2009年7月7日火曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!

●国家的犯罪:731部隊の実験で亡くなった多くの方々に対して、日本は謝罪も補償もしていない。犠牲者のご遺族の精神的ショックはいかほどのものか?大変なものだろう!!
●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊の足跡

中国侵略日本軍第731部隊罪証陳列館 編纂
『中国侵略日本軍第731部隊』(日本語版)より (※今日でこの本からの引用は終了です。)

731部隊の主な事項史

1942年
6月から7月
「731」部隊遠征隊が「1644」部隊と共同で、コレラ、腸チフス、ペスト、赤痢などの伝染病細菌の浙江省金華を中心とする地域に散布。

7月
北野政次が石井四郎に替わって「731」部隊長に就任、石井四郎は日本侵略軍第一軍軍医部長に。
8月
「731」部隊が南京「1664」部隊と共同で浙江・江西州地区の広信、広豊、玉山、江山、常山、衢県、麗水などで細菌攻撃を実施。


1943年
3月12日
日本関東軍憲兵隊司令部警務部が第120号命令を下し、「特別移送」実施問題についてより詳細な規定が設けられ、「特別移送」の対象となる基準を確定。

1945年
1月
「731」部隊の撤収のため「留守処」を設置。
3月
石井四郎が「731」部隊長に再任。
7月
「731」部隊とその支隊の重要設備が通化に移転。
8月10日
「731」部隊特別班班長石井剛男少佐が石井四郎部隊長の命令で、「特別監獄」に収容された人々を全員殺害し、資料の隠滅に全力を入れ、器材設備を破壊し、建築物を爆破。8月14日、「731」部隊隊員は汽車で南へ逃亡、各支隊も撤退開始。
8月15日
日本の裕仁天皇、東京のラジオ放送を通じて降伏宣言(終戦の詔)を発表。
8月18日
「731」部隊のほとんどの隊員が日本に逃れ戻る。

1948年
12月
極東軍事裁判では細菌戦に対しては起訴段階から免責とされ、その後の処理なし。

1949年
12月25日から30日
旧ソ連ハバロフスク裁判で、元関東軍司令官山田乙三大将、軍医部長梶塚隆二中将など12人の戦犯の公開審判。1950年、「細菌兵器の準備及び使用容疑による旧日本陸軍軍人の裁判資料」という本がモスクワで出版。

1956年
6月から7月
中国瀋陽の軍事裁判で細菌戦実施での戦犯が起訴され、日本軍「731」部隊「162」支隊元支隊長の榊原秀夫と元憲兵の吉房虎雄などに有期懲役。

1959年
10月9日
石井四郎が咽頭ガンのため東京で死亡。戦後、彼は米軍に細菌資料を提供したことを引き換えに、戦犯訴追を免れる。・・・(以上で引用完了)

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

周文彬(男、47歳)と周文○(男、59歳)の証言

 周文彬:お婆さんと母から聞いたのでは、日本の軍隊が南京を占領した時、我が家は難を逃れて江北の九里○へ行っていて、そこに着いてから、臘月の21日に、母が私を生んだのでした。ある日の午後日本兵が九里○へ掃蕩に来たので、、家の人はみんな日本兵を避けて隠れ、私1人が揺りかごで眠っていたのですが、もうすぐ暗くもなり、家も奥行きが深く、日本兵が入れないでいて、部屋に揺りかごがあるのを見つけて、2発撃ち、その1発が私の左足に当たって、足の指が3つ飛んでしまいました。その時私はまだ生まれて10日になってなく、終身の障害として残ったのでした。
 周文○:周文彬は私の弟です。確か旧正月が過ぎ、陽暦の2月初めくらいに、日本兵がモーターボートに乗って私たちの住んでいた囲み(九里○下洲○)にやって来たので、母は隠れましたが、私とお婆さんと弟2人とは行きませんでした。その時1番下の弟がまだ生まれて10日にならず、揺りかごで眠っていました。私たち全部駆り出されて外に立っていました。日本兵は部屋に揺りかごがあるのを見て、揺りかごに向かって2発撃ちました。弟が揺りかごで泣き出し、日本兵はかか大笑いしました。暗くなって、日本兵は行ってしまい、母が帰って来て掛け布団をめくって見たら、弟の左足の前指3本が無くなっていたのです。(曹義富と秦景峰が記録)
 ○は日本語に変換できない字。

 
憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

はじめに

戦争のない世界なんて、夢ものがたりでしょうか。
いいえ。戦争は、人がつくり出すものです。だから、人は、戦争のない世界をつくり出すこともできるのです。
 世界の人たちは、長い歴史の中で、戦争のない世界をつくるために、がんがえ、行動してきました。
戦争で傷つき、苦しんできたからこそ、もうこんなことはくりかえしてはならないとかんがえたのです。
 日本は憲法9条で「戦争はもうしない。だから軍隊はもたない」と決めました。世界の多くの人たちは今、「自分たちも」と9条をえらび始めています。
 それなのに、私たち日本に生きる者が見失ってはいけません。9条を失うことは、日本だけでなく、世界にとっての損失だからです。
 世界中の国が憲法9条をもったらどんな世界になるでしょう。この本ではそのことを想像してみてください。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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