2021年2月19日金曜日

細菌戦の系譜!!

 中国侵略戦争

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著
731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回) 3月3日(水)11時~ 東京地裁 [703法廷]
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」











1月21日(木)
根岸恵子さんが「731部隊と大連黒石礁事件」についてお話しされました。

(参加者の発言)
元憲兵の戦後の証言では、「私は、憲兵として『特移扱』により、4人を731部隊に送った。これが私の罪行の全てです。」と語っているが、その憲兵の中国での「戦犯供述書」には、「大連黒石礁事件で、731部隊に送ったのが4名、その他の事件で731部隊へ送ったのが14名」と書いてある。

講演資料

https://28.gigafile.nu/0324-d1b61d7b31b27182eda94fd9454194440



原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

さて、これら悪魔の所業ともいえる加害について、日本の裁判所がどう判決を下したかと言えば、本書を読んでいただきたいが、多くは「国家無答責」で棄却されている。これは戦前の憲法で天皇の国家は何をしても許されるというもの。この国に正義はあるのだろうか。

しかし、この国が正義を果たさなかったとしても、この20年にわたる戦後補償裁判が残したものは、決して小さいものではなかった。それは事実を明らかにし、広めることができたこと。日中友好が後押しされたこと。市民運動に多くの人が参加したことなどだ。

 

※この本は高文研刊で定価は2,750円(税込み)ですが、下記メルアドに申し込みいただければ税込み2,400円でお分けいたします。
 又、2冊以上でお申し込みの場合1冊2,200円(いずれも送料無料)です。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp

 



軍人恩給はあるのに、慰安婦には恩給がない!!

MYさん(城田すず子)は、1957年秋、ベテスダ奉仕女母の家に転がり込んだ。実家のパン屋が破産して16歳で売られ、国内外を転々とした末に更生の道を見つけたが、再転落しそうだとのこと。いずみ寮開設までの5か月間、軽井沢の古い家に奉仕女と住まわせていた。いずみ寮入所後の1958年11月、脊椎骨折で倒れ、絶対安静の病床で、小コロニーの第一歩としてのパン工場建設を夢見ながら自らの半生を口述した。扉に「わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救い主をたたえます。この卑しい女をさえ、心にかけてくださいました」という聖句が書かれている。

この本のあとがきには次のような彼女の言葉が載っている。

「兵隊さんや民間人のことは各地で祀られるけれど、中国、東南アジア、南洋諸島、アリューシャン列島で、性の提供をさせられた娘たちは、さんざん弄ばれて、足手まといになると、放り出され、荒野をさまよい、凍り付く原野で飢え、野犬や狼の餌になり、土にかえったのです。

軍隊が行ったところ、どこにも慰安所があった。看護婦はちがっても、特殊看護婦となると将校用の慰安婦だった。兵隊用は一回五〇銭か一円の切符で行列をつくり、女は女は洗うひまもなく相手をさせられ、死ぬ苦しみ、なんど兵隊の首を絞めようと思ったことか。半狂乱でした。死ねばジャングルの穴に放り込まれ、親元に知らせるすべもない。それを私は見たのです。この眼で、女の地獄を・・・」




      「噫(ああ) 従軍慰安婦」石碑

1965(昭和40)年、深津文雄牧師は、社会から見捨てられた女性たちが一生安心して暮らせる婦人保護施設「かにた婦人の村」(かにた村)を設立した。

1984(昭和59)年、一人の寮生が自ら従軍慰安婦体験を牧師に告白する。この告白「石のさけび」を受けて、施設内にある小高い丘に1本のヒノキの柱を建てたのは「戦後40年」のことだった。翌年そこには、「噫従軍慰安婦」と刻まれた石碑が痕隆された。

「韓国挺身隊問題対策協議会」の代表ユン・ジョンオクさんは、1980(昭和55)年より、北海道・沖縄・タイ・ラバウルの朝鮮人慰安婦の足跡を訪ね、1988(昭和63)年8月の来日の際にこの石碑を訪れた。

これが、韓国KBSテレビによるドキュメンタリー番組『太平洋戦争の魂~従軍慰安婦』の制作を生み、韓国内はもちろん諸外国にも大きな世論を巻き起こしていった。

戦争責任があいまいなまま半世紀以上が過ぎ、現在もなお、従軍慰安婦問題はアジア各国を巻き込む論争となっている。この石碑を通じて、地域から世界を見ることができる。
(安房文化遺産フォーラムの記事より)




犯人像

・毒物の取り扱いに慣れていた人物

・毒物は、青酸カリではなく、青酸ニトリールではないか。(伴繁雄が証言を覆す・・GHQの圧力?

・もし、この犯人が変装にたけていたなら、731部隊とか、研究者関係は除外されるのではないか、むしろ特務機関とかの謀略活動をやっていた人物ではないのか?

・旧軍関係者の虐殺行為はGHQと繋がっていた有末機関によって隠蔽された。

・警視庁は敗戦から3年で、日本の秘密戦部隊の残虐性を把握したが、国民には全く伏せていた!!

戦前と戦後の連続性 -帝銀事件と戦争責任-【後半】質疑応答








自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

お話:南典男さん(弁護士)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回





終戦から75周年の今、新たな動きを受けての改訂新版!

『長き沈黙【増補版】父が語った悪魔の731部隊』 
2020年11月10日初版第1刷発行 1000円+税

父は自らが隊員であった旧日本軍731部隊の罪状をマスコミに告白し、その2年後に世を去った。
父の遺志を受けて、485回にに及ぶ「語り継ぐ活動」を行ってきた著者。
「憲法改正」が声高に叫ばれ、70年間守られてきた平和憲法が脅かされる今、学び取ってほしい戦争の真実を伝える。

第1章 関東軍防疫給水部731部隊員になる
第2章 731の亡霊 私たちは何を学び取るか
第3章 悲劇を繰り返さないために 教育・学校を考える
混声合唱組曲『悪魔の飽食』

・教え子の曾祖母が、「731の捕虜」との驚くべき証言

混声合唱組曲「悪魔の飽食」(池辺晋一郎指揮)



「許すな憲法破壊!院内集会」-日本学術会議会員任命拒否は憲法違反ー



中国侵略史から学ぶもの


『スパイの妻』黒沢清監督 ヴェネチア銀獅子賞に輝いた最高傑作!

映画『スパイの妻』

第77回ヴェネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞した、黒沢清監督最新作『スパイの妻』。

731部隊が行なった生体実験、細菌戦を世界に訴えようとした勇気ある行動!!

世界は、もう事実を知っているのに、なぜ日本政府は、

きちんと事実を認め、謝罪しない??


黒井秋夫講演会

PTSDの日本兵と家族の交流館







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

ハンセン病


断種「おまえの番だ」 愛楽園強制不妊 もがく男性 羽交い締め 屈辱の手術

2018年5月17日 06:30

断種を強制された男性は70年がたつ今も、怒りと悔しさで叫び出しそうになる。堕胎された友人の子を布できれいに巻いて一緒に園内に埋葬したこともある。「国による殺人さ。あんた、どう思うね」。男性は赤く腫らした目でこう問い掛けた。 (佐野真慈)
    ◇   ◇
 名護市済井出の愛楽園開園から11月で80年を迎える。19、20日には県内で7年ぶり2回目となる全国「第14回ハンセン病市民学会総会・交流会」も開かれる。回復者の証言などを通し「らい予防法」廃止から22年が経過してもなお残る回復者や家族の苦しみを探る。

 

【ハンセン病】「二度と学校に来るな」ハンセン病回復者に聞く差別と偏見の歴史

 

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1 



隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も続く歴史改ざん!!           





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

    歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)







 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 







 1929(昭和4)年 実験医学雑誌第13巻雑報


雑報

◎学術集談会

2、アルカロイドの結核菌に対する影響(第2報)阿片アルカロイドの結核菌の発育に及ぼす影響及び

その化学構造との関係について

東京市療養所 寺尾殿治君

余はOpiumalkaloideを主としてIsochinolin系のAlkaloideがGlycerin-bouillon中に於て結核菌の発育に及ぼす影響を試験したる結果を概説せば次の如し。

VI.Morphin Gruppe 中  Morphin、Diacetylmorphin、Aethylmorphin、Kodeinの順位に阻止力は減弱す。又  Epistephamin、 Kodeinon、Thebain、 Desoxykodeinの順位に強く発育を阻止すれどもSinomenin阻止力は著しからず。

以上のMorphin族のPhenantren 第3核の不飽和性を除去したるもの即ち2H-morphin、2H‐Kodein、2H-morphinon、2H-sinomenin、2H-oxykodeiron、2H‐thebainonの阻止力は何れも著明ならずしてむしろ発育を促進せしめる観あるものあり。


 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声


3章 浙江省支援者から

 

731細菌戦裁判報道記録

 

陳江苹(金華テレビ局記者)

 

ー記者会見の実況中継のビデオ放映ー(弁護士会館にて撮影)

中国義烏市原告代表の陳知法さん、日本弁護団弁護士の一瀬敬一郎先生に対してのインタビュー

 

 たった崇分で、この訴訟の第1審の最終的な勝敗が宣告されました。しかしながら、細菌戦の被害者たちにとって、また原告たちのとっては、長くて苦しい5年間でした。今回の訴訟は、今までの日本政府に対する民間賠償の裁判では、参加した人数が一番多く、また国際的な影響力も一番大きいものでした。

 

  731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われて

いるのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 


四月十八日

 三日前の事件も知らぬが如き静かに平和なうちに首山も明けていった。大自然は物に動ぜないものだ。第三六列車は学生列車だ。客車一輪のみ付けて鞍山に通う中学生と 立山より鞍山小学校に通う小さい国民ばかり乗せて走る春のような列車だ。本当に小供はほがらかだ。兵隊さん挙礼しなくてもいいの?あんなに大勢いるのよ

鞍山に着いた時小さな女の子はこんなことを言いながら左で挙礼しながら降りて行った面白い人達よ。



大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 







挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

  

≪今となってはアメリカも日本も恨んではいません。むしろ戦争でかたわになったとはいえ、韓国人の私が日本で生活保護を受けていることを、日本の人にお詫びしたい。私は、日本人とか韓国人とかいうことは別にして、5人の子どもを失った母親として原水爆禁止だけ訴えたい≫

 

 

 


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


731部隊破壊と証拠隠滅作業

ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

 

篠原鶴男(しのはらつるお)

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたも

 

部隊での生活

 

午前9時から夕方5時まで、私達の日常は昼夕の食事休憩を除いて講義の連続で、特に科学的基礎教育を徹底的に叩き込まれました。学科は9科目あり、人体解剖学、軍陣防疫学、軍陣衛生学、石井式濾水機の操作、河川給水要領、救急法消毒学(毒学を含む)、防疫斥候、、検水斥候などを早急に身につけろということでした。

 

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊

 

安達誠太郎供述書(1954年8月16日)

 

問:関東軍臨時病馬収容所と第100部隊はいかなる関係があったのか。

答:関東軍臨時病馬収容所は100部隊の前身だった。最初は関東軍臨時病馬収容所と呼ばれ、193111月に成立した。初代所長は獣医中佐小野紀道だった。第2代所長は私で、19328月から337月まで務めた。第3代所長は獣医中佐高橋隆篤で、19338月から357月までだが、この時、臨時病馬収容所は臨時病馬廠と改称した。第4代所長は獣医大佐並河才三で、19358月から377月までだった。第5代所長は獣医大佐高島一雄で、一般に高島部隊と呼ばれており、19378月から397月までである。第6代所長は獣医大佐並河才三で、19398月から417月までだった。彼がこの職に就いた当初は並河部隊と称していたが、途中で100部隊と改称した。第7代所長は獣医少将若松有次郎で、彼が即ち最後の100部隊長で、19418月から458月まで務めた。

 


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

 

2, 日本陸軍初の毒ガス戦  台湾霧社事件

 

陸軍省、催涙ガス弾を台湾軍に交付


先住民蜂起の報を受け、台湾軍の出動が決定されたのは10月30日だが、この日に陸軍省は「警備用」として山砲催涙弾200発を台湾軍に「特別支給」することを決定して陸軍科学研究所にその製作を命令し、更に、催涙弾の取扱い説明書も「気密上特に注意」するよう促した上で台湾軍に交付している(陸軍省兵器局銃砲課起案「催涙弾薬特別支給の件」)。この資料により、台湾軍出動決定と同時に、陸軍省が素早く催涙性ガス弾の交付の決定を下していたことが確認された。

 



 


 ・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


「被害者」はまた「加害者」でもある

付記・「毒ガス島」を訪れる


記録2 村上初一館長と「毒ガス資料館」

 大久野島の「毒ガス医療官」は、大久野島に来た人が最も目を引き付けられる所ではないだろうか。深い褐色の外壁の色彩は訪問者に落ち着いた印象を与え、入口近くに無秩序に置いてある特殊な形状の品々は神秘な雰囲気を醸し出しているが、これこそがこの毒ガス資料館の特徴なのだ。

 資料館に入ると、左側は展示のスペース、右側は小会議室と事務室で、規模はあまり大きくないが、陳列の配置などはとても調和がとれている。








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題







 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

謀殺(ぼうさつ)

予防注射を口実に毒殺

 

中島宗一

属官

〈略歴〉

本籍 長野県下伊那郡

出身階級 農民

最終学校名 南信学院2部卒業

学校卒業後の職業 農業

最後の所属 旧竜江省警務庁特務科

被捕日時場所 1945年10月8日 旧斉斉哈爾(チチハル)市白済工廠


●ー筆者からの一言〈昭和57年7月〉

昭和20年8月、ソ連軍の“満洲”への侵攻が開始されるや、関東軍は作戦上の口実の下、戦わずして秘密裏に一斉に朝鮮国境に退却、鉄道は全面停止となり、開拓団、少年義勇隊、一般法人は放置され、ために自爆、餓死、伝染病死する者数知れず、今日の中国残留孤児もこれによってもたらされたのであり、同胞に対してもかくある関東軍が、原住民に対してはなおさら、何をか言わんやであります。


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?


『化学学校記事』 情報公開裁判(第17回)

3月3日(水)11時

「703法廷」東京地裁民事3部

これまで防衛省は 『化学学校記事』 1号~12号 (1967年) までの発行は認めたが、 私たちが入手し提出した「16号」(1970年)について頑なに発行を認めませんでした。しかし19年末「16号」関係者の証言が得られたとしてやっと「16号」の発行を認めました。また、発行元が「大宮化学学校修親会」 と記されている事から「他団体の発行で関係ない」「1冊も保管していない」 と主張しています。 現在 「16号」 関係者の詳細証言と何年、 何号まで発行していたのかを追及しています。

 周知のとおり戦前の日本軍は、毒ガス・生物兵器を実戦使用し多数の軍民に残虐な被害を与えました。 旧軍を引き継いで発足した自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、 研究していますが、現在ではCBRN(化学兵器・生物兵器・放射線・核)攻撃への防護のためと称して、研究・演習を行っています。

政府・防衛省の隠蔽体質は民主主義の否定、更に戦争への道にも通じる危険なものです。

全資料公開に向けて皆さまの支援、 傍聴をお願いします。


●「衛生学校記事」情報公開裁判 423日(金)14:00~103号法廷

◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎

3 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究

2)化学兵器関係資料

・「別冊第二 化学目標分析と化学火力計画」「別冊第二 化学目標分析と化学火力計画」は特に注目すべき資料である。何故ならば化学兵器を用いた作戦実施のために必要な事項を列挙したものだからである。しかも使用するガス弾の種類をGB弾としている。GBとはサリンを指す。内容から見て米軍の資料に基づくものと思われるが、当時陸上自衛隊がGB弾を用いた作戦も念頭においていたことを示すものである。




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

1、自衛隊の装備・訓練を探る

装備・訓練の実体は

自衛隊教範(14-2-3、14-4-2)から化学兵器の幾つかを紹介してみよう。

〔応急手当法〕頭痛、吐き気、くしゃみ、圧迫感、強い目の刺激、及び一時的倦怠の原因となり、気温が暑いときは皮膚を刺激することもある。応急手当は、患者を非ガス地域に運び出し、風にあて、患者に眼をこすらせないようにする。患者に低濃度のクロロフォルムを吸わせる。症状が悪化した時は、50%アルコールを使った10%重炭酸ソーダアルコール溶液で犯された皮膚を洗う。硼酸(ほうさん)溶液または水で洗う。症状が無くなるまで患者を温め安静にする。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 「創刊のことば」は、「この封建政治思想から人民を解放する」必要性を強調しつつ、日本の戦争が果たして「聖戦」であったかどうかを明らかにするために、『昔から今におよぶ一切のタラメを暴露し」、「天皇制政府の本質」を究明する意思を表明した。「われわれはかかる観点に立って、理屈でなしに事実により、天皇制、資本主義機構の徹底的解剖を行ひ、人民諸君に対する民主主義教育の一助たらんとする次第である」。


 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ3万5千発以上に相当する。

核実験の種別:1.大気圏内、2.地下、3.大気圏外、4.水中

核実験は、実施された場所と高度により4つの種別に分類される。







 

 

 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!




 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!



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