●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
情報公開裁判
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
3月3日の『化学学校記事』の傍聴
日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影
「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん
中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!
日本でワクチンが出来ない訳は
(感想)
20、毒ガス戦について、知ってはいたもののどのように作られたか、使用されたかなどがよくわかった。その他の資料についても、よく集められていて、日本の加害の歴史を辿る事ができました。ありがとうございました。教育の中でこれらの事が語られてこない事の罪は大きいと思い、子や孫の世代にも知らせたい思いでいっぱいです。
(女性、60代、市内、FB)
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
14巻4号(1930(昭和5)年
雑報
ツツガムシ病病原体の新証明法
(昭和5年4月第20回日本病理学会演説要旨)
伝染病研究所
長與又郎
田宮猛雄
三田村篤志郎
佐藤清
ツツガムシ病の可視性病原体として、余等は従来主として組織球内に見らるる特殊の小体を挙げ居れり。而して林博士及び石原、緒方両博士の病原体或いは病原ならんとして報告せるものの内、あるものは恐らく余等の報告せるものと一致すべしと想像しおるがその発見率少なく、未だこれを首肯せざる論者あり。
余等はその後は専ら病原体の培養方面に力を注ぎ種々考察を重ねて実験せるが未だ確実なる結果を得るに至らず。
又体外培養法の応用をも試みつつあるがこれ又今日未だ特記すべき成績に達せず。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第4部
第一審判決に対する日本の各界の支援の声
2章 日本の支援者から
傲慢、不誠実な≪鉄仮面≫
三島静雄(ABC企画委員会事務局長)
①731部隊が陸軍中央の指令でペスト・コレラ菌を大量に使用した細菌戦で、1万人以上の中国人を虐殺した事実を認定。
②細菌戦は国際慣習法に違反だが、1972年9月「日中共同声明」と78年8月「日中平和友好条約」締結で、賠償問題は決着済み。
③日本の国会が≪被害者救済≫を怠ったことは、違法と言えず。
④損害賠償は棄却、謝罪要求は黙殺
の不当、不誠実、人道無視の判決。
この判決に対して、私は心底から激しい怒り共に、悪辣な日本政府と裁判所に向けて「相手に不足なし」新たなファイトが沸く。東京高裁から最高裁を展望しつつ、180人の原告団、弁護団、支援する同志と固く結んで、しぶとく勝利を目指し、歩く。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
五月二九日
二九日の紙を汚して迄此の駄作は少々泣けてくるが 之しかできないなら いた仕方ない。唄うならクロユリの花でも歌ったほうが大分よさそうだ。今日は衛兵勤務だ
昨日取った鼠捕りにて今日は二匹も雀を取った見事なものだ。早速毛を取って焼いて仕舞う。生まれたままになった 丁度唄の通りに生まれた時は丸裸。ハハハ・・・・。明日は下番だ。今月は本当によく分遣に来た。中隊にいたのがわずか六日。其の六日も将校集会所だのに 中隊にいたのは重機の演習をした半日自分ながらあきれて仕舞ふよ。
●大江健三郎著
Ⅳ 人間の威厳について
Ⅴ 屈伏しない人々
これは1958年に広島市医師会が、被爆生存者である会員に対して、半紙2分の1大のアンケート用紙を配って回答を求めた調査である。その回答が、≪ご回答いただいた後二、不幸にして死去された方に対しては謹んで哀悼の意を捧げる≫という付記と共に整理されて掲げられている『広島原爆医療史』に、アンケート用紙が極めて不鮮明な凸版図がある。
それを判読した限りでは次のような問いかけがなされたのである。『医療史』の編者たちは、このアンケートの問いかけの文章がどれだけ恐ろしい意味を含んでいたかについて留意していないので僕はその回答例の凸版図をレンズで拡大して読むほかなかった。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
731部隊を破壊する
1945年8月14日に行った事
溝淵俊美(みぞぶちとしみ)
731部隊・教育部
〈経歴〉
1922年生まれ
1943年 731部隊入隊。教員部配属
1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長
1945年8月 帰国
■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。
8月12日
この日は列車で軍属は部隊を去り、残るは現役の兵隊ばかりとなった。
8月13日
大田大佐より、残留者に対して命令が出た。
「13日現在、部隊に残留している隊員は、部隊の破壊を確認した後、部隊に残存する自動貨物車を使用して南下せよ」
部隊は、新品のフォードのトラックを相当数保有していた。兵隊の内、安達演習場要員と、9日よりロ号棟内部に入って作業していた者は、午後に入る列車に乗車せよとの命令が出た。酒保(軍隊内にある日用品・飲食物などの売店)の倉庫に入っている食料を営庭に運び出し、列車に積み込む準備をした。
●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』1991年初版発行
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
解説
松村高夫
4 日本における調査・研究
では、日本における調査・研究はどのようになっているのだろうか。
それから30年経って、731部隊の実態を一挙に明るみに出したのは、森村誠一『悪魔の飽食』(1981年)である。丁度その頃、アメリカのジョン・パウエルも『ブレティン・オブ・アトミック・サイエンティスツ』誌で、アメリカが国益の為に、731部隊幹部に戦犯免責を与え乍ら、巧妙に部隊の人体実験の成果を獲得した経過を明らかにした、森村もパウエルと連絡を取りつつ、アメリカ側の731部隊調査資料を入手し、『続・悪魔の飽食』(1982年)を著わし、さらに中国のハルビン、平房における現地調査に基づき『悪魔の飽食 第3部』(1983年)を出版した。森村は全体を通して聞き取りも重視し、旧隊員30名以上から部隊の実態を取材している。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第5章
日中全面戦争と毒ガス戦の展開
2 積極的侵攻作戦でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用
山西省南部でのくしゃみ性・嘔吐性ガスの大規模使用
この毒ガス戦を分析した教育総監部(陸軍の軍隊教育統括機関)は、今まで第20師団は1つの村落を攻略するのに30~40から100名の損害を出したが、今回は毒ガスを使って10の村落を攻略したところ損害は10名以下だったと、兵の消耗が抑えられたことに注目している(教育総監部「事変の教訓 第5号 化学戦の部」『資料集』資料8)。そして、少量のくしゃみ性・嘔吐性ガスでも、中国軍に恐怖心を与えて退却するきっかけを作ったり、陣地にこもる大勢の中国軍を少数の兵力で突破できることや、ガス放射後に歩兵はガスマスクをつけて突撃して「徹底的打撃を与ふるの覚悟」が必要であることなどを指摘した(同前)。このような教訓は、次の武漢攻略作戦で徹底されることになる。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第5章 陸軍習志野学校
毒ガス鎮圧、危うく発生
化学兵器使用問題について、習志野学校の専門家は使用時の意見を提出したが、意見の内容は発煙筒の使用時、敵方に接近するほどよい、ただし現在のように敵の詳細な位置及び占拠している地形が不明で、敵方の接近を待っているとき、敵方の火力攻撃下で突然さらけ出すのは、かえって不利である。
催涙ガスの使用時、敵方が防毒マスクを携帯しているようなときは、大きな効果をあげるのは難しい。しかし敵方に新兵が多く、防毒マスクに熟練していないようなときは、効果が期待できる。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
強制労働
殺人長屋に押し込めて酷使
大西馨(おおにしかおる)
大尉
〈略歴〉
本籍 愛媛県
学歴 高等小学校卒業
出身階級 貧農
所属部隊名 第42野戦道路隊
年齢 47歳
健康をはじめ、天候や道具と共に恵まれた条件がないのに、作業は予定通り進んでいったのである。私は貧しい百姓の家に生まれた。仕事を嫌って軍隊に入ったが、すかしの紋章の入った辞令とピカピカの肩章に有頂天になって、≪そうだ、真面目にやって恩給をもらい。老後を安楽に≫と一生の方針を決定したのである。天皇や三井、三菱の為に忠実にまじめに働き、又他人を働かすことが私自身の成績を上げ、立身出世と恩給生活を保証するものであったが、このことの為、この捕虜にどれほど苦労と悲しみを背負わせたことであろうか。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
●「衛生学校記事」情報公開裁判(第 回) 6月23日(水)15:00~103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第 回) 8月 4日(水)11:00~703号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)
藤井治夫著
第一章 国家機密と軍国主義
3 「機密」概念の曖昧性
憲法違反の機密保持
だが、おどろくべきことに防衛庁秘密漏洩事件(いわゆる川崎一佐事件)の東京地裁判決(71・1・23)は、「自衛隊の秘密について考えるばあい、日米相互防衛援助協定等に伴う秘密保護法における防衛秘密を判断の参考にすることも、決して無駄ではあるまい。すなわち、これにより秘密の実体を合理的に推認することも必要である」などとして、かってにいくつかの「秘」文書が秘密に該当すると認定している。法律が一つあれば、あとはいくらでも裁判官の自由裁量によって刑罰を加えられるというのであろうか。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
1、 生物・化学兵器の開発の歩み
神経ガスの出現まで
催涙ガスは、眼を強烈に刺激するほか、露出皮膚にガスが付着すると皮膚を刺激する。一時ガスの代表であり、暴動鎮圧用に各国の警察が使用している。その代表的なものはCN(クロルアセトフェノン)で、黄褐色の固体である。
1939年、より優れた化学兵器の発見を目指して研究を続けてきたドイツの化学者シュレーダーは、殺虫剤の研究過程で猛毒を有する有機リン化合物である神経ガスを発見した。ドイツは第2次世界大戦の後期にこの神経ガス「タブン」を大量に使用した。
第2次世界大戦後、神経ガスの本格的研究が進められ、タブンよりもさらに猛毒を有する「サリン」が第2の神経ガスとして登場するのである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第15章東京裁判
弁護側立証段階におけるハイライトは、木戸前内大臣と東郷前外相、そして東条大将の証言であった。キーナン首席検察官による反対尋間のなかで、2人の被告は皆、その場にいない天皇を無意識に引き込んでしまった。
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
核兵器禁止条約出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
歴史2020年7月、フィジーが39か国目の、ボツワナが40か国目の批准国となった。フィジーの批准日は条約採択3周年の日でもある。2020年8月6日、アイルランド、ナイジェリア、ニウエが批准した。2020年8月9日、セントクリストファー・ネイビスが批准し44か国となった。2020年9月21日、マルタが批准し45か国となった。2020年10月1日現在、84か国が条約に署名している。また、2020年9月30日、マレーシアが批准し46か国となる。2020年10月12日にツバルが、10月23日にジャマイカとナウルが、10月24日にホンジュラスが批准して、批准国が50か国に達した。この結果、2020年10月24日から90日後(条約15条1項)の2021年1月22日以降、核兵器禁止条約は世界的な法規範として正当な効力を持つことになる。2020年12月11日、ベナンが批准した。2021年1月22日、条約発効。またカンボジアが批准した。
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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