●細菌(生物)戦争
●『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回) 3月3日(水)11時~ 東京地裁 [703法廷]
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
講演資料
https://28.gigafile.nu/0324-d1b61d7b31b27182eda94fd9454194440
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
15年に及ぶ侵略の間に、犯した日本の加害の残虐性は筆舌に尽くしがたい。裁判で証言台に立つ原告の話す内容は、人々の心を抉(えぐ)るものだった。
本書冒頭の平頂山事件は、本多勝一氏が「中国の旅」でも書いているが、1932年9月に起きた日本軍による三千人にも及ぶ住民虐殺である。写真を撮ると騙して住民を崖の下に集めて機銃掃射して殺した。証拠を隠滅するために崖を爆破し、それが発掘されたのは1970年のことだった。今では記念館としてその跡を留める。累々と続く遺骨の中に、苦痛に歪む表情を残した人骨、子供を庇った親子の骨に、今なお心が痛む。
※この本は高文研刊で定価は2,750円(税込み)ですが、下記メルアドに申し込みいただければ税込み2,400円でお分けいたします。
又、2冊以上でお申し込みの場合1冊2,200円(いずれも送料無料)です。
連絡先:nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)
軍人恩給はあるのに、慰安婦には恩給がない!!
MYさん(城田すず子)は、1957年秋、ベテスダ奉仕女母の家に転がり込んだ。実家のパン屋が破産して16歳で売られ、国内外を転々とした末に更生の道を見つけたが、再転落しそうだとのこと。いずみ寮開設までの5か月間、軽井沢の古い家に奉仕女と住まわせていた。いずみ寮入所後の1958年11月、脊椎骨折で倒れ、絶対安静の病床で、小コロニーの第一歩としてのパン工場建設を夢見ながら自らの半生を口述した。扉に「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」という聖句が書かれている。
この本のあとがきには次のような彼女の言葉が載っている。
「兵隊さんや民間人のことは各地で祀られるけれど、中国、東南アジア、南洋諸島、アリューシャン列島で、性の提供をさせられた娘たちは、さんざん弄ばれて、足手まといになると、放り出され、荒野をさまよい、凍り付く原野で飢え、野犬や狼の餌になり、土にかえったのです。
軍隊が行ったところ、どこにも慰安所があった。看護婦はちがっても、特殊看護婦となると将校用の慰安婦だった。兵隊用は一回五〇銭か一円の切符で行列をつくり、女は女は洗うひまもなく相手をさせられ、死ぬ苦しみ、なんど兵隊の首を絞めようと思ったことか。半狂乱でした。死ねばジャングルの穴に放り込まれ、親元に知らせるすべもない。それを私は見たのです。この眼で、女の地獄を・・・」
1965(昭和40)年、深津文雄牧師は、社会から見捨てられた女性たちが一生安心して暮らせる婦人保護施設「かにた婦人の村」(かにた村)を設立した。
1984(昭和59)年、一人の寮生が自ら従軍慰安婦体験を牧師に告白する。この告白「石のさけび」を受けて、施設内にある小高い丘に1本のヒノキの柱を建てたのは「戦後40年」のことだった。翌年そこには、「噫従軍慰安婦」と刻まれた石碑が痕隆された。
「韓国挺身隊問題対策協議会」の代表ユン・ジョンオクさんは、1980(昭和55)年より、北海道・沖縄・タイ・ラバウルの朝鮮人慰安婦の足跡を訪ね、1988(昭和63)年8月の来日の際にこの石碑を訪れた。
これが、韓国KBSテレビによるドキュメンタリー番組『太平洋戦争の魂~従軍慰安婦』の制作を生み、韓国内はもちろん諸外国にも大きな世論を巻き起こしていった。
戦争責任があいまいなまま半世紀以上が過ぎ、現在もなお、従軍慰安婦問題はアジア各国を巻き込む論争となっている。この石碑を通じて、地域から世界を見ることができる。
(安房文化遺産フォーラムの記事より)
犯人像
・毒物の取り扱いに慣れていた人物
・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?)
・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?
・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。
・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!
戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!
父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。
第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』
・教え子の曾祖母が、「731の捕虜」との驚くべき証言
混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)
「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー
中国侵略史から学ぶもの
『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!
映画『スパイの妻』
第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。
731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!
世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、
きちんと事実を認め、謝罪しない??
PTSDの日本兵と家族の交流館
(以下、パネル展の内容)
断種「おまえの番だ」 愛楽園強制不妊 もがく男性 羽交い締め 屈辱の手術
2018年5月17日 06:30
当時、愛楽園は一つの村のような広さがあり、強制的に連れてこられた人々と医師らの居住区はそれぞれ分かれていた。「断種しないと園におられなかったから、呼び出しに応じた人もいた。だけど、私は園内を逃げ回っていた」
「妻に腹いっぱい食べさせてやりたい」。おびえながらも、農作業に汗を流す日々がしばらく続いたが、園が男性を見逃すことはなかった。
あれから70年余。男性は屈辱的な光景が今も脳裏を離れない。「国にとってね、私らは人じゃなかった。恥よ。恥の子供を残させんと考えていたんだろう」。コンクリートの手術台に男性は全裸で押さえ付けられた。医師は有無を言わさずメスを入れた。
2018年5月17日 06:30
当時、愛楽園は一つの村のような広さがあり、強制的に連れてこられた人々と医師らの居住区はそれぞれ分かれていた。「断種しないと園におられなかったから、呼び出しに応じた人もいた。だけど、私は園内を逃げ回っていた」
「妻に腹いっぱい食べさせてやりたい」。おびえながらも、農作業に汗を流す日々がしばらく続いたが、園が男性を見逃すことはなかった。
あれから70年余。男性は屈辱的な光景が今も脳裏を離れない。「国にとってね、私らは人じゃなかった。恥よ。恥の子供を残させんと考えていたんだろう」。コンクリートの手術台に男性は全裸で押さえ付けられた。医師は有無を言わさずメスを入れた。
【ハンセン病】「二度と学校に来るな」ハンセン病回復者に聞く差別と偏見の歴史
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」 1
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報
雑報
◎学術集談会
2、アルカロイドの結核菌に対する影響(第2報)阿片アルカロイドの結核菌の発育に及ぼす影響及び
その化学構造との関係について
東京市療養所 寺尾殿治君
余はOpiumalkaloideを主としてIsochinolin系のAlkaloideがGlycerin-bouillon中に於て結核菌の発育に及ぼす影響を試験したる結果を概説せば次の如し。
Ⅰ、4H-isochiolin GruppeのAlkalode中4H-isochiolinは強力なる発育阻止作用を有し強力なれども前者に比し少々劣れり。Chinolin、Isochiolin及びその4水素加誘導体の阻止力はそのPyridin核より起こるものに非ずしてChinolin又はIsochiolin核自体に由来するものなり。
又4H-isochiolin核に3個の置換体を有するHydocotarninは之を有せざるものよりその阻止力劣れり。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第3部
第1審判決に対する中国の各界の支援の声
3章 浙江省支援者から
731細菌戦裁判報道記録
陳江苹(金華テレビ局記者)
―判決直前の実況中継のビデオ放映―(東京地方裁判所正門前にて)
「テレビ前の皆様、私は今、東京地方裁判所前にいます。本日は、日本時間午後1時30分、731部隊細菌戦被害国家賠償請求訴訟は一審判決を迎えます。判決に当たって、浙江省と湖南省の原告代表、専門学者、全国大学研究者、法律家など約100人が、東京地方裁判所正門前に集まりました。本日は判決という事もあって、傍聴者の人数はこれまでの各回の判決の中で一番多くなりました。日本及び海外のたくさんのマスコミに注目されています。」
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われて
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
四月十六日
其の後 賊は身を隠すために約百閒ばかり離れた支那人農家に入り込み 夜の明けるのを待って逃走したとかいう。未だ捕らわれずにいる おそらく捕らわれる機会はないであろう なぜならば国が違うし 連絡機関が少しもないため一度附属地外に出れば 其の後事件でも起こさない限り不明となるであろう。
その馬賊の目的は勿論明瞭すぎる位明瞭である。来るべき高粱繁殖期に思ふ様猛威を振るはんとする其の下準備に他ならない。
Ⅲ モラリストの広島
老人は、新聞記者に次のように語った、≪隆ちゃんがの、わしに先にしんどるけえ、おじいさん来いよ、迷わあせんけえと言うのであります。今更原爆がどうちゅうてもしようがないです。東条さんが早う往生してくれとれば、隆ちゃんは死なんで済んだんであります。死んだ隆ちゃんそういうんです。おじいさんに電話したかったが、今十円のゼニがないんじゃというておりました。そしたら家の軒端で滑って転びまして・・・≫。そしてもう新聞記者は老人の言葉の脈絡を追う事が出来ず、老人は彼の死んだ青年との対話に戻っていったのだった、≪あんたが自転車を売るというた時・・・・≫
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
731部隊破壊と証拠隠滅作業
ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない
篠原鶴男(しのはらつるお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたもの
731部隊へ
昭和19(1944)年末に、関東軍より動員命令が下りました。早速身体検査を受けた結果、異常なしとのこと。開けて20年5月に満洲第731部隊(関東軍防疫給水部隊)に、それが暗黒部隊とはつゆ知らず、19歳で入隊することになったのです。
「ハルピンに出頭せよ」との通知には、「ハルピン駅にある伊藤博文の像の近くに立って待っているように」と書かれていました。指定された場所で待っていますと、列車が到着するたびに三々五々と人が集まってきました。そのうちに指揮官のような方がこられて、「これから君たちは、俺のあとについて汽車に乗るように」と言いました。そして私達は汽車に乗り、ハルピンの2つ先の小さな駅に向かいました。そのうち水平線の彼方に、東京の丸ビルが3つほど入るような大きな建物が見えてきました。平房駅に着きますと、私達は指揮官に指示されるままに列車から下りました。そこは小さな寒村でした。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
高田国勝の今井俊雄告発に関する資料(1954年7月28日)
1943年、大連市下葭葭町の満鉄衛生試験所が軍管轄の試験所となり、所長なり安東衡平ら医療関係者や職員も、これに伴って関東軍嘱託あるいは軍属となった。同試験所は、以前は細菌や病理の分野の実験研究を行っていた。軍管轄になった後、確か1944年の秋だったが、細菌培養のために飼っていた鼠が逃げ出し、下葭町一帯の日本人住宅地区は交通が遮断され、1週間の長きにわたって出入り禁止となった。当時このような措置をとったのは、大連憲兵隊及び〈関東州〉庁衛生課であったと記憶する。以上のような事実からみて、満鉄衛生試験所はハルピンの石井細菌部隊と同類のものであった。
(1)119-2、798、第2号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第4章
毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応
1、毒ガス使用禁止を定めて国際法
軍縮会議準備委員会での日本の主張
ジュネーブ議定書以後の毒ガス禁止問題は、国際連盟が主催する軍縮会議で取り上げられることになった。まず、1926(大正15)年5月に準備委員会が発足し、次いで32(昭和7)年2月から61か国を集めて本会議(ジュネーブ一般軍縮会議)が開催された。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第2章 地図から消えた神秘の大久野島
最初の毒ガス被害者
「被害者」はまた「加害者」でもある
付記・「毒ガス島」を訪れる
記録1 今日の大久野島
海辺に沿って道を北西に行くと、左側は大海、右側は伸びるにまかせて繁茂した樹木に覆われた山丘だ。500mほど行くと山の一面を穿って大きな穴が口を開けており、不気味なコンクリートがこの開いた口にはめ込まれている。これは規模のとても大きい毒ガスの貯蔵庫で、2列に並んだ計6つの大きな部屋によって成り立ち、高さは三層のビルに相当し、青灰色のコンクリートの壁と露になっている鉄筋が、この建物の軍事的な意義を物語っている。各倉庫の地面に巨大なコンクリートのかたまりで作られた環状のものがある、これこそが糜爛性のイペリットとルイサイトの倉庫で、それらの環状のコンクリートの上には巨大な鉄製の毒剤タンクが置かれて、毎回100トンの毒剤が蓄えられていた。ここは島では最も守りの厳しい秘密の場所であった。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
謀殺(ぼうさつ)
予防注射を口実に毒殺
中島宗一
属官
〈略歴〉
本籍 長野県下伊那郡
出身階級 農民
最終学校名 南信学院2部卒業
学校卒業後の職業 農業
最後の所属 旧竜江省警務庁特務科
被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠
私は過去日本の医学はドイツに次ぎ世界的に高度に発展していると誇りにしていた。しかし、私が誇りとしていた医学は、今私の眼の前にあるように瀕死の境にある人をその医学の力を救い生きながら得させようとするのとは反対に、私がこの手で行ったように、頑健な体の持ち主であり、善良な平和な人々を傷め殺すために使われていたものであった。あと10年で風土病の一掃を期し、細菌撲滅に科学を傾注している中国とは反対に、細菌を培養し、伝染病の流行を煽るための医学であったのだ。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回)
3月3日(水)11時~
[703法廷]東京地裁民事3部
これまで防衛省は 『化学学校記事』 1号~12号 (1967年) までの発行は認めたが、 私たちが入手し提出した「16号」(1970年)について頑なに発行を認めませんでした。しかし19年末「16号」関係者の証言が得られたとしてやっと「16号」の発行を認めました。また、発行元が「大宮化学学校修親会」 と記されている事から「他団体の発行で関係ない」「1冊も保管していない」 と主張しています。 現在 「16号」 関係者の詳細証言と何年、 何号まで発行していたのかを追及しています。
周知のとおり戦前の日本軍は、毒ガス・生物兵器を実戦使用し多数の軍民に残虐な被害を与えました。 旧軍を引き継いで発足した自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、 研究していますが、現在ではCBRN(化学兵器・生物兵器・放射線・核)攻撃への防護のためと称して、研究・演習を行っています。
政府・防衛省の隠蔽体質は民主主義の否定、更に戦争への道にも通じる危険なものです。
全資料公開に向けて皆さまの支援、 傍聴をお願いします。
●「衛生学校記事」情報公開裁判 4月23日(金)14:00~103号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)
自衛隊におけるCBRN対応
長岡大学教授 兒島 俊郎
3 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究
(2)化学兵器関係資料
ここで付されている図表を確認しておくと、第1表は化学剤の種類の紹介であるが、その最後に「GBの毒性(米陸軍化学学校教官モ―ドロール氏講演)」という記述があり、そこでは3つのケースにおけるLCT50 (半数致死量)が示されている他、目に対する効果、液滴が皮膚から浸透して致死に至る量が示されている(表3GBの毒性)。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
4、日本本土も汚されている
Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦
1、自衛隊の装備・訓練を探る
装備・訓練の実体は
生物兵器については、その特性上からもほとんど表面に出ないのが普通だが、化学兵器については2次防衛計画によると、教育訓練計画の中で「ガス体験室」(20坪)が62年にでき、65年に「器材実習室」の建て替えが行われている。
3次防(第3次防衛力整備計画・67年~72年)技術研究開発計画によれば、無傷化学剤の研究開発が、43年度T用ガス(催涙ガス)20万円、43年度精神ガス(LSD25などの幻覚ガスか?)20万円の開発研究が行われている。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十四章 創り直された君主制
Ⅴ
彼の見方によれば、日本の歴史の始まりから、国家と国民は融合してきたのであり、また彼自身が論文で指摘したように、「日本の皇室は日本民族の内部から起って日本民族を統一し」た。津田の主張する皇室ー国家ー国民の融合は、浪漫主義的なナショナリズムのひとつの表現であり、敗戦後の政治支配層の気持ちをとらえて離さなかった。この点、吉田茂も次のように、津田と同様の見解を回想録で述べている。「わが国古来の歴史的観念、伝統的精神よりすれば、皇室がわが民族の始祖、宗家である」。
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
タンザニア 2019年9月26日
ウルグアイ 2017年9月20日 2018年7月25日
バヌアツ 2017年9月20日 2018年9月26日
ベネズエラ 2017年9月20日 2018年3月27日
ベトナム 2017年9月22日 2018年5月17日
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。
2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。
封印された原爆報告書
水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した!!
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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