●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
細菌(生物)戦争
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族訳6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
(以下、パネル展の内容)
知らなかった「ビキニ事件」
『民医連医療』誌 2019年3月号に、元民医連の診療所事務長の岡村啓佐さん(太平洋核被災支援センター副代表)が寄稿された「《ビキニ事件》は、終わっていない!!」を読んで、驚くこと・知らなかったことがたくさんありました。いくつか挙げておきますので、ぜひこの記事を読んでください。
1954年3月1日に始まったビキニ環礁での実験は5月まで続けられたこと。
ビキニ事件が報道されるや、政府は「原爆症調査研究協議会」にアメリカとの協議に当たらせたが、日本側の担当者は「731部隊」関係者ばかりで、アメリカの保護・管理の下で戦犯免責された人物たちばかりであったこと。
(小林六造、小島三郎、宮川正ら)
『民医連医療』誌 2019年3月号に、元民医連の診療所事務長の岡村啓佐さん(太平洋核被災支援センター副代表)が寄稿された「《ビキニ事件》は、終わっていない!!」を読んで、驚くこと・知らなかったことがたくさんありました。いくつか挙げておきますので、ぜひこの記事を読んでください。
1954年3月1日に始まったビキニ環礁での実験は5月まで続けられたこと。
ビキニ事件が報道されるや、政府は「原爆症調査研究協議会」にアメリカとの協議に当たらせたが、日本側の担当者は「731部隊」関係者ばかりで、アメリカの保護・管理の下で戦犯免責された人物たちばかりであったこと。
(小林六造、小島三郎、宮川正ら)
宮川正教授は退官記念講義で731部員だったことを暴露されたよ
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」 1
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」2
2020「731部隊 戦前・戦後の医学ー医学と人権を考える」3
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
実験医学雑誌第14巻雑報
14巻4号(1930(昭和5)年
雑報
◎山際博士薨去
かねて御病中でおられた山際勝三郎先生には3月2日午後9時遂に逝去せられた。ここに哀悼に堪えざる次第である。
先生の偉業は学俗共に憬仰する所あって並びに、呶々するを要せぬのである。その光輝ある苦闘の歴史こそは永久に後進をして感奮興起せしむるものとなるであろう。
◎所内園遊会
3月15日(土)午後0時半より例により観梅園遊会を開催した。
稲荷神社祭典に始まり各種の余興や模擬店などで夕刻まで賑わっていた。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第3部
第1審判決に対する中国の各界の支援の声
4章 中国各地の研究者、支援者から
共に奏でよ
平和のメロディー
王 群生(8.6ヒロシマ大行進重慶市民代表団団長)
帰国後、私達は8月27日の731部隊細菌戦裁判の一審判決に、強い関心を抱いていました。判決は日本の裁判所の良知の程度を示すことになり、重大かつ深淵な意味を持つからです。私達はマスコミの報道を通じて、731部隊細菌戦裁判一審判決の結果を知りました。
裁判所は、日本軍が中国に侵略した際に細菌戦を行った事実は認めましたが、様々な言い訳で日本政府のために弁解し、原告の謝罪の要求、賠償請求に関しては全面的に棄却しました。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
五月三日
午前七時起床 晴 風あり 衛生勤務 小供たちが来る 天使のような愛くるしい小供 呑気な兵隊ばかり故 喜んで遊びに来る。
兵隊さんはどこに行ってたの?鞍山?やあ、遊びに来たのね。えーと、笑みちゃんに芳っちゃんに法ちゃんか・・・毎日遊びに御出でなさいね。法ちゃんのお姉さんはどーしたのね。兵隊さん あのね寝ているの 姉さんは風を引いたの。そーですか。治ったら遊びに来るようにお話ししなさいね。兵隊さん皆が来ないと淋しくて仕様がないんだもの。
Ⅳ 人間の威厳について
僕は原爆病院の重藤院長にも、威厳を見出してきたが、言うまでもなくそれは、原爆病院長という権威に基づく威厳ではなかった。同じように人間的な威厳を、僕は彼の病院の入院患者、宮本定男氏にもまた、見いだしたのだから。念のために言えば僕はこのノートに、僕が調査できた側面からの、いわば個人的な原爆医療史を含めたいと計画したのだったが、広島における原爆医療の歴史は、体制の側の権威によって導かれたどころか、その逆に、常に権威あるものに対する穏やかな抵抗を行う人々、決して屈服しない根気強い人々の力によって、全くゼロ地点からの発展を遂げてきたのである。
唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅰ 731部隊
終生の重荷
脳裏にこびりついて離れない断末魔の形相
千田英男(ちだ ひでお)
731部隊・教育部
〈略歴〉
1917年生まれ
1942年 731部隊入隊
教育部付き衛生兵教育
吉村班、植村班、教育部庶務を歴任
■この証言は戦争体験を記録する会(宮城県)編『雲はかえらず』所収「終生の重荷」(1974年)より転載したもの
「私達の実験はいつ終わるのか」
今月の作業は、これまでに引き続いてきた発疹チフスワクチンの注射である。ハタリス(草原に穴を掘って住む地上性のリス)や鶏卵を使って大量生産に入る前の前提として、その投薬量や接種間隔など、どのような術式で行うのがより効果的なのか、それを知るための継続的な実験である。棟の中にある実験室で私は助手の介添えで、1人1人に詫びたいような複雑な気持ちで注射を終えた。そしてポケットに忍ばせておいた「ほまれ」(煙草)を出して、何本かずつ与えた。これは禁じられている事だが、1日の配給量では足りないというその中の1人の訴えがあった時から、ここに出入りするたびに持ってくることにしていた。
●『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』
中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳
六 第731部隊の各支隊
1 関東軍第100部隊
安達誠太郎自筆供述書(1954年7月27日)
馬疫研究処が研究した前述の成果は、馬疫研究処自身が発表した以外に、「満洲国」畜産獣医学雑誌も発表した。同時に前述の研究資料は、毎年100部隊の希望によりこれを提供した。これは関東軍参謀長の通達をもって手続きとしていた。研究成果の中の炭疽強毒菌は、私の指示により、渡貫研究官(主任)が研究の任にあたった。彼は炭疽研究の権威であり、彼が作った強力菌は相当に有効な強毒菌であった。100部隊はこの種の細菌を持ち帰り、さらに研究改良を進め、細菌戦での使用を研究したと思われる。それ故、馬疫研究処の研究成果は100部隊に提供され、細菌研究に用いられたと言える。100部隊に提供した材料は次の通りである。
炭疽:細菌及び心臓、肝臓、腎臓、脾臓の標本。
鼻疽:細菌及び鼻腔、肺、心臓、骨髄の標本。
媾疫:病原体及び皮膚、睾丸、窒管、子宮の標本。
腺疫:細菌及び皮膚、鼻腔の標本。
(1)119-2、235,1、第5号
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第4章
毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応
4 欧米列強の毒ガス準備
イタリアとドイツの毒ガス
そして、1935年から36年にかけてのエチオピア戦争(第2次エチオピア戦争)で毒ガス戦は大規模化する。エチオピアを侵略したイタリアは、北部戦線では1935年12月22日から36年3月29日にかけて、C500T爆弾(イペリット212㎏充填)を972発使用し、更に南部戦線でも1935年12月24日から36年4月27日までにC500T爆弾95発・21㎏イペリット爆弾186発・41㎏、ホスゲン爆弾325発を使用したのであるが(この数字はさらなる調査で増える可能性もあるという)、その目的はエチオピア軍の反攻を毒ガスで阻止することにあった。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第4章 科学はいかにして罪業となったか
前述したように、日本政府及び軍部は、陸軍科学研究所の第3部、そして後には陸軍技術研究所に対して大量の資金を投入し、化学戦遂行の希望を全面的にこの研究所に託した。そしてこの研究所も期待にたがわず、十分な資金と有利な条件を生かして、日本の化学戦の能力を無から有へ、小から大へと発展させ始めた。科学研究を行なうと銘打ったこれらの機関は、科学技術を駆使した兵器を次々に実験室から戦場へと送り出して、人類を大量に殺害し、科学を罪業に変えたのである。1931年から、化学毒剤と化学兵器は陸軍省によって認定、制式化された。1935年11月3日の「明治節」に、陸軍は全軍の新式兵器及び機材の展示を行ったが、その中に化学兵器も含まれていた。これらの兵器に対して、天皇は極めて大きな関心を示し、直々に視察に訪れて、各部隊長の報告を熱心に聞いた。これは勿論、科学が罪業となる過程への肯定であった。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
戦争に正義はない
森村誠一
侵略者の加えた残酷と、侵略者から自国を守るために反撃した残酷では異なる。後者が行う残酷は、前者が仕掛けなければ本来存在しないものなのである。
その戦争が侵略か防衛か明確に見分けるべき基準がある。
1、戦場が彼我どちらの国になっているか。
2、1単位の戦闘の勝敗が決した後、残酷行為が勝者によって行われる。
3、戦闘員以外の一般市民が殺傷される。
4、戦闘員同士による戦闘にはない、市民に対する略奪、強姦が行われる。
5、戦略、戦術上必要のない、面白半分の非道が行われる。
6、交戦中の敵に対して用いられるべき兵器が、本来の用途以外に用いられる。例えば軍刀の試し斬りなど。
概ね以上であるが、特に1と2が顕著な特徴である。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 4月23日(金)14:00~103号法廷
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)
藤井治夫著
第一章 国家機密と軍国主義
1、戦後日本の機密保護体制
占領ではじまり安保で強化
もっとも、自衛隊発足の時点で軍機保護法の作成が企図されなかったわけではない。MSA秘密保護法案審議のさい、参院法務委員長であった郡祐一(現法相)は、MSA協定交渉過程で保安庁(防衛庁の前身)を中心に政府が行なった秘密保護立法についての研究状況を紹介して次のように述べている。
「保安庁においても、MSA協定に基く援助に関してのみ秘密保護法を立案すべきが、又は此の際これらの秘密保護を含めて、当時予想されていた自衛隊の防衛出動、防衛出動部隊の編成装備等に関する秘密或いは防衛施設、暗号、作戦情報等に関する秘密をも保護する軍機保護法的な法案を作製すべきか、討議が交わされた・・・・」(『秘密保護法精義』 13ページ)。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅲ 自衛隊における人体実験の疑念
自衛隊の赤痢菌検査の疑惑
現に石井部隊では現実にそういう実験が行われていたからである。もとより、園口、時岡の2隊員の名誉のためにも、そういう事実はなかったであろうと考えてはいる。しかし、この論文を読む限り、そういう疑問が疑問として残ることは否定できない。これが第3の疑問である。ちなみに、隊内における赤痢患者の発生の事実は、法定伝染病の届け出義務があるにも関わらず、なぜか自衛隊はこの事実を秘匿して届け出ていない。不思議である。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第15章東京裁判
支配エリート層にまで迫りくる戦犯追及の危険性に驚愕した東久邇内閣は、9月12日、日本独自の戦犯裁判を開廷することで、連合国から主導権を奪い取ることを急いで提議した。しかし、天皇自身はこれに躊躇した。戦争犯罪人が天皇の名のもとに国内法で裁かれることになれば、彼は矛盾した立場に立たされ、著しい苦境に陥っただろう。このときまで東久邇は天皇に毎日会っていたけれども、以後、拝謁の機会は急に減った。しかし、翌13日、重光外相は自主裁判の実施を認めるようGHQにかけあったが、GHQは〔最終的に〕これを拒んだ。日本人による正式の戦争犯罪裁判は開かれなかったし、東京裁判の判事席に座った日本人判事もいなかった。加えて、日本の軍隊が日本の国民に対して行った犯罪を審理する裁判もなかった。こうした汚れ仕事は、外国人の手に委ねられることになったのである。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
●核実験(ウキペディアより)
若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
・あらゆる核兵器の使用から生ずる壊滅的で非人道的な結末を深く憂慮
・いかなる場合にも核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法として,核兵器を完全に廃絶することが必要
・核軍備の縮小が倫理上必要不可欠であること並びに国家安全保障上及び集団安全保障上の利益の双方に資する
・最上位の国際的な公益である核兵器のない世界を達成し及び維持
・あらゆる核兵器の使用は,武力紛争の際に適用される国際法の諸規則,特に国際人道法の諸原則及び諸規則に反する
・1946年1月24日に採択された国際連合総会の最初の決議及び核兵器の廃絶を要請するその後の決議を想起・核兵器を法的拘束力で禁止
・この条約のいかなる規定も,無差別に平和的目的のための原子力の研究,生産及び利用を発展させることについての締約国の奪い得ない権利に影響を及ぼすものと解してはならない
水素爆弾の恐怖・ビキニ環礁 (アメリカ)
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!