●映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
●2021 9 25加藤講演第1回目
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)
●2021 9 17 浅井基文講演
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん
●加藤哲郎講演会(一橋大学名誉教授)
11月16日(火)18:20~(開始予定)
「新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影」
会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)
資料代500円
●森川聖詩講演会(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部)
「核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ」
11月17日(水)18:20~(開始予定)
会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)
資料代500円
2020年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート11月16日(火)
・731部隊について数年前に武蔵小金井で講演を聞き、その後何回か、講演・NHKスペシャルなどで個別に勉強してきました。本日改めて、全体像の説明を受け、少しずつ、頭の整理ができました。ありがとうございます。
アミダステーション展示・ビデオのアンケートにも記しましたが、731部隊に関係したNHKBSのドキュメント番組一般公開してほしいと思います。NHKに対しても無償公開、自由アクセス可能なよう要求したい。
中学生・高校生・大人(戦後世代)の勉強材料としたいと思います。本日先生の紹介のあった本・議事録を一覧公開をお願いします。
(70代、市外)
11月16日(火)
・731部隊について数年前に武蔵小金井で講演を聞き、その後何回か、講演・NHKスペシャルなどで個別に勉強してきました。本日改めて、全体像の説明を受け、少しずつ、頭の整理ができました。ありがとうございます。
アミダステーション展示・ビデオのアンケートにも記しましたが、731部隊に関係したNHKBSのドキュメント番組一般公開してほしいと思います。NHKに対しても無償公開、自由アクセス可能なよう要求したい。
中学生・高校生・大人(戦後世代)の勉強材料としたいと思います。本日先生の紹介のあった本・議事録を一覧公開をお願いします。
(70代、市外)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻2号(1934年)
新旧所長送迎会の於ける3教授の挨拶
長與前所長の挨拶
今日は盛大なる宴を開き私を送別してくださいますことを厚く感謝します。
この度私の我儘なお願いから所長を辞めさせてもらいましたが、これは医学部の方が伝染病研究所よりより大切であるからやめたとか、伝染病研究所に対する愛情が薄くなったから止めるとか、そういうのではない。
反対に私は伝研を愛し深くその将来を考えるからこそ止めるのである。
伝研の所長たる者は兼任ではいけない。毎日出勤して自ら陣頭に立ち万事を見ていなければいけない。医学部長と一緒にやることは到底不可能事である。今や伝研の幹部は立派な貌ぶれが揃っていて実力もあるし、所長の後任としては既に試験済みの宮川博士がなられたのであるから、私が兼任で時々見回るよりも遥かによろしい。私も適任者を後任に得て安心している、どうぞ全所員協力一致して理想は出来るだけ高く持って、世界最上のものを目指して奮励努力してもらいたい。
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
6 被告の立法不作為による損害賠償請求について(争点6)
(3)そこで、上記(2)の前段の判断基準に基づき本件における国会の立法不作為の違法の有無を検討することとするが、その前提として、必要な範囲で、原告らの主張する本件細菌戦の事実の有無について見ておくこととする。
(イ)1940(昭和15)年から1942(昭和17)年にかけて731部隊や1644部隊等によって、次の a.f.g.h の通り中国各地に対し細菌兵器の実戦使用(細菌戦)が行われた。
(エ)( 本件細菌戦によるペスト・コレラ被害の内容・程度)
a 腺ペスト(ヒトのペストの中で最も多く、80%から90%を占める。)や皮膚ペストは、ペストに感染したノミに噛まれて感染する。肺ペストは、ペスト患者の喀痰や飛沫が感染源になる。敗血症ペストは主として腺ペストに続いて起こる2次性のものが多い。特に本件の被害地域のように人的な繋がりが強い地域では、ペストはそのような社会形態を介して伝播し、人々を次々に死に追いやることがら、差別とお互いの疑心暗鬼を招き、地域社会の崩壊をもたらすとともに、人々の心理に深刻な傷跡を残す。そして、ペストは本来げっ歯類の病気であることから、ヒト間の流行が始まった後も、病原体が自然の生物界で保存され、ヒトの間に感染する可能性が長く残存する。その意味で、ペストは、地域社会を崩壊させるだけではなく、環境をも長期間に渡って汚染する病気であるといえる。
(甲89,92,93の1、98の1・2、証人上田信、証人聶莉莉、証人中村明子、証人邱明軒、弁論の全趣旨)
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
三月十九日
晴 風強し 零下八度 夜間巡察あり 第十五列車 第十八列車 首山・・・遼陽間
今日ほどだらだらと遊んだことはない。朝しばらくの予行演習をやり 午後6時33分の列車迄少しの仕事もなく満期後の身の持ち方が気になる。こんなに勤務が無くては今後も射撃競技会の為とはいうものの空しいがらんとした生活の様に思われる。午後六時半首山に巡察に行く 巡察長なんてでたらめ式にやれば事はすむのだ。
中隊入口に整列すれば週番下士の留守故に 週番副官が装服検査をする。 四名が整列し 頭左ッ・・
をすれば 無帽の週番副官津田特務曹長挙手の礼を致し 気付きたれど間に合わず四名思わず吹き出せば 苦虫のごとき顔の津田特務さん。微笑む間もない脱線振りの初回にしてしまった様 質問もまた春のような脱線式でふるっている。日々「皆マッチ持っている?」「あります」「ありません」「モダンガールとは何ぞや」守備隊の一挙一動について真面目に話すれど 又四大隊の乗用車の支那人とある兵隊のマッチについて起こった事件をうけたまわり出発する。二時間十分にして遼陽に着く第三十八列車にて事無く帰隊する 雖も午後十一時半朝は六時とは本当に嫌になる。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
細菌詩集
731部隊を詠む
とべ しゅん(仮名=ペンネーム)
1644部隊
〈経歴〉
1919年生まれ
1940年 中支那防疫給水部栄1644部隊に配属
1944年 帰国。召集解除
■この証言は『詩人会議』(1995年7月号)所収の文章に、これまで発表された詩と文章を加えてまとめたもの。
浙贛作戦
私の所属する菌種室でも幾人かが、作戦に参加することに決まりましたが、幸か不幸か、直前に私は発熱をして診療所に入院しました。見舞に寄ってくれた中尉は「ゆっくり静養しろよ」と言って、作戦に出発していきました。
浙贛作戦が終了してから、誰かがその時撮してきた写真を見せてくれました。その中に地上攻撃でネズミを放した後で、竹竿の先に吊り下げて竹籠を焼却している場面がありました。もちろん、白黒の写真でしたが、凄まじいほどの炎を放って竹籠が燃えている様子がわかりました。その写真を見ただけで、私は地上での細菌作戦を理解しました。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
2 華北
4 山西
湯浅謙自筆供述書(1954年11月20日)
私が犯した罪悪の事実:1942年末、私は山西省潞安城内西北角の北支那方面軍潞安陸軍病院(北支派遣乙第1837部隊)伝染病室及び病理実験室の軍医中尉であった。ある時、潞安城内東南角の日本軍歩兵第223連隊(雪第2524部隊)が(あるいは潞安城内の潞安憲兵分隊かもしれない)2名の中国人捕虜を連行した。その時、病院長西村慶次中佐の命令により、病院中の軍医と36師団の軍医10数名が集合し、生体解剖を行った〔中略〕。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか
2 毒ガス戦に対する参謀本部の意識
イタリア軍・日本軍の毒ガス戦と国際勢力
これは戦争ではない。もはや殺戮ですらない。何万という無防備の男や女、そして子どもへの、爆弾や毒ガスを使った拷問だ。彼らは絶えず毒ガスを使用する。我々は乳飲み子を含めた何百人もの患者を治療した、世界は見ている。・・・しかし、避けて通り過ぎるのだ。(同前)
これはエチオピアの野戦病院で救護に従事したイギリス人医師ジョン・メリーの告発である。
次に日本の場合だと、中国国民政府は1937(昭和12)年10月に国際連盟へ日本の毒ガス兵器使用問題を提訴し、連盟理事会は38年5月14日に日本の毒ガス兵器使用に対する非難決議を採択したが(外務省編『日本外交年表並主要文書』下)、結局、日本の毒ガス戦を食い止めることは出来なかった。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第7章 残虐な毒ガス戦
動かしようのない事実
付記:将軍の証言
陳錫聯将軍は元の沈陽軍区司令員で、抗日戦時期は八路軍129師団769連隊長と385旅団長を前後して務めた。彼が参加・指揮した陽明堡空港の夜襲、百団大戦中のシーナオ山戦役はいずれも、日本軍の心胆を寒からしめたものであった。
陳錫聯将軍は筆者が日本軍の毒ガス史のために取材に行くことを聞いて、非常に熱心に思い出したことを文章にしてくださった。だが、当日は体調がすぐれず、夫人の王雪梅女史が文章を読み上げられた。
「百団大戦によって喫した敗北によって、日本の鬼はようやく、八路軍の侮れない戦力に気づき始めた。1941、42年の夏、5~6月の頃、八路軍に対し、気狂いじみた掃蕩を行う。当時八路軍の本部は河北省と山西省の境界、渉県赤岸村にあった。
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
懐柔
捕虜を密偵に仕立てようと画策
大井憲太郎
特捜班長 警佐兼地方保安局属官
〈略歴〉
本籍地 長崎県西彼杵郡
出身階級 雑貨小売商
学歴 私立長崎貿易商業学校4年中途退学
職業 市役所事務員
所属部隊名 旧満州興安総省警務庁特務科
被捕年月日場所 1945年11月25日
長春市祝町朝日ビル3階
年齢46歳
その瞬間「アッ」と言って顔を右に背けたのをそばにいた清水が、「このくらいで何が熱いか」と両手で首を力いっぱいねじり、正面に向かせた。
私は、「アツアツ」と逃げる顔を追い回して、続けざまに額と言わず顔一面に当て、やっためたらに焼きまくった。
痛みに耐えかねた曲は、「お前は人間じゃない」と叫ぶなり、パッと床を蹴って立ち上がり、私を睨みつけ、こぶしをを握りしめた。生意気な真似をする太い野郎だと顔を殴りつけた私は、
「もう少しこたえるようにしてやろう。手を出せ」と引っ張り、手首を押え、爪に線香を押し付けた。
手を震わせた曲は力いっぱい引いた。その手をつかみ、手繰り引き寄せた私は、清水に手首を棒で押えさせ、火元を爪に当てた。爪の色はだんだん紫色に変わっていった。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第4章 機密国家の復活
1、大日本帝国と国家機密
国家機密の生成
加えて83年4月には新聞紙条例が制定され、その第34条は「陸軍卿海軍卿ハ特二命令ヲ下シテ軍隊軍艦ノ進退及一般ノ軍事ヲ記載スルコトヲ禁スルコトヲ得 ・・・・」と定め、出版条例と合わせて言論統制の武器となった。これらの諸法令は、その後いくつかの小改正を経たが、重要なのは1888 (明治21)年の陸・海軍刑法改正であった。陸軍刑法第105条(海軍刑法第84条もほぼ同じ)は「軍人秘密ヲ要スル図書兵器弾薬ノ製法其他軍事二関スル機密ヲ漏洩スル者ハ3月以上3年以下ノ軽禁錮二処シ将校ハ剥官ヲ追加ス」と改められ、この規定は主として戦時事変の際、軍人以外にも適用されることになった。この年、旧来の鎮台組織を改めて師団編成がとられた。これにより名実ともに外征型軍備となったのである。なお、1893年には出版法が制定され、「外交軍事其ノ他官庁ノ機密二関シ公ニセサル官ノ文書及官庁ノ議事」(第18条)、「軍事ノ機密二関スル文書図画」(第21条)は、当該官庁の許可なくして出版することを禁じられ、これを出版した著作者、発行者は11日以上1年以下の軽禁錮に処せられることになった。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅰ 生物・化学兵器を告発する
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
沖縄基地の毒ガス事件
『ウォール・ストリート・ジャーナル』の記事について、公共問題担当のヘンキン国防次官補は、この事故が「極秘の神経ガス兵器の破損に関係がある」という報道については語ることを拒んだが、「7月7日に発生した沖縄における事故の結果、管理作業に従事していた米軍要員23人と米民間従業員1人が治療を受けた」ことを認めた(ワシントン、7月18日発=AP)。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十七章 静穏な晩年と昭和の遺産
Ⅳ
中国の最初の原爆やその後のミサイル発射についての天皇個人の意見は明らかではない。しかし中国が核ミサイルの開発に乗り出した状況でも、天皇や佐藤がアメリカの「核の傘」の有効性を疑ったとは思われない。佐藤によれば天皇の懸念は、アメリカとの間で増大する経済紛争に向けられていた。繊維問題のような場合には、佐藤はその進展の具合を天皇に逐一伝えている。また彼らはベトナム戦争の行方、佐藤内閣の学生運動対策、ジョンソンや、もっと意図のわかりにくいニクソンの政策などについても話し合った。天皇は佐藤の外交・内政の手腕を評価する一方、自民党の議員や閣僚による汚職に不満を示すことがあった。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
・あらゆる核兵器の使用から生ずる壊滅的で非人道的な結末を深く憂慮
・いかなる場合にも核兵器が再び使用されないことを保証する唯一の方法として,核兵器を完全に 廃絶することが必要
・核軍備の縮小が倫理上必要不可欠であること並びに国家安全保障上及び集団安全保障上の利益の双方に資する
・最上位の国際的な公益である核兵器のない世界を達成し及び維持
・あらゆる核兵器の使用は,武力紛争の際に適用される国際法の諸規則,特に国際人道法の諸原則及び諸規則に反する
・1946年1月24日に採択された国際連合総会の最初の決議及び核兵器の廃絶を要請するその後の決議を想起
・核兵器を法的拘束力で禁止
・この条約のいかなる規定も,無差別に平和的目的のための原子力の研究,生産及び利用を発展させることについての締約国の奪い得ない権利に影響を及ぼすものと解してはならない
・全ての側面における平和及び軍備の縮小に関する教育並びに現在及び将来の世代に対する核兵器の危険及び結末についての意識を高めることの重要性
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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