2021年4月2日金曜日

細菌戦の系譜!!

                  














『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」












原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

イタイイタイ病の神岡鉱山は今はスーパーカミオカンデ
      カミオカンデと神岡鉱山


 こうした一連の研究を続けて来られ、2002年にノーベル物理学賞を受賞された小柴東大特別栄誉教授は、当時、ニュートリノの研究に最も適した場所として、いくつかの候補地の中なら、私たちの鉱山、神岡鉱山に白羽の矢を立てられたのでした。1981年に東京大学からの要請があった後、時を置くことなく三井金属は、ニュートリノ観測装置の建設を受け入れ、すぐさま装置設置のための鉱山内の空間建設に着工しました。こうして1983年に完成されたのが、カミオカンデだったのです。地下1,000mという場所に、当時としてはとてつもなく大きな空間が築かれました。
 私たち三井金属がこれまで培ってきた鉱山技術は、この時、岩盤エンジニアリングとして新たな実績を生むこととなったのです。
 1983年、ニュートリノの観測が開始されて以来、カミオカンデによる研究の輝かしい実績は、もはや語るまでもなく、小柴東大特別栄誉教授のノーベル物理学賞受賞が、その全てを表しています。1987年、大マゼラン星雲における超新星爆発からのニュートリノ観測に世界で初めて成功。これが小柴東大特別栄誉教授の受賞理由となりました。
カミオカンデは、世紀の大発見を経て、1996年、その使命を終えました。現在、旧カミカンデのあった空間には、東北大学の研究施設カムランドが設置され、異なる手法でニュートリノの観測に挑まれています。



2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1 
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)










 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 





実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

◎学術集談会開催

3月20日(木)午後1時より所内講堂に於いて学術集談会を開催。演題下の7題である。

南京鼠腹腔液中に出現する鼠咬症Spirochaetaの研究、追加特にAgglomeration現象について

                       鯛瀬國一

4. 腹腔液中のSp出現数は腹腔液濃度、南京鼠個性、降空内の器械的刺激、脾臓剔出等により動揺を来す。

又標本作成法により其の成績に差違を生ずる恐れあり。

南京鼠以外の実験動物にては白鼠、海猽は幼若なるものにては腹腔液は血液に比し稍稍多数の出現を見るも成熟せるものにては両者ほぼほぼ同様なり。

家兎は3頭中1頭に於いて唯1回1匹腹腔液中にこれを証明したるのみなり。

鼠咬症以外の病原性SpにてはSp.icterohaemorrhagiae南京鼠腹腔液は血液により多数之を証明し得るも鼠咬症Spの如く多数ならず。

Sp.Duttoniはこれに反し血液中に多数の出現を見る。又病原性Trypanosama、Tryp.ganbiense、Tryp.evansi、Tryp.equiperdiumにては両者ほぼほぼ同様なりき。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声


4章 中国各地の研究者、支援者から

 21世紀に向けて歴史の負の遺産を解決しよう

 歩平(黒龍江省社会科学院副院長)

  旧日本軍が生物、化学兵器を研究、製造、使用したことは国際条約に違反する性質のものであり、生物、毒ガス兵器がもたらした危害を認めるかどうか、また戦時中の生物兵器の被害者と戦後に遺棄された毒ガス兵器による被害者に賠償するかどうかは、日本政府の歴史的責任と国際的義務を履行する能力が試されるものです。また日本が侵略の歴史に向き合い、反省しているかどうかが試されるものでもあります。


 

 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月六日


雨一日中 加藤さんからお便りあり お市さんの事 清治君 君子さんの事 伊三郎君の事 重光君の事これだけ書いてあった 早速返事は出した。冷たいような文句で伊三郎君の事を書いてやった やむを得ないのだ どーしても同情できないもの。

まあなんて嫌な雨だろう 昨日から降り詰めではやりきれないね。別に今日一日は何もない故に 困ることはないがこんなに降っては気がくさくさする もう雨なんて降らなくたって若芽は出たし 花は笑ったしよさそうなものに 自由にならないものかな天の神を。


大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

父親は、僕の心の中で、この言葉が兵士の死へのバランスを回復させることを望んだのだったろうか?兵士はどうせ死んだのだからどちらにしても同じだという風に。ところが新しく僕には、そのどうせ死ぬ、どちらにしても死ぬ、という状況が、たとえようもなく恐ろしく感じられ始めたのであった。僕は恐らく、白状せられたあとで殺される兵隊のタイプだった。僕は、そういうタイプに嫌悪を感じ、白状しないで自殺するタイプの他人の存在に感激した。

ところが僕はどのようにして僕のタイプの人間が、白状しないで自殺するタイプに、自分自身を変える事ができるかを誰からも教わる事ができないのだった。

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


終生の重荷

脳裏にこびりついて離れない断末魔の形相

 

千田英男(ちだ ひでお)

731部隊・教育部

 

〈略歴〉

1917年生まれ

1942年 731部隊入隊

教育部付き衛生兵教育

吉村班、植村班、教育部庶務を歴任

■この証言は戦争体験を記録する会(宮城県)編『雲はかえらず』所収「終生の重荷」(1974年)より転載したもの

 生体実験

 

幸にしてこの生体実験に、私は未経験者という事で傍観させられたが、その20日ほどの間連続して行われた実験の果て、飯も喉を通らず、夜ベッドに横たわってもその日の事が思い出されて寝付かれなかった。そして凍傷実験に供された人間の四肢が標本になって所狭しと並んでいる研究室を垣間見た時、これはとんでもないところに足を踏み入れたものだと思った。ところが降って湧いたように植村班に手伝いに行けという。私はホッと胸をなでおろした。

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊


鈴木元之自筆供述書(1954年1121日)

 

1943年1月から44年1月、私は満洲派遣第1師団輜重兵第1連隊第2大隊第1中隊幹部候補生教育隊で教育を受けていた。1943年9月上旬に師団実習で病馬廠を設立した時、同連隊第2大隊第1中隊獣医見習士官島興太の命令を受け、ハルピン市競馬場付近の農家から約700斤(1斤は0.5㎏)余りの藁を略奪し、7畝(1畝は約6.67アール)余りの高粱を刈り取った。10月上旬、ハルピン南方の某村で藁700斤余りを略奪し、4,5畝の高粱を刈り取った。11月、同連隊の獣医室で、師団はここで腺疫の研究を行っていたが、私は連隊部高級獣医小林中尉の命令で、腺疫研究で馬の病状に関する調査と病理解剖を手伝った。

(1)119-2、749,1、第6号



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

4 欧米列強の毒ガス準備

イタリアとドイツの毒ガス

 

 しかし、ナチスはこのGガスを実戦で使用することはなかった。その理由は未だ確定的ではないが、連合国側も同じような新しい毒ガスを保有している可能性があると判断していたことや、大戦中期以降は制空権を奪われていたので、たとえ連合国がGガスを保有していなかったとしても、イペリット・ルイサイト・ホスゲンなどによる大規模な報復的毒ガス戦によってドイツ全土が壊滅的打撃を受けるので使用できなかったことなどが推察される。


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


 第4章 科学はいかにして罪業となったか

 様々な化学毒剤

 以上のデータがどのような経路を通した得られたのか、いかなる資料の中にも述べられていない。しかし、既に確かな資料によって、日本軍が毒ガスの人体実験を行なったことが分かっている。特に1931年頃までには、イペリットを含むほとんどの毒剤が制式化され、一部の毒剤は1936~1937年に制式化された。例えば青酸ガスは、安定剤が見つかってより保存しやすくなった情況下で1937年に制式化された。一般に、毒剤の制式下は、その性能や毒効、特に戦争時の人間に対する殺傷効力が明らかになったことを意味する。そしてこれらをはっきりさせるには、人体実験なしには不可能である。この資料は極めて少ないが、旧軍人の回想から、人体実験を行なった痕跡をかすかながら見い出すことができる。例えば1937年5月、宮城県王城寺原でイペリットの効力試験が行なわれ、毒ガスの濃度及び消毒方式が試された。この実験の過程で、防毒靴底の質が悪かったため、実験に携わった人がけがをした。この年の9月、富士の裾野でもホスゲン砲弾の性能の測定が行なわれ、平均して1分間に1haあたり百発という速度で砲弾を発射した。この実験も当然人を使ってその結果を検証する必要がある。










 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

戦争に正義はない

                  森村誠一

戦争は畢竟、偏狭で独善的な民族主義から発する。自分の国と民族さえ居心地良く暮らせれば他の国などどうなってもいいという発想である。国を愛する根底には、国家に所属することによって守られ発展されるであろう個人と家族の幸福がある。個人の幸福を破壊するような国家であれば、所属したくないと思うのが人情であろう。米国やソ連の様な多民族による複合国家の場合は民族主義を支える民族の純血もあまり意味がなくなる。だが戦争は、個人の幸福を破壊しても、国(の独善性)を守るために行われる。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷




◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制

 ところで50年代はじめに相ついで制定された秘密保護規程によって、秘密とされたのはなんであったか。当時、法務省刑事局が発行した『検察月報』(54年11月)―「部外秘」の標記が付いている―の巻頭論文「議院の国政調査権と検察権」は、国家の秘密について次のように述べている。

「国家事務の中には、その目的を一そう有効・迅速に達成し、妨害を未然に排除するため、事務の内容を秘密とする必要のある場合が少くない。殊に秘密保護の必要が強く認められるのは、一国の存立にもかかわる基本的な事務についてである。・・・・・警察・検察・裁判、あるいは軍事・外交等は、・・・・国家の任務を達成するためのもっとも基本的な仕事であった。・・・・この種の事務の1つである検察事務は、その運営如何が一国の運命を左右するといってもいいすぎではなく・・・・」(同誌19ページ)。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

生体実験の事実

 しかしながら、論文の中で、研究者たちが、「ポリラクトンの服用状況を精査した結果、ポリラクトンの投与期間が2か月の長期にわたったため、最初の1か月は指示通り全員に近い隊員が服用していたが、残りの1か月特に7月初旬から多くの隊員が服用したりしなかったりの状態であった。本食中毒患者発生において、実喫食者1089名の隊員中2か月間ポリラクトンを服用した者はごく少数(63名)であった」と書いているように、成年者の隊員の場合、薬剤を服用するかどうかは隊員の自主性がかなりの影響を与え、結果的には、「統計サンプルが著しく不均衡であるので、この資料による効果断定は回避すべきである」と書かざるを得なかったように、実験の成果を見極め得ないという結果を招いている。


 


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

被疑者に対する個人的な尋間を終えたその日、フェラーズは第一生命ビルの彼の執務室に米内大将を呼び出した。米内は最近まで東久邇内閣の海軍大臣を努め、マッカーサーとも会見していた。1946年3月6日、米内と通訳の溝田主一はフェラーズの執務室に赴いたが、その際に連合国のいくつかの国、とくにソ連が天皇を戦犯として処罰すべく求めていることを伝えられた。

 右に対する対策としては天皇が何等の罪のないことを日本側が立証してくれることが最も好都合である。其の為には近々開始される裁判が最善の機会と思ふ。殊に其の裁判に於て東条に全責任を負担せじめる様にすることだ。

 即ち東条に次のことを云はせて貰い度い。

「開戦前の御前会議に於て仮令陛下が対米戦争に反対せられても自分は強引に戦争まで持つていく腹を既に決めて居た」と。




日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。

 

署名国            署名日        批准日 (締約日)

コンゴ民主共和国     2017年9月20日

コンゴ共和国       2017年9月20日

コスタリカ       2017年9月20日      2018年7月5日

コートジボワール     2017年9月20日

キューバ          2017年9月20日                   2018年1月30日



水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した





           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!





米中の生物兵器開発?

 


米中の生物兵器開発?

武漢の研究所こそ新型コロナの流出元だとアメリカが主張。

中国はこれを一笑に付します。

「ポンぺオ国務長官が何度も証拠があると言っていますが、証拠があるから示せるはずがない」

ここにも米中対立の影。

ところがアメリカは、武漢ウイルス研究処に資金を提供しコロナウィルスの共同研究まで行なっていたのです。

「2015年武漢ウイルス研究所完成コロナ研究に流れた米資金」

2003年、中国広東省を起源とする感染症が各国に飛び火しました。SARS(サーズ)です。

重い肺炎で、10人に1人が死に至る病でした。

この時、中国で重大な事故が起きています。

SARSの研究者が実験室内で感染し、自らウイルスを広めてしまったのです。

安全な研究施設の整備は、中国にとって喫緊の課題となりました。

そこで助けを借りたのが、国交樹立40周年を迎えたフランスです。

エッフェル塔をチャイナカラーに染めるほど両国の関係は良好でした。

フランスは感染症研究の先進国。ウイルスの研究室などに優れた設計技術を持っていたのです。

中国はフランスの協力を得て、武漢ウイルス研究所の建設に入りました。

10年かけ、最新の実験室を持つ研究所が完成。

内部の気圧を高め、ウイルスの侵入を防ぐ防護服をはじめ

そこは「バイオセーフティーレベル4」世界最高水準を実現していました。

どれほど危険なウイルスでも扱えるのです。

しかし、中国には思惑がありました。

医薬品の開発を独自に進めるべく、フランスの介入を徐々に嫌い始めます。

研究所の運用は、全て中国が行うようになります。

かつて、この研究所を訪れた日本人がいます。

『いわゆる物々しい感じというものはなかったですね。

一般の研究室と同じ。(中国側は)かなり自信を持ってですね、

「バイオセーフティーをしっかりやってるんだ」と』

研究対象の多くは、タイプの違う様々なコロナウイルスでした。

SARSの原因を突き止めるためです。

「コウモリからSARSに似たコロナウイルスが多く見つかりました。」

研究チームを率いる石正麗氏。専門家の間では

バットウーマン(コウモリ女)とも呼ばれています。

何故なら彼女はSARSウイルスがコウモリに由来することを武漢の研究所で突き止めたからです。

中国が研究所の建設を進めていた頃、アメリカでもコロナウイルスへの注目が高まっていました。

発表された研究論文には、“あらたなウイルスを人工的に作った”と記されています。

この論文を書いたのは、テキサス大学のメナチェリー助教授です。

「SARSに似たコロナウイルスを作り人の細胞に感染するのか研究していたのです。」

彼は人に感染する人口のウイルスを作っていました。

ウイルスはスパイクと言われる突起物により細胞に取りつき内部で増殖を重ねます。

メナチェリー助教授は、人に感染する事のないウイルスを利用し

スパイクだけを交換しました。こうして人に感染する組換えウイルスを作ったのです。

SARSと同じコウモリ由来のウイルスを使った実験。

目的は、次なるパンデミックに備える為だったと言います。

「我々が作ったウイルスの多くが薬の研究に利用されています。」

この試みには、批判の声もありました。

感染症に詳しい東京慈恵会医科大学の嘉糠洋陸(かぬかひろたか)

教授によると、「場合によっては 人間に対して病気を広めるようなこと そういう様な事も考えられるわけなので、それについて、一部批判があったと、なかなか日本ではあのような研究はしづらいという状況」

そして、リスクを伴う実験が行われていたアメリカで2014年に事故が起きます。

現場は、感染症などの研究機関CDC(疾病対策センター)でした。

CDCの研究室で炭疽菌にさらされる可能性がありました。

生物兵器にも使われる猛毒炭疽菌などの取扱い事故が発生。

これを機にアメリカでは、メナチェーリー助教授が行なっていた様なリスクが高い実験が困難になります。

そしてアメリカは、(2014年から)中国に資金提供を始めたのです。

私達はアメリカの国立衛生研究所からあるNPO法人に

向けられた研究助成金のリストを入手しました。

2014年からの6年間で370万ドル余り、およそ4億円の助成金が

出ています。一部は中国に提供されていました。

この助成金が、あのバッドウーマン石正麗氏の数々の研究論文を助けていた事がわかったのです。

この論文の発表元は、武漢ウイルス研究所。

つまり、アメリカの税金で運営されている国立衛生研究所からの助成金はNPOを介して中国へ、そして武漢ウイルス研究所へも流れていたのです。

その研究のほとんどが、コウモリ由来のコロナウイルスについて

しかも、アメリカの研究者たちが、論文に名を連ねていました。

武漢ウイルス研究所では、アメリカの資金でコロナウイルスに関する米中の共同研究が行なわれていたのです。

そして今年(2020年)、トランプ大統領は、コロナウイルスとされていた原稿を、あえて「中国ウイルス」と書き換え怒りを露わにしたのです。

今年4月アメリカのメディアは報じます。

2年前、武漢ウイルス研究所を訪れたアメリカの大使館関係者が「安全性の問題を指摘していた」と。

この報道の翌日、「現在起きている恐ろしい出来事について徹底的に(感染源を)調査している」(トランプ大統領)具体性を帯びた情報に大統領は勢いづきました。

しかし2日後には

記者「国立衛生研究所が武漢ウイルス研究所に助成金を与えているようですが」の質問に

トランプ大統領は、「この助成金はすぐに終了させる。

かなり前から交付されているものだが額が多いので、さらに確認していく。」と答弁。

助成金を出しているのは、アメリカではないかとメディアから

追及され、1週間後資金提供を停止。

研究所からのウイルス流出を主張していたトランプ大統領でしたが

ポンペオ国務長官も結局「(ウイルスが)研究所から発生したという証拠があるが正しくないかもしれない。

世界を翻弄させる感染の震源地は武漢、けれど武漢ウイルス研究所から流出したという証拠は今も見つかっていません。

(関口)うーん、だとすると、アメリカも大きなことは言えないと。

(中林)という流れなりますけれども、ただ感染症というのはどこで発生しようが、発生源がどこであろうが、人類にとって全体の問題になりますよね。ましてやアメリカや日本もそうですけれどもああいう研究所を作るのは難しいとしかも危険が伴うという事になれば、それを率先して勇気をもってやっている所に助成金を出し、研究者も出し、一緒に情報も得られれば人類全体の問題解決の為にもなるというのが多分始まった頃は、そういうロジックだった筈なんですよね。

でも、今回、研究所が発生源だという発現がトランプ大統領や側近から出てくると、じゃーそこはお金はどうなんだ。というちょっと違った話になってしまいますよね。

(関口)中国も自分たちの所から発生した言いたくない訳でしょう。

(富坂)そうですね、要するに中国が最初からすごく反発していたのはかつていろいろな感染症があったのにそれに対して賠償を求めるとか感染爆発の責任を取るという話はなかったわけですよ。

 中国で初めて起こるんで、それに対して、どこでどういう手続きで見つかったことがあるんですかという言い方を始めますよね。「武漢ウイルス」の時は初めから相手にしていなかったです。

それはアメリカとフランスで一緒にやっていたことが判り切った話でしたのでね。

(関口)我々あまり判り切っていない人間たち、どういう風に見ていたらいいんですかね。

(藪中)そうですね、これは将来のことがありますからね。だから今回感染源についてオーストラリアの首相じゃないですけど改めてどういう風になっていたんだと、どう見ても武漢ウイルス研究所が絡んでいる、というのが見えてきますよよね。今日ののビデオで。

それとそれにアメリカがヘルプしていたと言えば、アメリカも中国もお互い問題抱えていたのよね、と。それをちゃんとはっきりしてくださいよということで言うとね、やはりWHOが間に入ってちゃんとして研究をするとあれは極めてまともなことに見えてきましたね。

(中林)もっと早く中国に情報を出してほしかったというのはありますよね。発生がどうのよりも、情報のコントロールの仕方が問題ですね。

(関口)この番組の最初の方でWHOをやりましたけれども、

WHOの状態もね、決してまともとは言えないところがあるから。何とも言えない。まだ終わっていませんよ、コロナは。

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