ソニアの日記
コタバル 伝えられなかった戦争(2011)
セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)
開戦ー前編ー
佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない
虐殺は、その前後で行われた!!
●731部隊と100部隊の戦後責任ー永寿総合病院から見える731部隊とワクチン村(加藤哲郎講演)
● 南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
●マギーフィルム(字幕付き)
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●2021 9 17 浅井基文講演
●細菌(生物)戦争
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月15日(月)
・現在の日本の医療・科学の基盤に戦前、戦中からの植民地主義が何の反省もなく続く姿勢があるのだと改めて確認できました。医療、科学の情報が、権威に独占されることなく、公平に開かれることを望みます。
(30代、市内)
11月15日(月)
・現在の日本の医療・科学の基盤に戦前、戦中からの植民地主義が何の反省もなく続く姿勢があるのだと改めて確認できました。医療、科学の情報が、権威に独占されることなく、公平に開かれることを望みます。
(30代、市内)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
黒い太陽731(1)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻12号(1934年)
実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)
総説
満洲国に於ける見聞
宮川米次
第4章 満洲医療機関
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第2 被告の細菌戦
第3 被告の細菌戦と本件各被害との因果関係
3、細菌戦による義烏のペスト被害
義駕山村では、1942年旧正月頃にペストが伝播し流行した。
義烏県城のペストは、隣の東陽市(当時東陽県)に伝播して1941年10月から翌1942年4月までに、少なくとも113名の死者を出した。
さらに、1941年中に始まった義烏の農村地区の流行は1942年に本格化し、佛堂、蘇渓、甘三里、平疇、青口、前洪、井頭山、官塘下、崇山などの鎮や村落に波及し、1944年4月に最後の死者が出るまで、2年8か月にわたって続いた。義烏県城と県城周辺の農村の被害を含めると、義烏全体のペストの死者は、900名を超える(甲67~69)。
別紙「原告及び死亡親族一覧表」の原告番号46~58までの死亡者欄記載の57名は、このペスト流行で死亡したものである。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
五月二五日
衛兵勤務 曇り風なし。
続いて又一団今度は青づくめの青組だ その後へ又一団 白組三組が整列して形の如し主催者の言葉と共に 百花入り乱れるような競争が始まった。青組の応援団兼選手の中には断然1931年型のモダンな娘が混じって煽旗を振りながら唄っている。洋装にして断髪 中々元気にでき上っている。赤白青組三巴の競の中に 時々可愛い先生に指揮された幼稚園生の可愛い競があり 小学生の競争がある。見る人は炭坑の休みな事とて支那人ばかりの感じがする。何のことはない支那人に見せいているようだ
競争は益々激しくなってきた ところが、思い出したように時々曇っては雨が少しずつ降りだした 朝の内は非常に良い日であったが。奥さん連中は大きな荷物を持って段々見物に来た 晴の着物の模様も見事(荷物はご馳走らしい)一回終わるたびに歌う応援歌 上図な手拍子 中々洗練された態度だ 大人の憩える為に小学生の方は付け足しのごとく 可愛そうな位に気合がかからない。
小さい生徒の面白い競争は多くの見物人を喜ばしている。
「ずっと父が嫌いだった」
知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送
“難民区の華僑を虐殺”
大快良明(たいかいよしあき)8604部隊
<経歴>
1917年生まれ
1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入
1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属
1942年 南方軍岡第9420部隊に編入
1946年6月 帰国
◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。
ネズミの繁殖
しばらくしてから、私はマレー半島南部のクアラピアというところで、細菌戦用のノミを作るための動物飼育に従事することになりました。隊長は漢口で私を慰留した高貝衛生大尉で、星子曹長と私と6人の軍属で、クアラピアにある中学校を接収した建物を使いました。1993年に現場に行きましたが、驚いたことに私たちがネズミ飼育に使っていた校舎が、きれいに塗り直されていたものの、今でも「TUNKU MOHAMED中・高校」として使われていたのです。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
4 日本軍の行なった毒薬・空気注射など残酷な手段による中国人民殺害
大野泰治供述書(1954年)
問:大同晋北〔山西北部〕自治政府〔1937年10月、大同に樹立された日本の傀儡政権〕在職期間中に犯した罪悪を述べよ。
答:1941年6月、警務庁は私の応県公署参事官再任を決定した。私は喬日成部隊を消滅させるために、大同警察署に拘禁中の4名の喬軍兵士を麻縄で縛り、車に乗せて大同城西南2㎞の墓地へ運び、麻酔薬の実験を行った。彼らに強制的に麻酔薬を吸わせたが効果が小さいので、警士に命じてその場で3名殺させ、残りの1名には喬軍に潜伏するという条件を強引に承諾させ釈放した。
*訳注:喬日成ー抗日戦争期、山西省応県の農村自営部隊の長から日本側に投じ、その傀儡軍の「雁北剿匪司令」となった。だが一方で国民党軍とも通じていたため、1941年、日本軍の攻撃を受けて抗戦の末敗北。日本の敗戦後、再び応県を支配したが、46年、共産党軍との交戦で戦死(丁尚斎「喬逆日成横行応県的概略」『山西文史資料』第8輯)。
第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題
1、日本の敗戦と毒ガス兵器の廃棄・遺棄
日本の敗戦と日本軍の武装解除
毒ガス兵器の廃棄① 国内
③連合軍へ引き渡されてから海洋投棄されたケース
連合軍による処理の例をいくつか挙げてみよう。銚子沖の場合は、銚子市役所による住民などに対するヒアリング調査によれば、関東各地や長野、福島、静岡から集積された通常弾薬とガス弾(うちガス弾は450トン)を、アメリカ軍の指示で1945年10月ないし11月から翌年5月までに海洋投棄したという情報が得られている(銚子市役所「銚子沖イペリットガス弾に関する調査資料」)。
相模海軍工廠の元関係者によれば、残存する毒ガスとイペリット爆弾の特薬缶はアメリカ軍に引き渡したが、アメリカ軍から銚子に運搬して海中投棄することを聞いたというので(元海軍大佐鶴尾定雄「相模海軍工廠設立経緯及び始末」)、銚子沖の廃棄は海軍の毒ガス兵器が主体である可能性が高いと言える。
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第9章 戦犯の証言
戦犯たちの戦後50年
絵鳩さんの話が終わるとすぐ、隣の金井貞直さん(旧姓田村)が立ち上がった。前に出ているなかで彼は比較的健康そうで若く見えたが、既に76歳であった。彼は中国で戦犯として再教育を受けていた1954年10月8日、毒ガス使用について次の証言を行った。
「1942年7月中旬、第59師団第54旅団独立歩兵第110大隊(兵力約300名)は山東省萊蕪県旧寨鎭西北の九頂山山麓の村落に進攻しましたが、八路軍とは戦火を交えることができず、村人を虐殺しました。私は大隊長、藤崎秀一中佐の命令により、歩兵砲中隊長、手塚好雄中尉とともに連隊の砲兵小隊にくしゃみ性ガス弾3発を発射するよう命じました。弾は村の中央の民家に命中し、老人、婦人合わせて15名を殺害しました」
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
3 最高の作戦計画
年度防衛警備に関する計画
陸上自衛隊各方面総監部は、長官のしめす計画にもとづき「年度出動整備実施の計画」、「年度防衛招集に関する計画」を定め、さらに各都道府県にある地方連絡部は、「年度防衛招集実施の計画」を定めている。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
装備・訓練の実体は
自衛隊教範(14-2-3、14-4-2)から化学兵器の幾つかを紹介してみよう。
M6CN-DM刺激性手榴弾
暴徒、群衆、及び暴動の制圧及び部隊の訓練に使用される。弾体に6個あて3列の噴出口がある。充填剤はクロルアセトフェノン(CN)、アダムサイト(DM),及びEC無煙火薬の混合物10オンスからなる。信管はプーチョン型(M201)。点火すれば約2秒で化学剤を燃焼させ、蒸気は煙状となって放散される。燃焼時間は約30秒。この擲弾(てきだん)はM2型てき弾発射補助筒を使って小銃発射できる。
〔応急手当法〕頭痛、吐き気、くしゃみ、圧迫感、強い目の刺激、及び一時的倦怠の原因となり、気温が暑いときは皮膚を刺激することもある。応急手当は、患者を非ガス地域に運び出し、風にあて、患者に眼をこすらせないようにする。患者に低濃度のクロロフォルムを吸わせる。症状が悪化した時は、50%アルコールを使った10%重炭酸ソーダアルコール溶液で犯された皮膚を洗う。硼酸(ほうさん)溶液または水で洗う。症状が無くなるまで患者を温め安静にする。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
序章
天皇を中心にし、民族的に優れていると自任する国民と、国家を倫理的に至高のものと思っている官僚を背景に、昭和天皇とその高位の側近は直接かつ決定的に、独立して政策決定に参与するようになっていった。舞台裏で精力的に行動しつつ、彼は最初の3人の総理大臣の行為に影響を及ぼし、政党政治の崩壊を助け、国際連盟の平和機構の強化に反対する裁可を行った。その政治関与を陸軍に公然と非難されると、天皇と側近は後退し、軍事的侵略を黙認した。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え
●核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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