ソニアの日記
コタバル 伝えられなかった戦争(2011)
セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)
開戦ー前編ー
佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない
虐殺は、その前後で行われた!!
●731部隊と100部隊の戦後責任ー永寿総合病院から見える731部隊とワクチン村(加藤哲郎講演)
● 南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
●マギーフィルム(字幕付き)
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●2021 9 17 浅井基文講演
●細菌(生物)戦争
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
14日(日)
・中学の時の学校図書で“海と毒薬”(遠藤周作著)を読みました。授業でも関わる箇所に話が出たりしたので。今回のチラシを目にし、見学に伺いました。開発理由は当初は良いものだったかもしれませんが、利益等と結びつくと変な方向に行ってしまうのではないかと思いました。(40代、市内)
14日(日)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
黒い太陽731(1)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻12号(1934年)
実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)
総説
満洲国に於ける見聞
宮川米次
第4章 満洲医療機関
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第2 被告の細菌戦
第3 被告の細菌戦と本件各被害との因果関係
3、細菌戦による義烏のペスト被害
1941年9月に始まる義烏市(当時義烏県、以下旧称を用いる。)のペスト流行は、前年に日本軍が衢州に
投下したペスト菌の伝播によるものである。これ以前に、義烏でペストが発生した歴史事実はない。同年9月から翌1942年2月にわたってペストが流行した県城では、1942年初期にピークを迎えた。
しかし、義烏の防疫活動は、様々な事情から困難を極めた。そのため、ペストは、県城北門一帯から、県前街、東門一帯などほぼ県城内全域に広がり、さらには小三里塘、嶺下、楊村など県城周辺や、同稠城鎮内の義駕山村、下付村、陳村、橋東村、岺頭村、沈村、大水畈村、そして蘇渓鎮の徐豊村や城西鎮の張村、稠関村、東河にまで波及した。1942年3月までの流行の被害は、少なくとも死者230名に上る。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
五月二四日
午前四時非常演習の為にモギ山に登る 若人のオンパレードでもあるまいが炭坑の運動会あり 非常に愉快らしく 晴れ、曇り、雨三色なり。
午前四時非常演習の為にモギ山に駆け足だ こんな馬鹿なことはない 然し日の出では心持よい 懐かしい感じさえするあの連山関あたりの山脈の続きの山 丁度去年の行軍の折に通って来た山の方向から燃える太陽が出てきたのを見た時は 非常に晴れ晴れした。此の山で去年の酷暑行軍の時倒れたものが3,4名あったが本当に思い出深い山だ。東は安奉線方面の山々から大子河さえ見え 一方本線の方は眼をさえぎる霞ばかりで 遼陽の白塔から首山堡の山から手に取るように見える。此の山の記念碑は第一軍の戦死者の英霊を祀ってある所だ、気の利いた歌が刻んであったが歌詞は忘れてしまった。午前五時帰ってきた。
午前八時に運動会のざわめきが動き出した。遠くの方から太鼓に合わせて元気よく 所帯持ちの気苦労なんか吹っ飛ばしたような 元気な声がだんだん大きく響いてきた。約二十名くらいの一団だ。多分赤組だろうと思われる。すべてが赤で作られて 先頭の人など赤の大黒さんみたいに見える。優勝旗(安っぽく見える赤い三角旗)を前に来る団は 丁度二、三年前横浜の高商と商工の野営試合の応援団とトントンだ。
「ずっと父が嫌いだった」
知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送
“難民区の華僑を虐殺”
大快良明(たいかいよしあき)8604部隊
<経歴>
1917年生まれ
1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入
1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属
1942年 南方軍岡第9420部隊に編入
1946年6月 帰国
◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。
ネズミの輸送
ネズミを使って生産した細菌は、アメリカ軍に対して使う予定でした。ニューヨーク派遣軍を編成するという話も聞きました。サイパン島などの南洋諸島に運んでいくという話は聞いたことがありません。結局、南方軍防疫給水部は細菌戦の準備はしたものの、私が知っている限りは実戦に使用したことはなかったのではないかと思います。中国と違って南方では現地人と戦争をしていたという意識があまりなく、細菌を使用するとすれば相手はアメリカ軍でした。しかし味方への細菌感染の可能性も大きく、慎重にならざるを得なかったところで使用の機会を失っていったというのが実際のところではないでしょうか。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
4 日本軍の行なった毒薬・空気注射など残酷な手段による中国人民殺害
市毛高友自筆供述書(1954年10月26日)
1941年5月上旬、晋南〔山西南部〕の抗日軍を殲滅するため、第41師団山砲兵41連隊長小倉三男中佐の指揮のもと、私たちは兵力を動員して各地を擾乱した。山西省垣曲県五茅嶺西方20㎞の地点、蟻山南某村を占拠していた時、私(連隊作戦係中尉)は空気を人の脊髄に注入し、その時の人体反応の変化を観察するという生理実験を行うべく、1人の抗日軍戦士(捕虜、男)を連隊高級軍医難藤正明に引き渡し実験させた。終了後激烈な薬剤を使ってこれを虐殺した。
(1)119ー2、521、1、第5号
第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題
1、日本の敗戦と毒ガス兵器の廃棄・遺棄
日本の敗戦と日本軍の武装解除
毒ガス兵器の廃棄① 国内
③連合軍へ引き渡されてから海洋投棄されたケース
1973(昭和48)年に防衛庁筋によってまとめられたと思われる「旧軍毒ガス弾等調査結果報告(案)」によれば、毒ガス兵器の処理は在日米軍兵站司令部の命令で主に海中投棄され、集積地から10浬(かいり)以上の沖合で水深1㎞の海域が投棄地点に指定されてアメリカ軍が日本人の作業を監督したというが、「監督の目を逃れ、しばしば投棄指定場所が侵犯された旨が残存資料に指摘されている」という。この資料には、海洋投棄された地点として、陸奥湾(津軽半島沖に再投棄)・銚子沖・相模沖・浜名湖(遠州灘に再投棄)・土佐沖・宇部沖(周防灘)・別府湾(掃海して土佐沖に再投棄)が挙げられている(うち、土佐沖以外の海域は日本軍による廃棄情報がある地点である)。
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第9章 戦犯の証言
戦犯たちの戦後50年
「そこには抗日軍がいて、私たちの大隊は討伐隊を編成して、夜間に出発し、夜明け前に村を包囲しました。隊長の命令で私たちは村に向けて毒ガス弾を発射し、村から飛び出してきた抗日軍に向かって射撃しました。その時に使ったのがあか筒だったかみどり筒だったか定かではないのですが、毒ガスを使うのはいつものことでした。
私は初年兵教育を佐倉で受けましたけれども、その時我々の訓練項目の中には毒ガスの教育が組み込まれていたのです。それは各自に防毒マスクが支給され、どのように毒ガス筒を使うか、どのように防毒ガスマスクを使うかを教えられました」
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
3 最高の作戦計画
年度防衛警備に関する計画
次に、防衛計画にもとづく各種の個別計画の存在を陸上自衛隊について指摘しておこう 。1960年1月6日の陸自訓令第2号 「編成業務等に関する訓令」によれば、防衛出動のため所要の部隊等を編成するため毎年、「年度出動整備計画」が定められ、防衛庁長官の一般命令(第1篇参考資料8、114ページ参照)により示されることになっている。 また、右計画にもとづく要員の充足のため、および防衛出動にともなう部隊等の欠員充足のため、 「年度防衛招集計画」が長官によって定められている。つまり、戦死者の発生が予想され、招集令状が準備されているのである。70年9月21日、中曽根防衛庁長官によって制定された「予備自衛官の招集手続に関する訓令」には、防衛招集命令書の雛型が定められている。すでに「赤紙」も用意されているのである。命令書には予備自衛官の認識番号、氏名等が記載されることになっており、「防衛招集を命ずる。次により出頭されたい」とある。用紙は淡紅色という。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
装備・訓練の実体は
ところで、自衛隊の治安出動訓練に催涙兵器が登場してくることは既に知られているけれども、どのような種類のものが使われているかは一度も明らかにされたことがない、
九州小倉や静岡県富士演習場での治安出動訓練もその実態が国民に紹介されることが稀である。陸上自衛隊富士学校で行われた大がかりな治安出動訓練に参加した自衛隊員の1人が、使用する武器の余りにも威力の大きいのに驚いてN国会議員に対して「容易なことではない」と訴え出たとも言われている。機動隊の催涙ガス弾と比べて自衛隊の生物・化学兵器は、全く別の意味を持っているのである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
序章
皇道は、精神的、経済的に欧米に従属しているという、日本人の鬱屈をいやす特効薬になった。それは、軍事面にかぎらず社会生活のあらゆる領域で、日本人に思考と感情の道筋を提供した。それは、不当な侵略性と独善性で他民族に押しつけた傷に対して、日本人を無感覚にした。ちょうど一時期のアメリカが「天命」という巧言を掲げ、ナショナリズムを高揚させたのと符合する。ほとんど一夜にして、日本の外交政策の姿勢と行動から国際協調の精神は姿を消した。それに代わって、英米の政治文化の汚染された影響をアジアから一掃するという、神道的衝動が公言されるようになった。さらに皇道には、日本国家はその独特の君主制ゆえに、全世界に道徳を教え、それを統一する強力な力がある、という仏教各派の千年王国的信仰も埋め込まれていた。特に激しくこれを説いたのは日蓮宗である。皇道の聖なる原理と結びついて、「世界の四方八方」を天皇の支配下に置く〔八紘一宇(はっこういちう)〕、「天皇の慈悲深い心」〔大御心(おおみごころ)〕などが常套句となり、父親のような天皇の慈悲を拒む他者に対しては、積極的に武力を振るうことにつながっていった。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え
●核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1953年に行われたW9の発射実験。M65 280mmカノン砲を使用した。核出力は広島に投下されたのと同じ15kt。
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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