2021年6月23日水曜日

細菌戦の系譜!!















『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





3月3日の『化学学校記事』の傍聴

・SDGs(持続可能な開発目標)17の目標の達成のために真っ先にやることは、世界の軍隊・軍備をなくすこと!!
・ミャンマーのクーデターを見ても、軍隊は国民を守らない!!





(感想)

5月6日(木)

43、・シンガポール侵略はあまり知られていないのでは?中国・朝鮮は知っているけれど。

・若い人たちにどのように伝えるか、が課題です。この加害展にも、若い人たちが、来てほしい。

・未だに日本人は被害として戦争をとらえているが、加害が重要。天皇についても、深く取り上げることに日本人は未だに及び腰。いろいろ考えさせられます。

(女性、不明、市内、チラシ)


















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回



パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

石井 四郎(いしい しろう)

経歴及び関連項目

(石井四郎)
第一軍軍医部長
1942年(昭和17年)8月、第1軍軍医部長。細菌戦を実戦指導

終戦まで
1943年(昭和18年)8月、陸軍軍医学校附。

1945年(昭和20年)3月、陸軍軍医中将に進級。関東軍防疫給水部長に再任。同年5月、満洲第731部隊は「満洲第25202部隊」と改称された。同年8月、ソ連軍の侵攻を受けた満洲国を脱出し、内地へ帰還。同年12月、予備役編入。

1959年(昭和34年)10月9日、喉頭癌のため国立東京第一病院で死去(67歳)。葬儀委員長は、北野政次(第2代・関東軍防疫給水部長)が務めた。墓所は東京都新宿区・河田町の月桂寺。


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置







 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 






東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか? 宮川の支那漫談とは何か??


実験医学雑誌第14巻雑報

14巻7号 1930(昭和5)年

雑報

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
この年、長與又郎、宮川米次、宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?
宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?


実験医学雑誌第14巻雑報

14巻7号 1930(昭和5)年

雑報

◎講習生茶話会

学術集談会当日午後4時より所内食堂に於いて今期第68回講習生一同と所内講師との懇親茶話会が開かれ、席上宮川教授の支那漫談があって散会。



学友会へ寄付

学友会へ上記の通り寄付ありたり

金150円也   青柳豊君
金100円也   仁藤隆作君
金50円也     関口三郎君
金146円31銭也 長瀬亀一君
金16円24銭也   吉積泰君

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


2章 日本の支援者から

日本の戦争医学犯罪を明らかにしよう!

川村一之(軍医学校跡地で発見された人骨問題を究明する会)

 1932年に防疫研究室が作られ、それを拠点としてハルピンに731部隊が作られました。1989年には、陸軍軍医学校の跡地から百体以上の人骨が発見されました。頭の骨、足の骨、のど仏の骨などです。頭の骨には、L字型に切った痕があります。ドリルで穴を開けた痕もありました。人体実験に使用されたと思われる骨です。私達はこの人骨問題について真相を究明するため、この13年間運動を続けています。

 





731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 (お手紙より 2020年)

思いがけずたっぷりの時間を得たので、読みにくさは覚悟しつつ、面白みは期待せず、打ち始めたところ、意に反して、満州で父の見問した世界に引き込まれていきました。

 日記を書いた当時、23歳の青年だった父の心象に触れるたび、私は時空を素通りして深くうなずけるのです。42歳で父が突然逝ってしまった1951年の正月、私は4歳でした。直接の思い出は片手にも余るほどです。なのに父の心情に寄り添える奇跡は、父娘という縁ゆえと思わずにいられません。

 ただ個人的に熱い思いを抱くことができても、他の人に読んでもらう価値があるものだろうか、迷いました。



軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について


Ⅴ 屈伏しない人々


 戦争が終わった後迄、なぜ広島の人間が苦しまねばならないか?という不条理な問いは青年の死体と共に燃え尽きはしなかった。年長の医師の頭の奥の苦く暗黒な場所で、常に鳴り響き続けているはずである。しかもなお、20年に渡って彼は屈服せず、また屈服することを許されていない・・・

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


731部隊の看護婦だった

石井四郎の不気味な顔と言葉が忘れられなくて・・・


赤間まさ子

731部隊・看護婦


〈経歴〉

1915年生まれ

1939年 731部隊入隊。診療部配属(看護婦)

1945年 帰国

■この証言は1994年6月、7月、8月他の証言をまとめたもの。


 私は、20歳の時にお見合いもせずに嫁にいくことになりました。おじいさんが、「なんでこんないい娘をそんなところに嫁にやるのか。不幸になるだけだから止めろ」と案じてくれたのですが、

母親は「もらわれていくのに余計な事言うな」と、聞き留めてくれませんでした。私はおじいさんの気持ちがありがたく、「行かねえ、行かねえ」と言いました。

 母は「いられては困るから行ってくれ」と言うのです。

その言葉を聞いて私はがっかりしました。いられては困る・・・・。なんてことを言うんだと思いましたが、時代が時代でしたからしょうがなかった。親に負けて、とうとう私は嫁にいったのです。



 ●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編


『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行


江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


解説


松村高夫


5、本書が明らかにした新事実

③ 平房の監獄の構造はどうなっていたのか


 解剖室や死体焼却炉の位置も再確認された、上田弥太郎の供述によると、「第4部の解剖室は部隊の西側に置かれ、その中には解剖台が3つあり、死体焼却炉も設置されていた。監禁室から解剖室まで鉄のレールが敷かれていたが、これは中国愛国分子を搬送し解剖する為に作られたものである」。ハルビン市人民政府公安局の調査(1954年3月15日)は、ロ号棟の北側に解剖室があり、西北に焼却炉があったとし、中国人労働者張の証言として、「いつも人を焼いているような吐き気を催す悪臭がしていた、ある時ロの字形の建物の近くへ仕事に行き、室内に鉄のレールが敷かれてあるのを見た」と報告している。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開


3 戦略的持久戦下での毒ガス戦と糜爛性ガスの実験使用

糜爛性ガスの使用実験の指示

50 あか筒及びあか弾を大規模に使用し軍の敵前渡河を容易ならしめたる例
〇教訓
1、大部隊の敵前渡河に於ては各種部隊の記号重複すること多きを以て高級指揮官に於て統制を必要とす
2、大部隊の放射に於いては各兵団の接合部に間隙を生ぜざる如く注意する事緊要なり
出典:陸軍省習志野学校篇「支那事変に於ける化学戦例証集」1942年11月3日、戦例50(『資料集』資料12)




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校


重要な実験場


 稲田は東北に来てから、すぐにソ連との国境にある重要な軍事拠点、東寧に赴いた。ここで、彼は陸軍の参謀人員と関東軍化学部の主要首脳と合同で、国境突破時実施する化学戦の戦術問題と使用する化学兵器の種類を実地に研究した。前にあげた「ちゃ瓶」はこのときの研究で、ソ連国境にあるコンクリートのトーチカに対して攻撃のために使用することが決定された。関東軍自身も辺境線上に大量にこの種の工事を建設していたので、一旦この種の陣地に向かって激しい攻撃を加えたら、相当大きな死傷者を出し、しかも効果を上げるのは大変難しいことがはっきりしていた。有効な通常兵器がない状況下で、日本陸軍は毒ガス兵器使用の問題を考慮したのだ。この時の研究終了後、稲田は白河付近で実地考察を行ったが、彼の回想によると、これらの考察を通して、化学戦主体の攻撃戦による辺境線上の通過に関して彼の胸中に成算ができあがった。











 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

血の会食

市場に砲弾を撃ち込んで略奪

宮崎敏夫

砲手 兵長


〈略歴〉

学歴 旧制中学校卒業

旧部隊名 第59師団第54旅団第109大隊歩兵砲中隊

年齢41歳

小旗が横に揺れた途端、静かな空気を破ってパンパン、ピューピューと5.6発の小銃弾が、遙か頭上を飛んだ。「発射用意ッ」木下軍曹のダミ声が響く、ガチャリ、装填を終えると、宮崎はグッとりゅうじょう(大砲の引き手)を握った。

「班長殿、円内(照準器で命中範囲を示す円)に婆あが1人出ました。」

「ナニッ、婆あ」

「子どもも円内に近づいています」

木下軍曹の眉がピクリと動いた。

「構わん、宮崎、撃てッ」

宮崎はりゅうじょうを引いた。

ドドン、重苦しい砲声、砲口から火を吹いた。1秒、2秒、3秒ッ。ドカン。炸裂音と共に、野外市場から5,6m離れた畑の中の1本木の辺りで、凄まじい土煙があがり、黒い塊が幾百幾十となく空中高く跳ね跳び、それがゆっくりと地面に落ちた、

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第29回) 6月23日(水)15:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

国家機密と軍事機密

戦前の国家機密  

これらの探知、収集、漏泄、公表などは死刑を含む苛酷な刑罰の対象となり、1944年には同法により3人に死刑が執行された。とくに第1条第3号中の「其ノ他行政各部ノ重要ナル機密事項」はいくらでも拡張解釈できた。そればかりか同法第8条は「外交、財政、経済其ノ他二関スル情報ヲ探知シ又ハ収集シタル者」にたいして10年以下の刑を科するとし、これにより新聞切抜きを集めた者まで弾圧されたのである (前出『秘密保護法精義』63ページ、なお国防保安法については大竹武七郎『国防保安法』参照)。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み


1、 生物・化学兵器の開発の歩み

自衛隊員が語る旧軍技術研究

 昭和19年における陸軍技術研究所の規模は総人員6280名内高等官950名研究予算3370万円であり、研究項目によっては作戦の必要上から特に急を要するものはそれぞれ別個の機関が組織され、参謀本部等から直接予算が配分されていた。

 ノモンハン事件で使用した手投げ火炎瓶をモデルに対戦車に開発したTBや、いわゆる米本土攻撃のための風船爆弾もこちらの研究所でつくられたものであった。

 TB弾は10㎝のガラス球に茶剤へ青酸を充填し、戦車の吸気を逆用して速効性を狙ったものである。



 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

 主として民間人に対して行われたこれらの犯罪は、それが戦争犯罪に関連して行われた「かぎりにおいて国際法に従って処罰が可能とされた」。東京裁判において検察側は、55の訴因からなる起訴状に沿いながら、殺人という幅広い犯罪を強調したが、それは「日本が平和関係にあった国々に対して行った侵略的攻撃に限定されるか、もしくは諸条約に違反する不法戦争の結果としての」という包括的な犯罪だった。「殺人」という訴因は、日本の真珠湾攻撃と「南京の暴虐」のいずれもカバーできる巨大な傘だった。



日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイの3万5千発以上に相当する。



 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した












           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!






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