2009年7月14日火曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊はどのようにしてつくられたのか?天皇と皇族の731部隊への係わりは?

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊
『死の工場(隠蔽された731部隊)』
(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より

10章「誰が知っていたのか?」

(昨日の続き)天皇の一番下の弟である三笠宮は、施設の多くに立ち寄った。731部隊の写真班員が、その訪問を鮮明に覚えている。なぜなら、彼は三笠宮が滞在していた間に三笠宮の写真を不鮮明に現像してしまった、ということがあったからである。石井はこのカメラマンを厳しく叱責して平房で利用できる科学的な専門技術を結集すれば写真をより鮮明にするために何かできるはずだというようなことを言った。三笠宮は回顧録の中で、「多数の中国人捕虜を貨車やトラックに積んで満州の広野に連行し、毒ガスの生体実験をしている映画」を見たのを憶えている、としている。彼は次のようにも述べている。

  その実験に参加したある高級軍医は、かつて満州事変を調査するために国際連盟から派遣されたリットン卿の一行に、コレラ菌を付けた果物を出したが成功しなかった、と語っていました。(明日に続く)

 ●日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

伍必毅(男、65歳)の証言

 1937年には、家は昇州路の南側の小彩霞街で、私は18歳でした。その年の12月15日に、我が家の門が叩き壊され、日本軍2人と通訳1人とが闖入してきました。「みんな皇軍を歓迎するように。もう門を閉めないように」と通訳が言いました。それからこの辺りで軒並みに箱はひっくり返し戸棚は倒しして、家々にあった糧食をみんな探し出し、麻袋を見つけて詰め込み、私と馬銀東と伍貽経との3人に担がせ、付いて行かせました。門を出て西へ向かい、余り行かない内に、通訳が又私たちに斜め向かいから人力車を一台引き出して来させ、糧食を車に乗せ、続いて西の方へ牽いて、渡船口に曲がって、一軒一軒から糧食を探し出してきて、私たち3人に牽かせ、水西門のの方へ行きました。洗いざらい奪い取られた人たちは、涙するだけで、口も利けませんでした。
 水西門の日本軍駐屯地まで行き、糧食を後ろの調理室に運び込み、裏門は南湾子でしたが、丁度よくその時ラッパの音がひとしきり響いて、日本軍がみんな集合しに行きました。この隙に逃げよう、と私たちが相談しました。分かれ分かれに物陰に隠れつつこの家からあの家へとたどったりし、暗くなるまでには、みんな家に戻りました。
 臘月の3日になって、夜がまだ明けない内に、日本軍7,8人が来て、私と従兄の伍必成とを捕まえ、昇州路まで連行しました。ふと見ると、街いっぱいの日本軍で、やはり中国人何十人かを捕まえ、何台かの大八車に分けて、牽かせていました。日本軍は私たちを駆り立てて中華門を出、寧蕪公路に沿って西へ行きました。道端に、絶え間なく中国人の死体が現れ、道の真ん中の屍はぺしゃんこに踏まれていて、人の形を残しているだけでした。東善橋の道の脇の麦打ち場に、中国の兵士や民衆の死体が無数に積み重なっていて、見るに忍びないむごたらしさでした。その日は西善橋に宿営でしたが、私たちは一部屋に閉じ込められ、おにぎり一皿もらっただけで、入口には日本軍の歩哨がいて、外に出られませんでした。次の日夜が明けると、続いて西へ行き、午後采石磯に着きました。伍必成は2日何も食べなかったので、体力が持たず、突然倒れました。みんな手を貸したかったのですが、凶悪な日本軍が銃床でみんなに打ちかかって来たり、、銃剣で伍必成を猛然と突っついたりするのでした。私は驚き叫んで車の縄を放し、助けに行こうとしましたが、往復びんたをなぐられ、銃剣で無理矢理戻らされ、必成兄さんはこうして殺害の憂き目に遭ったのです。蕪湖に着いてから、私は幸いにも日本の将校の書いてくれた通行券が貰え、その機に乗じて逃げ出し、やっと南京に戻れました。今、あの時の辛酸に満ちた事どもを思い起こすと、何とも痛ましく、何とも悲しいのです!(書面での証言)

憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より


想像してごらん、

基地をなくして緑と海を

取りもどしていく世界を。


Imagine,

A world that gets rid of military bases 

and reclaimsthe forests and the oceans.


森に抱かれ、海にはぐくまれ、人とともに生きる北限のジュゴン。
乱獲があり、戦争があり、今わずかに生き残ったジュゴンのすむこの海に、
また、新しく米軍基地がつくられようとしています。

おばぁは言います。「この海があったから、子どもたちを養い、孫を大学までやる事ができた。
この海は命の海。
この海をこわして、沖縄の明日はないよ・・・・」
(沖縄/女性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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