2021年6月1日火曜日

細菌戦の系譜!!

 


















































『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



(感想)

5月5日(水)

21、人間は戦さの連続で、生き残る為には殺してきた。被害に遭ったことは、大げさに騒ぐが、実際にやって来たことはとんでもないことをしてきた。よく資料を集めて見せてくれてありがとうございます。まだまだ知らない事がいっぱいあります。日朝協会の人の話を聞いて、関東大震災で何があったか聞いて、活動してきました。まだまだ知らない事もあるし、いろんなことを学び、言わないと思います。

(男性、70代、市外、赤旗)





















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

1948年京都・島根ジフテリア予防接種禍事件(その3) 

国会の論議 

本誌前号で1971~72(昭和46~47)年の京都市会、京都府議会で再燃した補償問題を紹介しました。今回は同47年3月22日衆議院予算委員会第3分科会で樋上新一議員と滝沢公衆衛生局長、斉藤厚生大臣の間で行われた質疑を紹介します(第68国会衆議院予算委員会第3分科会会議録3号より)。表1に前後関係を示しておきました。 




隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 









実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

ツツガムシ病病原体の新証明法

(昭和5年4月第20回日本病理学会演説要旨)

伝染病研究所

長與又郎

田宮猛雄

三田村篤志郎

佐藤清

一方余等は昨夏以来体内培養の意味を以って家兎の眼球を選びその眼房水内に病毒を注射するの法を試みたり。

この方法はかつて大正7年頃少数の兎について試み一定の変化を眼房に見たる事ありしも深く留意せず特筆すべき所見を見る前にうやむやの内にこれを見捨てたり。然るに今回細心の注意と詳細の観察とを以って同方法による実験に着手したるに、初めて、家兎がツツガムシ病毒によって全然独特の症状及び経過を示す眼症を起こすを見、更にその眼房水を以って累代定型的の眼症を起こさしめ得るのみならず、その組織的検査、免疫関係、猿への移植試験等によってこの眼症が幾多の対照試験とは明らかに区別し得べき。

特殊のツツガムシ病性眼疾なることを確かめたり。

ここに於て昨夏来この眼房内病毒性注射法に基づきあらゆる実験を重視。興味ある成績を得。とりわけ可視性病原体に関し有力なる新知見を挙げ得たるを以ってここにこれを報告す。



  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


2章 日本の支援者から

傲慢、不誠実な≪鉄仮面≫

 

    三島静雄(ABC企画委員会事務局長)


日本政府の代理人はこの5年間、一言もしゃべらない異常な≪鉄仮面≫ぶり。答弁書では一貫して「細菌戦の事実を認定せず」の傲慢さを繰り返した。だが、原告団の身を切り刻む証言と弁護団の丹念な問題点の追及、学者、研究家の意見陳述などを覆す材料を日本政府は明確に見つけ出せなかった違いない。そして細菌戦の被災現地を調査する人道主義や誠実さなど全然持ち合わせていない非道な態度を、逆に市民の前に暴露した。

 私達は今後、判決で認めた「国際法に違反した細菌戦の歴史的な事実」を土台にして、中国人被害者の損害賠償を厳しく求めていく。細菌戦を強行した日本軍兵士には恩給を支給し、膨大な被害者遺族には謝罪も賠償もしないまま、「日中平和だ」「友好促進だ」「未来志向だ¥などと、『ノー天気』な事を続けて良いものか。



 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月三十日

晴 風少し 衛兵下番。 炭坑分遣下番 大隊経理検査あり。

朝の衛兵で眠くて仕様がないが、下番だから何となく落ち着く 然し今日の下番程つまらないものはない。帰る早々大隊の経理検査だからやりきれない。其の上 午後一時からというんでは益々以ってやりきれない。午後0時に帰る早々大忙しだ。津田特さんにでかいタコをつられた3Lの軍幅の針金をぬいた為に・・・

知っているかい。満期ではないか。



 大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について


Ⅴ 屈伏しない人々

 1、貴下は原爆当時(昭和20年8月6日8時15分)どこに居られたか。

兵役中   疎開中   在広

2、貴下は被爆当時、被爆者の救護に従われましたか。救護に従われた方はその場所と期間をお知らせください。

場所=        

期間=

3、貴下は原爆による被害を受けられましたか(外傷、火傷、悪性症状、等)、その傷病名をお知らせ下さい。

4、貴下以外の医師にして救護に従事せられたお方をお知らせください。


 即ち、このアンケートはまさに赤裸々に広島の医師会員全てに対して、被爆時に彼らが責任を果たしたかどうかを問い詰めているのだ。

 

 

 

 


 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


731部隊を破壊する

1945年8月14日に行った事


溝淵俊美(みぞぶちとしみ)

731部隊・教育部


〈経歴〉

1922年生まれ

1943年 731部隊入隊。教員部配属

1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長

1945年8月 帰国

■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。

812

この日は列車で軍属は部隊を去り、残るは現役の兵隊ばかりとなった。


8月13日

ところが2時間ほど待っていても、列車は入ってこない、そのうち部隊総司令部から伝令があり、予定の列車は入らないということだった。再び兵舎に戻ったが、施設を破壊したため水は出ないし電気もつかない。仕方なく隣の早川航空隊に交渉し、飛行機の格納庫で休養させてもらう事にした。そうこうしているうちに、“満人”の群衆は官舎の垣根を越えて入って来た。官舎の中に残された品々を持ち去る者もいた。少々の発砲では驚きもしない。敵ではないのだからそのままにさせておくように指示をした。

 午後8時頃、無線班からの伝令がやって来た。「本夜、又は明早朝、ソ連軍の落下傘部隊が731部隊に降下するという敵の無線を傍受した」というものだった。



 




●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編


『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行


江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


解説


松村高夫


4 日本における調査・研究

1981年には、常石敬一『消えた細菌戦部隊』部隊が出版されたが、常石は、さらに戦後のアメリカによる731部隊調査報告などを翻訳し、『標的イシイ』(1984年)として出版し、それによってアメリカが戦略的必要から部隊の細菌・化学実験を驚くべきほど詳細に尋問していることが明らかになった、一方、テレビのドキュメンタリー制作で731部隊を早くから追跡していた吉永春子は、旧部隊員やアメリカの関係者をインタビューし、優れたフィルムを放映した。

●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開


2 積極的侵攻作戦でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用


武漢・広東攻略作戦


華中では、徐州会戦で日本軍は中国軍主力の捕捉に失敗し、これを逃してしまったことからさらなる侵攻作戦が計画され、第2軍【軍司令官・東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)王中将】と第11軍(軍司令官・岡村寧次中将)を基幹とした中支那派遣軍(総兵力約40万)による武漢(漢口)攻略作戦が8月22日から実施されたが、この時毒ガスの使用が参謀本部から許可されている。



・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校


毒ガス鎮圧、危うく発生


あか筒の使用時、毒煙は防毒マスクに対して浸透能力があるばかりでなく、家屋を攻撃する際は、ガスが家屋内に滞留して、さらに効果が加わる。しかも、毒煙に致死的効力がなく、一時的苦痛で、回復でき、このため火力攻撃で発生する双方の殺戮を避けることができる。つまり人道的な兵器ということができる。

したがって、習志野学校の意見はあか筒の使用であり、化学兵器使用の具体的な地点は、

1、隼町南端付近

2、平河町5,6丁目南端付近

3、弁天橋付近

 当時叛乱部隊の位置が皇居に接近したので、化学兵器の使用が皇居まで影響するかどうか検討されたが、最終的に、叛乱軍の所在する地帯は地勢が比較的低く、ガスは皇居には届かないということが分かった。










 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

強制労働

殺人長屋に押し込めて酷使


大西馨(おおにしかおる)

大尉


〈略歴〉

本籍 愛媛県

学歴 高等小学校卒業

出身階級 貧農

所属部隊名 第42野戦道路隊

年齢 47歳


このようにして、60余人の捕虜を栄養失調と皮膚病で廃人同様にした。街にはちゃんとした陸軍病院があったが、私は1人として入院させなかった、浜野衛生兵に荒っぽい傷の手当てをさせた。週1回来診する井本軍医は、捕虜が着物を脱ぐのにふうふう言いながら、やっと青白い骨に皮をかぶせたような肌を出したのを、「ウム、よし」と肩の上を手で押さえてみたきりで、聴診器は一度も使わなかった。≪なんだ、馬鹿にしやがる≫と口の中で言いながら、患者は痛そうにしてやっと服を着るのであった。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第 回) 6月23日(水)15:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第 回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

3 「機密」概念の曖昧性

憲法違反の機密保持

 さらに見逃がしがたいのは、同判決が 「事柄の性質上、それに相当するか否かの判断に当っては、当該秘密の対象そのものを公判廷において公開するに適しないばあいもあることが当然予想されるから、当該国家機関により秘密の種類、性質等のほか、秘密にする実質的理由を明らかにさせることによって秘密の実体を推認することは、是非必要であり、また可能であろう」としていることである。またしても「推認」なのである。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み


1、 生物・化学兵器の開発の歩み


神経ガスの出現まで

神経ガスの出現は、化学兵器に新しい要素をもたらした。まず第1に致死性が一段と増大したことである。このことは、運搬手段にも大きな変化を与えることになり、戦術的価値の増大と共に戦略兵器としての役割をも果たす兵器として新しい恐怖を生むことになる。そして現在では世界の主要な国ではこのような毒ガスを毎日数百トンの割合で生産しているということもまた現実である。



 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

木戸が証人台に立った最初の2日間、つまり1947年10月14日から16日にかけて、彼の弁護人ウィリアム・ローガンは、英文で297ページにもおよぶ長文の供述書を、これが法廷文書の引き写しにすぎないとのキーナンの申し立てにもかかわらず、いっさい省略することなく朗読した。ローガンが朗読を終えると、およそ5日間にわたつて10人の弁護人が、代わるがわる木戸に対して質問した。次いで、キーナンが数日におよぶ反対尋間を始め、「(木戸の)政治的生涯が始まってより、日本の降服当時に至るまで」、彼は(キーナンの言葉によれば)「〔日本国内に〕治安を完全に確立せしめ・・・暴力行為というものに対して、完全に食い止めよう〔として〕・・・天皇が実際的に手段をとろうとする努力をなしたときに、常にこれに対して反対していた」ことを印象づけようとした。木戸日記における木戸の主張に疑問を呈するため、キーナンは原田熊雄〔西園寺公望の秘書〕の日記を用いながら、日中戦争期、木戸が軍国主義者と対決せずに、むしろこれと手をたずさえ、さらに政治には関わっていないと主張しながら、その実、舞台裏で巨大な政治権力を行使していたと指摘した。



日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

内容

当条約の原文は、国連公用語である英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語・アラビア語で、国際連合の公式ウェブサイトに掲載されている。
なお日本は不参加のため外務省の公式な翻訳はないが、外務省は英文、暫定的な仮訳、日本国政府の考えを掲載中。
当条約は前文と20の条文から構成される。
前文では核兵器の非人道性、全廃の必要性、安全保障上の利益、「核兵器のない世界」の達成、国際人道法、過去決議との関連、法的禁止、平和利用、教育の重要性などを締結国の認識と記載した。

・あらゆる核兵器の使用から生ずる壊滅的で非人道的な結末を深く憂慮
・いかなる場合にも核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法として,核兵器を完全に 
 廃絶することが必要
・核軍備の縮小が倫理上必要不可欠であること並びに国家安全保障上及び集団安全保障上の利益の
 双方に資する
・最上位の国際的な公益である核兵器のない世界を達成し及び維持
・あらゆる核兵器の使用は,武力紛争の際に適用される国際法の諸規則,特に国際人道法の諸原則
 及び諸規則に反する
・1946年1月24日に採択された国際連合総会の最初の決議及び核兵器の廃絶を要請するその
 後の決議を想起
・核兵器を法的拘束力で禁止
・この条約のいかなる規定も,無差別に平和的目的のための原子力の研究,生産及び利用を発展さ
 せることについての締約国の奪い得ない権利に影響を及ぼすものと解してはならない
・全ての側面における平和及び軍備の縮小に関する教育並びに現在及び将来の世代に対する核兵器
 の危険及び結末についての意識を高めることの重要性


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した







           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!






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