2021年4月4日日曜日

細菌戦の系譜!!

                  


















『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」












原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述



「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

ミドリ十字は元731部隊員が作った会社

血友病患者の悲劇

日本には約5000人の血友病患者がいます。

血友病とは止血に必要な凝固因子が不足しているため、出血した場合に止まりにくい病気のことで、不足している凝固因子によって、血友病A(第8因子)、血友病B(第9因子)に分類されます。

出血した場合の治療として用いられるのが血液製剤です。

1970年代末になると国産のクリオ製剤よりも簡便な濃縮凝固因子製剤が登場し、治療に使用されるようになりました。

しかしこれらの製剤にはウイルスを不活化するための加熱処理はされていませんでした。

そしてこの中にあのエイズ原因ウイルス(HIV)が混入していたのです。

80年代前半、アメリカから輸入された危険な非加熱製剤は、血友病専門医や製薬会社の社員の指導のもと、大量に使用されました。

しかも加熱製剤の認可後も、危険な非加熱製剤はただちに回収されることなく使用され続けたのです。

薬害エイズ裁判と731部隊

                       公開日 2001年06月05

地裁判決に控訴決定

1996年、薬害エイズ事件で逮捕された安部英(元帝京大副学長)に、本年3月28日、東京地裁は「無罪」判決を言い渡した。すでに昨年2月24日、旧ミドリ十字の歴代3社長に対しては大阪地裁が実刑判決を下しており、本年9月には厚生省ルートで起訴された松村被告(元厚生省課長)に判決が下る予定となっている。戦後の日本で繰り返された薬害事件(サリドマイド、クロロキン、スモンなど)の中でも、感染者2000人以上という最悪の結果を招いたエイズ事件の中心にいた人物に対し、無罪判決が出たことへの国民の怒りは大きい。同時に司法に対する不信感も、マスコミを通じて露わにされている。検察側も上級審への控訴を決定した。

★安部英のその後

薬害エイズ事件において、1985年5月から6月にかけての計3回、手首から出血した血友病患者に対し非加熱血液製剤(血液凝固第Ⅷ因子製剤)を投与してHIVに感染させ、エイズを発症させ死亡させたとして業務上過失致死罪で逮捕・起訴された。2001年の1審で無罪となり、検察が控訴したが、心臓疾患や認知症を発症したため公判停止となり、2005年4月25日に88歳で死去した。

2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」  1 
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
















 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 





実験医学雑誌第14巻雑報

14巻4号(1930(昭和5)年

雑報

◎学術集談会開催

3月20日(木)午後1時より所内講堂に於いて学術集談会を開催。演題下の7題である。

南京鼠腹腔液中に出現する鼠咬症Spirochaetaの研究、追加特にAgglomeration現象について

                       鯛瀬國一

4. ・・・・感染南京鼠及びその血清感染海猽血清につき免疫学的研究を行いたるにObject硝子上の溶菌現象重感染試験にては免疫物質の存在を証明し得るもPfeiffer氏現象。

再感染試験にては之を証明し得ず。

感染南京鼠血清を感染南京鼠に注入するも体内のSpに何ら影響を及ぼさず。

又感染南京鼠子鼠に感染試験を行ない先天性免疫物質の存在を探知せるも不結果に終わりたり。

又非特異性反応、W氏反応、村田氏沈降反応を行ないたるも陰性に終わりたり。

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声


4章 中国各地の研究者、支援者から

 21世紀に向けて歴史の負の遺産を解決しよう

 歩平(黒龍江省社会科学院副院長)

 過去を正視してこそ未来があります。問われているのは、日本という国家そのものです。私は日本が真摯にアジア太平洋地域の平和と繁栄に対して貢献することを希望します。

 今年は中日国交回復30周年です。両国にしてみれば、重要な年であり、両国関係の発展を更に推し進める機会でもあります。日本の弁護士団は世界の恒久的な平和、21世紀の中日友好に貢献されました。私も、今後の訴訟の成功、新しい世紀の中日関係の建設の為に努力します。


 

 

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

五月七日


午前七時起床 晴 風なし 本当に心持よい日だ。衛兵勤務。

朝から昨日に引き換え本当に心持よい日だ。雨の後の晴は云ふに云はれぬ感がする 風はない雲はなし蝶は飛ぶし 均致園で活動でもあるらしい 前の湯屋の入り口に白い紙に何とか書いて張り出したのが昼頃だ 夕方うちくつろいだ姿でぞろぞろぞろぞろといっても大したことはないが 均致園に集まってきた。何の娯楽機関のない平和な街の事だ。どんな活動でもやはり活動と名付ければ活動に違いない。こうした街に住めば自然贅沢も言わないだろう。



大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 

挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅳ 人間の威厳について

ところで僕がまだ子どものうちに戦争は終わり、戦場での決定は延期された。しかし、僕にとって、自分が屈服しないで死ぬタイプか、屈伏したあと殺されるタイプか、と考えることは、戦場にゆかなくてもいい時代の僕の青春の、日常生活全体に関わって長続きするジレンマだったのだ。それは内攻した。僕は時に粗暴な振舞いに憧れたり、時には自分をマゾシスティックな人間だと信じたりする、おかしな高校生だった。やがて僕は大学の文学部の学生になり、フランスの現代文学を読み始めたが、教室で、いつも僕の頭に浮かんでいたのは、フランス文学と日本文学に、お互いの言葉のそれぞれ特殊な流行があり、フランス文学で頻繁に使われる言葉の同義語が、日本文学では冷遇されている、という発見だった。そして、そのような言葉として、特に僕の注意をひいたのが、

威厳(dignite)

屈辱あるいは恥(humiliation、honte)

の2つの言葉で、それらは即ち、僕の少年時からの恐ろしいジレンマに深く関わる言葉であった。

唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


終生の重荷

脳裏にこびりついて離れない断末魔の形相

 

千田英男(ちだ ひでお)

731部隊・教育部

 

〈略歴〉

1917年生まれ

1942年 731部隊入隊

教育部付き衛生兵教育

吉村班、植村班、教育部庶務を歴任

■この証言は戦争体験を記録する会(宮城県)編『雲はかえらず』所収「終生の重荷」(1974年)より転載したもの

 拭うことの出来ない傷痕


所在なさにベッドの中で3転4転していたある日、教育部長の園田中佐が心配してひょっこり見舞いにやって来た。私は思いあぐねていたが、意を決して心の苦衷をありのまま訴えた。一喝されるかもと覚悟はしていたが、意外や意外、にこやかに笑みを浮かべた部長は、

「そうだな、お前にはこの仕事は向かないよな」

我と我が耳を疑う様なこの言葉に、私はまるで夢を見ているような思いであった。部長が帰った後、その後ろ姿に手を合わせたくなるような感謝と嬉しさが湧き上がってくる。日ならずして私は、古巣の教育部に戻り、庶務を担当することになった。

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊


鈴木元之の安達誠太郎告発資料(1953年9月26日)


安達誠太郎と関東軍獣医部、100部隊との関係。

2、1941年3月中旬午後1時、100部隊付逆瀬川獣医大尉と研究処病理第2室主任松島は、研究処の大解剖室で炭疽の人工感染馬に病理解剖を行った。

解剖検査助手:〔原文記載なし〕

解剖検査所見記録:技師某

各組織臓器採取:竹内良一、小松勇助

解剖助手:今井敏雄、鈴木元之、永井正、青木静男

解剖検査終了後、病理第1室で、松島研究官より人工感染馬の病理所見変化の報告がなされ、引き続き質疑と研究が行われた。研究・質疑事項の記録は技師によりなされた(組織切片は標本として研究資料に添付されたが、恐らく獣医部に提出されたと思われる)。



●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

4 欧米列強の毒ガス準備

毒ガスをめぐる陸軍の態度の変化


 そして1931年9月に「満州事変」が勃発すると、直ちに毒ガスを使うのではなく、陸軍省は1932年1月に催涙性ガス・くしゃみ性ガスの使用は領土外では国際法で禁止されていると判断して許可しなかった。32年初頭までは、外地での毒ガスの使用は国際法で禁止されていると認識していたことがわかる、

 ところが、日本政府が「満洲国:を承認し1932年9月になると、陸軍中央が催涙性ガスの使用を認めない理由は国際的な悪影響を回避するというものに変化し、国際法や人道上の問題には触れなくなった。そして33年3月に国際連盟から脱退し(35年3月に脱退発効)、華北分離工作を推進していく中で、36年8月に「満洲国」内での催涙性ガスの使用を許可するに至る。




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


 第4章 科学はいかにして罪業となったか

多種多様な化学兵器


陸軍科学研究所は化学毒剤の研究開発と同時に、化学毒剤を用いて攻撃を行なうための化学兵器の開発にも着手した。こうした化学兵器の性能を測定するために、冬は北海道の寒冷地で、夏には暑い地方の台湾で、毎年何度も野外実験を行なった。ほとんどの化学兵器もやはり30年代に制式化されたものであった。

 実験され制式化された化学兵器は以下の数種類のタイプに分類される。

毒剤を装入して遠距離発射に用いる各種砲弾、爆弾、大砲

大量に毒ガス、毒剤を散布するための発射筒、噴射器、車両など

発煙筒、火炎弾など毒剤を含有する各種兵器


毒剤を装入する砲弾や爆弾の種類は最も多い。砲のタイプ、口径が様々であるため、砲弾の種類にもたくさんの区別がある。軍事知識のない一般の人にとっては、これら毒ガス弾の種類を識別するのは難しい。











 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

戦争に正義はない

                  森村誠一

だが小国の国民が大国への隷属から脱出し民族の自由と独立を勝ち取るための戦いに身を挺したとしても、戦いの目的を達成した後は、国の独善性を遺憾なく発揮するようになる。国家の独善性と、国民の幸福と利益は必ずしも一致しない。日本の軍事立国ファシズムを顧みる時、それはむしろ国民の犠牲の上に成り立っていた。「国の為」という名分の下に、個人のあらゆる利益が圧殺されて当然という価値観の顛倒をを産んだ。

 

2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷




◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)

            藤井治夫著

第一章 国家機密と軍国主義

1、戦後日本の機密保護体制

決算委員会は議院証言法により法務大臣に証言の承認を要求したが、これも拒否されたので、さらに同法の規定により内閣声明を要求した。吉田内閣は123日、「右証言等の承認をすることは、国家の重大な利益に悪影響を及ぼすものと認める」と声明(参考資料3)、ついに決算委の追及は打切られたのである。これは、国会における証言拒否が内閣声明にまで発展した唯一の事例となっている。

『検察月報』論文が法務大臣および内閣の態度を肯定する立場から、国会の国政調査権を切りちぢめ検察の秘密を拡大するために、三百代言ぶりを発揮しているのは、こうした背景があったからである。この事例は「国家の重大な利益」「検察の機密保持」なるものの本質がなんであるかを、鮮明に国民にたいしてしめしたのであった。



1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。



Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念

生体実験の事実

アテノウイルス4型の新兵熱についての意義=園口将補、425、「日本医師会雑誌」

インフルエンザワクチンと他ワクチンの併用=園口将補、42、10「日本医事新報」2270号。

インフルエンザワクチンの皮内接種=園口将補、42、12「日本医事新報」2278号。

インフルエンザ・アジェバンドワクチンの野外研究、第6報、新流行株に対する抗体上昇効果=時岡2佐、42、4「防衛衛生」14巻4号。

インフルエンザ・アジェバンドワクチンの野外研究、第7報、同化性アジェバントワクチンの接種=時岡2佐、42、10「防衛衛生」14巻10号。

1966年に行なわれたインフルエンザ生ワクチンの野外研究=時岡2佐、42,11、「防衛衛生」14巻11号。

 これは67年に明らかにされた研究の一部を摘記したに過ぎないのであるが、インフルエンザ・アジェバントワクチンの野外研究は、武山の少年工科學校と、千葉県下志津の高射学校、勝田の施設学校の生徒を対象として実験を行なっている。


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第15章東京裁判

 

2週間後、溝日は、322日に行われたフェラーズとの2回目の会談に関する覚書をしたためたが、それによれば、フェラーズは次のように語ったという。

 話の内容は米内大将へのものと略(ほぼ)同一なるも米国内の非亜米利加式思想の主張者として最も有力なのは、「バーンズ」国務長官の最高顧間たるCOHEN[ユダヤにして共主義者]である。自分が先日米内大将にあんなことを申し上げたのは其の時も申した通り自分としては天皇の崇拝者にあらず随て天皇制がどうなろうと一向構はないのであるが、

MC(マッカーサー)の協力者として占領を円滑ならしめつつある天皇が裁判に出されることは、本国に於けるMCの立場を非常に不利にする.之が私のお願の理由だ.

 宮内省寺崎氏に対するFellerの話    

「先日米内大将にお話して置いたことはもう東条に伝へて貰へただろうか」





日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子


核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

署名国・批准国

2021年1月22日現在の署名国と批准国。

 

署名国            署名日        批准日 (締約日)

グレナダ         2019年9月26日

グアテマラ        2017年9月20日

ギニアビサウ       2018年9月26日

ガイアナ         2017年9月20日      2017年9月20日

バチカン         2017年9月20日      2017年9月20日



水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)

 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した









           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!





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