2009年7月26日日曜日

この世の地獄!731部隊・南京大虐殺

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「日の丸」・「君が代」反対!!
●731部隊とはどんな部隊であったのだろうか?元731部隊員の告白記を見ていこう。越 定男著(元関東軍第731部隊第3部本部付運輸班員)『日の丸は紅い泪(なみだ)に』(発行所:教育史料出版会)と言う本を見てみたいと思う。

 越定男(こし・さだお)・・・1918年3月長野市に生まれる。
1934年工業高校機械科を卒業。1939年渡満、第642部隊に入隊。1941年第731部隊(石井部隊)に入隊。以後4年間細菌班をはじめ運輸班などに勤務。1945年8月敗戦により引き揚げ、9月長野に着く。戦後第731部隊員としての経歴を隠しながら苦難の日々を送り、現在に至る。

●私達日本人は、南京大虐殺の「この事実を・・・」を謙虚に読むべきだと思う。
南京でどんなことが起こっていたのかをもっと日本人は知る必要があると思う。
今でも多くの被害者の方々はPTSDに悩んでいる!!


731部隊

『日の丸は紅い泪に』(越定男著:教育史料出版会)より
序 私はもう「日の丸」のうたを歌わない

 「あなた方は、そんなひどいことをして・・・・、中国へ行って誤ってください」
おかっぱ頭の女子高校生の熱気を帯びた厳しい眼差しに、私は思わずたじろいで、言葉を失ってしまった。
 それは1982年7月7日、長野県の松本勤労福祉センターで開かれた「日中不再戦の夕べ」で同じ731部隊にいた小林寿雄さんとともに証言に立った時のことである。そこで私は『悪魔の飽食』(森村誠一著)の舞台となった関東軍防疫給水部本部第731部隊の元隊員として自分自身が見たり、手を下したりした幾つかの‘実験’をありのままに話をした。
 確かにいままでも、戦争という「公認の殺し合い」の中とはいえ、731部隊が犯した罪は決して消えないと思ってきたが、その女子高校生の率直な問いかけに、改めて'私の罪'の重さを感ぜずにはいられなかった。しかしまた、私はその女子高校生を見て、再び語り始めた。(明日に続く)

※日本での戦争の話では全国の多数の都市が襲われた米軍の空襲の話であるとか原爆の悲惨な体験談などが多い。日本での被害の話が多く、戦争のことを記憶するために造られた各地にある平和資料館などでも戦時中の日本人の暮らしぶりなどを主に扱っている。日本が中国や東南アジアでどんなことをしてきたのかを語る人々はわずかな人たちだけだ。あの戦争は侵略戦争であったことを日本政府も少しずつ消し去ろうとする勢力の台頭も気になる。教科書などにも少しずつ、加害のことが消されていく現状だ。もし、自分が日本軍の兵士であったとして70歳~90歳ぐらいであったなら過去に犯した罪を果たして語るだろうか?それまでも苦労して生き抜いてきたのだから勘弁してくれ!と言って何も活動などしないのではないかとも思う。
 越さんは、本当に反省して語りだしたのどろう。やったことはすごい悲惨なことであるが、それを反省して告白する勇気には感銘を受ける。人間自分の過去のいやなことは忘れたいと思う人は多いのではないだるか。(ノブ)



日本軍細菌戦部隊

日本陸軍軍医学校(東京)
関東軍第731部隊(ハルピン)・・・関東軍各師団防疫給水部
華北方面軍甲1855部隊(北京)・・・華北方面軍各師団防疫給水部
華中方面軍栄1644部隊(南京)・・・華中方面軍各師団防疫給水部
華南方面軍波8604部隊(広州)・・・華南方面軍各師団防疫給水部
南方方面軍岡9420部隊(シンガポール)・・・南方方面軍各師団防疫給水部
関東軍第100部隊(長春)

   
516部隊

   
731部隊

  
  
731部隊は天皇の直接命令によってつくられた。


  
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南京への道:史実を守る会

  
根津公子さんのページ
  

南京大虐殺     

「この事実を・・・・」

(「南京大虐殺」生存者証言集:侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館/編 加藤 実/訳) (発行:ストーク、発売:星雲社、定価2000+税)

2、日本軍の狂暴な個人的虐殺

本人の受けた害

張恒順(男、76歳)の証言

 1937年の冬に、日本軍が入って来て間もなく、私が上乗庵のところまで行って、日本兵1人と出くわしたところ、その日本兵は片手で私の衿(えり)をつかみ、もう一方の手で銃剣を抜こうとしたので、てっきりこれで死ぬしかないと観念したのですが、何と日本の銃剣には曲がったぼっちがあって、直ぐに抜けなくて、私の衿をつかんだ手を離し、両手で抜こうとしたので、その隙に私は懸命に走って逃げ、それでやっと一死を免れたのでした。その後、私は沈挙人巷の避難所に住まうようになったのです。(周秀英と朱月娥が記録)


憲法9条

「Imagine9」【合同出版】より

おたがいに戦争しないと


約束した世界


地球規模では、世界各国では軍隊を減らす一方、国連に「緊急平和部隊」をつくり、紛争や人権侵害を防止しようという提案がなされています。また、イタリア憲法11条は、日本国憲法9条と同様に「戦争の放棄」をうたっていますが、そこには「国どうしの平和的関係のためには、国の主権が制限される場合もある」と定められています。つまり、国際的なルールや制度によって平和を保つ事が重要であり、「自国を守るため」といって勝手な行動をとることは許されないということです。
 グローバル化の時代、人々は国境を越えて行き来し、経済や社会はつながりあっています。安全を自国の軍事力で守ろうとすることよりも、国どうしで約束をつくり、国際的に平和のシステムをつくることの方が、現実的に必要とされてきているのです。

第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】

1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


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