2021年5月22日土曜日

細菌戦の系譜!!

 






























『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

日本でワクチンが出来ない訳は

731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)



(感想)

5月3日(月)

11、米国の目下の同盟者として再び戦争する国にかえつつあるとき、歴史を知ることの大切さを感じています。

(男性、70代、市内、赤旗)





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回

「731部隊・100部隊」と「人獣共通感染症」

□日時:2021年5月27日(木)  18:30~



□お話:今井雅巳さん  岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)

□主催:731ネットワーク      


 


 

◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相

◎  哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷     「731部隊展」全国ツアー

◎  長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示     撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会

◎「人獣共通感染症」の過去・現在
  ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

◎  戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
   東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

 ◎  戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)

   安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

 ◎  獣医師の本  『軍馬と鼻疽菌』小河孝著     『馬疫』茜灯里著

◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来

◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任

*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□  連絡先・申込  nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) 
(zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

1948 年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その1)

栗原 敦

知られざる戦後薬害第1号事件 




■「埋もれた薬害,国の「隠ぺい」判明」2005/08/11 放送(MBS毎日放送 VOICE 特集)  歴史に埋もれようとしていた、ある予防接種をめぐる薬害事件にスポットをあてます。 

 <田井中克人さん> 

「厚生省からすれば『うまく乗り切った』ということになる。『乗り切った』ということが、その後の厚生省の体質を作ったんじゃないか。こういう事件があったということと同時に、今の厚生省(の隠ぺい体質)を作った原点だと、社会に訴えたい」 

田井中さんの調査には、同じジフテリア事件やその後の薬害の被害者当事者らが賛同し、研 究会が作られました。歴史から何も学び取らず、薬害を繰り返してばかりいる国に、ジフテリア事件の持つ意味を突きつけてやろう。そんなメンバーの思いが、ある決定的な文書の存在を突き止めたのです。 

~当時の法務庁の見解~ 

「厚生次官殿。被害者より国を被告として訴訟が提起された時には、国は敗訴を免れないかと思われる。この際、国としては相当額の慰謝料を支払い、訴訟の提起を防ぐことが得策と考える」 

 当時、国は自分たちがミスを犯し、それが原因で多くの犠牲者を出したことを認識していたのです。それゆえ、『見舞金(死亡者には最高10万円)』を出して、被害者の口封じをはかったのでした。

 田井中さんは、これまで訪ね歩いた遺族の声を本にまとめました。表紙には幼子の遺影を選びました。田井中さんと同じ1歳で予防接種を受け、2歳にならずして亡くなった河村正君です。 

<亡くなった河村正君の母・河村スエノさん>

(京都市)「何ひとつない時分で、母乳だけで育てて、これからという時に…。他の人と同じように生まれながら、かわいそうにと思う。事件を調べて、本にしていただいて幸せです。御礼のしようがない…」 

<田井中克人さん>

 「この事件が現在起きていたらどうなっていたのか。そう考えると、昭和23年(1948年)当時、『人間の命が軽く扱われていた』という思いを強くした。それゆえに、今受けた生を大切にしたい。行動を起こし、人に出会うたび、その思いを強くしている」 

戦後間もない混乱の時期に、短い生涯を閉じた子どもたちの命はそんなに軽いものだったのでしょうか。歴史の中に埋もれてしまった悲惨な薬害事件に、今再び、光が当てられようとしています。[次号につづく]



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)








 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

志賀赤痢菌毒素及び抗毒素の研究

第1報   細谷省吾

        岸野茂樹

         寺尾秀三

第2報   細谷省吾

        寺尾秀三


本実験は数頭の家兎を以てせる実験にして、剖検上著明なる盲腸の変化を現はせるものを以て毒素作用陽性とせり。
以下精製毒(Ⅰ)を以てせる本毒素の性状に関する業劇を挙げれば

6)濃縮したる本毒素に酒精を90%の割に加えれば微量の沈殿を生じ有効成分は沈殿に移行す。
7)本毒素50㏄を濃縮して3㏄としこれに同量のピクロロニ酸熱飽和水溶液を加え数日放置すればPikrolonatを生ずれども有効物質は定量的に濾液中に存在す。即ちピクロロニ酸によりて沈殿せざるものなり。
8)本毒素を50㏄を20㏄に濃縮しDigtonin(0.1g)の木精(3㏄)溶液を加え1日放置する時は有効成分は沈殿の濾液中に存在す。




  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


2章 日本の支援者から

過去の清算なくして正義は主張できない


篠塚良雄(元731部隊員)


 日本人の中にもこのように危惧する人は少なくない。なぜなら、60年前の日本政府は軍の機関を使って、中国や朝鮮の人々を拉致、強制連行し、さらに過酷な労働でそれらの多くの人々を殺害した事実があり、これは周知の事実であるからだ。

 私が部隊員として参加した731部隊では、中国や朝鮮の人々を拉致してきて、彼らを言葉では言い尽くせないほど残酷な生体実験に使い、最後は全員殺害した。



 

 

731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月二五日


衛兵勤務 曇り風なし。

続いて又一団今度は青づくめの青組だ その後へ又一団 白組三組が整列して形の如し主催者の言葉と共に 百花入り乱れるような競争が始まった。青組の応援団兼選手の中には断然1931年型のモダンな娘が混じって煽旗を振りながら唄っている。洋装にして断髪 中々元気にでき上っている。赤白青組三巴の競の中に 時々可愛い先生に指揮された幼稚園生の可愛い競があり 小学生の競争がある。見る人は炭坑の休みな事とて支那人ばかりの感じがする。何のことはない支那人に見せいているようだ



 大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 


 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について


Ⅴ 屈伏しない人々


1つの都市全体が、ナチスの強制収容所の、ガス室の如きものになる。そこでは、全ての人々が死に絶え、そこには人間的な希望の本のちょっとした兆候も見出せない。この予想は、どんなにタフな人間の頭にも悪いショックを与える。偏執狂的な奴隷殺戮者の後裔(こうえい)でもない限りレオポルトビルに原爆を投下する決定は、無期延期されるだろう。



 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


731部隊を破壊する

1945年8月14日に行った事


溝淵俊美(みぞぶちとしみ)

731部隊・教育部


〈経歴〉

1922年生まれ

1943年 731部隊入隊。教員部配属

1945年 教育助教勤務。ソ連侵攻時部隊警備隊指揮班長

1945年8月 帰国

■この証言は手記『平房燃ゆ』からの抜粋で、本人の了解を得てまとめたもの。


昭和20(1945)年8月9日


本部本館庭には、ガラス器具や顕微鏡、その他多数の器具が山のように積まれ、焼いたりたたき割られたりして大変な騒ぎである。飛行場の方角では、野戦消毒車、甲号濾水機積載自動車などがガソリンをかけられて焼かれ、黒煙を上げていた。

 警備隊本部の横にある本館には指揮所が設置され、大田澄軍医大佐が総指揮をとっていた。ここから一切の命令が発せられ、各持ち場の作業状況の報告が集められた。寝る暇も食べる暇もなく、全員が殺気立っていた。




●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編


『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行


江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


解説


松村高夫


3 731部隊に関する戦争犯罪裁判


同様に、長春にあった「100部隊」についても旧部隊員20名が報告書を作成中であり、8月末までに入手可能とあるが、これも提出されたか否か未確認である。さらにこの「フェル・レポート」(6月20日付)には、細菌戦用病原体による200名の以上の死亡者から作成され、寺や日本南部の山中に秘されていた顕微鏡用標本8000枚を入手したとある。この標本は船積みされ、「フェル・レポート」が書かれた時までにはアメリカに到着し、その標本作成に当たった日本人の病理学者を呼んで、標本の整理の作業に当たらせている。





●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開


南京戦での毒ガス戦計画と昭和天皇

  これまでの各種報告を通じて、

①中国軍の毒ガス戦能力は極めて低く、報復攻撃を受ける恐れが殆どないこと、

②毒ガスを積極的に使えば戦闘が容易になる事、

③将来、ソ連軍と戦うことを念頭においた毒ガス戦の教育、訓練を行なう必要性があることなどが陸軍中央に報告された。

 吉見氏が指摘するように、毒ガス戦の経験を持たない日本軍は、中国軍を相手に毒ガス戦の実戦経験をを積みたいとの衝動が次第に強まっていったのである(粟屋健太郎・吉見義明「毒ガス作戦の真実」)。

 こうして遂に日本軍はくしゃみ性・嘔吐性ガスの使用に踏み切ることになる。

 この様に、1937年7月から38年3月までは、中国戦線で催涙性ガスが使用され、現地部隊がより強力な毒ガスの使用許可を求めた時期【第1期】である。



・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)

第5章 陸軍習志野学校


残酷な軍事演習

 この実験を先頭に立って遂行した今村均は、はじめ両足にやけどのようなものを感じ、軍靴を脱ぐと、足に卵大の水泡ができていて、すでに歩けなかった。新妻の呼吸道は焼け付くようで、胸が痛く、倒れてしまった。演習に参加した兵士の内30人近くが、ある者は足に、ある者は頭や目に負傷し、地上に座って「痛い、痛い」と大声で訴えていた。学校のただ1人の軍医が駆けつけて来て負傷者の手当てに当たったが、何ら良い方法がなく、ただ忙しく走り回っていただけだ。夜8時頃になってようやく陸軍軍医学校の医師が陸軍省の知らせを受けて駆け付けた。また陸軍自動車学校も自動車を派遣して負傷者を第1陸軍病院に運んだ。このときの重症者はすでに33人、うち将校5人、下士官10人、兵18人だった。翌日、教育総監真崎甚三郎は病院に様子を見に来て、化学戦が引き起こした傷害を自ら目の当たりにすることになった。彼が見たのは、1人ひとり白い包帯を巻かれた負傷者の頭で、2つの鼻孔だけが露出していた。しかし、日本の軍隊は、このために化学兵器の研究、製造と訓練を放棄しようとはしなかった。










 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

強制労働

殺人長屋に押し込めて酷使


大西馨(おおにしかおる)

大尉


〈略歴〉

本籍 愛媛県

学歴 高等小学校卒業

出身階級 貧農

所属部隊名 第42野戦道路隊

年齢 47歳


“北満の冬”は寒い。身を切る様な寒風がこの丘をめがけて四方から吹き付けてくる、「石を車に積め!!」浅川中尉の命令に捕虜は石を握ったが、手袋なしではどうする事もできない。思わず「冷たい」とかけた手を放し、仲間と顔見合わせているところに、「何をとろとろするのだ、のけ、これっぽっちの石だ。見ろ、このようにやるのだ」水田兵長は防寒手袋をはめた手で石を抱えて車に放り込んだ。そして捕虜の1人を捕まえるや、横びんたをいやというほど張り、すたすたと次の台車へ歩いていった。殴られた捕虜はきっとなって水田兵長の後ろ姿を睨んでいたが、やがて黙々と石を積み始めた。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第29回) 623日(水)15:00~103号法廷



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

3 「機密」概念の曖昧性

権力のほしいままに    

機密とは「枢機に関する秘密」〔広辞苑)をいう。法律でこの範囲について定めているのは刑事特別法があるだけである。すなわち同法第6条は、「合衆国軍隊の機密」について「合衆国軍隊についての別表に掲げる事項及びこれらの事項に係る文書、図画若しくは物件で、公になっていないものをいう」と定義している。別表に掲げられた事項は、次の11項目である。

1 防衛に関する事項

イ 防衛の方針若しくは計画の内容又はその実施の状況

ロ 部隊の隷属系統、部隊数、部隊の兵員数又は部隊の装備

ハ 部隊の任務、配備又は行動

ニ 部隊の使用する軍事施設の位置、構成、設備、又は強度

ホ 部隊の使用する艦船、航空機、兵器、弾薬その他の軍需品の種類又は数量

2 編制又は装備に関する事項

イ 編制若しくは装備に関する計画の内容又はその実施の状況

ロ 編制又は装備の現況

ハ 艦船、航空機、兵器、弾薬その他の軍需品の構造又は性能

3 運輸又は通信に関する事項

イ 軍事輸送の計画の内容又はその実施の状況

ロ 軍用通信の内容

ハ 軍用暗号

それはおよそ軍に関するあらゆる事項を含んでいるといってよいほど広範なものである。前出『刑事特別法開設』はいう。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

5 生物・化学戦における被害想定

仮定生物剤及び兵器体系の選定(第6表及び第9表参照)

(1)剤の選定

   仮定生物は、致死、不能の比率(%)、潜伏期間、及び不能期間を基礎に選定される。・・・第6表使用。

(2)投射手段の選定

   剤を選定した後、投射手段を選定する。主な選定の基準は、地域掩覆能力、及びその剤及び投射手段の組み合わせによって得られる死傷率を考察する。・・・第9表使用。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

3日後に開かれた第3回公判では被告の抗弁を聞くため、法廷は午前9時15分には被告、裁判官、法律家、白いヘルメットをかぶった憲兵〔MP〕,世界中から集まった何百人もの外交官とジャーナリストで埋め尽くされた。開廷早々、各被告の弁護人が紹介され、その後、起訴状の誤訳をめぐって論争が起きた。この問題が解決すると、荒木貞夫をはじめとする被告たちがアルファベット順に名前を呼ばれ、立ち上がった。被告たちは全員、すべての容疑について無罪を主張した。もっとも教育的意味での裁判ショー―つまり主要戦犯裁判は、スターリンの裁判ショーのように偽りを教えるのではなく、積極的に戦争の犯罪性について啓発することを目的としていた―が、傍聴人でいっぱいとなった法廷で、そして依然として食糧危機に直面していた日本の国民が見守るなか、ようやく始まったのである。



日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験の探知

東西冷戦中には、アメリカ合衆国が地下核実験の探知を目的として世界中に地震計を設置した。おもにソビエト連邦が実施した地下核実験によって生じる地震波をとらえた。いっぽう、核実験実施国も自然地震と見せかけるために巧妙な核実験を行った。たとえば爆弾を並べて短時間に順に爆発させていき断層破壊と偽ったり、2発の爆弾を短時間に続けて爆発させ自然地震特有のpP波に似た波を発生させたりしていた。

このような経緯で設置された地震計は、現在では純粋に地震学の分野で大きく活用されている(たとえば地震波トモグラフィー)。

なお、地震計による核実験探知については、ブルース・A・ボルト著『地下核実験探知』に詳しく記してある。





水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した












           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!






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