2021年3月6日土曜日

細菌戦の系譜!!

    

細菌(生物)戦争
『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

細菌(生物)戦争

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」














731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会・第4回

「731部隊被害者遺族を訪ねて」



日 時:2021年3月22日(月)18:30~

お話:大谷 猛夫さん

オンライン中継(zoomによる)

主催:731ネットワーク

 731部隊で人体実験された被害者は一人も生き残っていません。人体実験で殺され、敗戦間際に731部隊に収容されていた人たちは皆、殺されてしまったからです。それでも人体実験に供するために捕まえた憲兵隊の記録は残っています。そこから戦後になって被害者遺族が自分の親や親族が731部隊に連行され、無残に殺害された事実を知ります。これまで731部隊被害者遺族のうち、敬蘭芝さん、王亦兵さんが原告になり、日本政府を訴えた訴訟については、学習してきました(連続講座の1~3回)。この裁判の過程で、日本の市民運動のなかで、裁判支援の動きがおこり、被害者遺族が来日の際、市民集会を開くなど日本人に731部隊の事実を弘知ってもらう機会をつくってきました。そして、原告になった方以外にも731部隊の被害者遺族と出会う機会がありました。

 2012年秋に牡丹江・鶏西をたずね、被害者遺族と会いました。また裁判終了後も731記念館の協力で被害者遺族をお呼びし、市民集会を開いてきました。そんな遺族の紹介をしたいと思います。


曽漢卿さん。お父さんが憲兵隊に捕まり、731部隊に連行されました。

 

大谷猛夫さん

中国人戦争被害者の要求を支える会の事務局長を長く続けてきました。裁判終了後もその被害者とその遺族の要求を実現するために運動を続けています。

 

※zoomによるオンライン講演なので、申し込みは100名で締め切らせて頂きます。

18:30~19:30 講演(講演中はミュートでお願いします)

19:30~20:00 質疑応答(場合によっては質問はチャットでお願いするかもしれません)

 連絡先・申し込み E-mail : nobu51@jcom.zaq.ne.jp(五井)









原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎










自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

お話:南典男さん(弁護士)

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回







パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

(以下、パネル展の内容)

水俣病

田宮猛雄(たみやたけお)

田宮が所長を務めた東大医科学研究所(旧伝染病研究所)や、初代総長となった国立がん研究センター
(旧国立がんセンター)に勤務した上昌広教授は、国立病院では患者の治療よりも研究の成果や効率が優先され、陸海軍の亡霊がいまだに行き続けていると述べている。陸海軍というより731部隊の亡霊と言ったほうが正しいだろう。

その上教授も、福島原発事故が起きるや否や、本来ならすぐに避難させなければならない福島の住民をだましてモルモットにし、白血病のデータを収集して金儲けや出世に利用しようとしている。
やっていることは731部隊と何ら変わりはない。

731部隊の人体実験の責任を追及し、関係者を処罰し医療倫理を正さなかったために、本人の同意も得ずに人間をモルモット代わりに使う悪しき伝統が現在まで続いているのだ。

新薬や新しい治療法には臨床試験が必ず必要である。それなしには医学の進歩はない。
しかし臨床試験にあたっては、被験者に期待される効果と危険性をきちんと説明して同意を得なければならない。

正しい判断が出来ない幼児や精神病患者、あるいはノーと言えない若い自衛隊員や受刑者をだまして実験台にすることは絶対に許されないことだ。福島も全く同じである。
住民に被ばくの危険性をきちんと伝えず、安全だとだましてモルモット代わりにするとは言語道断である。これは立派な犯罪である。

 ちなみに、田宮家一族は学者が多く、息子は被爆直後の広島で放射線が脳細胞に与えたダメージを調べた精神医学者・島薗安雄、孫が著名な宗教学者で、原子力を批判している島薗進父方の祖父は東京大学医学部教授等を務めた島薗順次郎。母方の祖父は衛生学者田宮猛雄・東大名誉教授である

 島薗進氏は東大理科3類に合格したが、医学界の権威主義や倫理性軽視が問われた東大医学部紛争の中で苦悩。「生きている意味を含め考え直そう」と宗教学へ進んだという。

紛争中、水俣病被害を拡大させた田宮猛雄も厳しく批判・非難された。
頭脳明晰な島薗氏は、おそらく医学者になっても素晴らしい業績をあげただろうが、医学界では常に悪名高い祖父の名がつきまとうのに耐えられなかったのだろう。

 歴史上の事実をきちんと認識し、あやまりを正し反省しなければ、極悪非道が繰り返され、いつまでたっても日本はまともな国になれないだろう。

<a href="http://www.asyura2.com/16/genpatu47/msg/134.html" target="_blank">水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した</a>より引用

水俣病原因究明を妨害し被害を拡大させた日本医師会会長・田宮猛雄は、731部隊や戦後の人体実験にも関与した


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    


      





※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)

 日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置



10分で学びなおす 「731部隊」より(『週刊現代』より)






 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

 


14巻1号 1930(昭和5)年

実験医学雑誌第14巻雑報

 

学術集談会

12月19日午後1時より所内講堂に於いて学術相談会を開催した。演題は下の4題である。

 

1、耳下腺瘻孔大に非経口的に注入せる耳下腺細胞成分の耳下腺分泌に及ぼす影響について

杉島一郎君

2、ミクロマニプラチオンについて 

千島壽君

総説蘭参照

3、らい菌の培養とらいの血清診断について

田宮貞亮君

総説蘭参照

4、中枢神経親和性濾過性病原研究の現況

(続き)  高木逸麿君

前号総説蘭参照





 

 

  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


3部

 

第1審判決に対する中国の各界の支援の声


3章 浙江省支援者から

 東京紀行~細菌戦訴訟の一審判決~

何必会(義烏市、原告団事務局)

  8月29日、王選さんに率いられ、靖国神社に行った。同行した人の中には浙江省の訪日メンバーの他、重慶テレビ局の記者もいた。新しく改造された靖国神社展示館の、ハイテクを駆使した展示された内容は前より反動的になっていた。そこに展示された文字、写真、映画及び戦闘機、大砲、軍艦などは、時々刻々と日本軍の侵略戦争を示していた。また、日本の絶対的国防圏の略図の中には、中国及び東南アジアの領土と領海が含まれていた。これは東南アジア各国を征服しようとした日本の野望をはっきりと暴き出している。

 731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦

 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

 

四月二五日

 

理屈云った所で理屈は理屈として終わって仕舞ふ 之を知りながら、新聞或いは雑誌から丸吞みにして買った〇人ぶるに必要なる理屈とも何とも云へない言を云っては 二度と来ない時間を平然と捨てている。私は今考えることは 時間のみの問題なら世界の人達(通の者らしい事業家的な理屈屋)が云ひ合はした様な時間の事は 満期兵となった現在の私には一個の荷厄介な負担であるとさえ考える 何故ならば結論はいたって簡単だ 早く帰りたいのです 之が金であるべき時間を捨てた理由ですから あきれてものも云へない人があるかもしれない。



大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 

 







挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

Ⅲ モラリストの広島

 

そしてもう一人、やはり74歳の老婦人の言葉、≪健康については歩くことを最良としています。用のない時には何時もあちこちを歩くので、人に、よく歩く、と言われます。主人は満州で亡くなり、妹も沖縄で死に、その長男は中支で戦死、二男は沖縄の健児の塔に祀られています。現在、私は生活保護で暮らしていますが、他家のお使い歩き、留守番などもして、いろいろと暮らしの工夫をしています。ラジオの聴取料金の支払いが一番つらいのです。今、私の最後の望みは、甥が祀られている沖縄の健児の塔にお参りが叶えられたら、という事です≫

 

 


唯一の戦争被爆国 日本政府は核兵器禁止条約に署名・批准してください!

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅰ 731部隊


731部隊破壊と証拠隠滅作業

ロ号棟に書かれた血文字が一生忘れられない

 

篠原鶴男(しのはらつるお)

731部隊・教育部

〈略歴〉

1926年生まれ
1945年5月 731部隊入隊(教育部に所属)第8分隊
1945年8月 帰国
■この証言は鹿児島731部隊展(1994年1月)の『報告集』をもとに本人がまとめたも

 

部隊の破壊と証拠隠滅作業

 私達の列車には細菌爆弾を積んでおりました。その細菌爆弾は、日本海に処理したそうです。私は処理作業に参加しませんでしたので、どこに捨てたのかわかりません。また、列車には研究資材や濾水車なども積んでおりました。

 日本海を渡り山口県の東萩港に上陸しました。港で3日ほど休養した後、クモの子を散らすようにしてみんなそれぞれの郷里に帰って行ったのです。

 

 『証言 人体実験(731部隊とその周辺)』


中央档案館、中国第2歴史档案館、吉林省社会科学院編
江田憲治、兒嶋俊郎、松村高夫編訳


六 第731部隊の各支隊


1 関東軍第100部隊

 

問:100部隊に細菌を提供する以外にどのような援助をしたか。

答:1937年から40年にかけて、並河部隊と高島部隊がまだ寛城子にいた時、彼らの設備はまだ不十分だったので、よく馬疫研究処に来て解剖場、培養室、冷蔵庫などを使用していた。

 1937年から40年にかけて、関東軍の命令により、、5万から10万㏄の炭疽ワクチン及び50万から100万㏄の血清を製造し、並河、高島部隊の供給した。


●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

4章

毒ガス使用禁止をめぐる国際的な動向と日本軍の対応

3、「満州事変」とジュネーブ一般軍縮会議での日本の態度

ジュネーブ一般軍縮会議の開催

このように、陸軍は、毒ガスや細菌兵器は、民間人を殺傷する惨酷な兵器であり、「侵略戦争」に使用されるものだと位置づけ、使用だけでなく、準備や製造も禁止すべきだとしているのである。

 また、海軍は、毒ガス兵器と細菌兵器の禁止は絶対主義にする必要があり、毒ガスは人道的兵器であるという主張を反駁し、致死性ガスだけを禁止する限定的な制限には反対するとしている(前掲「化学、焼夷、細菌兵器問題」)。このように、ジュネーブ一般軍縮会議にさいして陸海軍は毒ガス使用問題について非常に厳格な態度で臨んでいたのである。


 

 


・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)




 

2章 地図から消えた神秘の大久野島

 最初の毒ガス被害者


「被害者」はまた「加害者」でもある

付記・「毒ガス島」を訪れる


記録3 岡田藜子さんの手紙

「・・・・前略・・・・・

日本は国家として侵略戦争に対する謝罪をしないまま、長い間戦争によって傷つけた中国やアジアの人々の傷を癒すことなく今日に至っており、私はとても残念に思っております。私は国家や政治に関係なく、1人の人間として誠に申し訳なく思い、平和と友好を願ってこの画集を贈ります。どうぞお受け取り下さいませ。大久野島は戦争中に国際法で禁止されていた毒ガス製造していましたので、戦後日本政府はその非人道的な加害の歴史を隠蔽し、消し去ろうとしてまいりました。けれども、心ある人々は『加害の歴史を消してはならない。日本が国家として明らかにしなければならない』と大久野島を機軸として地道な活動を続けて参りました。

‥‥中略… 








 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題







 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

 

汚された泉

井戸へ放り込み惨殺

杉本千代吉(すぎもとちよきち)

大尉

〈略歴〉

学歴 中学高卒業

旧部隊名 第59師団第54旅団第45大隊

出身県 静岡県

年齢 38歳(1919年生まれ)

 

農民は必死になって山野の手から逃れようと試みたが、鞭と泥靴で散々痛めつけられた体では、どうする事も出来なかった。会心の笑いを浮かべた山野中尉は、「この野郎、水でもくらえ」農民を力任せに井戸の中に突き落とした。これが彼の初めからの計画であったのである。

「アイヤ・・・」肺腑から搾り出た農民の悲鳴が、激しい水音に途切れ、走り寄った私の眼に井戸の底でもがき苦しむ農民の姿が、わずかに差し込んだ光線で黒く見えた。

 


2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス


在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

●「衛生学校記事」情報公開裁判(第27回) 423日(金)14:00~103号法廷

●『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)5月26日(水)11:00~703号法廷




◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


自衛隊におけるCBRN対応
         長岡大学教授  兒島 俊郎


2 陸上自衛隊におけるCBRN対応

教範から見えるCBRN対応

 陸上自衛隊内部におけるCBRN研究
 化学兵器関係資料

「第3節 部隊安全」は自部隊の安全確保について考慮すべき事項である。

 

「化学目標分析(型式見本)

3、分析

a、最大効果を得る為著発するか空中破裂にするか

b、指定された化学弾補給率と未来の作戦に関する予期消費の効果

c、敵死傷者の見積もりあるいは地域汚毒の見積もり

d、障碍構成の見積もり

e、友軍に対する警報

4、評価及び結論

5、具申

a、目標の位置及び型

b、使用せらるる化学剤

c、戦剤投射部隊及び所用弾数

d、攻撃時刻

e、投射完了の時間的制約

f、部隊安全手段と所要の調整

g、攻撃後の分析計画」




1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。

4、日本本土も汚されている

Ⅱ 自衛隊と生物・化学兵器―その思想と作戦

2、研究開発と自衛官の入学拒否

防大の昇格を熱望

それは、ただ単に「学位」を得させるためでもなく、まして向学心に燃える自衛官に「教育、学問の機会均等の場」を与えるなどといったこととは無縁の、否、それとは全く逆の意味を持つものであるということが隠されているのである。

 本来、軍事目的の学術研究は性質上秘匿性を要求される部分が多い。ことに、伝染病や化学剤の毒性から人体を守るという立場から生物・化学の研究を行うことと、人体殺傷を想定しつつ生物・化学兵器の研究開発をすると言ったこととは根本的な矛盾があるわけだ。これはあまり適切な例ではないかもしれないが、ともかく医学、理工学の分野では特に、一般大学や大学院の学問研究と軍事目的の研究の間に本質的な矛盾が存在することは事実である。

 


 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

 


※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!

戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十四章  創り直された君主制

 さらに同じ日の『読売報知』は、第一面に、AP特派員ラッセル・ラインズの東久邇宮へのインタビューに基づく天皇の「御退位」に関する記事を掲げた。記事は、戦争に対する道義的責任は無視できないとして、天皇が退位することに皇族の多くが賛成していると報じていた。さらに天皇が孤立していることもほのめかしていた。記事によれば、宮内大臣と総理大臣は退位に反対しているのだという。東久邇元首相との別の会見に基づく同様の記事が34日付の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載されたが、それによれば、明仁皇太子が成年に達するまで、おそらく、第2皇位継承者である高松宮が摂政を務めるだろうと報じられていた。退位を迫る圧力が東久邇宮からだけでなく、実弟からも加えられたという事実がマッカーサー草案の受け入れに躊躇していた天皇を翻意させたにちがいない。1930年代に軍国主義者によって利用された皇室内における兄弟同士の争いが、今度はマッカーサーの憲法改定に幸いすることとなった。

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?

 

 

 

●核実験(ウキペディアより)

若くして白血病で亡くなった夏目雅子、本田美奈子、また五輪候補選手だったスイマーが白血病になったのは、放射能の影響ではないのか?

月の砂漠の犠牲者 夏目雅子と本田美奈子

核実験(かくじっけん,英語:Nuclear weapons testing)とは、核爆弾の新たな開発や性能維持を確認したり、維持技術を確立したりするために、実験的に核爆弾を爆発させることを指す。1945年から約半世紀の間に2379回(その内大気圏内は502回)の核実験が各国で行われた。そのエネルギーはTNT換算で530メガトン(大気圏内は440メガトン)でこれは広島へ投下されたリトルボーイ3万5千発以上に相当する。

アメリカ合衆国


アムチトカ島での核実験


1965年から1971年までにアラスカアムチトカ島で3回実験が行われた。1971年11月6日の"CANNIKIN"は地下実験最大の5Mt(迎撃ミサイルLIM-49A スパルタン」のW71核弾頭を使用)であり、各国の抗議を引き起こした。グリーンピースは、この実験を契機として発足した。




 

 

 




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について






なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が
被爆した!!








 

           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!


2021年3月5日金曜日

「衛生学校記事」情報公開裁判 4月23日(金)14:00~103号法廷

 73l部隊関連資料の公開を求めて

 戦後、多くの元731部隊員や化学戦の関係者が自衛隊に入隊しています。私たちは元隊員たちが当時実戦で知り得た情報・研究論文等を掲載していると思われる陸上自衛隊衛生学校及び化学学校発行の内部誌『衛生学校記事』と『化学学校記事』の公開を求めて2013年11月(化学学校は2016年) 東京地裁に提訴しました。
『衛生学校記事』 情報公開裁判 (第28回)
4月23日(金)
14時~ 「103号法廷」東京地裁民事51部
『衛生学校記事』 は、 衛生学校の 「図書原簿・ 目録」 から嘗て存在していたことが明らかになりましたが、 当該個所に二重の赤線が引かれていることから被告は「廃棄した証拠」 と主張し続けています。しかし発行当初の『記事』表紙には「陸幕認第8号」「部外秘」と、陸上自衛隊の承認の下に発行されていたことは明らかです。 そのような内部誌が、発行元に一冊も保管されていない、廃棄したということは到底納得できません。 更に元衛生学校長の金原節三氏が退職後大量の戦史資料と共に『衛生学校記事』も寄贈し更に「金原文庫」まで設立したにも関わらず、今はこの貴重な「金原文庫」の存在さえも不明です。
現在は金原寄贈資料の行方の再調査と、 「廃棄した」 当時の関係者の証言を要求しています。

『化学学校記事』 情報公開裁判(第18回)
5月26日(水)11時~
「703号法廷」東京地裁民事3部
これまで防衛省は 『化学学校記事』 1号~12号 (1967年) までの発行は認めたが、 私たちが入手し提出した「16号」(1970年)について頑なに発行を認めませんでした。しかし19年末「16号」関係者の証言が得られたとしてやっと「16号」の発行を認めました。また、発行元が「大宮化学学校修親会」 と記されている事から「他団体の発行で関係ない」「1冊も保管していない」 と主張しています。 現在 「16号」 関係者の詳細証言と何年、 何号まで発行していたのかを追及しています。
 周知のとおり戦前の日本軍は、毒ガス・生物兵器を実戦使用し多数の軍民に残虐な被害を与えました。 旧軍を引き継いで発足した自衛隊も発足直後から秘密裏に化学兵器を所持、 研究していますが、現在ではCBRN(化学兵器・生物兵器・放射線・核)攻撃への防護のためと称して、研究・演習を行っています。
政府・防衛省の隠蔽体質は民主主義の否定、更に戦争への道にも通じる危険なものです。
全資料公開に向けて皆さまの支援、 傍聴をお願いします。



«連絡先» 
■NP0法人731部隊・細菌戦資料センター          -2020年12月25日現在一
(共同代表:近藤昭二[ジャーナリスト]・王選[細菌戦犠牲者遺族])   Email:info@ichinoselaw.com 
〒105-0003  港区西新橋1-21-5  一瀬法律事務所  電話:03(3501)5558(元永)
■ABC企画委員会(代表:田中寛[大東文化大教授])電話:042(348)1127/080-5655-3354(和田)

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