2021年6月12日土曜日

細菌戦の系譜!!

   





































































沖縄の環境が危ない!!


『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



(感想)

32、何回も参加していますが、戦争の加害責任を風化させないためにも、継続が大切ですね。私は1985年に731部隊や100部隊、豊満ダム、万人坑、平頂山、撫順戦犯管理所、9・18記念館などを訪問。また、2013年には毒ガス地道戦の河北省北坦村なども訪問しています。政府は侵略の事実を明らかにしないどころか改ざんさえしていますが、自国の負の歴史に向き合い、反省し、謝罪し、補償することで初めて許されると思います。75年経っても、相変わらずの政府ですが、このままではアジアから孤立し、世界からも孤立してしまいます(既にしていますが・・・・)。
(要望)関東大震災の朝鮮人虐殺(2023年は100年に当たります。排外主義でアジア侵略につきすすんでいく歴史が必要かと・・・・)
(男性、50代、市内、神奈川新聞・友人)
























原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回



パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

1948年京都・島根ジフテリア予防接種禍事件(その3) 

 そして今、連載の結び 


真相が明らかにされることこそが被害救済の前提です。この事件は和解の文書の存否よりもそ の点において未解決であり、被害者救済は終わっていないのです。 また、昨年来、このワクチンの製造が例の731部隊関係者により行われたことが明らかにされ、さらに調査が進行しています。京都府の「記録」も大田黒猪一郎という同関係者により発行されていました。生物兵器に関わった人々が生きるために、雨後の筍のように生物製剤製造所が乱立する中でこの事件がおこりました。この事件の解明は戦時医学清算の問題にも通じることに驚きを禁じえません。 ジ禍事件に始まる責任回避の体質は連綿として、著者が支援した薬害MMR事件、タミフル問題へと継承されています。MMRワクチン接種見合わせのころ京都府の「記録」に出会い、同訴訟が終結したものの国の謝罪拒否で頓挫した2006年11月、タミフル問題が浮上し、その緊迫したなか本事件60年後の行動が始まるという経過がありました。2005年5月に研究会が組織されていますが、この事件に関心をお持ちの方はぜひご参加下さい。これは医学・薬学関係者だけの問題ではなく、戦後史の研究者にも参加いただきたいものです。資料保存と公開の問題もかかえています。薬害問題の風化を阻止するためには関係資料の保存が必須です。関係団体がその薬害の資料保存を検討すべき時でもあります。

(くりはら・あつし 全国薬害被害者団体連絡協議会/ 京都・島根ジフテリア予防接種禍事件研究会) 

著者連絡先 栗原 敦 

〒611-0021 

宇治市宇治蔭山 68-37 0774-21-4533 FAX 兼用 

メール:mmr@osaka.email.ne.jp 

独立行政法人医薬品医療機器総合機構運営評議会救済業務委員 


参考文献(抜粋) 

田井中克人『69 人目の犠牲者』ウィンかもがわ 2003 

田井中克人『京都ジフテリア予防接種禍事件』新風舎文庫 2005 

和気正芳,田井中克人,栗原敦「ジフテリア禍の原因論」日本社会医学会総会抄録集 2005 和気正芳「1948 年ジフテリア禍の原因論」社会医学研究 vol.23 pp19-24, 2005 

栗原敦「戦後薬害第 1 号事件の被害者救済について」日本社会医学会総会抄録集 2006

報道の経過 

中国新聞 2005 年 5 月 25 日「被害者自ら真相調査 ジフテリア禍」 

毎日放送 2005 年 8 月 11 日「埋もれた薬害,国の隠蔽判明」(VOICE 特集) 

山陰放送 2006 年 5 月 24 日「いま明かされる島根ジフテリア事件」Web 上で現在も閲覧可能 

毎日新聞 2007 年 4 月 22 日「示談策 公文書あった その後の薬害連鎖に」(大阪)など 毎日放送 2007 年 4 月 23 日「葬られた“汚染ワクチンの真相„」 

NHK おはよう日本 2007 年 4 月 24 日「埋もれた薬害事件“実態調査を„」(3 回放送) 



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置











 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 









実験医学雑誌第14巻雑報

14巻6号 1930(昭和5)年

著者等は是等2つの物質の拮抗作用を観察して、その成績を曲線で描いている。試験の方法としては各試験管の癌細胞浮遊の含量を一定にし、血清の注加量を遮増して癌細胞融解の成績を求めている。被験血清は次の比に加える。

1:1、1:5、1:10、1:20

この方法で健康血清を検すれば曲線は上昇の一途である。癌患者の血清では1:5、1:10までの試験管では増加の曲線を示すが、然しそれ以上の血清混和量では再び減少の曲線を呈するもので殊に1:20の試験管は平均零となる。

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


2章 日本の支援者から

各地で731・細菌戦パネル展の開催を


奈須重雄(731・細菌戦裁判キャンペーン委員会)


6月29日には、中野ZEROにて「中国の民衆から見た日本軍の生物戦:というテーマで、731・細菌戦展示会実行委員会とABC企画委員会と共に緊急集会を行ないました。慶応大学の松村高夫氏、東京女子大学の聶莉莉氏、土屋公献弁護士、西川重則氏の講演を聞き、判決へ向けての決意を新たにしました。7月に東京、8月には広島、岐阜、名古屋でもパネル展を開催し、多くの方々に見て頂くことができました。





731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

八月十五日


榊原が総出警戒の実施せらるるその日の朝巡察に行き 路板上を通る支那人3人を捕えてきたのが始まり。其の日の夜には約五、六名 其の次の日と次の日を合わせて十八名ばかり分遣に連れてきた。
そして密偵と中隊幹部が取り調べた、女の小供もいた。
此の時ばかりは国の弱さをはっきり不幸に感じた、泣きたいような気分がした。自分は地方にいる時も軍隊に来た時でも気は非常に弱いのだ。取り調べをすると支那人らしく色々な弁解をするが要するに一理ある答を致している。




 大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について


Ⅴ 屈伏しない人々

この青年の想像力は寧ろ極めて人間的な資質だ、そしてそれが青年に耐えることの出来る範囲を越えた圧力を加えた。こういう痛ましく、しかも決して不自然ではない、縊死した医師のイメージを背景に置いてのみ、我々は広島のそれでもなお自殺しなかった医師たちの活動の真の重みに触れることができるだろう。彼ら少数のしかも傷つける医師たちは、全市を埋めるおびただしい死者達に囲まれて、ただ赤チンキと油で十数万人の負傷者たちに対処する蛮勇を持ち合わせたのである。そして、これらの救護者達の向こう見ずの努力こそが、大洪水後の広島の最初の希望の兆候であった。 

 


 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


“マルタ”の監獄を建設

憲兵としての“マルタ”狩りも


志麻田実(しまだみのる)(仮名)

731部隊・部隊建設班

〈略歴〉

1918年生まれ

1938年1月 731部隊入隊(建設班)

1939年4月 新京の関東軍憲兵隊入隊

1945年 戦犯抑留

1956年 中国最高人民法院の判決により釈放

■この証言は1995年の聞き取りをまとめたもの。


731部隊建設


初めて工事現場に行った時、建設班の工藤技術員から、「7,8棟の内部工事は、今年(1938年)中に必ず完了させること。業務については、部隊の如何なる者にも話してはならない、話した者は、厳罰に処す」と、石井部隊長の命令が伝えられました。

 

 




●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編


『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行


江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


解説


松村高夫


5、本書が明らかにした新事実

 731部隊のどこが人体実験を行なったのか

 第7、8棟の中での人体実験の様子は、観察助手であった上田弥太郎の供述書(本書83~91頁)に語らせる以外に術はない、そのあまりの残酷さに、私は付け加えるべき言葉を持たない。吉村班の凍傷実験についても随所で供述されているが、同様である。それらの供述は、数少ない日本側の資料「凍傷に就いて」の内容とほぼ一致する、


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開


2 積極的侵攻作戦でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用

中国軍の毒ガス防御能力が如何に低いかを記した日本軍の毒ガス戦テキスト(教育総監部「事変の教訓第7号化学戦の部」1939年)

第6 化学戦より見たる支那軍

2、防護装備

 1、各軍内に於てもその装備は各種各様にして防毒面の如き多くは外国品にしてその大部は不良なり国内製品に於て特に然り

 2、防毒面の携行は兵団により大差あるも傍系軍に於ては極めて不良にして多くは幹部携帯しある程度にして直系軍は第1線兵員も相当携帯しあるが如し








・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校


重要な実験場


 政治的に見て、中国東北に隣接するソ連は日本の戦略進攻目標であり、ソ連のような軍事大国といったん戦争が発生すると、化学兵器の使用は必然の勢いだ。中国東北で化学兵器の実験を行えば、ソ連の気候条件と似ているばかりか、いつでも戦争に投入でき、一石二鳥の効果を上げることができる。

 上述の理由のほか、もっと重要なもう一つの要素がある。それは日本で行う化学兵器の実験は、日本の地域が狭く、人口が密集しているという条件の制限である。たとえ実験場を建設しても、土地の居住者と多くの衝突が起こる。しかし、中国東北にでは状況は大きく異なる。東北の土地は広大、人口は比較的少ない。さらに重要なのは植民地であることで、中国東北人民はすでにいかなる主権も自由も喪失し、日本の統治者が意のままに侵略していたから、化学兵器の実験に抗議し、反対することなど思いもよらず、侵略者が欲することは何でもできた。










 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

強制労働

殺人長屋に押し込めて酷使


大西馨(おおにしかおる)

大尉


〈略歴〉

本籍 愛媛県

学歴 高等小学校卒業

出身階級 貧農

所属部隊名 第42野戦道路隊

年齢 47歳

●ー筆者からの一言(昭和57年8月)

既に30年近くを経過し、記述内容の記憶も薄れておりますが、中国国民の方々には忘れられない痛恨事でしょう、心からお詫びしたい。戦争は極力避けるべきであり、特に他国に侵略することは絶対不可である。だが、他国が侵略してくれば立たなければならない。若い人達や一部の大人の中には降伏すればよいという風潮があるが、ソ連の世界戦略、過去の見聞や最近の事例を見る時、祖国を奴隷下士、過去とは比較の出来ない民族の危機を招来することは必定だ。“備えあれば憂いなし”世の中全てバランスの取れた中に成り立つ。(大西馨)



2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第29回) 6月23日(水)15:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回)  8月  4日(水)11:00~703号法廷



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第二章国家機密の構造

国家機密と軍事機密

「庁秘」と 「防衛秘密」

庁秘訓令にいう秘密とは、 「防衛庁の所掌する事務に関する知識及びそれらの知識に係る文書、図画又は物件であって、機密、極秘又は秘のいずれかの区分に指定されたものをいう」(第2条)。保安庁内訓で「人秘」「部外秘」とあつた秘密区分は、58年の改正でなくなった。代わって「取扱注意」が設けられたが、これは訓令上の秘密にはあたらない。だが、「取扱注意」のなかに実質的秘密が含まれている場合は、自衛隊法上の「職務上の秘密」に該当するという見解を政府はとっている。庁秘訓令第5条は、保全の必要度に応じた秘密区分の基準を次のように定めている。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。


Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み


1、 生物・化学兵器の開発の歩み

自衛隊員が語る旧軍技術研究

島田は旧軍の時代、毒ガスを、「しろ」とか「みどり」と呼んでいたと言い、その教育は徹底した現地現物主義で、「除毒点を構成し終わって、資材除毒所に行き、完防を脱ぐ」と、「上衣の袖口から汗がドサッと流れる。長靴を脱ぐと、これまたざっと流れる」ようだったと書いているが、その教育状況は今から考えると大変に興味深いものがある。

しろ・・・・・煙

みどり・・・・クルツアセトフェノン

ちゃ・・・・・青酸

あか・・・・・アダムサイト ジフェニル塩化砒素


きい1号・・・イペリット

きい2号・・・イペリットとルイサイトの混合

あお・・・・・ホスゲン

その他

ちび・・・対TK肉迫攻撃用のもので、硬質ガラスに青酸と銅粉を入れたもの。



 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

退位を追られる心配は、戦犯裁判の開始前にも公判中も、そして裁判終結後も長く天皇の心に重くのしかかっていた。その危険は、政治問題を論じたがる身近な皇族や、国家指導者には格別の道徳基準が適用されるべきだと考えるすべての人々からもたらされた。 



日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。

署名国         署名日       批准日 (締約日)
マダガスカル         2017年9月20日
マラウイ         2017年9月20日
マレーシア         2017年9月20日    2020年9月30日
モルディブ         2019年9月26日    2019年9月26日
マルタ         2020年8月25日            2020年9月21日


水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した











           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!






0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中