2021年2月9日火曜日

細菌戦の系譜!!

 中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」











1月21日(木)
根岸恵子さんが「731部隊と大連黒石礁事件」についてお話しされました。

(参加者の発言)
元憲兵の戦後の証言では、「私は、憲兵として『特移扱』により、4人を731部隊に送った。これが私の罪行の全てです。」と語っているが、その憲兵の中国での「戦犯供述書」には、「大連黒石礁事件で、731部隊に送ったのが4名、その他の事件で731部隊へ送ったのが14名」と書いてある。

講演資料

https://28.gigafile.nu/0324-d1b61d7b31b27182eda94fd9454194440




軍人恩給はあるのに、慰安婦には恩給がない!!

MYさん(城田すず子)は、1957年秋、ベテスダ奉仕女母の家に転がり込んだ。実家のパン屋が破産して16歳で売られ、国内外を転々とした末に更生の道を見つけたが、再転落しそうだとのこと。いずみ寮開設までの5か月間、軽井沢の古い家に奉仕女と住まわせていた。いずみ寮入所後の1958年11月、脊椎骨折で倒れ、絶対安静の病床で、小コロニーの第一歩としてのパン工場建設を夢見ながら自らの半生を口述した。扉に「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」という聖句が書かれている。



      「噫(ああ) 従軍慰安婦」石碑

1965(昭和40)年、深津文雄牧師は、社会から見捨てられた女性たちが一生安心して暮らせる婦人保護施設「かにた婦人の村」(かにた村)を設立した。

1984(昭和59)年、一人の寮生が自ら従軍慰安婦体験を牧師に告白する。この告白「石のさけび」を受けて、施設内にある小高い丘に1本のヒノキの柱を建てたのは「戦後40年」のことだった。翌年そこには、「噫従軍慰安婦」と刻まれた石碑が痕隆された。

「韓国挺身隊問題対策協議会」の代表ユン・ジョンオクさんは、1980(昭和55)年より、北海道・沖縄・タイ・ラバウルの朝鮮人慰安婦の足跡を訪ね、1988(昭和63)年8月の来日の際にこの石碑を訪れた。

これが、韓国KBSテレビによるドキュメンタリー番組『太平洋戦争の魂~従軍慰安婦』の制作を生み、韓国内はもちろん諸外国にも大きな世論を巻き起こしていった。

戦争責任があいまいなまま半世紀以上が過ぎ、現在もなお、従軍慰安婦問題はアジア各国を巻き込む論争となっている。この石碑を通じて、地域から世界を見ることができる。
(安房文化遺産フォーラムの記事より)




犯人像

・毒物の取り扱いに慣れていた人物

・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?

・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?

・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。

・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!

戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答








自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。







終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』



混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー



中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

ハンセン病

日本癩(らい)学会

1927年 (昭和2)に設立された日本癩学会は、下表のように政府人の建議や陳情を積極的に行いました。

 

         15年戦争期の日本痛学会による建議口陳情

1932年     救癩施設に関する建議書

1936年     建国2600年迄に癩患者1万人収容施設実現方陳述書

1939年     癩根絶促進に関する陳情事項

1941年     癩患者5000人収容施設拡張の件

1942年     癩専門学者南方派遣に関する請願書

1943年     大東亜癩撲滅に関する意見書

これらの建議・陳情は、ハンセン病患者の絶対離隔を求め、「大東亜共栄圏」建設に協力する内容となつています。

しかし、ハンセン病治療の国際的な動向は、この時期すでに絶対隔離ではなく、他の伝染病治療と同様の、症状に応じた相対的隔離および在宅治療が常識となつていました。

1942年には、サルフア剤の治療効果も確認されていました。

【ハンセン病】「二度と学校に来るな」ハンセン病回復者に聞く差別と偏見の歴史

 

 



2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1 



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)










 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 







 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

◎学術集談会

Ⅰ バクテリオファージの特異性に関する批判

                吉積 泰君

5、ファージ中にはその作用範囲より観て厳密なる特異作用を有するファージ有り。

多種多様広範なる作用範囲を有するファージあれ共その抗原性より観る時は悉くここ独立せる特異性ファージなるを以て特に特異的作用を有するファージのみを特異性ファージなりとするは不可なり。

故に従来慣用の特異性ファージに対しては唯特異的作用を有すると云う性状にその特殊的意義を認るを以て妥当なりと思考す。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声

2章 湖南省常徳の支援者から

日本軍の細菌戦によって常徳にペストが大流行

 

譚家麟(医師)

 

 私は今、浙江省臨安人民医院で働いています。私の父、譚学華は、湖南省常徳市常徳広徳医院(現在の第一人民医院)の院長でした。日本軍の飛行機が常徳上空からペストノミを散布し細菌戦を実行した時、乳が最初にペスト菌を発見して、翌日に会議を行い、政府部門に報告しました。

 一週間後、感染者が現れて、病理の検査、調査などをしました。調査の結果、ペストノミが日本軍によって散布されたことがわかりました。その結果、場所と共に、昨日の判決の認定と一致しています。


  731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われて

いるのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

四月十三日

 何もわざわざ来なくてもよさそうな 学科をやらして自分は手紙を書いている矛盾も甚だしい。

今日は衛生勤務だ。佐々木の花王石鹸(社内電話)ばかり作ってはいたずらして困ったものだ。最も今日の電話交換手 余程歌が好きと見えてわざわざ分遣隊に電話をかけてきた。こんな女もまた困ったものだが佐々木のかけ方が僕に迷惑をかける事おびただしい。



大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 







挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

  

考えてみるまでもなく、この核兵器の時代に(僕がこの部分を書いている1964年9月の第3週をの新聞の政治的スキャンダルはフルシチョフの、≪恐るべき人類絶滅の手段≫が彼らの下にある、という言葉をセンセーショナルに伝えることで始まった。それは数日後、≪恐るべき新型兵器≫、それも複数の形での新型兵器という言葉に訂正されたが、それら2つの言葉の間の谷間がどのように深いにしても、結局2つながらに、武器が我らの時代になお荒ぶる神の如く君臨しているという印象から僕は免れることができない)、それでもなお自殺しない人々のモラルは、我々全ての者の普遍的なモラルであるはずではないか?そして広島の自殺者たちの、やむなく崩壊したモラルもまた、当然我々と無縁ではない。


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


小笠原 明(おがさわら あきら)

731部隊・少年隊

〈経歴〉

1928年生まれ。

1943年4月 731部隊少年隊に入隊

1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。

1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍

1949年 帰国。

■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの

 

 撤退

 

私が7,8棟に入ったのは810日くらいだったと思います。“マルタ”、つまり犠牲者の人たちの死体を各部屋から引っ張り出して、それを中庭に持って行って、掘られた穴にどんどん積み重ねていったんです。私はちょうど盲腸の手術をした後で十分に体が動かせなかったので、運んだ死体は2体か3体だったと思います。とにかくその時は、命令でやったんだから何とも感じはしませんでしたけれど、どうしてこんなに多くの人が焼き殺されなきゃいかんのかな、という気持ちもありました。

 

 


 


 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊

竹内豊供述書(1954年821日)

1938年3月、私は内蒙古ハイラル市のハイラル陸軍病院に転属になり、軍医中尉に任ぜられた。3月下旬、ハイラル市の入舟ホテルで、細菌戦犯石井四郎が全軍医に対して行なった演説を聞いた。

彼は「日ソ戦争は時間の問題であり、遅かれ早かれ避けられない。近代的兵器は唯一細菌兵器である。日本は細菌戦について自信がある。諸君は軍医として、平時から自らの業務向上に励み、新たな科学知識を学び、一旦戦争が勃発した際には、直ちに活用できるようにしていなければならない」と述べた。

石井四郎は細菌研究を強化し、大量に細菌製造を行う為、自ら関東軍軍医部長梶塚隆二中将と連絡を取り、ハイラル陸軍病院に大型ふ卵器3具、大型乾燥滅菌器2具、病原検索器2具、顕微鏡2台、更に病理実験設備を増設し、建物も3倍に拡張した。

1)11924111、第5号)


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

 

1、毒ガス使用禁止を定めて国際法


ベルサイユ条約と国際連盟の成立

 

他方で、第1次世界大戦で多くの犠牲者を出した反省に立って、戦争や兵器に対する国際法をより明確に議定する取り組みが行われ、毒ガスについても新しい国際条約が作成された。

 1919(大正8)年6月、連合国とドイツはパリで講和会議を開き、ベルサイユ条約を締結した。この結果ドイツは軍備制限や賠償義務が課せられ、毒ガスについては、第171条で「窒息性、毒性、その他の瓦斯及びこれに類似する一切の液体、材料、又は考案はその使用を禁止せられるに因りドイツ国内に於いてこれを製造し又は輸入することを厳禁す」と規定された。ここで見逃すことができないのは、毒ガスの使用は既に禁止されていたものとみなしていることを各国が確認しているということである。日本政府もこの条約を批准している。





 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


「被害者」はまた「加害者」でもある

付記・「毒ガス島」を訪れる

記録1 今日の大久野島

12月初めの広島は、至るところにまだ生気の漲る陽気だ。車は山々の間を走り抜き、目の届く限り繁茂した樹林が続く、緑濃い木々の葉が依然として旺盛な生命力を誇っているが、遠くに見える山の頂きが深緑色のなかにやや黄や赤に変わっているのが見えるが、それはまた、深緑の地の絨毯に一輪の花を刺繍したようだ。ホッ!農家の柿の木が車の脇を通り過ぎた、星空を思わせる火のように赤い柿の実がなんと愛らしい。何日か前に純白一色の雪のハルビンを出発して来た私にとって、眼前に広がる景色には少なからず興奮を禁じない。







 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題







 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

謀殺(ぼうさつ)

予防注射を口実に毒殺

 

中島宗一

属官

〈略歴〉

本籍 長野県下伊那郡

出身階級 農民

最終学校名 南信学院2部卒業

学校卒業後の職業 農業

最後の所属 旧竜江省警務庁特務科

被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠


 

「荒木君からも既に話したと思うがね、調査の結果、容疑事実が無いことがわかったので、今日君を釈放することにした」もったいぶって言う私の顔をじっと見つめている彼の視線に合うと、私はまたもやおかしさがこみ上げてきて、それを繕う為かれをねぎらうかのように笑いを浮かべて言った。

「長い事留置していて、気の毒かけたね」

無実の罪で捕らえられてより、1年有余いつ許されるとも知れず、説に訴える術もない恨みと苦悶の長い獄中生活、たった一言の慰めの言葉で、それまでの苦しみは消え失せるものではないが、はからずも今、その絶望から解かれようとしているのだ。そう信じ切った彼は、その苦悶も恨みも今日の喜びで拭い去ることができると思ってか、無言の微笑で答えた。





2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


2021年2月5日 『衛生学校記事』裁判

『衛生学校記事』情報公開裁判が、2月5日あった。
『衛生学校記事』の公開を求める原告は、破棄したことを示す図書原簿の二重線の意味を追及した。

原告は、原簿に二重線を引いても、それは廃棄したことにはならないのではないかと、具体的に事例を挙げた。

防衛省側は、誰が廃棄の指示を出したか、誰が廃棄したのかは、調査しても不明であるとしか答えなかった。

 1957年から2009年まで、発行されていた『衛生学校記事』(途中で名称が変わる)が、なぜきちんと衛生学校は保管していないのか?なぜ大切な物を廃棄する??

 平成17(2005)年までは『衛生学校記事』が、衛生学校にあり、それ以後、自分たちの作成した機関誌を廃棄する理由も特段考えられない。

 何か、隠している『衛生学校記事』を公開するとまずいことでも載っているのだろうか??

 

次回 「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~法廷未定

「衛生学校記事」情報公開裁判 423日(金)14:00~103号法廷




自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

3 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究
(1)核兵器・戦闘用放射性物質

 まず確認できることは資料の大半が核兵器関係だということである。この資料を作製したところが陸上幕僚監部化学科だという事は、50年代後半の陸上自衛隊の核対応の中心が化学関係機関だったということを改めて確認させるものである。
 以上化学学校や陸上幕僚監部化学科がまとめた資料を通じて、化学関係機関が何に関心を持ってきたかを検討してきた。そこからは化学兵器や細菌兵器以上に、核兵器や戦闘用放射性物質に関心を持っていたことが浮かび上がってくる。しかし化学戦にも当然深く関与していた。その点を示す資料に基づき化学関係機関の化学戦対応について検討する。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る


ひとり立ちする自衛隊の研究  

 一方、あとに述べるように旧帝国陸軍の石井部隊に代表されるように細菌毒ガスの研究と実戦記録が、、自衛隊の生物・化学兵器の研究に多大の影響を与えている事実を見逃すことができない。

 574月、陸上自衛隊として「案32119化学防護」が全く新しい形のものとして出され、その後10年間広く自衛隊内で生物・化学作戦の訓練が積み上げられていったのである。678月、「特殊武器防護教範」が制定されるに及んで、自衛隊の生物・化学兵器とその防護に関する教範はいよいよ「自前」のものとなるのである。 


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 民主主義の概念を日本の歴史に統合させようとした裕仁の企ては、このように民主主義を敵視する日本人が固執し、のちに民主主義は外来思想だと主張するのに利用した、過去の歴史との断絶を避けようとしていたのだが、そのこと自体は問題ではない。むしろ問題は、過去のどの時期が人間宣言の文脈と当時の政治状況のなかで主に想起されていたのか、という点にあった。左翼の論客は第一次世界大戦後の「大正デモクラシー」に立脚することを目指したまたある者は、民主主義の概念を13世紀の仏教の上人、親鸞と結びつけようとした。天皇はこのような民主主義の急進的なとらえ方を弱めるべく慎重に試みたのである。そして30年後、彼は記者会見の席上で、「民主主義を採用した」のは、国民に主権があるからではなく、「(民主主義が)明治大帝の思召し」だったからだと打ち明けた。


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。

 

署名国          署名日             批准日 (締約日)

メキシコ       2017年9月20日          2018年1月16日

ミャンマー      2018年9月26日

ナミビア       2017年12月8日          2020年3月20日

ナウル        2019年11月22日                        2020年10月23日

ネパール                       2017年9月20日

 

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!







 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!

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