2009年7月16日木曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

ノブの雑感のタグをクリックしてください!!

「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊はどのようにしてつくられたのか?天皇と皇族の731部隊への係わりは?

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊
『死の工場(隠蔽された731部隊)』
(シェルダン・H・ハリス著:近藤昭二訳)より

10章「誰が知っていたのか?」

(昨日の続き)竹田宮は20数年前、日本占領下の満州で任務に従事した。そこで彼は、主席主計官として、関東軍において戦時に設置された重要なポジションに就いた。そういう地位の人間として、彼は満州におけるすべての細菌戦の関連施設に割り当てられる金を扱った。彼は平房を頻繁に訪れたが、その際は、宮田武中佐と名乗っている。おそらく竹田宮・宮田中佐は、自らの任務を果たすために、満州にある他の死の工場も視察したはずである。
 竹田宮は、他にもっと直接的なつながりを、細菌兵器施設との間に持っていた。彼は、関東軍司令部によって設置された、731部隊と100部隊の事業の監督をするための特別委員会の幕僚メンバーだった。彼の幕僚メンバーとしての最も重要な責務は、平房や他の支部施設を訪問する許可を与えるかどうかを決定することであった。関東軍における医療行政官のチーフのように権力のある個人すら、平房〔の施設〕に立ち入る際には竹田宮・宮田が発行した通行証を求める必要があった。関東軍司令官もしくはその直属の部下が731部隊を訪れるときは、竹田宮自身が彼らの一行に混じって彼らをエスコートした。(明日に続く)

竹田宮恒徳

日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
化学兵器CAREみらい基金ブログ

  
大久野島(毒ガス島)

  
中国人戦争被害者の要求を支える会

  
中帰連

  
ハイナンネット
 
  
南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

趙宗陶(男、72歳)の証言

1937年の12月に、日本の軍隊が南京を占領した時、私は西の郊外の双○街で小さな商売をしていました。ある日の午後、大きな銃声が聞こえ、近所の人たちは慌てふためいて、思い思いに逃げました。その時、私がお隣の学校で教えている陳有臣先生と大工の李文山との3人でどこへ逃げようかと相談していたら、突然、日本の騎兵が板橋の方向から双○街の街へ馬に乗ってすっ飛んで来たので、私たち3人は吃驚してどうしていいか分かりませんでした。私はふっと思いついて、街の後ろの沼まで走っていって隠れました。2人は慌てふためいて、隠れそこない、日本兵に刀で斬り殺されてしまいました。同時に、日本兵が火を放って家を焼き始めたので、たちまちの内に、双○街は火の海と化しました。我が家も家屋が焼かれて、帰れる家の無い者と成り、沙洲圩の岳父の家に避難しに走って行くしかありませんでした。
 3日ほどしたら、日本兵がまた掃蕩で沙洲圩村にやって来ました。村の入口の木に牛が一頭つないであったのが、日本兵に一発で撃ち殺されました。村の入ってから、日本兵は1軒1軒捜査しました。城内から避難しに逃げてきていた娘さんが2人、日本兵に探し出され、家に引きずり込まれて強姦されました。日本兵が2人岳父の家に闖入して来て、私の帽子を取り上げ、頭を摩り、手を見て、私は中国兵だと言って、「スーラスーラトィ」(=死んでしまえ。死んじまえ)。丁度その危急の時に、日本兵がかごにいる鶏を見かけるなり、私を手放して鶏をつかまえに行き、鶏4羽をつかまえると行ってしまいました。何と、ほんとに思いがけなく幸いなことに、4羽の鶏が私の命を救ってくれたのでした。
 それから続けて10日余り、日本兵が毎日掃蕩に来ました。村の人たちはここはもう安全地帯ではないと見て、ある日雨の夜に沙洲圩を逃げ出して南郷山区まで避難して行きました。私は妻を連れて、谷里村の相婿の家まで避難しました。ある日の朝、日本兵3人がロバ3頭に乗って村に闖入して来て、私と村の人3人とを捕まえ、ひざまずかせ、私たち4人を丁度撃とうとしたところでした。全く何の機縁か、村の1人のお婆さんが、戸を開けたら鶏が何羽となく飛び出しました。日本兵は鶏を見たら、発砲しないで、鶏を捕まえに行けと身振りで命じました。仕方なく、私たち4人で鶏をみんなで8羽捕まえ、縄でしっかり縛って、渡しました。日本兵数人は馬鹿笑いしながらロバに乗って行ってしまいました。鶏8羽が私たち4人の命を救ったのです。(史学蕙と陳声華が記録)
○・・・日本語の漢字に見当たらない漢字。

憲法9条
「Imagine9」【合同出版】より

想像してごらん、

戦争にそなえるより

戦争をふせぐ世界を。


Imagine,

A world that instead  of

preparing for war,

prevents war.


コスタリカは1949年の憲法で軍隊をなくしました。
コスタリカのように武器を持たない国が 国際的に大きな強みを
発揮する事があります。
なぜなら、コスタリカは軍隊を持たない分、教育に力を入れ、人づくりをしているからです。
若者たちは、紛争が起きたとき、武力ではなく交渉や対話によって
解決できるということを、一人ひとりが子どものころからしっかりと学んでいます。
(コスタリカ/男性)


第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


ノブの雑感のタグをクリックしてください!!


0 件のコメント:

フォロワー

ブログ アーカイブ

自己紹介

新しい自分を発見中