2022年2月18日金曜日

細菌戦の系譜!!

                  

















































































































セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)


開戦ー前編ー


なぜ医学界は、核被害を訴えないのか?(4月9日までダウンロード可能)
https://9.gigafile.nu/0409-g57a017cedc658c28f4415d2783c30a71

佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない



反原発!!


佐渡鉱山と朝鮮人労働者(1939~1945) 

大元帥・現人神・昭和天皇と皇族の戦争責任を問う。
日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろか??

1217日は、南京入城式典が行われた。
虐殺は、その前後で行われた!!




もしかすると中国人の人骨も京都大学にはあるのでは??
丹羽雅雄弁護士の話:遺骨という問題は非常に大きな問題なんですよ。死者の尊厳ですからね。死者の尊厳ということは、生きている人の尊厳につながっているんですよね。当時の帝国大学は色々な人骨研究をやっていますからね。そうすると恐らく朝鮮半島の御遺骨の問題も当然あるはずです。リストにありますからね。
それから、台湾もあるだろうし、東南アジアもあるだろうし、そういう風に広がっていく可能性があるんですね。遺骨の問題は先住民の大きな長い歴史の中で国際的にも重要な問題になっていると・・・


遺骨収集には、清野謙次の影響が強くあった。清野は731部隊長石井四郎の強力な支援者だった。(病理解剖の最高顧問)

731部隊と100部隊の戦後責任ー永寿総合病院から見える731部隊とワクチン村(加藤哲郎講演)

南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分


マギーフィルム(字幕付き)



政府は都合の悪いことはいつでも隠す
森友“改ざん”赤木さん妻が財務省に抗議文

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●2021 9 17 浅井基文講演
細菌(生物)戦争

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)

防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎

                







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

731部隊と100部隊-人獣共通感染症への戦争動員―(お話:小河孝さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―
「イタイイタイ病」は、大正から昭和20年代にかけて、富山県の神通川(じんづうがわ)流域で起きた公害病のひとつです。 かん者の人たちは体じゅうがはげしく痛み、「イタイ、イタイ」と苦しんだことからこの名が付けられました。この病気の原因となったのが、神通川上流にある神岡鉱山(かみおかこうざん)から流れ出たカドミウムという金属です。カドミウムは川や農地を汚染(おせん)し、水やコメをとり続けた人たちに病気は広がっていきました。 

 イタイイタイ病の症状(しょうじょう) 病気にかかりやすかったのは、おもに35 歳以上の子どもを産んだことのある女の人です。はじめは腰や肩、ひざなどが痛くなり、さらに病気が進むと、少し動いただけでもすぐに骨が折れてしまうようになりました。こうした症状は、カドミウムが人の体に入ると、じん臓の働きが悪くなり、強い骨がつくれなくなってしまうために起きるといわれています。


細谷省吾は、731部隊に関係した医学者であった。
東大医学部卒・1936台北大医学部教授・破傷風トキソイドの人体実験・1937軍医少尉・東大伝研教授・朝日賞受賞
 

町医者の萩野昇が、神岡鉱山から流れ出たカドミウムが原因であることを突き止めた。


 
第7回FNSドキュメンタリー大賞受賞作品


富山テレビ

地域
2021年12月29日 水曜 午前11:40

(第7回FNSドキュメンタリー大賞『30年目のグレーゾーン 環境汚染とこの国のかたち』富山テレビ・1998年)
*この録画をお持ちの方は、nobu.goi@gmail.comまでお知らせください。

なぜ、日本はイタイイタイ病の原因を認めなかった?萩野医師の死後、世界を舞台に起きた陰謀

国際会議で奇妙な理論を発表した日本

「1、2年で結論は出る」と言った重松会長の言葉とは裏腹に、結果が出始めていた実験の猿は突然と殺処分され、実験は中止。担当の木村博士は解任され、「環境保健リポート」の発行も中断された。

そして1996(平成8)年9月、ストックホルムで開かれた「国際労働衛生学会義」で奇妙な理論が発表される。

会場には日本の学者を代表して、環境庁イタイイタイ病研究を実質的に統括する野見山教授グループが出席。猿に代わるうさぎの実験データを基に、これまでとは全く違う学説を発表。同席した世界の学者と激しい論争を展開した。

その学説とは「うさぎの静脈に大量のカドミウムを注入し、その結果カドミウムが肝臓に溜まる。その肝臓障害こそカドミウム汚染の正体である」というもの。発症のメカニズムが違う以上、WHOの根拠、そしてイタイイタイ病の存在さえ否定されると結論付けた。

世界の学者との論争がどうなったのか。野見山教授が学会の直後、研究班の重松会長、環境庁、厚生省(現・厚生労働省)の幹部に宛てた手紙の文面には、ストックホルムでの論争の勝利宣言が記されていた。

手紙には、「カロリンスカ研究所の関係者と測定法を含めた激しい論争があった末、最後に座長のフリバーグ教授はじめ世界の主要なメンバーがWHOの理論的根拠の誤りに気付き改訂に同意した」と書かれ、「新しい理論に従えば汚染米の購入費、土壌改善費など企業側の補償も学問的な立場から見直しができる。再び訴訟になった場合でも日本政府の責任は問われない」と結んでいる。

人間と環境会議を世界に先駆けて提唱したスウェーデン国立・カロリンスカ研究所。あの手紙の内容は事実なのか、カドミウム研究では第一人者L・フリバーグ教授を訪ねた。

「日本の野見山教授の新しい学説を認め、WHOドキュメントの改定に賛同なさいましたか?」と聞くと、フリバーグ教授は「誇張以外のなにものでもない。私がそこでそのようなことを言ったことはない」と否定。「野見山教授の手紙には明確に書いてありますが」と改めて問いただすが、「違います」と首を振った。





隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置












黒い太陽731(1)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 


東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?

満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??

東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??

伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??


実験医学雑誌第18巻雑報


1812号(1934年)

実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)

総説

満洲国に於ける見聞

    宮川米次

第4章 満洲医療機関

キリスト教会系、21か所
新京キリスト教施医院、新京公益医院、新京仁善堂、盛京施医院、盛京女施医院、営口普済医院、錦州キリスト教女施医院、遼陽施医院、海龍英国医院、新民普愛医院、鉄嶺教会施医院、開原キリスト教会施医院、法庫門キリスト教会施医院、吉林キリスト教施医院、安東丹麥医院、〇巌医院、龍井村済昌医院、興京施医院、呼蘭キリスト教施医院、綏化キリスト教施医院、大来天主堂医院。

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

原告らの主張 (別紙3)

第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)

第2 被告の細菌戦

第3 被告の細菌戦と本件各被害との因果関係

1、細菌戦と本件被害との因果関係の疫学的解明の方法

まず、次の3要素、即ち、

①感染の原因となった病原微生物の特定、

②その病原微生物がいつ、どこで、どのようなルートで人に侵入し集団の中に拡がっていったのかの解明、

③感染した人たちの免疫状態の観察をして、感染症の流行の全体像を捉える必要がある。

次に、流行像を基礎としながら、感染原因の仮説を設定する。疾病発生の因果関係を満たすべき条件としては、通常①時間的順序、②統計的関連、③既存知識による支持(既存知識で解釈出来るか否か)等が挙げられる。当時においても、疫学的アプローチに基づいた原因究明は十分可能であった(甲93の1・中村明子作成「鑑定書」20頁参照)。

 以上のような方法論に基づき、以下に於いて、本件各被害と細菌戦の因果関係について述べる。





731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

五月十九日


晴 風あり 午前五時半 約一ヶ月振りに点呼を取る 重機の演習あり。教専の為に。

今日午前中は教専の為に重機演習をやる 久し振りに重機の軍備をした 最早忘れてしまった。非常に暑くてじっとしていても汗が出る位で。少しばかりで基本を終わり 生徒に実施させて教える役になる。風うららかに笑いを爆笑させながら約半日にして終わる。久し振りに重機の友がおしかった故に逢ったが最後 暴れて仕様がない。

でれでれでれでれ手入れをして午後二時又集会所に行く。二中隊の森の奴少しも動かないで困ったものだ。こんな平凡な日が後三日ばかり続くんだ。相変わらず本とピンポンと新聞の三つに首っ引きだ。何分二日も入浴に行かず 中隊の武田と共に点呼迄ピンポン遊びに夢中なり。


「ずっと父が嫌いだった」




軍都広島での物語

知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。


〈ここはどこ、どんなところです?〉死体置場から運ばれて来て

最初に意識をとり戻したときと同じ言葉を

また口にしながら

太い青竹をとりなおし、ゲートルの脚先でしきいをさぐり

そろそろと出ていった


 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送

“難民区の華僑を虐殺”


大快良明(たいかいよしあき)8604部隊

<経歴>

1917年生まれ

1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入

1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属

1942年 南方軍岡第9420部隊に編入

1946年6月 帰国

◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。


ネズミの輸送

昭和19年(1944年)になり、大本営が「細菌戦用にノミを5トン製造せよ」という命令を出したと聞きました。そのために石油缶を5万個集めようとしたといいます。私は資材課でしたから、石油缶は見たことがありました。

 10月に入って、大本営から南方軍防疫給水部に“衛生材料宰領”という命令が出ました。衛生材料とは、ネズミの事です。私は部隊では最古参でしたので、同じ軍属の柴田と岡野の3人でネズミの輸送の命令を受けました。飛行機に乗り、サイゴン、台北に1泊ずつして、10月24日に東京の立川飛行場に到着しました。そして新宿の陸軍軍医学校に行きました。私は休暇をもらい、久々に故郷の栃木県の実家に泊まりました。

 






●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






4  日本軍の行なった毒薬・空気注射など残酷な手段による中国人民殺害


小川長吉供述書(1954年8月3日)

問:他にどんな人を殺したか。

答:前述した以外に、平時に他人を引き渡して2名殺したことがある。この2名が殺害されたのは私が直接手を下したわけではないが、その責任は私が殺したのと全く同様である。そのうちの1度は1939年10月で、平原省封邱の連隊本郡において、私は第35連隊副官の身分をもって、連隊軍医神田中尉の人体医学実験を行いたいとの要求に基づいて、偽県政府は監禁している中国人男子1名を神田軍医に引き渡した。後に神田軍医が私に語ったところでは、静脈に空気を注射する実験をして殺したということだった。殺害後、死体は偽県政府に移した。

(1)119―2、147、1、第4号






 


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題



1、日本の敗戦と毒ガス兵器の廃棄・遺棄

日本の敗戦と日本軍の武装解除


毒ガス兵器の廃棄① 国内


①国際法違反や戦犯訴追の問題を恐れて、連合軍に引き渡す前に日本軍が廃棄したケース



陸軍の場合を見てみると、海洋投棄の事例としては、陸軍習志野学校の元兵士は終戦時に「指示によって弾薬庫に収納してある瓦斯と瓦斯弾を処理するため、車で銚子に運んだ」と回想しているので(陸軍習志野学校史編纂委員会編『陸軍習志野学校』)、これは銚子沖に投棄されたと思われる。また、福岡県の曽根兵器製造所については、50㎏以下投下「瓦斯弾(1403)は終戦時海没せるものとす」とし、さらに、保管地点は記されていないが15㎏以下投下「瓦斯弾」も「現在数3258は終戦時海没せり」としている資料がある(日本兵器工業会「連合軍の要求に基づく雑調査綴」)。これ等は、日本軍が毒ガス兵器を占領軍に引き渡さずに海洋投棄していたことを示している。そして、九州地方の防衛を担当した第16方面軍(鎮西集団)では、8月30日に出した通牒の中で兵器の移動集積要領を示しているが、その中に化学戦資材は焼却処分す。但し晒粉を除く」とある(鎮西集団参謀長「睦西兵站第30号 部隊装備及集積軍需品処理改正に関する件通牒」)。





第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。

百年の悲劇は、ここから始まった1





・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第9章 戦犯の証言


戦犯たちの戦後50年

それまでに他の場所で何度か話していたせいで、時間の配分も心得て、ちょうど持ち時間の1時間で話を終えることができた。続いて、会議の進行を務める梅靖三さんから「中帰連」のメンバーによる証言をしてもらうとのアナウンスがあり、正面の壁に証人6人の名前が張り出され、4人の老人が前に出て来た。その名前とその人たちを見て、私は驚きを禁じ得なかった。そのうちの5人までが、私がこの本を書くに当たって引用した資料で1度ならず目にした人だったから。それらの資料とは1954年から55年頃、再教育を受けていた最中の戦犯たちが毒ガス使用について行った供述であった。



SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く


加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


人間と鬼
農民を火あぶりにし生き埋めに

松尾富男
曹長
<旧部隊名>
第59師団第54旅団第45大隊


「アイヨ」村人の悲痛な声が一段と高まり、山々に悲しく消えていった。村人たちは地面を叩き、胸をかきむしり、こぶしを握り締め、悶え泣いた。この惨状を我が子に見せまいと、そのしなびた胸の中にぐっと赤子を抱き、泣き叫ぶ母親・・・・その恨みの顔の下に小さな丸い赤ん坊の手がピクピク動いていた。
「白状しろ、白状しろ」私は、体を寄せ合って抗議する群れに向かってヤケクソに怒鳴ったが、村人の抗議の波にのまれてしまった。獰猛な眼をむき出した納谷は白刃を振り回しながら
「静かにしろ、兵器を出せ、出せねば皆こうしてやるぞ!!」
と怒鳴りたてたが、それもまた何の用を為さず、かき消されてしまった。




2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス






在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 


 

(来年1月も証人調べが続きます)   

第33回:2022年1月14日(金)13時30分~  103号法廷 衛生学校図書室図書係2人の証人尋問予定

第34回:2022年1月24日(月)13時30分~    103号法廷 衛生学校彰古館担当者2人の証人尋問予定



日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第2篇  自衛隊の機密

第1章 作戦用兵

3 最高の作戦計画

年度統合防衛計画  

また、「研究全般の日程」中第7動の研究概要として、「統1号作戦準備ならびに同作戦の発動に伴う自衛隊の運用及びこれに伴う措置を研究する」と記されている。 

 恵庭裁判における田中証言(66・1・18)によれば、この「統号」作戦計画には、1号のほか2号、3号などいろいろあるという。田中証言には、このほかにも防衛計画の内容に触れた部分が1つある。それは「陸上自衛隊行動命令」(第3扁Ⅰ「三矢研究」の末尾278ページに収録)中に「所要の高射特科部隊をそれぞれ千歳、三沢及び横田の航空基地に配置し、防空を準備せよ」とある点について、弁護人が「どうしてアメリカの基地に配置するのか、なぜ日本国民の住んでいる東京、大阪・・・に配置しろと書かないのか」と尋問したのにたいし、彼はこう答えている。

「それはもう、防衛計画で、ちゃんとできております。これは米軍のほうは航空部隊がおって対空部隊を持っておりません。そこでその当時の状況によって必要だというふうに判断すれば、こちらのほうから援助してやるという性質のものであります」(65・5・28)。

1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

その戦略的根拠

自衛隊が生物・化学兵器の研究開発と訓練を行う「戦略的根拠」は、後にも紹介する様に、陸上自衛隊化学学校吉田大桂司校長が言う「外傷効果を与える武器よりも人道的である」との考え方と「強大な軍事力を保有し、その威嚇、脅迫のみによって政治目的を達成することができれば、極めて有利であることは申すまでもない。特殊武器の出現はこのようなことを可能ならしめるに至った」との不戦屈敵戦略思想である。




 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



序章

日本が中国を打ち破ったことは、東アジアの国際情勢をいちだんと複雑なものにした。ドイツ、ロシア、フランスの脅迫は、明治天皇と寡頭政治家に遼東半島の中国への返還を余儀なくさせた。列強はすかさず中国に領土、通商上の犠牲を強いる競争に突入した。ロシアは遼東半島の租借権を獲得し 、1898年に満州に侵入、朝鮮に影響力を広げて日本を牽制(けんせい)した。同じ年、アメリカは米西戦争を戦い、ハワイを併合し、フイリピン、ウェーク、グアム、ミッドウェーを奪取した。1900年、欧米列強が義和団蜂起の鎮圧のため中国に派兵したときには、日本の軍隊もこれに参加した。翌年日本は欧米主要国とともに、賠償金の支払いと、 居留民および外交官の保護のため中国の所定の都市に永久に軍隊を駐屯させる権利を認めた、義和団事件最終議定書に調印した。



日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?


「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え

核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。

2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。


署名国                           署名日         批准日 (締約日)

フィリピン                     2017年9月20日

セントルシア                  2018年9月27日                  2019年1月23日

サモア                       2017年9月20日                  2018年9月26日

サンマリノ                                2017年9月20日          2018年9月26日

サントメ・プリンシペ                2017年9月20日


セーシェル           2018年9月26日

南アフリカ           2017年9月20日    2019年2月25日

セントクリストファー・ネイビス   2019年9月26日         2020年8月9日

セントビンセント・グレナディーン  2017年12月8日         2019年7月31日

スーダン                                        2020年7月22日

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した。







           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


























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