2021年12月14日火曜日

細菌戦の系譜!!

                




















































































日本は戦争を起こしたことを全く謝罪しなくていいのだろうか??

1213日は、南京陥落の日、日本政府は中国に謝罪声明を出さないのだろうか??

映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)

川崎の徴用工 故・金景錫の闘い お話:梓澤和幸弁護士
2021 9 25加藤講演第1回目
絶望的な核開発!!
トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)

●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)

●2021 9 17 浅井基文講演


『BCGと人体実験』 美馬聡昭著

731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
防疫研究室と昭和天皇の関係
1940年と2020年の東京オリンピック
731部隊と国立感染症研究所の問題
731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
ABC企画委員会
731部隊・100部隊展
記憶の継承を進める神奈川の会

対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー


20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」




加害の事実に触れない政府主催の全国戦没者追悼式反対!!
空襲被害者を救済せよ!!

日航機墜落事故の原因を究明せよ!!

《今も胸に 日航機事故36年》最期の様子、知りたい 生データ開示求め訴訟 夫を亡くした吉備素子さん





今年のパネル展
11月14日(日)~19日(金)

●加藤哲郎講演会(一橋大学名誉教授)

11月16日(火)18:20~(開始予定)

「新型コロナ・パンデミックと731部隊・100部隊の影」

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円

●森川聖詩講演会(神奈川県原爆被災者の会二世・三世支部)

「核なき未来へ 被爆二世からのメッセージ」

11月17日(水)18:20~(開始予定)

会場:クリエイトホール11階の視聴覚室(定員72名)

資料代500円



2020年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート

11月17日(水)

森川聖詩講演についての感想

・とてもよかった。じっくり見ようとすると時間が必要。

・非常に中身の濃い御話で良かった。

(40代、市内)



















原告たちのあまりに理不尽な被害

JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子

         昭和への挽歌   野崎忠郎

                







自衛隊における731部隊の記述

「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より

d旧日本軍の細菌戦活動

旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」

 

長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)

・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。


『日本医学百年史』195711の731部隊の記述

日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236

「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。

昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。

勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。

 細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」



第3章 生物戦の愚かな第1歩は、日本の731部隊からはじまった





731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回

731部隊と人権ー裁判から考える

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第5回

731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6

「登戸研究所と731部隊」(お話:山田朗さん)


731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第7

「731部隊について」(お話:五井信治さん)




パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」
      医学と人権を考える―

石井 四郎(いしい しろう)
経歴及び関連項目
1930(昭和5)年 欧米視察帰国後細菌戦準備を力説する
      8月、陸軍三等軍医正(少佐相当官)に進級。陸軍軍医学校教官
1931(昭和6)年11月関東軍100部隊の前身、関東軍臨時病馬収容所が瀋陽(奉天)に設立される
1932(昭和7)年8月、陸軍兵器本部附 兼 陸軍軍医学校附 防疫研究室が新設され、その主幹となる
      細菌戦の研究を始める
      夏、石井四郎ら防疫研究室メンバーが満州に行く
1933年4月関東軍臨時病馬収容所が細菌研究室を設立、関東軍第100部隊による細菌戦準備が始まる
      8月陸軍軍医学校防疫研究室が秘密裏にハルピン市宣化街に移転。現在の五常市背蔭河鎮付近  
      に細菌実験場を置いた。加茂部隊、石井部隊と呼ばれるもので、731部隊の前身である
        10月東京新宿戸山に陸軍軍医学校防疫研究室新築完成
1934年9月背蔭河細菌実験場で脱走事件が起こり、人体実験の秘密が暴露される



 


隠された毒ガス兵器


小津安二郎も毒ガス部隊だった

『従軍日記』 小津安二郎

森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!! 
    

※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!

「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授


  新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】

1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された

歴史改ざん(「風を読む」)


     

 

 

●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。


日本政府は、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に、立ち向かうべきだ!!

 

 

東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫

元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉

「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」


1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日  731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日   731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日  731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日  731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した 
8月  731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月  100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置







 

 

1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察

 

 

731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。


NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日


 

●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!

 

731部隊被害者遺族の訴え!!        

 

東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?

1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが

何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?


実験医学雑誌第18巻雑報



18巻3号(1934年)

学友会へ寄付

金123円83銭  佐野忠君

金31円80銭   宮川米次君

金40円70銭   谷茂君

金18円12銭   木村政長君

         臼井仁君

         佐々木英一君

金42円21銭   木村政長君

         臼井仁君

         国重太郎君

         中込亙君





  伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より 

 

   

この新型コロナウィルスがどこで作られたかは分からないが、細菌戦の系譜をたどると、日本は、戦時中、1925年のジュネーブ議定書を無視して、中国で細菌を製造し、細菌戦を行なった。戦後、731部隊での研究データをアメリカに渡し、731部隊員は全員戦犯免責され、アメリカは生物戦の研究を本格的に始めた。
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?

 

 

●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)

「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって 

本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。


第6部

資料・731部隊細菌戦裁判

第1審判決全文

第5 当裁判所の判断

6 被告の立法不作為による損害賠償請求について(争点6)

(4) そこで次に、上記細菌戦の事実が国際法上どのように評価されるのか、そしてそれが中国と我が国との国家間でどのように処理されているのかについて見てみる。

イ  しかし、ジュネーブ・ガス議定書において細菌兵器の使用が禁止されたことは明らかである。そして、もともと細菌兵器は、これが戦闘の目的と比較して不相当な性格のものであるとの従来からの少なくとも黙示的な共通認識を前提にジュネーブ・ガス議定書で明示的にその使用が禁止されたものと解され(当事国は前記の通り125か国である。)同議定書は1928年(昭和3年)には発効したから、遅くともそのころまでには多数の国家の行態の中に同議定書に対する法的確信が確認されるに至り。もって同議定書を内容とする国際慣習法が成立するに至っていたものと認めるのが相当である。そして、前記認定の旧日本軍による中国各地における細菌兵器の実戦使用(本件細菌戦)がジュネーブ・ガス議定書にいう「細菌学的戦争手段の使用」に当たることは明らかである。






731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?

     731部隊の行なった細菌戦


 

●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!

安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難

 

           

2013年5月12日、安倍晋三は宮城県東松島市の航空自衛隊基地を訪問して、機体番号が‘731’であるアクロバット飛行団訓練機の操縦席に座りサムズアップして写真に収まった。

           

731部隊全景(中国に於いて人体実験を繰り返し、細菌兵器を開発し、中国各地で細菌戦を行なった。)
旧満洲第731部隊軍医将校の学位授与の検証を求めます!

731部隊新発見公文書の中身とは 細菌研究を明記

 

 

 

 

 日本の中国東北侵略から90年

●『1931 満州鞍山守備兵 斉藤準太郎の日記』

 

 

「1931」斉藤準太郎の日記

三月二十六日

射撃アリ 監的手として朝早く行く 珍しく北風にして非常に寒くやり切れない 晴 風寒し

北風吹き来る中に監的手として射撃場に行く あまり此の日記に射撃射撃と書き出してある故に一度kの割合に平凡なる内に あたりの地形を書き出して又昔の思い出にして見よー?

先中隊を出て 左の折れて真っすぐに進めば 右には満鉄高級社員の舎宅を見つつゴルフ山(名前の如くゴルフの芝山)に上り 先にゆく事五十余松林の山が 右に満鉄の農園が 一望十里に見える

春に呼び起こされて立ち働く支那人が 行儀よく揃って仕事をしている。主としてリンゴ畑に使用され 又所々に小さい建物がある。


荒れ果てた南満の馬賊の巣のような高粱畑が やがて其の大なる我々の手によって 白く咲きそろふリンゴの花見となるのも 遠き時期ではあるまい 余談はさておいてその所を通り抜ければ 又と雄飛た日本人が一幹又一幹 淋しい孤独の生活に命をゆだねてやはり未来の果実園を志している 涙のこぼれるようだ ようやくに射撃につけば三方は山に囲まれて梅林の防火地帯が心地よく春の日にさらされている。


 


軍都広島での物語

原爆詩集
峠三吉
・・・一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。

       炎


き当った天蓋てんがい
まくれ拡がった死被しひ
垂れこめた雲の
薄闇の地上から
煙をはねのけ
歯がみし
おどりあがり
合体して
黒い あかい あおい炎は
きらめく火の粉を吹き散らしながら
いまや全市のうえに
立ちあがった。

 

 

 



 




  日本は、日中戦争で国際法に違反して、細菌戦、毒ガス戦、無差別爆撃を行った。日本政府は、この事実をきちんと認めていない!!

 

●『細菌戦部隊』

731研究会編   1996年9月(核時代51年)初版発行


Ⅱ 関連部隊・支部

細菌詩集

731部隊を詠む


とべ しゅん(仮名=ペンネーム)

1644部隊

〈経歴〉

1919年生まれ

1940年 中支那防疫給水部栄1644部隊に配属

1944年 帰国。召集解除

■この証言は『詩人会議』(1995年7月号)所収の文章に、これまで発表された詩と文章を加えてまとめたもの。


滅亡海峡

不幸なことには おれら生きて残り

あいつらは雷撃を食らって

海峡の底に沈んだ

おもたい記憶を背負って

くらい海峡がおれのなかにあるけど

おれはいつも渡り切れないでいる


ものの言えないあいつらに代わって言う

繰り返して言う

ふたたび

おれらを

わかものを

殺すな!

(『詩人会議』1981年10月号より)






●証言

生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)

中央档案館

中国第2歴史档案館

吉林省社会科学院編


江田憲司

兒島俊郎

古川万太郎編訳






Ⅰ東北


2 華北

4 山西


湯浅謙自筆供述書(1954年11月20日)

以下の述べるように、1年に2回だけ行われ、合わせて4名(うち1名は手術せず惨殺した)であった。1944年4月初め、私が前述の潞安陸軍病院で庶務科兼内科室の軍医中尉であった時、院長の軍医少佐酒井満の命を受けて、潞安城内東南角独立歩兵第245大隊(畳第1476部隊)本部から、同本部の軍医大尉(高級軍医)松岡猪一郎と事前に連絡したうえで、2名の捕虜を連行し、これを本病院軍医及び独立歩兵第14旅団配属の十数名の軍医が、手術練習を行う対象とした。私は眼球摘出手術を練習するため、軍医を助手として練習をした。もう1名の捕虜に対しては、部隊に配属された新任の軍医に野戦気管切開器の使用法を伝種するため、気管切開の手術をして見せた。演習終了後、衛生兵に命じて解剖室東側の築山の横に埋めさせた。

 


 


●毒ガス戦

・『日本軍の毒ガス兵器』  松野誠也著

第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか


3 毒ガス兵器から見た日本軍の諸相

日本軍と毒ガス兵器① 支那派遣軍の毒ガス兵器に対する意識

 そして高級将校もくしゃみ性・嘔吐性ガスの威力に注目していた。既にみてきたように、武漢攻略作戦での岡田資(たすく)将軍の場合では、最初は否定的でも苦しい戦いを余儀なくされる中でその威力に注目して肯定していった。そして、細菌戦の実施に真っ向から反対した沢田茂将軍の場合でも、くしゃみ性・嘔吐性ガスの使用を奨励していたのである。将軍たちの意識として、致死性の高いガスの使用は問題だが、くしゃみ性・嘔吐性ガスについてはまだ許容される範囲にあるので、作戦を成功させるためには必要だと判断していたと思われる。




・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)


第8章 無辜の被害者

河北定県北瞳(ペイトワン)村事件

 1942年5月下旬、日本軍第110師団は約1500名の兵力を動員し、河北省安平県安平北の滹沱河(トウオホー)と瀦龍(チューロン)河の間で「冀(チー、河北)中侵略作戦」を展開した。日本軍は大量の毒ガス兵器の使用により、定県北瞳村の地下道に避難していた農民を虐殺、800余の無辜の市民を毒ガスによって窒息死させるという事件を引き起こした。

 1942年5月26日、日本軍は主力をもって中国八路軍のゲリラ隊を包囲攻撃、27日払暁、付近の東城、西城、東湖、太平湖、解家荘の5か村の全農民を北瞳村に追い詰めた。




加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用









 

 

 

日本軍の毒ガス戦と遺棄毒ガス問題








 

●『三光』     中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)

核時代39年(1984年)5月初版発行


日本鬼子(リーベンクイズ)

懐柔

捕虜を密偵に仕立てようと画策

大井憲太郎

特捜班長 警佐兼地方保安局属官

〈略歴〉

本籍地 長崎県西彼杵郡

出身階級 雑貨小売商

学歴 私立長崎貿易商業学校4年中途退学

職業 市役所事務員

所属部隊名 旧満州興安総省警務庁特務科

被捕年月日場所 1945年11月25日

長春市祝町朝日ビル3階

年齢46歳


棚町は、曲の腕をぐっとつかんで廊下に引っ張り出すが早いか、腰にかけて投げつけた。どっと倒れた曲は、ガバッと体を起こし、襟首をつかもうとする棚町の手を鷲掴みにして、ぐっと押した。棚町はよたよたと後ろに押された。これを見た私は、後ろに回って足を払った。虚を突かれて曲の体が倒れると、棚町は馬乗りになって首を締めたうえ、さんざん顔を殴りつけた、







2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)

 



    


    

●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!


日本の毒ガス






在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。

 訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。

 米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。

 CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。

 今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。


CBRNとはchemical weapon:化学兵器、biological weapon:生物兵器、radiation:放射能物質、nuclear weapon:核兵器を意味する。従来はCBRだけで用いられることが多かったが、近年は核兵器Nを加えてCBRN(日本語ではシーバーンと発音する)として用いることが多くなっている。

●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?

- 731 部隊関連資料の情報公開裁判の傍聴支援をお願いします ー 

5 人の証人(防衛省職員)が認められ以下の日程で証人尋問を行います。
 ・12 月 20 日(月)午後 2 時
 ・1 月 14 日(金)午後?時
 ・1 月 24 日(月)午後?時



◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する

情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。

連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp


日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)

            藤井治夫著

第4章 機密国家の復活

1、大日本帝国と国家機密

機密国家の悪夢

これら個別の機密保護立法を集約するものとして、太平洋戦争の前夜、1941年3月7日公布され、同年5月10日施行されたのが国防保安法であった。同法は、軍機保護法とならんで秘密保護法令の二大支柱であった。国防保安法が直接の目的としたのは国家機密の保護である。すなわち「部分的、局部的な秘密ではなく、綜合された重要機密を保護すべき直接の規定」(大竹武七郎『国防保安法』10ページ)をもつものであった。「軍機保護法ハ軍事上ノ秘機ヲ保護スルト云フコトヲ目的トシテ居リマスノデ、軍機保護法二依ツテ国防保安法ガ目的トシテ居リマス外交、政治、経済等ノ国家機密ヲ擁護スルコトハ出来ナイノデアリマス、此ノ二ツニ依リマシテ初メテ国家ノ軍事上ノ機密卜、他ノ軍事以外ノ機密ノ擁護ガ出来ル」(寺沢音一編著『国防保安法』釈義篇25ページ)と説明されている。


1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊



 


●『BC兵器』久保綾三著(1969年)

Ⅰ 生物・化学兵器を告発する

3、沖縄―核だけなく毒ガスも

秘密の中のBC兵器

したがって「液状VXに接触すれば、VXの経皮効果により、装面(防護器材の装備)している部隊人員といえども死傷となることが予測される」だけでなく、「多くの不確定要素をもっているため、直接あるいは間接の液状汚染による死傷率の効果的な見積りは困難であり、死傷発生数は、防護装備品の装着、攻撃後の部隊の防護行動等の成否に左右される。ただし汚染後、2乃至12時間経過して化学死傷が発生することは予測できる」(阿達憲「新しい化学剤及び生物剤の用法」『化学学校記事』第11号)のである。しかも、自衛隊においても、兵器としてのVXガスの性能については、「不確定要素をもつ」と表現しなければならない程度にしか把握していないのがどうかはともかくとして、それほど新しく開発されたガス兵器で、秘密にされている兵器であることにかわりないのである。

 




 


 

 ●昭和天皇の戦争責任を問う!!


天皇万歳に浮かれる無責任国家  田中利幸より

重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。


 


 



●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)

吉田裕監修 

 

2001年ピュリッツァー賞受賞

 

※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!


戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
  

     



4部 内省なきその人生

1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年

 

第十七章  静穏な晩年と昭和の遺産

 1975五年9月、天皇と皇后はアメリカ一国を訪問した。それより5年前、首相の佐藤栄作は経済摩擦緩和のための訪米を天皇と検討していたが、実際に準備が始まったのは1973年になってからだった。出発にあたり、74歳の天皇は『ニューズウィーク』の記者バーナード・クリッシャーの独占インタビューを受けた。クリッシャーの11項目の質問は、75年9月22日付の『朝日新聞』の夕刊が報じたが、そのひとつは「戦争終結に当たって陛下が重要な役割を果たされたことはよく知られていますが、日本を開戦に踏み切らせた政策決定過程にも陛下が加わっていたと主張する人にどうお答えになりますか」という質問だった。天皇は次のように答えた。

 戦争終結時に私は私自身の決定をした。というのは、首相が閣内で意見をまとめあることができず、私に意見を求めてきたからで、私は自分の意見を述べ、自分の意見に従って決定した。戦争開始の際は閣議決定があり、私はその決定を覆すことができなかった。私はこれは日本の憲法の条項に合致すると信ずる。 


  

 

日本国憲法9条

第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】

①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


RENUNCIATION OF WAR Article 9.

Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.

In order to accomplish the aim of 
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.

 



731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!

 

日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?

●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!


※私が考える、今の異常気象の要因は

1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響

2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象

3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱

4、自動車社会の排ガス

5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?





● 核兵器禁止条約

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。

署名国         署名日          批准日 (締約日)
エクアドル       2017年9月20日      2019年9月25日
エルサルバドル       2017年9月20日      2019年1月30日
フィジー         2017年9月20日      2020年7月7日
ガンビア         2017年9月20日      2018年9月26日
ガーナ         2017年9月20日




 「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】




●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future




●核融合もすべきではない!!

核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について



なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!

       

      

原爆投下された直後、日本は自らが原爆調査をして、731部隊(人体実験や細菌戦)の事もあるので、アメリカの心証を良くしようと考えた。そして科学者を総動員して原爆調査(被爆者を救済するための調査ではなく、原爆の威力調査)を181冊の調査書にまとめて、英訳し、アメリカに渡した。その後、731部隊員は、731で研究したデータを渡し、戦犯免責を受けた。原爆調査書は被爆者の治療には全く生かされず、日本の医学界は、原爆の放射能被害については、何も言及しなかった。そればかりか、その後のアメリカの原爆・水爆実験も批判せず、その被害を過小評価した。そして日本政府が、原子力の平和利用として原発を推進する政策にも、大きく加担している。

XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より

・・・第二次世界大戦中、日本軍は3000人もの医師たちが関わったとされる731部隊により、妊婦や子供まで含めた人体実験が行いました。極東裁判では捕虜虐待死の容疑で死刑に処された軍医幹部もいる中、731部隊関連者は訴追されませんでした。戦後、「研究データを米軍に提供すること」、さらにはなんと、「広島・長崎の研究に協力すること」を引き換えに免責されたのでした。

2010年のNHKの番組で、「(米国への研究データの提供のほかに)原爆調査への協力を731部隊の免責のカードとして使った」という元陸軍軍医の証言がありました。

封印された原爆報告書




水爆実験
水爆実験ブラボーで被爆したのは第5福竜丸1隻ではなく、延べ1000隻近くの漁船が被爆した



           

JCOの臨界事故


福島第1原発事故

核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!

日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病


731部隊(unit731)
昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!





















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