2021年12月6日月曜日

細菌戦の系譜!!

               






































































映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演


『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー

米中の生物兵器開発?

20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」




加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん





今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)

●加藤哲郎講演会(一橋大学名誉教授)

11月16日(火)18:20~(開始予定)

「新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影」

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円

●森川聖詩講演会(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部)

「核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ」

11月17日(水)18:20~(開始予定)

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円



2020年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月16日(火)

・731関係者の戦後の生き方を辿ると反省がない事の恐ろしさを思い知らされます。何事もきちっと反省し、謝罪しなければ、本当に前には進めない。進んではいけないのだいうことを教えられました。

一度、倫理観を無くした人間は、戦後においても・・・ヒドい生き方をしている事に驚きます。倉内には呆れます。

(60代、市内)



















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎

                 









                 







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

1948年京都・島根 ジフテリア予防接種禍事件(その2) 
                              栗原 敦
確認できない 「和解の事実」 
京都府議の松尾孝さんが質問において、厚生省に和解文書の有無を問い合わせたがなかったとしていました。文書がないのに京都市、京都府、国の三者ともに和解したということは通常ありえないことです。昨年来、厚生労働文書の中に和解に関するものがないかどうか調査してきました。昭和24年4月26日付で「和解」を示唆する文書(資料 1)がありました。京都府から受けた電話の記録です。
資料1 昭和24年4月26日付で「和解」を示唆する文書 
ジフテリア予防接種禍について電話連絡 26日17時10分 
京都府衛生部
森田総務課長 
連絡事項 
一、遺族同盟は全部当方の原案通り承諾した。今後一切本件について予算的要求はしないとの一札は遺族同盟の委員の手により全部から集めるとの事である。
被害者同盟は既に承諾…  (注、末尾読み取り不能、要確認、栗原) 
(厚生労働省所蔵「京都ジフテリア事件」簿冊5) 
注:遺族同盟とあるが遺族会が正しいとみられる(栗原) 
この文書の前に昭和24年4月27日以後の作成と思われる「ヂフテリア予防注射禍遺族に対する慰謝料早急決定支払に関する件 請願書」(遺族会作成・提出)(資料2)が綴じられています。内容は慰謝料として30万円の支払を求めるものです。これら2つの文書をどのように理解したらよいのか。26日までに国の方針(10万円)をのんだにもかかわらず,その直後に30万円を要求しているという矛盾が何を意味しているのか、あるいは矛盾ではない事実が隠れているのか、更に調査、検討を加える必要があります。また、「一札」は後に全員分集める云々とあるところが重要です。京都府との交渉にあたった遺族会の委員が府の原案を承諾したが,委員でない遺族から反対があり、全員の一札を取り付けられなかった可能性があります。厚生労働省の文書に最終的な和解を確認する文書の案文と思われるものが綴じこまれていますが、その末尾の遺族の氏名は自筆署名ではなくタイプ印字されており、押印されていません。京都府議会議員が質問当時厚生省に文書の有無を問い合わせたがなかったということと符合するのです。遺族会の請願(資料2)は、吉田茂首相が遺族会会見した際の言葉を引用し、事故後国は事件の責任を自覚し誠意ある態度を示していたが、時がたつにつれてそれが薄れていったことを指摘しています。毒薬を接種されて命を落としたわが子が、愛玩犬よりも低くみられることを嘆き、国に慰謝料を求めることは正当であることを確信し、訴訟も十分ありうる覚悟のみならず、新生日本、文化国家建設、衛生的な接種現場の確保など広い視野をもった品位ある主張であったことが伺えるものです。 



 


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置















 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?


実験医学雑誌第18巻雑報



18巻2号(1934年)

新旧所長送迎会の於ける3教授の挨拶

河本教授の挨拶

幸いにこの宮川教授を新所長に迎えることのできましたことは我々の大いに喜ぶことでありますからここに心から歓迎し、宮川新所長の下に我々一致協力して軍人ならば各々軍規を守り、軍人精神に則り、スポーツマンならばスポーツマンシップを守り、何れでも心は同じでありますが、このキャプテンの意図の許に献身的に伝染病研究所の発展のために努力したいと思います。

 隣には城井老が居られますから城井老の御発声で新旧所長の為に乾杯したいと思います。(拍手)

城井博士 乾杯の辞




 


  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

6 被告の立法不作為による損害賠償請求について(争点6)

(3)そこで、上記(2)の前段の判断基準に基づき本件における国会の立法不作為の違法の有無を検討することとするが、その前提として、必要な範囲で、原告らの主張する本件細菌戦の事実の有無について見ておくこととする。

(イ)1940(昭和15)年から1942(昭和17)年にかけて731部隊や1644部隊等によって、次の a.f.g.h の通り中国各地に対し細菌兵器の実戦使用(細菌戦)が行われた。

(エ)( 本件細菌戦によるペスト・コレラ被害の内容・程度)

a ペストは、歴史上14世紀頃にヨーロッパで猛威を振るい「黒死病」と恐れられた細菌感染症である。病型としては、腺ペスト、敗血症ペスト、肺ペスト、皮膚ペストなどがある。一般に、軽微な前駆症状の後に突然に悪寒をもって持って発熱し、激烈な頭痛、めまい、吐き気、嘔吐を伴い、速やかに高度な心臓障害及び血管障害が起こり、身体に色濃い斑点が現れ、痙攣を起こして、大変な苦痛のうちに死に至ることも多い。ただし、現在ではサルファ剤や抗生物質によって治療が可能になっている。





731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

三月十八日


午前中は射撃訓練アリ 午後二三列にて巡察 拾八列車帰隊す 零下八度 晴 風あり

支那に於ける治外法権に対する国恥記念日也。軍隊総出の警戒

中隊の総出警戒アリ。第二三列車にて張台子に行き煙台の巡察だ。午前中は射撃に予行演習だ 巡察は行きたくはなし―射撃は嫌だー


大隊の競技大会は此の名撃も(僕のこと)?出るんだって。弱ったことだ。今日の総出警戒の実施原因は 三月十八日は治外法権撤廃運動にからまる支那国恥記念日故 鉄道に対してもこんな警戒が行われるわけである。内地の人々は紙上の支那の各種外交運動に目をそそぎ、その裏を知らねども こうした支那の対外問題にからんでは その裏に夜の夜中までも未然に事故を防ごうとする守備隊の苦心を少しも世は知らぬであろう


決して演習気分で服務することはあり得ないのである。夜煙台駅で一生の話のタネになる様なことをした 手のみでご飯を食べたのだ。食器はなし(鉄でご飯を炊いた故)

箸はなし缶切りナイフはなし おにぎりにして缶詰めを手づかみで食べる電熱器で食べるのも軍人でなければできないだろう。微笑むむすびに肉のサイ?

 


軍都広島での物語

大江健三郎著

「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)

 挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年86日ポツダム書店発行)より

 

エピローグ 広島から・・・・・



僕は原水爆被災白書の運動に参加する。そして僕は、重藤原爆病院長をはじめとする、真に広島の思想を体現する人々、決して絶望せず、しかも決して過度の希望を持たず、いかなる状況においても屈服しないで、日々の仕事を続けている人々、僕が最も正統的な原爆後の日本人とみなす人々に連帯したいと考えるのである。
(65年1月―5月)

 

 



 




原爆初動調査 隠された真実

  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

細菌詩集

731部隊を詠む


とべ しゅん(仮名=ペンネーム)

1644部隊

〈経歴〉

1919年生まれ

1940年 中支那防疫給水部栄1644部隊に配属

1944年 帰国。召集解除

■この証言は『詩人会議』(1995年7月号)所収の文章に、これまで発表された詩と文章を加えてまとめたもの。


伝染病菌の検索と研究

続々細菌詩集 ペスト

浙江省G県S村で鼠疫発生

380余戸の内で320名が死亡

いつまでも「鼠疫小心」の貼紙が

土の家の白塗りの壁に張られている


タブロイド型の申報(しんぶん)が

鼠疫流行を報じても

日本軍の攻撃とは

書かれはしなかったが

細菌戦争はとっくに見破られている

(『詩人会議』1993年10月号より)





●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北


2 華北

4 山西


遺族裴喜狗の告発書(1954年9月13日)

 同年、旧暦10月2日午前9時頃、英雄街の柳五則が西門外に出て食料を買った帰り、憲兵隊の門前を通ると、車が1台止まっており、車には縛られた3人が乗っていて、その中に私の弟の裴胖狗と郭金富がいるのを見た。

柳五則は十字街まで来た所で私と出会うと、憲兵隊が弟と郭金富そしてもう1人知らない人間を縛って自動車に乗せ、どこかへ連れて行った、と語った。

私は彼の話を聞くと、すぐ自転車に乗り西門外に行って探したが、影も形もなかった。西面外から戻り、西街朱家巷口のうどん屋に行くと、そこで会った秦改蓮(女)の聞き込んだところでは、弟たちは府上の日本陸軍病院に連れて行かれたらしい、ということだった。

 翌日、任連生(憲兵隊の密偵)の弟の任連登が私の家にやってきて、陸軍病院の軍医湯浅謙が昨日あんたの弟の胖狗を生きたまま解剖して殺した、と話した。したがって、私は前述の罪は湯浅謙がその責めを負うべきだと考える。

(1)119-2、81、1、第9号




 


 


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか


2  毒ガス戦に対する参謀本部の意識

イタリア軍・日本軍の毒ガス戦と国際勢力

ところが、国際連盟でイタリアの侵略に対する非難・制裁決議が為されても、毒ガス問題については大きく取り上げられた形跡がない。多くの特派員がこの問題を報道し、エチオピア皇帝が国際連盟に対して1935(昭和10)年12月30日にイタリア軍の毒ガス使用問題を電報で訴え、36年6月30日の連盟での演説でイタリアの行為を告発したにも関わらず、である(ズバラグル・マルコ「イタリア軍の毒ガス作戦ーエチオピア戦争での毒ガス使用をめぐってー」)。

また、フランス軍では、周知の事実であったこの問題に特別の関心を払ったようには見えないという(前掲『ムッソリーニの毒ガスー植民地戦争におけるイタリアの化学戦―』。

 




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第7章 残虐な毒ガス戦


動かしようのない事実



付記:将軍の証言

 西の通りへ来ると、1人の老人がこちらにやって来て、尋ねた。「同志、薬はあるかね」「どうしたんだ」と周さんが尋ねると、「私の嫁が、田舎者で物惜しみなばっかりに、日本の鬼が落とした帽子を拾って頭に乗せたら、頭が腫れ上がって今にも死にそうだ」「あんたの手は?どうして包帯しているの」私がそういうと、「嫁が依った帽子をもったいないと思って拾ったら、こうなった。だが私は大丈夫。可哀想なのは嫁だ・・・」「わかった。もう言うな。我々は医者じゃない。要塞の衛生所に早く行くんだ」。

 我々は城皇廟の中に行った。見渡す限り瓦礫の山、私は手近にあった白石灰を拾い、門のそばの大きな石碑に書き付けた。「あな憎し、鬼の毒や!」




加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

懐柔

捕虜を密偵に仕立てようと画策

大井憲太郎

特捜班長 警佐兼地方保安局属官

〈略歴〉

本籍地 長崎県西彼杵郡

出身階級 雑貨小売商

学歴 私立長崎貿易商業学校4年中途退学

職業 市役所事務員

所属部隊名 旧満州興安総省警務庁特務科

被捕年月日場所 1945年11月25日

長春市祝町朝日ビル3階

年齢46歳


その翌朝、監視の棚町に「奴、飯食ったが」と尋ねると、「昨日の包米もまだ手をつけない」という答えが返ってきた。

「そうか。あの体つきでは、そのうちにきっと本音を吐くだろう」

とうめいた私は、曲を監房から引きずり出させた。

曲は紫色になった唇を震わせながら、落ちくぼんだ眼を据え、ぐっと私を見つめた。

「どうだ、本当のことを言えば、苦しい目にあわんですむんだ。言わねばまたやるぞ」

「知らんと言ったら知らん」

「そうか、まだ苦しみ方が足らんのだろう。今度は少し温めてやろう」

と机の中から太い線香を取り出して火をつけ、手を差しのべて額に突き当てた。






2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス






在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 

5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

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日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第4章 機密国家の復活

1、大日本帝国と国家機密

国家機密の生成

 1880~81年には機密保護法体系の原型となる基本的な立法がなされた。まず80年7月、旧刑法が布告された。その131条は、「本国及ヒ同盟国ノ軍情機密ヲ敵国二漏泄シ若クハ兵隊屯集ノ要地又ハ道路ノ険夷ヲ敵国二通知シタル者ハ無期流刑二処ス 敵国ノ間諜フ誘導シテ本国管内二入ラシメ若クハ之ヲ蔵匿シタル者亦同シ」と定めていた。ついで翌81年12月には陸軍刑法、海軍刑法が布告された。陸軍刑法は第54条に、「軍人敵ヲ利スル為メ土地道路ノ要害険夷ヲ指示シ若クハ攻守ノ用二供ス可キ図書及ヒ暗号記号ヲ開示シ其他軍機軍情ヲ漏洩スル者ハ死刑二処ス」の規定をおき、海軍刑法第60条も、ほぼ同様の条文であった。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅰ 生物・化学兵器を告発する

3、沖縄―核だけなく毒ガスも

沖縄基地の毒ガス事件

 米軍毒ガス兵器の中核で、大気中に放出されると、他のガスに比べ長時間効力を失わないため最も致死率が高く、わずか数ミリグラム吸っても数秒間以内に死亡するほか、人工呼吸や特殊な薬剤を使わなければ皮膚呼吸によっても数分間以内に死亡すると言われるVX神経ガスを実戦用に沖縄に配備し、コンテナから漏れたガスによって、これを吸った24人が病院に運ばれた事実を、アメリカの『ウォール・ストリート・ジャーナル』が報道したのは1969年7月18日である。



 




 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産

 1960年代なかば以後、米大統領リンドン・ジョンソンはベトナムでの戦争を拡させ始め、日本の学生は北ベトナムを爆撃するB52が沖縄の基地から発進することに抗議した。佐藤はアメリカの北ベトナム侵略に全面的に協力した。戦争の激化によって、アメリカにとっての日本と沖縄の重要性はともに高まった。64年10月、中国が最初の原爆実験を行った。その2年後、文化大革命の混乱に陥りつつあるなかで、中国は東アジアのどこへでも核弾頭を打ち込めるミサイルを試射した。ワシントンの消息筋には、大陸中国が間もなく核兵器の備蓄を始めることがすぐに知れわたった。これは、沖縄の重要性がいっそう増すことを意味した。米中関係は見直す必要があった。



  

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?





● 核実験

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内容

当条約の原文は、国連公用語である英語・フランス語・ロシア語・中国語・スペイン語・アラビア語で、国際連合の公式ウェブサイトに掲載されている。
なお日本は不参加のため外務省の公式な翻訳はないが、外務省は英文、暫定的な仮訳、日本国政府の考えを掲載中。
当条約は前文と20の条文から構成される。
前文では核兵器の非人道性、全廃の必要性、安全保障上の利益、「核兵器のない世界」の達成、国際人道法、過去決議との関連、法的禁止、平和利用、教育の重要性などを締結国の認識と記載した。


 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した





           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!






















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