●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●情報公開裁判「化学学校記事」「衛生学校記事」
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
謎の感染拡大ー新型ウィルスの起源を追う―
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
私が背負った昭和の業(731部隊員の父と過ごした戦後)
ひとさらい(731部隊員の父と過ごした戦後 野崎忠郎)
父は獣医師だった
日本政府は、きちんと「慰安婦問題」に向き合うべきではないのか。
元慰安婦訴訟 日本は控訴せず、判決確定 強制執行が今後の焦点
米軍厚木基地のCBRN訓練中止求め市民団体が抗議行動
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
2021年2月5日 『衛生学校記事』裁判
『衛生学校記事』情報公開裁判が、2月5日あった。
『衛生学校記事』の公開を求める原告は、破棄したことを示す図書原簿の二重線の意味を追及した。
原告は、原簿に二重線を引いても、それは廃棄したことにはならないのではないかと、具体的に事例を挙げた。
防衛省側は、誰が廃棄の指示を出したか、誰が廃棄したのかは、調査しても不明であるとしか答えなかった。
1957年から2009年まで、発行されていた『衛生学校記事』(途中で名称が変わる)が、なぜきちんと衛生学校は保管していないのか?なぜ大切な物を廃棄する??
平成17(2005)年までは『衛生学校記事』が、衛生学校にあり、それ以後、自分たちの作成した機関誌を廃棄する理由も特段考えられない。
何か、隠している『衛生学校記事』を公開するとまずいことでも載っているのだろうか??
次回 「化学学校記事」情報公開裁判 3月3日(水)11:00~法廷未定
「衛生学校記事」情報公開裁判 4月23日(金)14:00~103号法廷
自衛隊におけるCBRN対応
長岡大学教授 兒島 俊郎
3 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究
(1)核兵器・戦闘用放射性物質
この兵器の利点としては、破壊を伴わない事と心理効果が強い事。欠点としては、半減期の短い放射性物質は備蓄がきかず、半減期の長いものは多量に使用する必要があること。放射能剤を原子炉で作ると隔壁材料のの生産を阻害する事、また運搬が煩雑であり(放射能の運搬等が必要・・・・兒島)、実際に使った際には化学剤同様気象の影響が大きいこととされている。
講演資料
https://28.gigafile.nu/0324-d1b61d7b31b27182eda94fd9454194440
軍人恩給はあるのに、慰安婦には恩給がない!!
MYさん(城田すず子)は、1957年秋、ベテスダ奉仕女母の家に転がり込んだ。実家のパン屋が破産して16歳で売られ、国内外を転々とした末に更生の道を見つけたが、再転落しそうだとのこと。いずみ寮開設までの5か月間、軽井沢の古い家に奉仕女と住まわせていた。いずみ寮入所後の1958年11月、脊椎骨折で倒れ、絶対安静の病床で、小コロニーの第一歩としてのパン工場建設を夢見ながら自らの半生を口述した。扉に「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」という聖句が書かれている。
1965(昭和40)年、深津文雄牧師は、社会から見捨てられた女性たちが一生安心して暮らせる婦人保護施設「かにた婦人の村」(かにた村)を設立した。
1984(昭和59)年、一人の寮生が自ら従軍慰安婦体験を牧師に告白する。この告白「石のさけび」を受けて、施設内にある小高い丘に1本のヒノキの柱を建てたのは「戦後40年」のことだった。翌年そこには、「噫従軍慰安婦」と刻まれた石碑が痕隆された。
「韓国挺身隊問題対策協議会」の代表ユン・ジョンオクさんは、1980(昭和55)年より、北海道・沖縄・タイ・ラバウルの朝鮮人慰安婦の足跡を訪ね、1988(昭和63)年8月の来日の際にこの石碑を訪れた。
これが、韓国KBSテレビによるドキュメンタリー番組『太平洋戦争の魂~従軍慰安婦』の制作を生み、韓国内はもちろん諸外国にも大きな世論を巻き起こしていった。
戦争責任があいまいなまま半世紀以上が過ぎ、現在もなお、従軍慰安婦問題はアジア各国を巻き込む論争となっている。この石碑を通じて、地域から世界を見ることができる。
(安房文化遺産フォーラムの記事より)
731細菌部隊と帝銀事件との真相1
犯人像
・毒物の取り扱いに慣れていた人物
・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?)
・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?
・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。
・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!
戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学課より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!
父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。
第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー
中国侵略史から学ぶもの
『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!
映画『スパイの妻』
第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。
731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!
世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、
きちんと事実を認め、謝罪しない??
PTSDの日本兵と家族の交流館
―医学と人権を考える―
(以下、パネル展の内容)
石井 四郎(いしい しろう)
経歴及び関連項目
1940(昭和15)年8月、石井四郎、関東軍防疫給水部長 兼 陸軍軍医学校教官。
関東軍防疫給水部は、帝国陸軍の慣習により、部隊長の名を冠した「石井部隊」の通称名で呼ばれた。
1940年 加茂部隊のコードネームが「満州第731部隊」に、同じく若松部隊は「満州第100部隊」牡丹江支部「満州第643部隊」、林口支部は「満州第162部隊」、孫呉支部は「満州第673部隊」、ハイラル支部は「満州543部隊に変更された。
6月農安大賚、農安で細菌戦(ペスト菌)、新京に伝播
8月「関東軍防疫部」→「関東軍防疫給水部」名称変更、(この年新本部完成)
10月浙江省衢州で細菌戦(ペスト菌)
10月浙江省寧波で細菌戦(ペスト菌)
12月ハイラル、孫呉、林口、牡丹江に支部設立(この他に大連支部)
1941年(昭和16年)3月、陸軍軍医少将に進級。同年4月、陸軍の全部隊に通称号が導入されたのに伴い、関東軍防疫給水部本部に「満洲第731部隊」の通称号が割り当てられる。同年11月、陸軍技術有功章を受章。
1941年11月湖南省常徳(ペスト菌)
1942年 5月シンガポールに岡9420部隊を編成
7月100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で鼻疽菌・炭疽菌を撒く(三河演習)
6月浙江省金華、蘭渓等にペスト菌、赤痢菌、コレラ菌等の病原菌を空から撒布
8月江西省広信、広豊、玉山(浙贛作戦)で細菌戦(ペスト菌、コレラ菌、腸チフス菌)
1943年12月100部隊第2部に細菌戦準備の第6科設置
1944年6月サイパンで細菌戦をやろうとしたが、船が沈没
6月100部隊北興安省への特別派遣隊編成
1944~45年風船爆弾に載せて細菌戦をやろうとしたが、報復を恐れて断念
1947年、人体実験をして細菌戦をしていたことが、ソ連の調査により判明。
1945年~47年 アメリカが、731のデータ独占・隊員を原爆の威力調査に協力させる代わりに、731部隊員全員を免責にする。
1949年12月ソ連、ハバロフスクで細菌戦裁判 (川島清、西俊英、柄沢十三夫、平桜全作、三友一男などを裁く)
1956年 瀋陽で軍事裁判、林口支部長榊原秀夫を裁く
広島・長崎の原爆の威力調査や被爆者の追跡調査に、731部隊員の協力させる。(国立予防衛生研究所、ABCC等)
48年帝銀事件、731部隊を警察が追跡し出すと、731部隊のことが国民に知れ渡るので、GHQは731部隊員の捜査を全面的に止めさせる。
1954年のビキニでの水爆実験では、日本の船が1000隻近い船が被爆していたにもかかわらず、第5福竜丸だけの被爆に矮小化させた。(この時は、731部隊のレントゲン班の宮川正が、被爆調査をした)
(石井四郎)
第一軍軍医部長
1942年(昭和17年)8月、第1軍軍医部長。細菌戦を実戦指導
終戦まで
1943年(昭和18年)8月、陸軍軍医学校附。
1945年(昭和20年)3月、陸軍軍医中将に進級。関東軍防疫給水部長に再任。同年5月、満洲第731部隊は「満洲第25202部隊」と改称された。同年8月、ソ連軍の侵攻を受けた満洲国を脱出し、内地へ帰還。同年12月、予備役編入。
1959年(昭和34年)10月9日、喉頭癌のため国立東京第一病院で死去(67歳)。葬儀委員長は、北野政次(第2代・関東軍防疫給水部長)が務めた。墓所は東京都新宿区・河田町の月桂寺。
1940(昭和15)年8月、石井四郎、関東軍防疫給水部長 兼 陸軍軍医学校教官。
関東軍防疫給水部は、帝国陸軍の慣習により、部隊長の名を冠した「石井部隊」の通称名で呼ばれた。
1940年 加茂部隊のコードネームが「満州第731部隊」に、同じく若松部隊は「満州第100部隊」牡丹江支部「満州第643部隊」、林口支部は「満州第162部隊」、孫呉支部は「満州第673部隊」、ハイラル支部は「満州543部隊に変更された。
6月農安大賚、農安で細菌戦(ペスト菌)、新京に伝播
8月「関東軍防疫部」→「関東軍防疫給水部」名称変更、(この年新本部完成)
10月浙江省衢州で細菌戦(ペスト菌)
10月浙江省寧波で細菌戦(ペスト菌)
12月ハイラル、孫呉、林口、牡丹江に支部設立(この他に大連支部)
1941年(昭和16年)3月、陸軍軍医少将に進級。同年4月、陸軍の全部隊に通称号が導入されたのに伴い、関東軍防疫給水部本部に「満洲第731部隊」の通称号が割り当てられる。同年11月、陸軍技術有功章を受章。
1941年11月湖南省常徳(ペスト菌)
1942年 5月シンガポールに岡9420部隊を編成
7月100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で鼻疽菌・炭疽菌を撒く(三河演習)
6月浙江省金華、蘭渓等にペスト菌、赤痢菌、コレラ菌等の病原菌を空から撒布
8月江西省広信、広豊、玉山(浙贛作戦)で細菌戦(ペスト菌、コレラ菌、腸チフス菌)
1943年12月100部隊第2部に細菌戦準備の第6科設置
1944年6月サイパンで細菌戦をやろうとしたが、船が沈没
6月100部隊北興安省への特別派遣隊編成
1944~45年風船爆弾に載せて細菌戦をやろうとしたが、報復を恐れて断念
1947年、人体実験をして細菌戦をしていたことが、ソ連の調査により判明。
1945年~47年 アメリカが、731のデータ独占・隊員を原爆の威力調査に協力させる代わりに、731部隊員全員を免責にする。
1949年12月ソ連、ハバロフスクで細菌戦裁判 (川島清、西俊英、柄沢十三夫、平桜全作、三友一男などを裁く)
1956年 瀋陽で軍事裁判、林口支部長榊原秀夫を裁く
広島・長崎の原爆の威力調査や被爆者の追跡調査に、731部隊員の協力させる。(国立予防衛生研究所、ABCC等)
48年帝銀事件、731部隊を警察が追跡し出すと、731部隊のことが国民に知れ渡るので、GHQは731部隊員の捜査を全面的に止めさせる。
1954年のビキニでの水爆実験では、日本の船が1000隻近い船が被爆していたにもかかわらず、第5福竜丸だけの被爆に矮小化させた。(この時は、731部隊のレントゲン班の宮川正が、被爆調査をした)
(石井四郎)
第一軍軍医部長
1942年(昭和17年)8月、第1軍軍医部長。細菌戦を実戦指導
終戦まで
1943年(昭和18年)8月、陸軍軍医学校附。
1945年(昭和20年)3月、陸軍軍医中将に進級。関東軍防疫給水部長に再任。同年5月、満洲第731部隊は「満洲第25202部隊」と改称された。同年8月、ソ連軍の侵攻を受けた満洲国を脱出し、内地へ帰還。同年12月、予備役編入。
1959年(昭和34年)10月9日、喉頭癌のため国立東京第一病院で死去(67歳)。葬儀委員長は、北野政次(第2代・関東軍防疫給水部長)が務めた。墓所は東京都新宿区・河田町の月桂寺。
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」 1
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
◎学術集談会
Ⅰ バクテリオファージの特異性に関する批判
吉積 泰君
1, バクテリオファージの特異性をその作用範囲作用状況溶菌性空孔の大きさ並びに抗原性より観察するに、明らかに特異的作用を有するファージとを区別し得るも非特異的作用を有するファージといえどもその抗原性より観たる時は各独立せる別個のファージたるなり。換言すれば余が実験に現れたるファージは、その抗原性より観る時、作用範囲如何を問わず悉く特異性ファージたるなり。而してファージの特異性を決定するにあたり作用範囲作用状況空孔の大きさ等はわずかに参考補助たるに過ぎず。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第3部
第1審判決に対する中国の各界の支援の声
2章 湖南省常徳の支援者から
勝訴への強い意志
向啓国(常徳市人民代表大会常務委員会副主任)
私は常徳市の人民代表であり、そして常徳市人民代表大会の責任者でもある、向啓国と申します。私達は600万人の常徳市民を代表し、原告の応援をするために来ました。今回、日本に来た46名の常徳市民のうち、9名は人民代表です。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
四月八日~十二日
Ⅲ モラリストの広島
一般にそのようなノイローゼに悩みながらも、なぜ人工中絶しないで出産するか、ということについて僕は、被爆した若い母親たちの勇敢さに心打たれるものである。しかしまた、子どもが出来なくて夫婦別れする被爆者たちのケースも少なくないということを、合わせ記憶せねばならぬとも思う。周囲から無理やり、勇敢たるべく強制されて秘かなノイローゼと闘わねばならぬ若い妻たちもいないではないだろうことを考えてみるべきだと思うのである。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
小笠原 明(おがさわら あきら)
731部隊・少年隊
〈経歴〉
1928年生まれ。
1943年4月 731部隊少年隊に入隊
1944年4月 第2部(実験部)第2課田中班に配属。ペスト菌などを宿らせ伝染させるためのノミ増殖に従事。
1945年8月 日本への撤退途中で中国人民解放軍に入隊、4年間従軍
1949年 帰国。
■この証言は石川(金沢)731部隊展(1993年11月)、栃木(宇都宮)同展(94年9月)、沖縄(那覇)同展(94年1月)、広島同展(94年3月)の『報告集』よりまとめたもの
細菌爆弾・毒ガス実験
又毒ガスの実験も行なわれていたようです。これは最近(1994年8月)、少年隊の先輩の草薙さんから聞いた話でありますけれど、この人はチチハルにあった516部隊、関東軍化学部にいた方です。そこの毒ガス部隊が731部隊本部にやって来て、毒ガスの実験をしていたそうです。実験場はハルピンから北へ行ったところの安達です。安達は滑走路を作る時に、私達少年隊も動員されましたし、細菌を使っての実験もそこで行われていたということのようです。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
榊原秀夫供述書(1955年3月24日)
問:つまり、ひとたび対ソ戦が始まった場合は、各支隊の行動は完全に軍の司令官の指揮を受けるという事か。
答:そうだ。
問:162支隊は、1945年8がつには既に軍に帰属していたのか。
答:そうだ。ただ私は731部隊から、162支隊は第3軍に帰属せよとの命令を受けたものの、第3軍に向かう途中でソ連軍に捕らえられた。
(1)119-2、8、1、第14号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第4章
毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応
1、毒ガス使用禁止を定めて国際法
シベリアでの干渉戦争と毒ガス
1921(大正10)年2月25日に陸軍省は「38式野砲瓦斯弾」3000発と防護資材を浦潮(ウラジオ)派遣軍に送ることを決定したが、ここには「追送」と記しているので、既に以前にもガス弾が送られているようである(浦潮派遣軍起案「瓦斯弾並器材追送に関する件」『資料集Ⅱ』35)。その内容は、当時仮制式化していた臭化ベンジルか臭素のいずれかだろう。しかしこの計画は、陸軍省兵器局員が「大臣閣下は毒瓦斯弾の追送を不可とするの御意見なりしを以て、人道上の問題を惹起すべき瓦斯弾の追送を中止す」と記しているように、田中儀一陸軍大臣の反対で中止され、防護資材だけ送ることになった(同前)。
シベリア戦争当時の陸軍は、毒ガスは人道に反するものと捉えていたのことがわかる。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
最初の毒ガス被害者
「被害者」はまた「加害者」でもある
1988年、次代にこの島の歴史を語り継ぎ、平和をアピールするためにこの島に『大久野島資料館』を建て、村上先生はその館長になった。だが、他の職員はおらず、村上先生ただ1人。しかも資料館の参観は無料だから、村上先生の仕事は決して楽ではないし、忙しさは想像にあまりある。しかし、先生は努力して当時の文献資料と実物を集め、毎日自ら各地からの参観者の接待をしている。このような資料館は世界にもここ一か所しかない。今、村上先生の心が休まるのは、資料館ができてから、毎年5~6万人の人が各地から参観に訪れ、現在総数30万人にも達したことだ。訪れた人々は一様に深い感銘を受け、中でも次のことは村上先生を特に感動させた。それは1992年、忠海中学校の生徒が何回も資料館を参観に来て、自分の学校にも毒ガス資料館の模型を作り、学生たちにも知らせ、長く教育に役立てようと決定したことだ。生徒たちは自信をもって協力し合い、11月15日開館こぎつけた。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
謀殺(ぼうさつ)
予防注射を口実に毒殺
中島宗一
属官
〈略歴〉
本籍 長野県下伊那郡
出身階級 農民
最終学校名 南信学院2部卒業
学校卒業後の職業 農業
最後の所属 旧竜江省警務庁特務科
被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠
「青菜に塩ってよく言いますが、そっくりですよ。人間て案外もろいものですな、たった1年くらい日に当たらんかって、あんなもんですかなあ」へらへら笑いながらそう言って、志村は急に真顔になって話を続けた。再び庁舎に抱え込んで冷水をかけ、しばらく休ませていた。もう動けるかどうか危ぶまれたが、「そんなことで帰れるか」と志村が叱咤すると、彼は歯をかみしめて、「大丈夫です」と言って立ち上がったというのだ。
「帰りたい一心で奴は恐ろしいもんですよ、あんなにまいっているのにね」志村はあきれたようにこう付け加えるのだった。
「そうか奴さん、帰れるとすっかり信じきっていると見えるな」私の顔を見てニタリと笑う荒木に、私も笑って大きくうなずいた。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
4、日本本土も汚されている
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
ひとり立ちする自衛隊の研究
自衛隊と生物・化学兵器の関係は、1950年の警察予備隊創設の時にさかのぼる。
何から何まで米軍の中古品をあてがわれて発足した75000名の警察予備隊は、号令から教範まですべてが米軍のモノ真似であった。米軍から与えられる教範と首っ引きで米軍から供与された兵器を馴れぬ手つきで操作する隊員たちが、米軍から与えられた催涙ガス兵器に肝を冷やしたいうのもあながち誇張ではなかった。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅴ
裕仁が天照大神の末裔であるとの考えを否定しなかったことは注目に値する。彼は明治以来、君主制と民主主義とが融合していたことを強調するために、明治天皇が日本国民に対してではなく天地神明に対して行った誓約である五箇条の誓文を挿入した。このようにして彼は、彼と国民との関係は架空のものである彼の神性に基づくものではないというメッセージを後景に押しやってしまったのである。たしかにこのころ、天皇を含む日本の指導者層の考え方は変化しつつあった。彼らは、天皇と国民との間の「信愛と敬愛」が君主制の基礎であるという見方を持ち出すことによって、いまやほとんどの日本人が信じることのなくなった紳道の建国神話を明確に否認することなく、あいまいなままで済ませることができたのである。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
ホンジュラス 2017年9月20日 2020年10月24日
インドネシア 2017年9月20日
アイルランド 2017年9月20日 2020年8月6日
ジャマイカ 2017年12月8日 2020年10月23日
カザフスタン 2018年3月2日 2019年8月29日
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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