「南京の真実」(ラーベ著:講談社)より
2月11日
今日、委員会の苦力、銭は歩いて故郷の村に帰っていった。ここから3時間の道のりだ。銭の家族はまだ生きているだろうか。無事に会えただろうか。心配でたまらない。郊外ではまだかなりの人が殺されていると言う話だ。
たった今、またもやこんな知らせが舞い込んできた。1人の兵士がある家に押し入った。天谷少将によれば、その素晴らしい軍紀によってつとに名高い日本軍の兵士が、だ。その家には母親と2人の娘が住んでいた。娘を強姦しようとしたが抵抗され、そいつは3人を家に閉じ込めて火をつけた。娘の1人は焼き殺され、母親は顔にひどいやけどを負った。この件を調査しなければ。
シンバーグから聞いた話はもっとすさまじい。だが今度は中国人の話だ。同郷の1人が隠し金を持っていると睨んだ4人の中国人が、その男を縛り上げて火あぶりにして、金のありかをはかせたという。
とにかくここはアジアなのだ!そう言い聞かせてはみても、こういう胸の悪くなるような残虐な話を次から次へと聞かされると、祖国が恋しくなる。
上海から良い知らせだ。緑豆を100袋送ったとのこと。鼓楼病院が脚気の治療にと頼んでいたものだ。
張は板を探しに行った。まだこまごました品物がたくさん残っている。できるだけ多く送りたいので、木箱を作らせるつもりだ。南京を再びこの目で見ることができるかどうかなど、誰にもわかりはしない!カルロヴィッツ社にもう1箱空き箱があるというので、シュペアリングがこっそり取ってきてくれるという。
13時
ローゼン宅で、イギリス砲艦クリケットの将校たちと昼食。感じのいい人たちだ。まだ荷造りが終わっていないのが残念だ。そうでなかったら明日クリケット号で発てたのに。
マギー牧師がすさまじい残虐行為の実写フィルムを持ってきた。ローゼンは、上海で複製を作らせている。ベルリンに送るつもりだ。私にも1本くれることになっている。(フィルムに写っている)負傷者は何人か見覚えがある。そのうちの幾人かとは、いまわのきわに話ができた。鼓楼病院の遺体安置所で見た人たちも写っていた。
「南京事件の日々」(ヴォートリン著:大月書店)より
2月11日 金曜日
郵便物は午後4時までに大使館に持って行けば、上海に届けてもらえる。
陽光溢れるうららかな一日だった。春はもう遠くはない。今朝は頻繁に重爆撃機の爆音が聞こえてくるが、手や足を失った何百人もの兵士が、看護をしてくれる医師も看護婦もいない状態で、徐州府の近くの塹壕や戦場に取り残されている情景しか目に浮かんでこない。障害をこうむった痛々しい肉体が死によって苦痛から開放されるまで、彼らは塹壕や戦場で苦しみ続けることであろう。気の毒な人たち!現在、大学で安全に勉学している男子学生がこれらの負傷者の叫びを聞き、彼らを援助することを自発的に申し出てくれることを念じてやまない。学生たちなら、大きな働きをすることができるだろうからだ。私たちは、ヘレン・ボートンの安否をとても気遣っている。彼女の拉致についての新たな情報は入っていない。外国人が2,3人しかおらず、安全区が設けられていない蚌埠や懐遠の状況はいったいどうなっているのだろうか。合肥は戦場のただ中にあるに違いない。私は、そこにいる友人たちに絶えず思いを馳せている。彼らの備わっている以上の力と勇気を神が彼らにお与えになりますように、そしてまた、多くの人々を庇護し励ますために、彼らが活かされますように。・・・・・・
アメリカ大使館でのことだが、大量の石炭が運び込まれているのを知った。漢西門の近くの石炭業者の1人は、いまだに在庫石炭を略奪されていないらしく、今後の略奪を防ぐため、アメリカ大使館に、それを引き取ってくれと頼み込んだ。悲しいかな、南京では1つの競争ー誰が先に米と石炭を手に入れることができるかを予見する競争ーが行われているのだ。
ブランチと会うため、午後5時に病院へ行った。彼女は三等病棟にいたが、ひどく痛がっていた。病院は満員だったが、医師や看護婦の数は、気の毒なほど少なかった。外国人医師はいまなお2人だけ、それに、中国人医師が2人いるだけだ。
私たちが兵士に悩まされているかどうかを確かめに、午後2時30分ごろ、アメリカ大使館の警官と憲兵2人が訪ねてきた。彼らは、避難民の数についても質問した。そういうわけで、私は、上述のことが彼らの来訪の真の目的なのだろうか、と疑問に思わざるをえなかった。一時は一万人もいたが、今は3000人ぐらいしかいない、と答えると、彼らは納得したようだった。
「Imagine9」【合同出版】より
想像してごらん、
基地をなくして緑と海を
取りもどしていく世界を。
Imagine,
A world that gets rid of
military bases and reclaims
the forests and the oceans.
森に抱かれ、海にはぐくまれ、人とともに生きる北限のジュゴン。
乱獲があり、戦争があり、今わずかに生き残ったジュゴンのすむこの海に、
また、新しく米軍基地がつくられようとしています。
おばぁは言います。「この海があったから、子どもたちを養い、孫を大学までやる事ができた。
この海は命の海。
この海をこわして、沖縄の明日はないよ・・・・」
(沖縄/女性)
第九条【戦争放棄、軍備及び交戦権の否認】
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
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