佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない
虐殺は、その前後で行われた!!
●731部隊と100部隊の戦後責任ー永寿総合病院から見える731部隊とワクチン村(加藤哲郎講演)
● 南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
●マギーフィルム(字幕付き)
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●2021 9 17 浅井基文講演
●細菌(生物)戦争
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
11月19日(金)
・改めて731部隊のことを思い出しゾッとしています。40年程前に読まな刈れば、知らなければと思いページをめくりました。731部隊についての森村誠一の本でした。その後、戦争と侵略との関係を詳しく知るようになり、彼らが裁かれることなく戦後を生きたことに驚きました。侵略戦争についてはもっと知らせていかなければと思います。
(70代、市内)
11月19日(金)
・改めて731部隊のことを思い出しゾッとしています。40年程前に読まな刈れば、知らなければと思いページをめくりました。731部隊についての森村誠一の本でした。その後、戦争と侵略との関係を詳しく知るようになり、彼らが裁かれることなく戦後を生きたことに驚きました。侵略戦争についてはもっと知らせていかなければと思います。
(70代、市内)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
黒い太陽731(1)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻12号(1934年)
実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)
総説
満洲国に於ける見聞
宮川米次
第4章 満洲医療機関
鉄路総局系
1、奉山鉄路系(営口その他7か所)
2、吉長吉敦鉄路局系(新京)
3、四洮鉄路系局系(四平街その他4か所)
4、呼海鉄路局系(ハルピンその他3か所)
5、洮昂鉄路局系(洮南、龍口)
満鉄系
奉天、奉天城内分院、奉天婦人医院、新京、撫順、公主嶺、ハルピン、瓦房店、大石橋、営口、鞍山、遼陽、鉄嶺、開原、四平街、吉林、本渓湖、安東、蘇家屯、営口西分院、南満洲保養院
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第2 被告の細菌戦
2 昭和14年(1939年)から昭和20年(1945年)にかけての被告の細菌戦
(5)昭和18年(1943年)、ガダルカナルからの撤退後、太平洋における日本軍の敗勢は明確なものとなった。中国との戦争も、本来の中国政府を屈服させるという目的を放棄し、占領確保のための作戦が中心になった。こうした状況下で、日本軍細菌戦部隊は、ペスト感染ノミとネズミの増産に力を入れ、中国のほかの地域に対してだけでなく、ビルマ。インド、ニューギニア、オーストラリアなどに対する細菌戦も検討した。尚、同年9月、日本軍第59師団防疫給水班は、中国山東省西部で、コレラ菌撒布により細菌兵器の効果を実験し、併せて行軍中の日本軍部隊の防疫能力を試す細菌戦を実施している(甲2・44頁)
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
五月十六日
晴 風少々 巡察あり 張台子。遼陽第二三列車校内巡察 司令変る佐々木班長。
衛兵下番 一日中寝て明日第十六列車にて帰ろうと思っていた佐々木が来た。所が帰る者は使えでもあるまいが 夜間巡察に出されてしまった。夜八時張台子を出て十一時に遼陽に着いた、その巡察で十人並み以上の娘・・・而も二度目の顔を偶然見た。去る十四日の朝巡察で降られて帰る 第三一六列車(軽油動車)中に中肉中背の一寸美しい娘が二人乗っていた。
その娘が意外にも大子河の北信号所で降りようとしたが 間違っていたために出口に立っていた。その出口には巡察中の友が乗っていた為に話の種を作ったその娘が南信号所降りた故に 変に頭に残ったが 今日その美しい娘を北信号所の一番向こうの工事中住家に見た。しかもエプロンかけてお主婦さんぶりを発揮していた。
午後十一時駅についてそれから引き続き構内巡察だ 人を馬鹿にしている。昨日は夜明かしで今日は午前一時迄とは少々辛い。然し明日は中隊に帰れるんだと思うと 少し位は平気な気になれる。
「ずっと父が嫌いだった」
知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送
“難民区の華僑を虐殺”
大快良明(たいかいよしあき)8604部隊
<経歴>
1917年生まれ
1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入
1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属
1942年 南方軍岡第9420部隊に編入
1946年6月 帰国
◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。
シンガポールでの華僑虐殺
研究室には、内藤良一軍医少佐がいました。1992年2月15日付の『赤旗』に、“シンガポールにも731部隊”という記事が載っています。オスマン・ウオク元シンガポール国務大臣が、防疫研究所に助手として勤めていて、ペストに感染させたネズミにクロロホルムをかがせて、たからせたノミを器具で摘んでガラス瓶に詰めたことなどを証言しています。その中で、ある日。日本の兵隊がネズミに噛まれてペストに感染し、高熱で手や顔が真っ黒になって死んでいったという証言がありました。確かにペストに感染して死んだ日本兵がいましたが、証言の中の瓶にノミを詰めてトラックで駅に運んだという話は疑問です。私がトラックの配車をしていたのですから、そういう事実は私が知らないわけがないのです。それに、駅から鉄道で運んでいく先になる施設もありませんでした。私が知っている限りでは、こうした培養した細菌を外部に持って出たことはなかったはずです。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
4 日本軍の行なった毒薬・空気注射など残酷な手段による中国人民殺害
嶋貫倉蔵自筆供述書(1954年7月20日)
1938年5月初旬、当時、私は関東軍第6国境守備隊歩兵第1大隊第1中隊の上等兵であった。歩兵隊本部(当時の隊長は田辺大佐)は抗日連軍愛国者約50名を監禁しており、彼らを強制的に酷使して侵略陣地を築かせたが、その侵略陣地のことを暴露されるのを恐れて、夜間にこれらの人々が寝静まったところに火を放ち、焼き殺した。その時、私は殺害現場に行って死体を目撃したが、少しも苦しんだ様子が無く、まるでそこに眠っているかのようで、放火で殺害したようには見えなかった。帰隊してから中島軍曹が中隊の庭で私たち8人に語ったところでは、「まず毒薬で殺してから火をかけたのだ」ということで、中島は私たちにこれを他人に話すのを禁じ、もし話せば重い処罰を受けるだろう、と言った。
(1)119―2、972、1、第5号
訳注:抗日連軍ー正確には「東北抗日連軍」。1936年2月、共産党指導下の人民革命軍など様々な抗日部隊が組織を統一して成立、東北各地でゲリラ戦を戦い、40年末から41年末までにその主力はソ連領内に入った(『東北抗日連軍史料』中共党史資料出版社、1987年)。
第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題
1、日本の敗戦と毒ガス兵器の廃棄・遺棄
日本の敗戦と日本軍の武装解除
毒ガス兵器の廃棄① 国内
まず日本国内について見てみよう。かつて筆者は、国内での廃棄のケースを大別して、
①国際法違反や戦犯訴追の問題を恐れて、アメリカ軍を中心とした占領軍に引き渡す前に日本軍が廃棄したケース、
②詳しい経緯ははっきりしないが、日本軍関係者が密かに遺棄・投棄したと思われるケース、
③占領軍へ引き渡されてから海洋投棄されたケース、
④戦後、産業復興公団が保管していたものを同公団の依頼で元毒ガス関係者が廃棄したケース、
を指摘したが(拙著「国内の日本軍毒ガス兵器問題を考える」)、その後の調査で、
⑤占領軍から日本に返還された後に海洋投棄されたケースがある可能性が出てきた。
以下、これ等について具体例を示しておこう。
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第9章 戦犯の証言
「中国帰還者連絡会」
山邉さんは日中友好事業に奔走する中で三尾さんに出会い、更に私も知り合いになれた。こうして、中国人と日本人が、かつての八路軍と憲兵が、同じ目的―つまり侵略戦争に反対し、永久の平和を勝ち取ること―のために、1つ所に集まったわけだ。この間の経緯は誠に事実は小説よりも奇なりの通りで、いつか時間があったら、小説か戯曲に書き上げたいと思う。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
3 最高の作戦計画
年度統合防衛計画
防衛計画は、すべて最高の秘密区分である「機密」に指定されている。したがって、その内容の概略を窺い知ることさえ容易ではない。わずかな手懸りの1つとして、三矢研究をあげることができよう。本書第3篇(208ページ以下)に収録したのは、三矢研究文書の主要部分を原文の構成にしたがって配列ものである。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
ひとり立ちする自衛隊の研究
一方、あとに述べるように旧帝国陸軍の石井部隊に代表されるように細菌毒ガスの研究と実戦記録が、自衛隊の生物・化学兵器の研究に多大の影響を与えている事実を見逃すことができない。
57年4月、陸上自衛隊として「案32-119化学防護」が全く新しい形のものとして出され、その後10年間広く自衛隊内で生物・化学作戦の訓練が積み上げられていったのである。67年8月、「特殊武器防護教範」が制定されるに及んで、自衛隊の生物・化学兵器とその防護に関する教範はいよいよ「自前」のものとなるのである。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
序章
この発展は、昭和天皇の祖父、死後に明治「大帝」と呼ばれた天皇睦仁の時代に始まった。1868年に天皇になった睦仁は、国家の近代的改革の指針となるように育てられた。19世紀末におけるその権力の確立と制度化の過程は、結局その後1945年まで続く日本政治史の展開の特質を規定することになった。宮廷は、ヨーロツパの君主制を手本に政府から分離され、再編成された。成文憲法がそれに続いた。1889年に明治天皇から「賜り物」として国民にさずけられた憲法は、天皇が絶えることのない聖なる血統の男子後継者であることそのこと、そのことを基礎に、君主制のもとに政府が存在することを宣言している。憲法は天皇を神聖不可侵の国家元首、軍隊の最高統率者(大元帥)、すべての国家権力の総攬者(そうらんしゃ)と規定した。天皇は、帝国議会の召集・解散を命じ、法律に代わる勅令を発し、国務大臣や文武官を任免してその俸給を定める権限を持った。この憲法は、天皇が法の源泉として憲法を超越しており、憲法発布の目的もその権力を制限することではなく、反対に天皇を保護し、彼に無限の権威を発揮させる機構を提供することにある。ということを基本原理にしていた。このような政体は、立憲的外見をとってはいても、とうてい立憲君主制といえなものだった。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
ニュージーランド 2017年9月20日 2018年7月31日
ニカラグア 2017年9月22日 2018年7月19日
ニジェール 2020年12月9日
ナイジェリア 2017年9月20日 2020年8月6日
ニウエ (加入) 2020年8月6日
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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