●映画「スパイの妻」と731部隊(2021 10 16加藤講演第2回)
●2021 9 25加藤講演第1回目
●絶望的な核開発!!
●トラウマ
●毒ガスの歴史(フリッツ・ハーバー)
●溥儀(「満洲国」皇帝の生涯)
●2021 9 17 浅井基文講演
●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
日航機墜落事故の原因を究明せよ!!
2021年 パネル展「731部隊 戦前・戦後の医学」アンケート
14日(日)
・731部隊の全景のことと1941年に改名されたことが勉強になった。
(50代、市内)
14日(日)
・731部隊の全景のことと1941年に改名されたことが勉強になった。
(50代、市内)
原告たちのあまりに理不尽な被害
『JUSTICE 中国人戦後補償裁判の記録』(中国人戦争被害賠償請求事件弁護団 編著、高文研)評者:根岸恵子
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
病名は、1873年にらい菌を発見したノルウェーの医師、アルマウェル・ハンセンに由来する。かつての日本では「癩(らい)」、「癩病」、「らい病」とも呼ばれていたが、それらを差別的に感じる人も多く、歴史的な文脈以外での使用は避けられるのが一般的である。その理由は、「医療や病気への理解が乏しい時代に、その外見や感染への恐怖心などから、患者への過剰な差別が生じた時に使われた呼称である」ためで、それに関連する映画なども作成されている。
感染経路は、らい菌の経鼻・経気道よりのものが主であるが、他系統も存在する(感染経路の項にて後述)。らい菌の感染力は非常に低く、治療法も確立した現状では、重篤な後遺症を残すことや感染源になることは無いものの、適切な治療を受けない・受けられない場合、皮膚に重度の病変が生じ、他者への二次感染を生じる事もある。
2018年のWHOによる統計では、世界におけるハンセン病の新規患者総数は、年間約21万人である。一方、日本の新規患者数は年間で0〜1人に抑制され、現在では極めて稀な疾病となっている。
現在全国15の療養所内に約4700名の回復者の方々が生活しています。少ないながらも療養所を出て社会復帰した方々もいます。1907年(明治40年)から1996年(平成8年)まで、90年にわたり患者は国の強制隔離政策の対象とされてきました。
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
1929年12月24日~1930年1月4日、長與又郎、1930年4月22日~?宮川米次、1930年4月23日~?宮川の娘婿の岡西順次郎が中国へ出張しているが
何をやっていたのか?宮川の支那漫談とはどんな内容なのか?
実験医学雑誌第18巻雑報
18巻5号(1934年)
学友会へ寄付
金7円87銭 安川隆君
手塚悦郎君
金117円99銭 新見正喜君
昭和9年4月中職員異動調
発令月日 異動事項 官職 氏名
3.31 満期退学(陸軍派遣研究生)
1等獣医 辻嘉一
〃 同 1等軍医 碇常重
〃 依願免本官 教授 林春雄
3.31 任伝染病研究所技手 石原守
〃 同 五十嵐正治
〃 同 大竹巌
〃 同 能美貫一
〃 同 宮本正治
〃 同 大久保關
〃 伝染病研究所業務嘱託を解く
石原守
〃 同 五十嵐正治
〃 同 大竹巌
〃 同 能美貫一
〃 同 宮本正治
〃 同 大久保關
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第6部
資料・731部隊細菌戦裁判
第1審判決全文
第5 当裁判所の判断
6 被告の立法不作為による損害賠償請求について(争点6)
(5)そこで、前記の事実及び説示を前提に、被告の国会に立法不作為の違法があるかどうかについて判断する。
エ さらに、原告らは、平成5年の井本日誌の発見以降の事実経過から、遅くとも最高裁平成9年8月29日第3小法廷判決(民集51巻7号2921頁)から2年を経過した平成11年8月には本件細菌戦被害者の救済措置立法に係る不作為が違法になったと主張している。
しかし、原告らの上記主張は、独自の判断基準に基づくものであって、これによって当該立法不作為が違法であるとは言えないし、当裁判所の判断基準によっても、原告らの言う様な事情によって国会が本件細菌戦被害者に対する賠償ないし補償措置立法をする義務が一義的に生じていたとすることはできない。
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
四月三日
晴 風あり 午前五時半起床す 射撃アリ あと二日後には競技会があるために休みも午後三時半迄少しの休みなくしぼられる しかも昼食ご飯もたべずに。
此の前の面白い非常識な答の中心たる 神武天皇祭にして休業なり 然しーしかしー
今日ぐらい腹の立ったことはない。射撃に行ったはよいが北風の為に影響か 当たらない事おびただしい。何分特さん二人が夢中に気合をかけるんだからやりきれない。伍長勤務までが早掛するんだからね。朝八時に行き午後三時半迄 ご飯も食べずに早掛に据銃演習・予行演習に目の回るくらいしぼられた。休みの事やご飯を食べられない事からみんな不平顔でいる事おびただしい。
顔は砂で痛くなり、弾は当たらないー射撃が、つくづく嫌になった。中隊に帰って来たが前期兵ばかりが集まれば必ず不平の言葉ばかりだ。
寝台に横たわって軍隊生活の嫌さを語る者や下士志願する者を笑う者、果ては幹部にたてつく者本当に蜂の巣をつついたようだ。本当に頑固ーなんて始末に悪いものだ。然し今日はほんとうに駆け引きのない所嫌になった自分の体に。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
解説―栄1644部隊
(近藤昭二)
戦後、長らく731部隊と同様に、この部隊の事は表沙汰になる事はなかった。が、たった1度だけ、公の場に登場した。1946年8月29日、東京裁判の法廷で中国代表のサットン検事が、南京の中国戦争犯罪委員会の提出した報告を朗読した、その中に出て来たのである―
「敵多摩部隊は俘虜となれる我が人民を医薬試験室に連れて行き、各種有毒細菌をその体内に注射し、その変化を実験せり、この部隊は最も秘密の機構なるを以って、之に因りて死亡せるものの確数は明白ならず、医薬の実験の為に犬猫を犠牲にする事さえも任者の忍びざる所、況や我が俘虜同胞を実験に供するのは、誠に犬猫にも劣れる取扱いなり、哀れまざるべけんや」(「東京裁判公判記録」)
ウェッブ裁判長は、この実験について更に証拠を提出するようにサットン検事に促したが、当時、隠密裡に日本の細菌兵器の独占調査を進めていたアメリカ側の拒絶にあって、この件の審理はそれ以上進まず、以後、遂に東京裁判では裁かれずじまいに終わった。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
Ⅰ東北
2 華北
4 山西
湯浅謙自筆供述書(1955年)
身の毛のよだつような殺人手術が始まった。軍医たちは眼を異様に光らせて手術台の周りを取り囲んだ。外科主任の音羽軍医が、部隊の若い軍医たちに腰椎麻酔の方法を講義した。「なんだって、皮膚の消毒がいるって。どっちみち殺すんだ、必要あるか、はははは、力を入れて刺せばいいんだ」。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第7章なぜ日本軍は毒ガス兵器に依存して戦いを行ったのか
3 毒ガス兵器から見た日本軍の諸相
日本軍と毒ガス兵器② 陸軍の軍事思想と毒ガス
このような軍事思想を基礎として日本陸軍は、奇襲や急襲を重視した積極的な用兵によって初動の段階で相手側に先制的な打撃を与えて戦場の主導権を握り、相手側に立ち直る余裕を与えないまま捕捉・殲滅して作戦目的を速やかに達成するという、〈先制主導〉・〈速戦即決〉・〈殲滅戦指向〉を基軸とした攻勢主義的な戦術思想を理想とした。
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第8章 無辜の被害者
河北定県北瞳(ペイトワン)村事件
同日、「晋察冀日報」は「敵、冀中において毒ガス放射、北坦の同胞800人が非業死、必ず深い恨みに報復す」と題し、前述の檄文を全文転載し、日本の侵略者が引き起こした北坦村事件に血と涙の告発を行った(『細菌戦と毒ガス戦』464~471頁参照)。
加害の歴史」北九州市の毒ガス工場 第二次世界大戦で旧陸軍が使用
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 1972年初版発行)
藤井治夫著
第4章 機密国家の復活
2 機密保護立法の動向
このような外交・軍事の分野における行政審査の現況は、かつての軍法会議、あるいは国防保安法における特別刑事手続を想起させるのである。もちろん公正審査会は特別裁判所ではないし、終審としての裁判を行なうものではない。その機能はちがうが、体質としては軍法会議の復活といっていい。陸軍軍法会議法第90条および海軍軍法会議法第90条は、「弁護人ノ数ハ被告人1人二付2人ヲ超ユルコトヲ得ス」としていた。国防保安法第30条も全く同文であった。裁判は多くの場合、安寧秩序を害する恐れがあるとして公開を停止された。公開されたときにも弁護人は国家機密、軍事上の秘密、官庁の機密について陳述することを禁止された。防衛庁が小西3曹の公正審査でとっている態度は、まさにこの再生なのである。それを許す規定がすでに自衛隊法、外務公務員法のなかに、設けられているのである。これがほんものの軍法会議の復活につながっていかないという保証はない。憲法改悪の重要な狙いの1つが、国防軍の公認とともに特別裁判制度の創設におかれていることを忘れてはならない。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
Ⅰ 生物・化学兵器を告発する
3、沖縄―核だけなく毒ガスも
目に見えない恐怖
そして、これらのCBR兵器は、弾頭を赤く塗り潰した弾丸に詰められているという。
さる8日の毒ガス事件以来、知花地域に出入りする人たちはすべてチェックされ、米情報部隊(CIC)も特別班を急遽編成して、秘密保持に当たっているという。
ベトナム戦争に出動する兵隊たちでごった返した65年の夏、米軍の救急車2台と化学消防車1台にMP カー数台を従えてやってきた大型トレーラーが、桟橋から陸揚げされたアルミ製の容器に入った貨物を乗せ、知花方面へ向け運行中、具志川市のど真ん中で、前方から飛び出してきた小型車にぶつけられそうになったという。この小さな事故でも、一々調べる米軍MPカーは、この時は、さっさと逃げるかのように姿を消したという。
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第十七章 静穏な晩年と昭和の遺産
Ⅴ
天皇の訪欧と訪米は、その前後のインタビューとともに、長く蓋(ふた)をされてきた彼の戦争責任問題に日本国民の目を向けさせた。しかし天皇自身には、外国訪問もインタビューもそのような効果はなかった。彼を過去と向き合うようにさせたのは、もっと個人的な出来事だった。よく知られた雑誌『文藝春秋』の75年2月号に、弟の高松宮による戦争の回想記が掲載された。天皇は76年の1月にその記事のことを知ったようである。ジャーナリスト加瀬英明の質問に対して、高松宮は自分がハト派だったのに対し、天皇は向こうみずなタカ派だったことをほのめかしている。1941年11月30日、高松宮は5分ほど天皇に会い、海軍は2年以上は戦争を続ける自信がないと警告した。彼はミッドウェー海戦の直後にも兄に戦争終結をうながす手紙を書いたと述べている。そして44年6月には軍令部の会議で「すでに・・・・絶対国防圏が破れた以上、・・・戦争目的を、いかにして、よく敗けるかという点に置くべきだ」と発言して周囲を驚かせた。高松宮は降伏以前に、天皇を退位させることも近衛と話し合っている。
日本国憲法9条
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
● 核兵器禁止条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
核開発に反対する物理研究者の会通信
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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