名の精魂を奪はる・・・・・」


<三池の冬1997 その2>より

わたしの笹林公園探検の目的は、その隣の隣の慰霊碑であった。さてこれは何の慰霊碑であるか。ここに戦前戦中史の大きな謎が隠されている。(中略)

この慰霊碑は、炭坑事故の慰霊碑でもなく、戦没者の慰霊碑でもありません。1937(昭和)12年に突然大牟田で発生した集団赤痢事件の被害者の慰霊碑なのです。慰霊碑には、一万数千の罹患者を出し、七百十二名の精魂(生命)を奪ったと記されています。この集団赤痢事件がなぜ起こったかについての真相は、いまだ闇に包まれています。しかし、中国戦線に向けて三池(三井)染料が内密に作っていた化学兵器工場で爆発事故が発生し、この事故を隠蔽するために清里の水源地に赤痢菌をまいたという重大な仮説が提起されています。三池染料はわたしの祖父の職場でありました。その祖父は7年前に亡くなりました。この当時のことをもっと聞いておけばと悔いが残ります。近々、この仮説を実証する資料を、受けとることになっていますので、またそのときご報告します。




戦時下 大牟田爆発赤痢事件

隠蔽された企業犯罪、国家犯罪

北宏一郎(化学兵器被害解決ネットワーク)


 いわゆる「大牟田爆発赤痢事件」の真相

塚本メモの発見

9月25日深夜の2度目の爆発の時には、防毒面、防毒衣の人に工場内立ち入りを拒まれたこと。工場内死傷者は秘密裏に羽大塚伝染病院に送られたこと、更に、憲兵から10月25日に「赤痢菌弾を目下三井染料工業所ニ於テ制作シツツ事実アリ、海軍関係ハ8割、陸軍関係2割、戦地ニ使用中ナル事、尚菌弾ノ件ハ小倉工廠調査ノ結果ナル旨聴取セリ」と

この赤痢菌弾は誤りであるが、はからずも、毒ガス製造を憲兵が認めている。

塚本久光氏は昭和27年死去しているが、生涯にわたって、爆発赤痢事件の真相を追い続け、このメモを残していた。




科研を視察する昭和天皇(中央)。久村所長が先導している(元科研職員の小野田悦郎さん提供)


   







この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認
 定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。
 日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
 この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
 今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時で
 はないのか?


 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判第1審判決全文

被告の主張  (別紙4)

第1 国際法に基づく請求について

1 国際法の基本的な考え方

(3)原告らの主張の誤りについて

ウ 外交保護権との関係をいう点について

(イ)しかしながら、原告らの上記主張に於いては、国家の外交保護権に言及することの趣旨が不明である。また、原告らが援用する1996年5月13日のドイツ連邦裁判所の決定は、ヘーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求権が個人に認められるか否かについて判断したものではなく、被害者が所属する国家が相手国に対して有する国際法上の請求権の他に、被害者が加害国の国内法に基づく請求権も存在し、それが国家の国際法上の請求権と併存すると述べているに過ぎない。むしろ、同決定は、個人に国際法上の権利が認められるかどうかについては被告の主張と同旨の説示をしている。

 


731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?



●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??

 

           
2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           


731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)

 

 

 

 

日本の中国東北侵略から91年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 



 


四月三〇日

午前十時久し振りにて号令かけて体操に又銃剣術をやる 非常に暖かい日 何年ぶりかで自ら土を掘って畑を作る 昔が 在学時代が懐かしく思い出される 土に親しみ兄の手伝いをした小さい時分が一番良いように感じた。

三月が終わっては書き 四月が終わっては又同じようなことを書き出した でも仕様がない。軍隊生活の最後の四月だもの。再び迎えることの出来ない月でもあり日でもある。やはり同じような事でも書かずにいられないね。土に親しむでもないが分遣の庭に一生懸命に畑を作った。



軍都広島での物語

原爆詩集

峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

としとったお母さん


あの照りつけるまいにちを

杖ついたあなたの手をひき

さがし歩いた影のないひろしま

瓦の山をこえ崩れた橋をつたい

西から東、南から北

死人を集めていたという噂の四つ角から

町はずれの寺や学校

ちいさな島の収容所まで

半ばやぶれた負傷者名簿をめくり

呻きつづけるひとたちのあいだを

のぞいてたずね廻り

ほんに七日め

 







封印された原爆報告書
日本政府は、原爆が投下された後、その威力調査を行ない、その結果をまとめて、戦後、アメリカへ英訳して渡した。被爆者の治療は殆どされず、人体実験迄行われた。





1945年9月に被爆地に残留放射線があったにもかかわらず、日米両政府は戦後それを隠蔽してきた。




  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行

『細菌戦部隊』

731研究会編

 Ⅰ 731部隊

エントツから出る黒い煙

ペスト感染による死体がどんどん焼かれていく

小笠原 明(おがさわら あきら)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1928年生まれ。

1943年4月 731部隊少年隊に入隊

1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。

1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍

1949年 帰国。

■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの


731部隊に入隊

新京、今の長春ですが、そこに関東軍司令部があることを初めて知りました。最終面接の結果、私を含めて同郷の4人が「ハルピンに行け」と言われました。ハルピンに着いてびっくりしたのは、ホームに朝鮮の安重根も殺された伊藤博文の胸像があって、それにお参りしたことです。ホームに祀られているのか、とびっくりしました。

日本軍政下香港(1997.7.27)



●『論争731部隊』
松村高夫編
核時代49(1994)年4月発行



第2 731部隊に関する研究状況

三 1984(昭和59)年以降の731部隊に関する研究状況


 5 中国による資料の刊行と各国資料との相互論証関係

(4)各国資料間の論証関係
 
〈例証2〉凍傷実験


第1回目の時、吉村は次のように語っている。
私は、兵隊や現地人たちを相手に、冷たい水につけた指の温度がどのように変わるかを測ったりした、寒さに対する抵抗の民族差を研究していた。手足を凍らせて湯をかける実験は、動物実験であり、人体実験はしていない。そもそも戦争というものが悪いのだ。(『朝日新聞』1972年10月24日)





●毒ガス戦

『毒ガス戦と日本軍』

吉見義明  (2004年発行)

Ⅲ 日中戦争の全面化と本格的使用の開始  1937―1938


1 日中戦争の全面化と毒ガス戦

野戦化学実験部の調査報告

各実験部は、1938年2月または1939年3月に帰還、復員するが、その間各地で情報・資料・資材を収集し、多くの報告をまとめている、これ等は、国民党軍の毒ガス戦装備の実態を解明し、日本軍が毒ガス戦を展開しても反撃される恐れがないことを確認するためだった。当時、国民党軍はドイツ国防軍の優秀な将校による軍事指導を受けて訓練を重ねており、その化学戦能力を確かめなければ、催涙ガスよりも強力な毒ガス戦に踏み切れなかったからである。


      海軍の相模海軍工廠跡を訪ねて(2022年4月9日)

日本は海軍も毒ガスを製造し、本土決戦に備えていた!!




略史
昭和 5年  海軍火薬廠用地の一部割愛を受け、海軍科学研究部化学兵器研究室が平塚出張所を開設
昭和 8年  平塚出張所に一号・二号・三号特薬兵器の製造実験工場を建設
昭和 9年  海軍技術研究所化学研究部として独立
昭和12年  特薬庫、火薬庫、爆発円筒及び特殊化兵研究室などを建設。総敷地面積は124,000平方メートルに
昭和17年  相模海軍工廠(寒川町)の新設と同時に、化学研究部が相模海軍工廠化学実験部になる
昭和20年  終戦、廃廠
 第一次世界大戦後、日本は化学兵器の調査研究と技術開発に着手、大正11年に艦政本部内に担当部署が設置され、翌12年には海軍技術研究所となり化学兵器の研究と技術開発を開始。
相模海軍工廠では士官・常用工・徴用工員・女子挺身隊員・勤労動員学徒等3,500人余りが従事し、主として化学兵器・火工兵器の研究開発・製造が行われた。
海軍では毒ガスを攻撃用よりは防御用とすると認識が強く、相模海軍工廠では防毒マスクの生産が主力だった。(相模海軍工廠より)







*A事案区域とは、環境省が平成 15 年に実施した<昭和 48 年の「旧軍毒ガス弾等の 全国調査」フォローアップ調査※1>において終戦時における旧軍の化学兵器に関連する情報を集約した結果を踏まえ設定したA事案(毒ガス弾等の存在に関する情報の確実性が高く、かつ、地域も特定されている事案)に該当する区域のことです。具体的には、以下の3区域となります(図1参照)。 
①旧相模海軍工廠跡地(神奈川県寒川町内) 
②旧相模海軍工廠化学実験部跡地(神奈川県平塚市内) 
③ 旧陸軍習志野学校跡地(千葉県習志野市・船橋市内)















●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


 謀殺(ぼうさつ)

予防注射を口実に毒殺


中島宗一

属官

〈略歴〉

本籍 長野県下伊那郡

出身階級 農民

最終学校名 南信学院2部卒業

学校卒業後の職業 農業

最後の所属 旧竜江省警務庁特務科

被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠



特務科長の更迭によって中央保安局事務官であった春口宗男が新任特務科長として赴任してきたのは、日本では最後の瀬戸際に追いやられ本土作戦が盛んに宣伝され、東北では中国人民の抗日活動が益々公然と活発に行われているところであった。ソ同盟の参戦による非常事態を予想しての人民弾圧の強化が急がれていた。1945年5月末頃のことだった。事務引継ぎ関係機関への挨拶回り等を済ませ、一段落した6月半ばのある日、保安局庁舎の事務官室で春口は河野や荒木から報告を受けていた。

「警察局から留置場の整理を急いでいるので、奴を早く処置してくれって催促されているのですが、いかがですか、科長殿にお話して処置しては・・・」荒木が河野にささやくのを聞いて春口は河野に尋ねた。

「何かね」「実は、始末に困っているのが1人いるんですが・・・」



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


●『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

藤井治夫著


第3編 主要極秘文書

1 三矢研究

昭和38年度統合防衛図上研究
(三矢研究)

















研究―四

 三矢研究事前研究項目(対米関係事項)

第3 日本直接防衛のための日米共同作戦

 1 全面戦の誘発を防止すべき情勢下における軍事作戦の限界

(2)核使用の問題

ハ 米軍の日本直接防衛のための核使用の限界

(ハ)戦術的核使用の場合

 b 作戦様相に応ずる核使用の場合

  (a)敵のミサイル核攻撃を受けた場合

  1 ミサイルを発射した陸上基地、艦船及び航空機に限定して報復攻撃を行う場合は、
   全面戦への
発展を回避することが可能であろう。



  

第4代衛生学校長だった金原節三が亡くなってから、遺族が、当時の防衛庁に寄贈した金原節三資料の中に13点の『衛生学校記事』が含まれている。それがいまだに未開示であり、その行方が防衛省は分からないという。



 1995年に防衛研究所に衛生学校から金原資料の全部を移管した。翌年1996年には、その資料の中で旧軍資料の価値の高いものを、防衛研究所に残して、あとは衛生学校に戻した。

 『金原文庫』はいつまで、衛生学校の彰古館に開設されていたのであろうか?その中に果たして『衛生学校記事』があったのか?また、金原資料はキチンと整理をされていたのだろうか?金原資料の中には『特殊武器衛生』というものもある。防衛省は、金原資料をすべて開示すべきである。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



第4代衛生学校長


『衛生学校記事』を発刊したときの、衛生学校長金原節三とはどんな人物なのだろうか?

金原節三(1901~1976)

陸軍省医事課長時代(1941.11~43.8)に731部隊から報告を受けていた。「陸軍省業務日誌摘録」

厚生省東海北陸医務出張所から衛生学校へ 1955.8.1




金原節三と細菌戦


金原の略歴を見ると、昭和16年11月に陸軍省医務局医事課長になっていて、17年に8月に軍医大佐になっている。


細菌戦資料センターの会報には、次のような記載がある。「陸軍省医務局医事課長だった金原節三元軍医大佐が、1955年に陸上自衛隊に入隊した。細菌戦部隊を指導していたのは、陸軍参謀本部、陸軍省医務局衛生課そして陸軍省医務局医事課である。金原は、「金原業務日誌摘録」に細菌戦部隊からの報告を記録している。


金原節三と武見太郎


金原と戦後日本医師会会長になり、医師会、薬剤師会、歯科医師会に大きな影響を及ぼした武見太郎は、軍隊内の先輩・後輩関係にあった。『金原節三資料目録』(陸上自衛隊衛生学校)の巻頭言は、日本医師会長武見太郎が書いている。


※彰古館には、自衛隊関係の資料も保管している!!


『軍事史研究』2010年9月

軍事史関係史料館探訪(56)

陸上自衛隊衛生学校 医学情報史料室 彰古館

喜多義人


収蔵品の多くは、旧陸軍軍医学校由来の品々と医学文献であり、『大東亜戦争陸軍衛生史』編纂の際に寄贈された史料も所蔵されている。また、衛生学校にかつて開設されていた同校戦史室が収集した戦史史料、戦後の警察予備隊から保安隊を経て陸上自衛隊に至る草創期の衛生科部隊の行動史、研究報告なども含まれている。

 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

「化学学校記事」

『BC兵器』 久保綾三著(1969年)


3、沖縄―核だけなく毒ガスも

秘密の中のBC兵器
 しかも、VXガスは、日本の外務省がいうように、「それほど毒性の強いものではない」どころではなく、主として皮膚からの液滴によって作用し、皮膚呼吸により遅効死傷を発生し、筋肉収縮、呼吸停止して死傷するだけでなく、皮膚呼吸より眼からの作用経路の方が、遥かに高い毒性を示すので、外務省が言うように、いわゆる催涙ガスとして使用する毒ガスなどではない。その兵器体系も、155ミリ榴弾砲、8インチ榴弾砲、115ミリロケット放射器、化学地雷、航空機からの投下、またはエアゾル(気体中噴霧状粒子)によって散布する。


5代衛生学校長

 

井上義弘【1904~1969(65歳)、石川県出身

 

1929年に台北医専卒、陸軍見習士官を経て1931年3等軍医、1938年軍医中佐、その間、陸軍軍医学校教官、陸軍医務局課員、シンガポールに設置された細菌戦部隊(南方軍防疫給水部9420部隊)に所属、戦後、第1復員省、厚生省復員局勤務、1953年復員局から保安庁に出向、陸上幕僚監部衛生課長、陸上自衛隊衛生学校第5代校長、陸上幕僚監部衛生監を歴任1960年退官。近代5種競技世界選手権大会(ブタペスト)に日本選手団長として参加中、1969年9月急逝。1969年日本体育協会近代5種・バイアスロン連合会副理事長となり、専門の体力医学の分野で活躍】

 第4代衛生学校長であった金原が1957年12月突如転任(『大東亜戦争陸軍衛生史』を編纂するため、膨大な旧軍資料を集め、又戦後に日本独自の細菌戦部隊の復活させようとしたことが原因か??)になり、第5代の衛生学校長になったのが井上だ。両人とも戦時中の細菌戦部隊にかかわった人物である。それも金原は細菌戦部隊の指導的な立場にあった。それがアメリカの圧力か何かで、衛生学校長の職を解任され、その後を井上が引き継いだ。

  井上は、自衛隊に保管されていた731関連の資料を自宅に持ち帰り、保管していたが、ブタペストで急逝したため、何も知らない遺族がそれらの資料を廃棄してしまった。ところがそれが神田の古書店に行きつき、某大学の研究者の目に留まり、その大学で買い取った。そこで改めてその資料を検証すると、731部隊の毒ガス実験等の論文があった。某大学では、その買い取った731関連の資料や、731部隊のデータを使って書いた論文等は、以前はその大学研究者は許可を得て見ることができたが、今ではそれらを見ることができなくなっている。

 又、京大の次に多くの医学者を731に送った東大も細菌戦に関する資料を公開せず問題になっている。

東京医大等の不正入試だけでなく、大学医学部の戦中の細菌戦関連の資料の隠蔽も今、大きな問題になっている。

※1955年に二木秀雄が精魂塔を多磨霊園に建立し、731部隊の戦友会「精魂会」が発足した。

1950年には日本ブラッドバンクが内藤良一(元731部隊員)らによって設立され、元731部隊員は復権に向けて動き出している。

 

南方軍防疫給水部(岡9420部隊)

 

イタイイタイ病を究明した男 萩野昇 


●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。



 

 






●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!  

    

第2部    仁愛の政治


1922(大正11)年―1930(昭和5)年

1、摂政時代と大正デモクラシーの危機

牧野は書く。


 大演習御統裁に付9時45分御発車、(摂政に)供奉。2時15分静岡御着、御用邸に被為入。・・・・    古文書供覧。夜花火の催あり。

 此度の行啓に付ては別に御日誌作製の予定に付、一々記載を略す・・・・。

 将来十分詮議を遂げ改善すべき事。・・・・1、御態度に関する事。・・・・四国辺の如き質朴の民俗には相当すべき御態度可然(しかるべし)。北海道、東京辺とは自から期待異なり、此方面にては只々玉体を拝する丈けにて無上の光栄とす。一々御答礼の如きは勿論ない。奉迎者間に最も多く聞く言葉は能くおがめたと云ふ事なり。此一言にて人心の一班〔斑〕を推知すべし。

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

IMAGINE9 

解説

02

武器をつくったり売ったりしない世界


「武器はどこから来るのでしょうか?

日本は、憲法9条の下で「武器輸出を原則的に行わない」という立場をとっています(武器輸出三原則)。このような日本の立場は、世界でも珍しい先進的なものです。

 しかし一方で、日本はアメリカと共同でミサイル防衛の兵器開発を進めており、  この分野は武器輸出禁止の「例外」として認めています。ミサイル開発に携わる企業からは、 武器輸出を認めるよう求める声が高まってぃます。「日本は将来、憲法9条をなくして、ハイテク技術を駆使して武器をつくり世界に売り始めるのではないか」と心配する人も増えてきています。


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!

※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、戦争、

3、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

4、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え




核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核被災に苦しむウイグルの人々

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


・2022年6月21日、第1回締約国会議を招集。開催地はオーストリアのウィーン。


●核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



地球を破壊する核爆発・核実験


核兵器禁止条約

内容

署名国         署名日             批准日 (締約日)
マダガスカル        2017年9月20日
マラウイ          2017年9月20日        2022年6月29日
マレーシア       2017年9月20日        2020年9月30日
モルディブ       2019年9月26日        2019年9月26日
マルタ          2020年8月25日                          2020年9月21日





水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ) 

「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】



核実験の人体実験


●核融合もすべきではない!!




なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「反原発!!」と叫ばない!!
 

       

      





































原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。


・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。





水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。
























福島第1原発事故



           

















徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!




































 

























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