●731部隊 ペスト研究、攻撃用か(1988年朝日新聞)
●防疫研究室と昭和天皇の関係
●1940年と2020年の東京オリンピック
●731部隊と国立感染症研究所の問題
●731部隊 行動示す新資料・埋もれた公文書
●ABC企画委員会
●731部隊・100部隊展
●記憶の継承を進める神奈川の会
対話前に政治犯解放を 民主派「首相」が訴え―ミャンマー
情報公開裁判
米中の生物兵器開発?
20201107 UPLAN 西里扶甬子「生物戦部隊731研究の現在地~今を生きる日本人が知るべきこと」
3月3日の『化学学校記事』の傍聴
第6回 戦争の加害パネル展
(感想)
5月6日(木)
5月2日(日)
2、戦争のことで発言や詩など沢山当たってきました。平頂山の事は細かく発言できます。NHKテレビで発表されたこともありますので・・・。子どもの頃、10歳から15歳まで、釜山にいました。その頃の人種差別を昨年発表させてもらいましたが、朝鮮人の苦しみ、人種差別、教育問題、その当時の戦前のいろいろ内地の事(内地とはその頃の日本の家庭生活)。
長い時間立って展示物の見学をしていましたので、疲れて文字が乱れます。私は戦争毎日何か発表しなくてはなりませんね。この様な内容(日本の罪)を常にどこかで、若い人に知ってもらいたいものです。もう年で動けませんが、資料をいくらでも欲しい。大勢の人に語りたい。
(女性、80代以上、市内、息子から)
自衛隊における731部隊の記述
「部外秘 参考資料 CBR講習資料」11頁 作成日時不詳 陸上幕僚監部化学科より
d旧日本軍の細菌戦活動
旧日本軍の石井部隊は又の名を関東軍防疫、給水、731部隊、加茂部隊、特25204部隊と呼ばれた。細菌戦闘専門の特殊部隊であった。隊の設立は昭和6(1931)年で満州の研究所完成は昭和10(1935)年である。日本軍細菌戦部隊の本拠は満州ハルビン郊外濱江省(ひんこうしょう)双城県平房の4階建近代建築でその中で遮断隔離の生活をしていた。設備は爆撃機(細菌撒布用)10機、1000kwタービン発電機2台である。この本部の元に、孫呉、海拉爾(ハイラル)、牡丹江、林口、大連の5支部があり、大連のものは大連研究所または松林機関とも言われていた。他の部課は細菌の攻撃方法、容器散布方法、防疫問題を研究していた。最も力を入れたのはヒタツリ菌(注:脾脱疽菌)であった。この菌を粉末にして榴散弾の70g位の鉛製弾子に混ぜ、これを砲弾内に詰め、炸薬が爆発すると弾子が飛散して人馬に感染さすようになっている。実験場所は731部隊研究所から北に300(?)㎞ばかりのアンダ飛行場を使用した。そして砲弾が爆発しても菌の40%は生きていること及び培養器に飛ばされた菌は確実に付着する事、負傷者は発病することが確認されている。1938年中国廬山の戦闘で日本軍が毒ガス、ホスゲンを使用したという2,3の細菌記録がある。この記録を持つ731部隊は1945年8月9日午前6時ハルビンの工兵、歩兵、砲兵によって徹底的に破壊され付属設備は地上から姿を消した。ソ連の対日参戦による退却の結果である」
長岡大学 研究論叢 第16号より(2018年8月)
・・・731部隊に関する概要が正確に記述されており、更に1938年に毒ガスを作戦で使用したことまで記している。これは化学学校の教育部長が、特殊課程の学生に講義した内容である。内容は事実であると確認して行ったと考えるほかはない。戦後自衛隊は731部隊の実態とその活動を把握した上で、何ら反省することなく自衛官に「教育」してきたのである。また教科書裁判では日本政府は長きにわたり731部隊の活動の事実認定さえ回避してきたが、陸上自衛隊の内部教育資料にも明記されるほど、自衛隊幹部周知の事実だったのであり、日本政府は一貫して内外に虚偽の主張をしてきたと言える。
日本医学界では731部隊の反省は戦後全くなされていないが、以下の書に731の記述が記されている。
『日本医学百年史』第4章 戦時体制下の医学 全体主義思想p236
「このようにして日本の医師の戦争政策への積極的な協力が行われていったのであるが、直接的な戦闘行為への協力の中で極めて非人道的な、目を覆わざるを得ないものに、細菌戦の準備があった。細菌戦の準備と実行を持った特殊部隊は、昭和10年(1935)夏、石井四郎を部隊長に満洲で編成され「関東軍防疫給水部」と称せられた。
昭和17年頃に「第731部隊」に昇格し、その研究、実験、製造は急に活発になった。(昭和14年のノモンハン事件に参加し、感状をもらっている)この部隊は細菌の製造、兵器としての細菌の利用、人体実験等を行い、施設として、常備爆撃機10機、1000kw発電機2台、隊員及び家族約6000名、年間研究費予算8000千円以上と言われている。
勿論、この部隊に多くの医学者が参加した。このことから、科学者としての責任の問題と同時に戦争責任が問題になってくる。
細菌戦準備への医学者の参加は、戦争責任の最も極端な場合として提起したわけであるが、このことの深い反省の上に戦後の再建も始められる必要があったし、現在でもなお問題とされねばならない。」
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第1回
731部隊と人権ー裁判から考える
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第2回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第3回
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第4回
731部隊被害者遺族を訪ねて(お話:大谷猛夫さん)
731部隊の史実を語り継ぐ連続学習会第6回
隠された毒ガス兵器
『従軍日記』 小津安二郎
森友・加計問題などで公文書改ざん、事実の隠蔽などが問題になっているが、敗戦時の証拠隠滅、文書焼却、事実の隠蔽は、その比ではない!今も
続く歴史改ざん!!
※30年経過したら、すべての情報を公開せよ!!
「公文書管理を考える」(4) 磯田道史・国際日本文化研究センター准教授
新宿・謎の人骨100体・731部隊【歴史解説】
1989年7月22日、新宿で謎の人骨が大量に発見された
歴史改ざん(「風を読む」)
●今の日本人は、まさかと思うかもしれない。
今、世界中で猛威を振るっている新型コロナウィルス。これは、細菌戦(生物戦)ではないのか?
過去に、日本が中国で行なった細菌戦のように。(以下は現在分かっている細菌戦)
日本政府・日本医学界が、真摯に過去に向き合い、生物兵器を作ったことを謝罪し、今のこの難局に立ち向かわない限り、オリンピック開催はないであろう。
東大医学部を卒業、将来を期待される医学者でありながら、731部隊の恐ろしい体験から、そしてその731部隊に参加したという罪の意識から、戦後医学者の道を捨ててしまった男、秋元寿恵夫
元731部隊員(第十課 血清班班長)秋元寿恵夫の言葉
「もしもバイオテクノロジーが軍事研究の魔の手に捕らえられた時の行き先がどうなるのかの危険性は、「ひょっとしたら人間の知能などを変える」どころか、さらには人類にとって取り返しのつかない害悪をもたらす生物兵器の出現につながっていくかもしれないのである。」
1939年 731部隊 ノモンハン戦争にて細菌戦(チフス菌、コレラ菌、赤痢菌)を行う
*1940年は皇紀2600年(神武が即位して2600年??)東京オリンピックや万博が開催される予定であったが、戦争の為中止!!
1940年 6月4日 731部隊、農安大賚・農安で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月 4日 731部隊、衢州で細菌戦(ペスト菌)を行う
10月27日 731部隊、寧波で細菌戦(ペスト菌)を行う
1941年11月4日 731部隊、湖南省常徳で細菌戦(ペスト菌)を行
1942年17月 100部隊は、ハイラルの北約120キロのソ連国境で行なった「三河演習」で鼻疽菌の生存期間を測定、炭疽菌の土 壌への浸透力の調査した
8月 731部隊、湖南省江山、常山、衢県、麗水、江西省広信、広豊、玉山で細菌戦(ペスト、コレラ、チフス)を行う
1943年12月 100部隊第2部に細菌戦準備の第6科を設置
1929年11月7日昭和天皇陸軍軍医学校視察
731部隊は、石井四郎が、細菌戦の司令塔ではなかった。誰が裏で司令塔になっていたのだろうか?小泉親彦陸軍軍医総監、宮川米次第5代東大伝研所長、大元帥昭和天皇等がバックにいた。
NHKスペシャル 「731部隊の真実~エリート医学者と人体実験~」 2017年8月13日
●日本政府は、新宿戸山の軍医学校跡地(現国立感染症センター)から見つかった人骨の身元調査を早急にして、遺族に返還し、きちんと謝罪すべきだ!!
東大伝研とは戦前、どんなことをやっていた機関なのか?
15巻第5号 【昭和6(1931)年】
◎講習開講式挙行
4月10日午前10時、第70回学術講習会の開校式を所内講堂に於いて挙行し、本年度春季の講習が開始された。
今期の聴講生下記の通り
金木弘 上玉利藤四郎 小池善次郎 牧野幸二 妹尾繁壽郎 吉田登喜 佐藤銀一郎 荷見信光 遠藤市治郎 佐藤久蔵 吉岡ツグ 石島直輔 塚原國雄 栗本珍彦 岡本啓 柳澤謙 田中正稔 高木堯夫 木村猛明 中村茂一 木下清吉 戸田又生 川瀬五郎 谷茂 中俣甚助 土屋毅
伝染病研究所の写真は、『傳染病研究所』小高健著より
日本政府は、中国で行った細菌戦や生体実験の事実を、(日本の裁判所は事実認定をしている)未だに隠し続け、その事実を認めていない。勿論謝罪もしない。日本軍が中国に遺棄してきた生物兵器は戦後、どのようになったのだろうか?
この新型コロナウィルスに影響しているのだろうか?
今、日本人は過去に犯した戦争犯罪を直視し、きちんと歴史事実に向き合う時ではないのか?
●細菌戦裁判資料集シリーズ・第8集(2002年10月31日)
「731細菌戦裁判・第1審判決特集号」の発行にあたって
本書第8集は、細菌戦裁判の第1審判決(東京地方裁判所民事第18部)の後、開催された判決報告集会、記者会見、意見交換会等での発言を編集したものです。
第4部
第一審判決に対する日本の各界の支援の声
2章 日本の支援者から
判決から思った事
郭 艶彦(大学院生)
8月27日は一審判決の日でした。私は英語を勉強する為に中国へ帰国していました。その為、判決現場の状況を見ることができませんでした。しかし、北京にいた私も判決を待っていました。8月の1か月間ずっと学校のパソコン室でインターネットを通じて判決の結果を見ました。判決前、結果に対しての私の態度はあまり楽観ではありませんでしたが。実際の結果を見た時、やはりがっかりしました、当時の心境は一言で言えないほど複雑でした。
731部隊員が多く入った国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)や自衛隊などでの生物兵器の開発・研究も行われているのではないか?
●日本政府は、731部隊の罪業を、公開せず、秘匿し、戦後全く無反省である!!最高責任者の昭和天皇も戦犯免責された!!
安倍晋三は何でこんな行動がとれるのだ??無反省のまま、ずっと生き延びられるのか??
安倍首相の731戦闘機試乗 「止まらない挑発」の非難
「1931」斉藤準太郎の日記
軍都広島での物語
●大江健三郎著
「ヒロシマノート」岩波新書(1965年発行)
挿絵カット 丸木位里・赤松俊子『ピカドン』(1950年8月6日ポツダム書店発行)より
Ⅵ ひとりの正統的な人間
日本医療団広島病院では「被爆者30万6千人のうち、治療中の患者は11月の300、今では200となり、それも放射能による直接の被害というより、むしろ火傷その他から余病を併発し、各自応急手当をおろそかにした為、悪化したものが大部分を占める。いわゆる原子症患者は殆どいないといってよい」(2月6日、毎日新聞)というニュースを流しているし、日赤広島病院産婦人科では「最近被爆者がやって来るが、恐怖心からくる神経症に陥ったものばかりである。爆心地から1㎞以上離れたところでは、多数の妊娠者が現れている、月経の変調もない。3㎞以上郊外では軽い放射能を受けた為、結核や胃潰瘍に好影響を与えたという事実もある」(2月16日、毎日新聞)と、原爆礼賛にも通じかねない、あまりにも楽観的な見解を発表しているのである。
●『細菌戦部隊』
731研究会編 1996年9月(核時代51年)初版発行
Ⅱ 関連部隊・支部
“特移扱”で中国人を731へ送った
憲兵隊の思想対策班長として大連事件にかかわった
三尾豊
憲兵
〈経歴〉
1913年生まれ
1934年1月~35年12月 歩兵第68連隊
1936年3月~45年8月 憲兵としてチチハル・牡丹江・大連の各憲兵隊に所属
1945年8月 捕虜となりシベリア抑留
1950年6月 中国戦犯管理所移管
1956年8月 起訴免除、釈放後帰国
■この証言は埼玉(浦和)731部隊展(1994年10月)の『報告集』に本人が加筆したもの。
“特移扱”について
このようにして“特移扱”とは、本来正規の司法手続きをとって裁判にかけるべき人を何の手続きもなく、いつでもどこでも勝手に憲兵が捕らえ、そして憲兵の判断によって731部隊に送る、そしてあの非人道極まる実験に供出したわけです。
●証言
生体解剖(旧日本軍の戦争犯罪)
中央档案館
中国第2歴史档案館
吉林省社会科学院編
江田憲司
兒島俊郎
古川万太郎編訳
原著編集説明
3、本巻各部分の資料配列方法は、「細菌戦」部分では、細菌部隊は機構による配列、細菌を散布して行なった細菌戦については、重大事件は事件ごとに配列し、その他は地区別とした。「毒ガス戦」部分では、総合的情況を反映しているものは集中させ、その他は地域ごとに毒ガスを使用した時間順に配置した。「生体解剖」部分では地域ごとに時間順に配列した。
●毒ガス戦
・『日本軍の毒ガス兵器』 松野誠也著
第5章
日中全面戦争と毒ガス戦の展開
・『日本の中国侵略と毒ガス兵器』 歩平著(山邊悠喜子、宮崎教四郎訳)明石書店 1995年発行)
第5章 陸軍習志野学校
重要な実験場
付記・日本陸軍習志野学校跡考察記
(注)
(5)その後日本から来た手紙によると、この塔は95年1月に解体された。その際、複雑な地下配管や、塔から7,80m離れた毒ガス実験室(八角形)のコンクリート礎石が掘り出された。工事に立ち会った平和委員会の人達の調査では、実験に使った毒ガスをこの塔で中和し、大気中に放散したのではないかと推定されている。
●『三光』 中国帰還者連絡会編
日本鬼子(リーベンクイズ)
核時代39年(1984年)5月初版発行
日本鬼子(リーベンクイズ)
女捕虜
乳房を銃剣で突く
新谷幸太郎(しんたにこうたろう)
分隊長、伍長
〈略歴〉
埼玉県の貧農の家に生まれ、高等小学校8年卒業、商店員を経て、元59師団53旅団第43大隊第4中隊伍長分隊長として終戦に至る。
「新谷!!新谷!!」田原の異様な声が30mも離れた墓地から飛んだ。私は夢中になって畑の中を走り出していた。
「畜生、逃げやがった」田原は蒼白な顔を突き出すと、深い壕の中を指さした。7,8mもある深い壕が、墓地の後ろから畑を横切って、西の村落に通じているようだ。中へ飛び込んだら上がれそうもないほど、真っすぐに掘ってある。男が滑り落ちた跡だけが箒ではいたようにはっきりとついていたが、もうその中には誰もいなかった。
2018年12月に、『留守名簿 関東軍防疫給水部 満州第659部隊』2冊が発売されました!!(不二出版)
●日米安保条約・自衛隊を問う!!
自衛隊は、防護のためと言って、旧日本軍の細菌兵器・毒ガス兵器使用の反省・謝罪もないまま新たな生物兵器・化学兵器を作っているのだろうか??憲法9条を持ち、生物兵器・化学兵器禁止条約を批准しているにも関わらず!!
日本の毒ガス
在日米海軍厚木基地(大和、綾瀬市)で米陸軍が化学、生物、放射線、核(CBRN)の対応訓練を予定していることに対し、厚木基地爆音防止期成同盟(爆同)など関連4団体が4日、同基地正門前で抗議集会を開き、訓練の中止を訴えた。
訓練実施は1月28日に、日米合同委員会で合意。防衛省南関東防衛局が大和、綾瀬市に連絡した内容によると、訓練場所は、同基地を共同使用する海上自衛隊が管理する区域内にある滑走路南端の約2万平方メートル。今月5日から9月30日まで使用することで合意した。
米側は訓練への参加部隊に関し米本土所属と説明しているが、参加人員や日程については知らせていない。危険物の持ち込みや騒音の発生はないなどの情報提供にとどまっている。
CBRNへの対応訓練は同基地で過去に例がなく、周辺住民に不安が広がっている。
今月4日には同基地正門前に爆同など住民団体から約60人が集まり「危険な訓練をやめろ」などと声を上げた。爆同の石郷岡忠男委員長は「昨秋には迎撃ミサイル訓練があった。米空母艦載機部隊の移駐後に空いた施設を使った新たな訓練場になることを危惧している」と強調。基地司令官宛てに、基地の機能強化につながる運用などに抗議する要請書を提出した。
●情報公開裁判
なぜここまでして、国は衛生学校や化学学校で作っていた機関誌を公開しないのだろうか?
●『化学学校記事』 情報公開裁判(第19回) 11月 10日(水)11:00~703号法廷
●「衛生学校記事」情報公開裁判 (第30回) 8月25日(水)15:00~103号法廷
◎「衛生学校記事」「化学学校記事」その他自衛隊に関する
情報をお持ちの方は下記のアドレスまでご連絡ください。
連絡先:exhibition731@yahoo.co.jp
『日本の国家機密』(現代評論社刊 初版発行)
藤井治夫著
第二章国家機密の構造
3 外交機密の生態
底知れぬ外交機密
最高機密は、その存在自体さえ秘匿されるのである。これは現在もそうである。70年3月18日の衆院予算委第2分科会で、島田防衛庁官房長は 「『機密』の文書につきまして、どういう件名の機密文書があるかということは、これはやはり防衛の基本に関する問題に関連いたしますので、そういう意味におきまして、 やはりこれを外へ出すということは適当でないというふうに判断をするわけでございます」と述べ、「機密」区分の文書について題名を明らかにせよとの要求を拒否している。防衛庁は件名はじめさないが、件数、点数は発表している。外務省は件数までも秘密にしているのではないか、という疑惑が生じるのも当然である。いずれにせよ、内閣官房の資料がおざなりであることは確かといえよう。
1957(昭和32)年7月『衛生学校第1号』発刊
●『BC兵器』久保綾三著(1969年)
※以下の記述から、自衛隊では、いま世界で流行している新型コロナウィルスなどの生物兵器の研究も大分以前からやっているといるのではないかと思われる。
Ⅲ 日本における生物・化学兵器の歩み
ガス弾射撃及び放射
(1)ガス弾射撃 各種火砲により実施する方法で、ガス効果と破片効果が期待される。
(2)ガス放射 放射筒及び缶などによる方法で、発見されやすく、行動も困難である。
ガス手榴弾・・・近接戦闘において局部的に随時使用される。
ガス地雷・・・・敷設するために時間と労力を要する。
ガス器散・・・・車両または携帯散布器により行われる。発煙機。放射機を利用する場合もある。
以上が戦用ガスの種類及びその特性と代表的な使用手段である。(発煙剤及び焼夷剤については省略する。資料の付2表参照)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!
天皇万歳に浮かれる無責任国家 田中利幸より
重要なことは、アメリカが、日本占領支配のために、裕仁の戦争責任を隠蔽してまでも、彼の天皇としての「権威」を政治的に利用したことである。つまり、私たちが本当に問わなければならないのは、「絶対的権力を保持していた国家元首の戦争犯罪・責任の免罪・免罪の上に制定された民主憲法が、果たしてどこまで真に民主主義的であるのか?」ということである。
●昭和天皇(ハーバード・ピックス著『昭和天皇』より)
吉田裕監修
※昭和天皇は、平和主義者でもなんでもなかった。好戦的であり、常に軍部に色々と指示を出していた!!
戦後補償問題に国家無答責という天皇主権の明治憲法下の原則を適用するな!!
第4部 内省なきその人生
1945(昭和20)年―1989(昭和64) 年
第16章 神秘性をとりもどす
しかし、体に合わない「民主的」な背広姿で、不器用な応答をし、ときには笑みさえ浮かべるという、およそ「現人神」らしからぬ動作で天皇が旅するのは、じきに国民の見慣れた風景になった。君主主義的官僚が「さくら」を演じ、GHQと検閲下の日本の新聞が巡幸の重要性を強調するのに応じて、国民の間には順次熱狂的な雰囲気が広がっていった。この年の宮内省は(マッカーサーの許可を得て)、金銭、土地、建物、木材を公共目的に提供すると言うやり方で国民に近づこうとした。また、堅苦しい「大日本帝国」から柔らかい「日本国」へと国号を変えるという面からも、天皇制は変わろうとしていた。
第9条【戦争の放棄、戦力及び交戦権の否認】
①、日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
RENUNCIATION OF WAR Article 9.
Aspiring sincerely to an international peace based on justice and order, the Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation
and the threat or use of force as means of settling international disputes.
In order to accomplish the aim of
the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained.
The right of belligerency of the state will not be recognized.
731部隊員が戦犯免責され、ABCC(原爆傷害調査委員会)に協力した。その結果、アメリカの原爆投下を日本政府は問うことは無く、また被爆者は、ABCCに治療されることもなかった。そして日米安保条約の下、核兵器の廃絶に日本政府は後ろ向きである!
日本には多くの被爆者がいるのに、日本政府はなぜ核兵器禁止条約に署名しない?
●地球の異常気象の最大の原因は、今までの2000回以上の核実験や原発事故などの放射能汚染で地球が壊れてきているからではないのか??米の原爆投下責任と核実験をしてきた国の責任を問う!!
※私が考える、今の異常気象の要因は
1、1940年代から60年代にかけて大規模に行われた、核実験による環境破壊の影響
2、都市化したコンクリート(アスファルト)ジャングルによるヒート・アイランド現象
3、その結果による、交通機関(電車・バス・乗用車・航空機・船舶)やオフィス・住居などの冷暖房による排熱
4、自動車社会の排ガス
5、原子力発電による温排水の排出・・などに拠っているのではないか?
核実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
核兵器禁止条約(かくへいききんしじょうやく、英語: Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons、TPNW)は核兵器を禁止する国際条約である。略称・通称は核禁止条約、核禁条約、核廃絶条約(英語: Nuclear Weapons Ban Treaty、Nuclear Ban Treaty)など。
2017年7月7日に国際連合総会で採択され、2021年1月22日に発効。
署名国・批准国
2021年1月22日現在の署名国と批准国。
署名国 署名日 批准日 (締約日)
ブルネイ 2018年9月26日
カーボベルデ 2017年9月20日
カンボジア 2019年1月9日 2021年1月22日
中央アフリカ共和国 2017年9月20日
チリ 2017年9月20日
「北朝鮮の核実験の威力」と「史上最強の核兵器"ツァーリ・ボンバ"の破壊力」【核兵器】
●核なき世界へ!!Toward a Nuclear-Free Future
●核融合もすべきではない!!
20170303 小出裕章先生にきいてみた!!〜土岐市核融合科学研究所 重水素実験について
なぜ、日本は広島・長崎・ビキニ・JCO臨界事故・福島と5度も被爆しているにに、日本医学界は「脱原発!!」と叫ばない!!
XII) 731部隊、広島長崎、チェルノブイリ、福島より
封印された原爆報告書
水爆実験
JCOの臨界事故
福島第1原発事故
●核兵器廃絶
徳仁・日本政府・日本医学界は、731部隊のことを謝罪し、戦争被害者の救済、戦争をしない政策にお金をかけるべきだ!
●日本はなぜ戦争責任問題を解決できないのか
水俣病
●731部隊(unit731)
●昭和天皇の戦争責任を問う!!天皇制反対!
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