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だが突然、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙で驚くべき記事が掲載される。
それは、日航機墜落事故の原因究明に当たっている米当局者に近い筋の人が明らかにしたという。
当人が特定できないにもかかわらず、最もらしく力強い記事だ。
「同機の墜落事故原因は1976年、大阪空港での着陸の際、同機が尻もち事故を起こした時の修理の不備による可能性が強いことが明らかになった」(1985年9月6日付 ニューヨーク・タイムズ紙)
同紙によると、大阪空港での尻もち事故の際、ボーイング社の専門チームが派遣された。この時、客室と尾翼構造部分を遮蔽している与圧隔壁の修理に2列にリベットを打つべきところ1列に打ったままに留めたことが明らかになった。
この修理法によって隔壁が弱くなり、今回の事故で垂直尾翼が吹き飛ぶ原因になったという。修理のミスについての詳細が載っているこの記事は、日本での発表ではなく、米国の新聞に載ったのである。(p184)
自衛隊の訓練によって国民は殺される!!
日本航空123便墜落事故
日航123便墜落から39年!!国は原因究明せよ!!
8月15日、あの戦争を反省し、戦争の犠牲者のご冥福を祈ろう!!
被爆体験者救済を要望 岸田首相「一生懸命やる」
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東京女子医大 岩本理事長を解任 再発防止策や改善計画策定へ
水俣病患者団体求める認定制度見直し 熊本県側 直接的回答せず
宮崎 基地の騒音 2審も国に賠償命令 飛行差し止めは認めず
「武力によらずに平和をつくる」という日本国憲法9条の考え方は、国家や人種、 民族の壁を越えて「地球市民」として生きていくための共通の鍵となります。
「世界中の国が憲法9条をもてば、すべての国は戦争ができなくなる」、それは無理なのでしょうか。いいえ。奴隷制に苦しんだ黒人の人びとが、人間として生きる権利を獲得したように、長いあいだ社会から排除されてきた女性たちが参政権を得たように、戦争も、私たちが働きかければなくせるものなのです
【随時更新】ロシア ウクライナに軍事侵攻(8月16日の動き)
【詳細】イスラエル・パレスチナ 中東情勢(8月16日)
1, 戦争が終わった後も兵士は感情が崩れていたり、戦争がトラウマになっている人が多いと知った。その子どもの子どもの人生もむしばまれるのも悪いと感じた。戦争がなかったら兵士の心をこわれずぼうりょくをふるったり、ずっとふるえることも、その子どもが男へのきょうふなどはなかったと思った。校外学習で学んだけど平和とは戦争がただ終わることじゃないとあらためて感じた。現在もロシア・ウクライナ・カザで戦争から帰ってきた人も戦争のトラウマがあると思うとかわいそう。私たちがそうならないために戦争をやらないことが大事、やった方、やられた方どちらも。未来は自分たちでつくる!
【文鮮明】皇室と統一教会の関係|三笠宮と教祖の記念写真【皇族】
5 19 怒りの市民パレード(わが町・府中に「統一教会」系カルト集団はいらない!!)
日本と台湾の地震の対応が何でこんなに違うのか?
山田朗講演会(講演、質疑応答、意見交換等)
記者座談会 語れなかった東京大空襲の真実-首都圏制圧のための大虐殺 130回で25万人殺傷
東京大空襲
死者数が10万人以上の1945年(昭和20年)3月10日の夜間空襲。この3月10日の空襲だけで、
罹災者は100万人を超え、死者は9万5千人を超えたといわれる。
なお、当時の新聞報道では「東京大焼殺」と呼称されていた。
重慶爆撃
アジアの国々に対して日本は、戦争責任を認めて、率直に謝罪することが出来ていない。 平和博物館では、展示が日本の空襲や戦時中の暮らし向きだけが展示され、加害の展示は殆どないのが現状だ。
靖国神社を廃止し、国立の戦没者追悼施設の建設を!!
「群馬の森」朝鮮人追悼碑が撤去に
長生炭鉱(山口県宇部市)「ヒロシマ通信」から 山口宇部・長生炭鉱の「水非常」は、事故で亡くなった183 名のうちの136 名が朝鮮人でした。2月3日におこなわれた現地での追悼の集いは、さまざまな問いかけを私たちに突きつけてきます。・・・終わり近く9分ごろのところに金平記者が長生炭鉱のピーヤの見える海岸でインタビューしているシーンも出てきます。たいへんに貴重な28分ほどの映像、まだ観ていない方、ぜひ視聴をオススメします! https://www.youtube.com/watch?v=oT781LkmlmY&t=35s被爆地選出の首相が、なぜ放射能の恐ろしさを語らない?? 再生可能エネルギーの積極的活用を!!
福島原発事故の写真
◆8月27日(日)
51, 祖母(故人)から関東大震災時の流言蜚語について子供の頃に聞いていました。「朝鮮人が井戸に毒を入れた!」と言い、祖母の父などは自警団に入って警戒したそうです。祖母は「井戸に毒を入れたら、朝鮮人だって飲める水が無くなるはず...」と子供ながら思ったそうです。冷静になれば子どもでも解る道理が判らなくなる。しかしこのジェノサイドは流言蜚語に踊った民衆暴力が100%だったのかと言うと、やはりそうではなく、自警団を組織化する退役軍人という存在があったわけです。しかも帝国在郷軍人会という全国組織の支部が在地に必ず置かれ、ファシズム期には、ここを母体に翼賛選挙で当選する人も出したし、満蒙開拓の熱心な勧誘役にもなった。今回の展示では触れられていませんでしたが、シベリア出兵(社会科でも軽い扱い)に従軍した兵士と高級将校の中にも「不逞鮮人討伐」に参加し退役後に在地の幹部として「ヘイト思想」流布にかかわった人も多かったようです。
入国管理制度などで、今にも残っている排外思想と向き合う上でも、民衆が最初に、本格的にジェノサイドに加担したこの関東大震災時の虐殺、今後も私としても掘り下げて勉強していきたいと思います。
(60代・東京都文京区・友人・関東大震災時の朝鮮人虐殺)
中国に戦後日本軍が遺棄した毒ガス被害に苦しむ人がいる(日本政府は補償していない)が、日本にも毒ガス工場で働いた人、毒ガス工場解体時に被害にあった人がいるが、その人たちへの補償はどうなっているのだろうか?
忘れられた毒ガス被害者(相模海軍工廠)
毒ガス工場46年目の証言(東京第二陸軍造兵廠 曽根製造所跡)
毒ガス工場解体(大久野島の毒ガス工場解体)
先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
●東京帝国大学伝染病研究所『実験医学雑報』
・東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
・1934年6月、宮川米次と阿部俊男は何をしに満洲国へ行ったのか?
・満洲衛生技術廠とは、一体何をやっていたところなのか??
・東大伝研は731部隊と連携を図っていなかったのか??
・伝研で毒ガスの講演?毒ガスへの対処法も考えることになるのか??
・小島三郎の渡満では、満洲衛生技術廠や大連衛生研究所にもいったのだろうか?
・1933年頃から細菌兵器開発の一環として、「満洲」の背蔭河では人体実験が行なわれているが、そこでも赤痢菌の研究が行なわれていたのだろうか?35年の川崎市の爆発赤痢は、人為的に行なわれたものなのか?それとも自然流行なのか?
・1936年5月に浜松一中で大福餅事件、37年9月に大牟田で爆発赤痢事件が起きているが、これなども細菌兵器・研究の一環として軍医学校や伝研の関与による仕掛けられたものか、自然に発生したものか究明する必要がある。
・1936年5月と37年9月の両事件に、小島三郎が出張しているが、果たして何をやったのであるか??
・河本禎助も毒ガスの研究をしていた。
・1938年6月1日の伝染病研究所で石井の厚意によって上映された映画には、731部隊の生体解剖でも映っていたのでであろうか? 精神的緊張裡とは、何のことだろうか?
・実験医学雑報20巻 第7号(1936年) 本所職制改正 この度本所では職制を次の如くに改正し7月より実施することとなった。 *特別研究室とは何だ??
第7章 満州事変