2021年4月18日日曜日

細菌戦の系譜!!

  







                     



『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

ミャンマー国軍トップ出席へ 今月下旬のASEAN会議

2021年ABC企画委員会総会のお知らせ
情報公開裁判

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」





3月3日の『化学学校記事』の傍聴

日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影

「日本のコロナ対応にみる731部隊・100部隊の影 」 お話:加藤哲郎さん

中国人ビザ発給拒否・入国拒否裁判、東京高裁不当判決!!

日本でワクチンが出来ない訳は

慰安婦訴訟4月に判決へ、韓国 裁判所、日本政府に賠償請求





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第5回

「731部隊・100部隊」と「人獣共通感染症」

□日時:2021年5月27日(木)  18:30~



□お話:今井雅巳さん  岐阜大学講師「平和学」□オンライン中継(ZOOM)

□主催:731ネットワーク      


 


 

◎ 「日本人の戦争認識」 =近代日本の戦争被害と加害の実相

◎  哈爾濱「侵華日軍第731部隊罪証陳列館」の変遷     「731部隊展」全国ツアー

◎  長春「偽満皇宮博物院」と「100部隊」の展示     撫順・太源戦犯管理所と中国帰還者連絡会

◎「人獣共通感染症」の過去・現在
  ペスト・鼻疽・炭疽・鳥インフルエンザ・豚コレラ・SARS・MERS・COVID-19

◎  戦前の獣医師(馬医者)を輩出した三大獣医学科
   東大・北大・盛岡高等農林学校(岩手大)獣医学科と博物館(動物の病気標本資料)

 ◎  戦後の獣医師(馬の医者から人の医者へ・動物実験のプロ・製薬会社顧問)

   安東洪次と動物実験研究会・チンパンジーの老後(サンクチュアリー)

 ◎  獣医師の本  『軍馬と鼻疽菌』小河孝著     『馬疫』茜灯里著

◎「人獣共通感染症」との共存=COVID-19との向き合い方・私たちの未来

◎「加害民族の末裔」としての自覚と現代日本人の責任

*日本のどこかに「731部隊」罪証陳列館分館建設を目指して!! 金成民館長の願望

□  連絡先・申込  nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井) 
(zoomの定員100人、定員になり次第受付終了です。)










原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

生物兵器、脅威に懸念 防御後手
(The Economist)2020.5.5

(写真は、ドイツが実施したバイオ攻撃に対応するための訓練)=AP

■ゲノム編集可能になり生物兵器も新世代に

各国政府は新たな世代の生物兵器による脅威への懸念も募らせている。米情報機関は2016年、ゲノム編集を国家安全保障の脅威に初めて指定した。その2年後、科学、技術、医学分野の全米アカデミーは、様々な臓器をつくり出したり、人工的に作り替えたりするのを可能にする一連の合成生物学の手法が、いずれ天然痘のようなウイルスを再び創成したり、既存の病原体を抗生物質が効かないもっと危険なものに変える強力な技術になり得るとして警鐘を鳴らした。

11年、日本(編集注、東京大学医科学研究所の河岡義裕教授)とオランダ・エラスムス医療センターの研究者がそれぞれ、鳥インフルエンザウイルスを遺伝子操作で改変し、哺乳類の間で呼吸器経由で感染しえることを確認したと発表した。オランダ政府はこれに関連する論文を同国の輸出管理法の対象にした(編集注、同技術が生物テロに悪用されかねないとの懸念が浮上したため)。

今年1月には、米バイオ企業から資金援助を受けたカナダの研究チームが、ドイツから得た合成DNAを使い天然痘ウイルスに深く関係する病原体の合成に成功し、ウイルスの合成がいかに簡単かを示した。ピルチ氏は「悪意ある人間が新型コロナを使って生物兵器を作ろうとすれば、今なら世界中の研究所でウイルスそのものを入手できるし、最初から作り出すためのウイルスの設計図も科学論文に公表されている」と指摘する。


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)










 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 

実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

コレラ菌の溶血現象について

柿原辰雄

楊自汧

C.Haemodigestion現象著明なるものにおいては、Colonieを中心に輪状の黒褐色の色素を形成す。

その本態を研究せるに恐らく一種の硫化物形成によるものの如く思考さる。

理由次の如し。

1、血液寒天上において該色素はHaemodigestion著明なるものに於てのみ生じ、Haemolyseのみの部に於ては認められず。


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第4部

第一審判決に対する日本の各界の支援の声


1章 国会議員、研究者、ジャーナリストから

民族を越えた歴史的事実の共有に向けて


聶莉莉(東京女子大学教授)

日中の様々な民間レベルの交流・協力は、旧日本軍による細菌戦の企画から、組織、生産、実施、そしてそれによってもたらされた絶大な破壊までの一系列の事実を究明することを可能にした。日本の弁護士と中国の被害者の間ばかりでなく、日中の学者の間、研究者と被害体験者との間、そして、加害者としての旧731部隊員と被害者遺族との間さえも、互いに相手を1人の人間としてリアルに見る様な人間関係に基づきながら、協力関係が結ばれていった。


 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月十三日


出た青芽さえ見つつ心持よく唄いながら 嗚呼僕はこんなに驚こうとは。何分あの何より嫌いな蛇が二匹迄足元にいようとは夢にも知らなかった、あまり大きくないが初めての事に猛烈な声をあげた。見たのは保護色であろうか上半身は赤みをさした斑点があり 下半身は青みがかった体にして その頭は丁度板でつぶした様にぺちゃんこになっている。そして少しも逃げないでいる。三年位命が縮まった様な気がする。満州に来て初めてだ。連山が懐かしい。安東が懐かしい・・・鈴蘭が紅合が。


 大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

選ばれた最終ランナーの青年が、ケロイドに損なわれた体をしているとか、放射能障害をあらわに示しているとかいう、それこそ真の≪原爆の子≫だったとしても、僕はこの選択に異議を唱えない。むしろそのような青年たち、娘たちの方が(好運にも彼らがこの20年を生き延び得てきているとして)、あの日に誕生した広島の人間として、より普通のタイプだった筈であろう。

しかし、実際に選ばれた中距離ランナーは、それこそ素晴らしい健康体の持主だった。それはむしろ人間そのものの強靭さを改めて感銘づける、そういう肉体だった、彼はまさにありとあらゆる全ての不安から解放された者の微笑を浮かべて巨大なスタディアムを疾走した、僕は≪次の世代の原爆症の問題≫に取り組もうとしている広島の重藤院長の為にもこの青年の素晴らしい肉体を祝福したものだった。

 

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


満蒙開拓青少年義勇軍から731部隊へ

撤退時の死体処理は教育部全体で無我夢中でやった


大竹康二

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ

1940年3月 満蒙開拓青少年義勇軍入隊。同年7月“満洲国”北安省嫩江の訓練所入所。

43年8月開拓団入植

1945年5月 122師団(牡丹江)入隊

1945年6月 731部隊教育部に配属

1945年8月 帰国

■この証言は731研究会の学習会での発言(1994年4月)。95年5月の聞き取りをまとめたもの


死体処理・証拠湮滅


 7棟だったか、8棟だったか、2階に上がって部屋に入りました。11つの部屋に死体がありました。1体だったか2体だったか。大人の男ばかり。それを2人で、はじっこにあった浴槽まで運んでドボンとつける。浴槽の中には消毒液が入っていたと思います。それからまたそれを引っ張り出して、2階の窓から中庭に落としました。窓から中庭まではトタンみたいな金物のシュート(荷などを上から下へ滑り落とすための樋)がつけられていました。それを使って下にビューと落とすのです。シュートの長さは10m位だったかな。

 

 

●中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編


『証言 人体実験(731部隊とその周辺)1991年初版発行


江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


解説


松村高夫


1、田村良雄の青春



同年6月下旬には通化にいた関東軍125師団軍医部に移り、そこで敗戦を迎えて、脱走する。篠塚は、「731部隊を離れる時、もう衛生兵はこりごりでしたが、配属になった125師団ではまた衛生兵で、しかも軍医部長は元731部隊ペスト班の降旗でした。1945年8月13日、下級にも関わらず軍医部長から直接呼出しを受けました。ちょうど通化に出張したため行けませんでしたが、帰ってみると降旗は逃亡したあとでした」と語っている。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第5章

日中全面戦争と毒ガス戦の展開


1、催涙性ガスの使用とより強力な毒ガス兵器使用の要求

第2次上海事変と毒ガス

ところで、毒ガスに関する指示は、早くも8月16日に出されている。この日、閑院宮参謀総長は松井派遣軍司令官に対して、「催涙筒」の使用については別に指示するとした(参謀総長閑院宮載仁親王「臨命第452号」『資料集Ⅱ』資料37-2)。同日、上海派遣軍参謀長・飯沼守少将は、参謀本部作戦部長・石原莞爾少将から、発煙筒に混用する程度の催涙性ガスの使用はやむを得ないだろうが、海軍が使用を嫌がっているし、中国軍が毒ガスを準備しているという情報があるので、報復を受けたら少々困る、との説明を受けたと日記に記している(飯沼守少将「飯沼守日記」南京戦史編纂委員会『南京戦史資料集』)。これは、言い換えれば、報復を受ける恐れがないことが確認されれば使っても構わない、と参謀本部が判断していたことを示している。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


 第4章 科学はいかにして罪業となったか

防毒機材の研究と制式化

早くも1931年には、第3部は馬の防毒マスクと脚絆を開発した。

防毒具の性能の向上は、毒剤の検査測定の設備の研究及び製造と切り離せない。こうした検査測定設備の中には、軽便な携帯用検査測定器があり、なかに検査用の試験紙もしくは検査物質が入っている。検査時に現れる様々な色や匂いによって、毒ガスの存在や性質を判断するのである。この他、大型の検査測定器もあり、こうした検査用設備はいずれも制式化されていた。

 消毒の設備としては携帯式の消毒用カバンがあり、中には応急用の消毒粉やいくつかの物質が入っていた。これは一般の歩兵が準備していたもので、専門の化学兵が使用していたのは背負式除毒器で、中には消毒物質が入っており、かなり広い範囲で消毒を行うことができた。除毒車はさらに先進的で、熱風と蒸気で消毒するものだった。









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

刺突(しとつ)

農民を初年兵の訓練に


江先 光(えさきひかる)

曹長

〈略歴〉

私は山口県岩国市岩国に生まれた。

小学校8年を卒業すると家業を継いで石工となり、

1939年に第39師団歩兵第233連隊第4中隊に入隊、中国に侵略した。

以後曹長となり庶務係、小隊長を経て、1945年敗戦により、9月2日、東北四平において

捕虜となった。今年40歳です。


「次はこいつだ」西川はそこにうずくまっている40ぐらいの農民の前にかがみこんだ。

「おい・・・お前は年寄りだ、言ったら助けてやる。なあ、いいか、お前には子どもも女房もおるだろう・・・かわいそうと思わんか、エー、どうだ、言えよ、言わんと天井から吊るし上げるぞ」と猫なで声をした。

「お、おらあ百姓だ!何も知らねえだ」スーッと冷たい風が通り過ぎた。「こらッ、言わねえなッ」みるみる形相を変えた西川が、踊るように青竹を振り下ろした。農民は子どもの名を呼び続けた。背中は裂け、紫色に切れた肉からみるみる血が噴き出し、右に左に大地を這うように体をもむ。

「フフフ・・・ざまあみろ」私はせせら笑いながら言った。



 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷




◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制

2  シビリアン・コントロールの欺瞞

自衛隊の反人民的な伝統  

 72年はじめ、自衛隊をめぐっていくつかの重要な政治的事件が起こった。すなわち四次防予算先取り、立川基地への奇襲移駐、沖縄派兵などでしめされたのは、このような国民不在の反人民的体質であった。立川市では市民の82%が、それぞれに理由をあげて自衛隊の移駐に反対していた。沖縄では朝日新聞社の調査(71年9月)によっても、県民の56%が自衛隊の配備に反対しており、賛成はわずか22%にすぎなかった。これほどに強い住民の反対を突破してまで配備を強行したのである。四次防予算先取り問題では国会はもちろん、国防会議まで無視された。 


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

4 公害調査に名を借りたBCW作戦

地方自治体も首をかしげる


つまり、南陽町の竹島北側に当たるこの地点を中心に粒子が30分間ほど噴霧されたはずである。つまり、南陽町の竹島北側に当たるこの地点を中心にして扇状に測定点が設置され、1㎞ライン=18か所、2㎞ライン=17か所、3㎞ライン=5か所の測定点が設けられて、蛍光粒子の拡散状況を測定している。各地点には自動風速計、風向計を設置して、地上風を測定し、2基の“気球”によって、風の鉛直分布測定、気温の鉛直分布の測定、大気の乱れを測定している。



 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

 天皇は3月18日に開かれた最初の聞き取り会で、太平洋戦争の背景に人種的な緊張状態が存在したことに注意を促した。彼はまず次のように指摘している。「第一次世界大戦後の講和会議に於て、我が国代表によりて主張せられたる人種平等に関する日本国民の叫びは列国の容るる所とならず、黄白の差別観は世界の各地に残存し、かの加州移民拒否の如き、又豪州の白豪主義の如きは、・・・・日本国民をして憤慨せしむるに充分なものであった」。裕仁は、彼がアメリカのアジア政策の根底にあると考えていた白人優越主義の原理を批判しているかのようであった。むろん、彼はベルサイユで日本代表が実際に主張したことを無視していた。当時、日本代表は世界中の有色人種についてではなく、あくまでも日本人に対する人種的平等を主張したのである。



日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験の種別





核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。

大気圏内核実験 地上、海上、及び空中で行われる核実験である。実験方法には、棟上、気球、船舶、離島、及び航空機からの投下が用いられる。また数は少ないが、高高度核爆発実験もロケットにより行われる。地上近くの核爆発では、土砂とチリがキノコ雲により巻き上げられ大量の放射性降下物が発生してしまう。また高々度での核爆発では強力な電磁パルスが発生し、周辺の電子機器に深刻な障害を引き起こす。






水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した






           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!





ミャンマー国軍トップ出席へ 今月下旬のASEAN会議

 


ミャンマー国軍のミン・アウン・フライン総司令官=2018年8月、ネピドー(EPA時事)

ミャンマー国軍のミン・アウン・フライン総司令官=2018年8月、ネピドー(EPA時事)

 【バンコク時事】タイ外務省スポークスマンは17日、ミャンマー情勢を協議するため、東南アジア諸国連合(ASEAN)が今月下旬に開く予定の特別首脳会議に関し、クーデターを実行した国軍のミン・アウン・フライン総司令官が出席の意向を示したことを明らかにした。議長国ブルネイは、首脳会議を24日にジャカルタで開く方向で調整を進めている。

死刑判決、さらに7人 反国軍勢力への弾圧強化―ミャンマー

 クーデターに反発する民主派は、国軍に対抗して独自に「統一政府」の樹立を宣言した。ASEAN外交筋は総司令官が出席する場合、「民主派代表がジャカルタに来る可能性は低い」と指摘。これに対し、民主派幹部のアウン・チー・ニュン氏は、取材に「われわれも参加する必要がある。国際社会の支援が必要だ」と訴えた。
 会議には総司令官のほか、首脳数人が参加を表明したという。対面式での開催を目指すが、一部首脳は出席を明言しておらず、オンラインで参加する可能性もある。

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