コタバル 伝えられなかった戦争(2011)
セピア色の証言ー張作霖爆殺(86)
開戦ー前編ー
佐渡金山の世界遺産推薦問題に「歴史戦」とやらの余地はない
虐殺は、その前後で行われた!!
●731部隊と100部隊の戦後責任ー永寿総合病院から見える731部隊とワクチン村(加藤哲郎講演)
● 南京大虐殺:侵華日軍南京大屠殺 南京電影制片庁 21分
●マギーフィルム(字幕付き)
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●2021 9 17 浅井基文講演
●細菌(生物)戦争
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
14日(日)
・偶然立ち寄ったのですが、貴重な資料が沢山あり、驚きました。もっと見たり、拡散したいです。
(50代、市内)
14日(日)
・偶然立ち寄ったのですが、貴重な資料が沢山あり、驚きました。もっと見たり、拡散したいです。
(50代、市内)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
なぜ、日本はイタイイタイ病の原因を認めなかった?萩野医師の死後、世界を舞台に起きた陰謀
因果関係を世界のみんなの前で確かめる
そして突然、フリバーグ教授は緊急動議をかけ、会場にこう訴えた。
「みなさんに伺います。イタイイタイ病の原因はカドミウムであることに反対する人はいますか。『WHOカドミウム安全基準』に書いてあるイタイイタイ病とカドミウムの因果関係に反対する人はいますか」
このフリバーグ教授の質問に、日本を含めて誰も手を挙げなかった。世界のみんなの前で確かめることが大切なのだと、フリバーグ教授は静かに結んだ。
このシンポジウムの記録は英文に訳され、全世界で出版された。
“政官財学”の思惑から国際的にも決着がついていたイタイイタイ病の原因を、世界の舞台で日本は強引に押し戻そうと、グローバルスタンダートから大きく外れた行動を起こした。教科書だけで知ることはできないイタイイタイ病の歴史がここにある。
(第7回FNSドキュメンタリー大賞『30年目のグレーゾーン 環境汚染とこの国のかたち』富山テレビ・1998年)
初めて患者が認定された1967年(昭和42年)以来、2021年(令和3)11月末までで200人が認定され、現在生存されている方は1名。要観察者に判定された人は344人で現在、生存されている方は2名。
イタイイタイ病患者の苦しみは現在も続いている。
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
黒い太陽731(1)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻12号(1934年)
実験医学雑報18巻 1407頁 (1934年)
総説
満洲国に於ける見聞
宮川米次
第4章 満洲医療機関
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
原告らの主張 (別紙3)
第1部 日本軍による中国への細菌戦の実行(事実論)
第2 被告の細菌戦
第3 被告の細菌戦と本件各被害との因果関係
2, 細菌戦による衢州のペスト被害
(1)衢県のペストは、日本軍機から投下されたペスト感染ノミがまずネズミの間でペストを流行させ、これが人間に感染して流行したものである。衢県では1940年以前にペストが発生した歴史的事実はなく、また同年のペストは日本軍機によって穀物やノミが投下された地域に集中して発生した。
11月下旬以降もペスト発病者の数は増え、隣接する数か所の通りでペスト感染者が続けて見つかった。11月22日、国民党軍第3戦区司令部が「ペスト流行地区を封鎖するように衢県駐屯の軍政部防疫部隊に命令し、衢県ペスト防疫委員会が設置され、流行地区を封鎖し、医療従事者を組織し、隔離病院・隔離所を設置した。さらに防疫委員会は、ペスト予防についての宣伝活動、学校封鎖、ペストワクチンの予防接種、ペスト患者の出た住宅の焼却などを行った。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
五月二一日
晴 風なし 中隊長の風向き悪く 訓示的なお乞言あり。
今日は中隊長の訓示的なお乞言あった。中隊の勤務者を全部集めた訓示である、多分菅野の報告の為と思ふ。まず最初は分遣隊の服務についての事 その一は前期兵の満期風を吹かせる事についての事、分遣隊の服務が非常に悪くむしろ出鱈目になっている事は 非常に残念でならない。中隊長の許していない本を読むとか、行きべき所に行かないとか色々言っていた。又満期兵には今から満期風を吹かしていることは非常に間違っている。よろしく緊張してやらなければいけない。・・・へ、勝手に致すがよいや
この日記こそは僕一人の心だけで誰にも見せないのだ。速くても遅くとも平気だ。そんなに勝手に中隊長の云ふなりになるならば 心配致しはしない。そんなにくそ真面目に四週間も五週間も辛抱できるものか 考えてみるがよい。三週間だ四週間と云ふ時に一日おきに夜明かしして その上に体操やら剣術やら非常演習やら。やらされたら体が続くものか考えてみるがよい。何も知らない中隊長の姿が悲しい様なおかしい様な気がする。
「ずっと父が嫌いだった」
知られていない 8月5日までの 広島 バージョン2
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
シンガポールの細菌戦部隊にネズミを輸送
“難民区の華僑を虐殺”
大快良明(たいかいよしあき)8604部隊
<経歴>
1917年生まれ
1938年 臨時召集により輜重兵として第14連隊に入隊。第7防疫給水部に編入
1940年 現地召集解除。雇員として中支那派遣軍防疫給水部“原善部隊”に転属
1942年 南方軍岡第9420部隊に編入
1946年6月 帰国
◆この証言は1993年6月~95年までの聞き取りをまとめたもの。
ネズミの輸送
私達3人は、それぞれ1機ずつに分乗しました。私は通信士の席に座りましたから、機内の様子はよく覚えていません。ネズミは縦40㎝、横30㎝、高さ30㎝ぐらいの金網の篭にギュウギュウ詰めに入れられて、重爆の胴体部分に積み込まれたわけです。1機に5000匹ぐらい、3機で1万5000匹を運びました。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
4 日本軍の行なった毒薬・空気注射など残酷な手段による中国人民殺害
市毛高友自筆供述書(1954年10月26日)
1940年3月、私は41師団団山砲兵41連隊第2大隊第5中隊第2小隊長の身分で、山西省曲沃県田村鎮に駐箚し、情報・治安・宣撫などの職務を担当していた。ある日、第2大隊軍医大上初治中尉が医学実験に必要ということで、彼に1歳に満たない中国人の女児を与えたところが、過量の薬剤を注射してこの女児を虐殺してしまった。被害者の父母は田村鎮に住んでいた。
(1)119-2、521、1,第5号
第8章 戦後史の中の日本軍毒ガス兵器問題
1、日本の敗戦と毒ガス兵器の廃棄・遺棄
日本の敗戦と日本軍の武装解除
毒ガス兵器の廃棄① 国内
②詳しい経緯ははっきりしないが、日本軍関係者が密かに遺棄・投棄したと思われるケース
これは、敗戦時に日本軍が存在していた地域の付近から少量の遺棄毒ガス兵器が発見されていることからこの様に推測されるものである。例えば、1970(昭和45)年6月5日に千葉県千葉市の工事現場(旧陸軍防空学校敷地内)からイペリット缶大小計8本が発見された事件や(『毎日新聞』1970年、6月9日)、1976(昭和51)年7月30日に静岡県浜松市内の工事現場(秘密戦教育を担当した陸軍中野学校の分校と飛行教育隊の跡地付近)からイペリット缶1本が出土し、作業員6名と住民2名が被災した事件がある(『朝日新聞』『読売新聞』1976年7月31日)。海軍の事例でも、1983(昭和58)年6月2日に神奈川県茅ヶ崎市の学校敷地内の工事現場から(戦時中、海軍砲術学校が学校を借用)300発以上の催涙性ガス手投弾が発見された事件がある(『朝日新聞』1983年6月8日)。
第1次世界大戦では、毒ガスが大量に使われた。
百年の悲劇は、ここから始まった1
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第9章 戦犯の証言
戦犯たちの戦後50年
梅さんはまず、左端の絵鳩毅さんを紹介した。彼は「中帰連」の常任委員長で、上背があり、声は少し鼻にかかっていた。81歳になるというが、話し声の力強さは十分である。彼は「中帰連」会長の富永正三さんの委託によって証言するためにやって来た。この日、富永さんが熊本市の「12・8反戦平和会議」に参加していたためだ。
SNSで人気「ウサギの島」が背負った〝毒ガスの歴史〟大久野島を歩く
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
藤井治夫著
第2篇 自衛隊の機密
第1章 作戦用兵
3 最高の作戦計画
年度防衛警備に関する計画
統合防衛計画にもとづき陸海空各自衛隊は、それぞれ「年度防衛警備に関する計画」を もつ(長沼裁判における緒方景俊空幕長の訂言、71・5・14第10回口頭弁論調書)。これは基本計画と実施計画よりなる。この下に各部隊はそれぞれの実施計画をもつ。前掲 『野外令―大部隊(第1次案】』は、陸上自衛隊について次のように述べている。
「方面隊指揮官及びこれに準ずる部隊指揮官は、陸上自衛隊最高指揮機関の指示する年度防衛計画に基づき、その担任する地域の防衛のため必要な細部の計画を策定し、必要に応じこれを補備修正する。
部隊防衛計画は、平時における防衛作戦準備の準拠となり、有事の際当該部隊の初期作戦指導の基礎となるものである」。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
その戦略的根拠
65年後半、突然自衛隊教範の全面改定の方針が定まり、従来の翻訳教範から独自の新教範体系が決定されるのだが、上部教範である幕勤、野外令の改定に伴う下部教範である各科運用、操典、共通教範などの改定も混乱したといわれる。
新教範改定は、旧教範によって行った教育訓練の経験実績から生まれる改訂意見、新装備の研究開発による改正事項、新資料に基づく部隊実験の成果等から所要の資料を検討し、取りまとめて新教範を編纂する作業を行った(前回、「編さん裏話」から)ということから推測して、生物・化学兵器、防護の内容にかなりの変化があったと思われる。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
序章
昭和天皇が世界権益に参画したのは、アジアと太平洋における帝国間競争の新時代のまさに夜明けの時代であり、その天皇のもとで、日本の政治劇は戦争と敗北の破滅的な結末を迎えた。国民と真に調和することがなく、国民の生活に無知で、その全面的な現実の支持を得られなかったこの人物が、どのように戦争と占領を生き抜き、世紀後半には天皇制の伝統を継続するため、どのように皇位を保持したかを検討することによって、われわれは日本の政治について新しい観点を得られるだろう。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
「日本が動かなければ」 核兵器禁止条約発効1年、各地で訴え
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
タンザニア 2019年9月26日
ウルグアイ 2017年9月20日 2018年7月25日
バヌアツ 2017年9月20日 2018年9月26日
ベネズエラ 2017年9月20日 2018年3月27日
ベトナム 2017年9月22日 2018年5月17日
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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